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映画『ハドソン川の奇跡』ネタバレ感想・解説・考察!機長の判断は正しかったのか?アメリカらしい作品

映画『ハドソン川の奇跡』のあらすじ・内容

映画『ハドソン川の奇跡』は、すでに80歳を超えているにも関わらず精力的に映画製作に取り組む巨匠クリント・イーストウッドが手掛けたドキュメンタリー映画です。この「ハドソン川の奇跡」というタイトルも本作が初出ではなく、2009年に発生した実際の航空事故「USエアウェイズ1549便不時着水事故」を形容した文言です。

この事件は日本でこそ極めて高い知名度を有しているとはいえませんが、ことアメリカでは発生当時から乗客全員の命を救った機長の手腕が英雄視されています。したがって、イーストウッドは前作にあたる『アメリカン・スナイパー』同様に、ふたたび伝記映画を製作したことになります。

今回はそんな『ハドソン川の奇跡』の個人的な感想や考察、解説を書いていきます!ネタバレには注意してください。

映画『ハドソン川の奇跡』を観て学んだこと・感じたこと

・機長の「プロフェッショナル」な判断力に感服
・老いてなお壮健なイーストウッドという監督の力量は素晴らしい
・「アメリカ」らしい価値観を実感した

映画『ハドソン川の奇跡』の基本情報

公開日2016年9月24日(日本)
監督クリント・イーストウッド
脚本チェスリー・サレンバーガー
ジェフリー・ザスロー
出演者チェスリー・サレンバーガー(トム・ハンクス)
ジェフ・スカイルズ(アーロン・エッカート)
ローリー・サレンバーガー(ローラ・リニー)
チャールズ・ポーター(マイク・オマリー)

映画『ハドソン川の奇跡』のあらすじ・内容

映画『ハドソン川の奇跡』のあらすじ・内容

2009年1月15日、機長のチェスリー・サレンバーガー(サリー)以下155名を乗せたUSエアウェイズ1549便は、ニューヨークを出発してシアトルへと航空していました。

しかし、同機は離陸直後にバードストライクによるエンジン停止というピンチに見舞われます。

その事態に直面した機長のサリーは、即座に考えられる復帰手段を試み管制塔と連携をとりますが、近隣空港への不時着さえも不可能であるという結論を出しました。

 

そして、サリーはニューヨークのど真ん中に位置するハドソン川への不時着という驚愕のミッションを遂行しにかかります。

成功率の低い水面への不時着・アメリカの中心地ニューヨークという土地・極寒の季節という危機的状況に直面しましたが、彼を始めとするスタッフの正確かつ迅速な判断で乗客全員の命を救いました。

この偉業は「ハドソン川の奇跡」として称賛されましたが、驚くべきことに「英雄」サリーは容疑者として調査委員会の追及を受けることになるのです…。

映画『ハドソン川の奇跡』のネタバレ感想

老いてなおチャレンジを続ける監督・イーストウッドの精神は見事

老いてなおチャレンジを続ける監督・イーストウッドの精神は見事(C)2016 Warner Bros. All Rights Reserved

今作は公開前からすでに日本でも高い注目度を誇っていました。その理由は単純で、監督に日本でも屈指の人気を誇る巨匠・イーストウッドが起用されていたからです。若くは『夕日のガンマン』などの西部劇で二枚目俳優として活躍し、監督業に転身した後も『ミリオンダラー・ベイビー』や『グラン・トリノ』などの傑作を世に送り出してきました。

そんなイーストウッドも、映画制作時点では86歳といよいよ高齢に差し掛かってきました。しかし、彼の映画に対する情熱は全く変化がないように見えます。実際、本作の公開2年前には話題作『アメリカン・スナイパー』で世間を賑わせ、本作公開後の2017年には『15時17分、パリ行き』、2018年には『運び屋』と、老いてなおほぼ毎年ペースで映画を製作し続けています。

 

もちろん、80代後半で映画を毎年製作し続けていること自体が驚異的なことなのですが、イーストウッドの凄味はそれだけにとどまりません。彼は1971年に『恐怖のメロディ』というサスペンス映画で監督デビューして以降、常に新たな作風を取り入れてきました。そのため、彼の代表作を列挙すると非常に幅広い作品が登場することになります。

そして、彼の挑戦は21世紀に突入してもなお精力的に続けられました。代表的な作品としては、「尊厳死」という極めてシリアスなテーマを取り扱った『ミリオンダラー・ベイビー』、米国人と日本人の両視点を取り入れた異色の戦争映画『父親たちの星条旗/硫黄島からの手紙』、米国人と東洋人の触れ合いを描いた『グラン・トリノ』などです。

全体的に21世紀のイーストウッド作品はシリアスな色が強く、結末もかなり含みを持たせたものであることが多い印象があります。しかしながら、本作に関しては中盤にかなりシリアスな局面を迎えつつ、映画の最後は比較的明るい結末で締められているという点に違いがあります。

最近のイーストウッドはシリアスな面が評価されてきたという事実もあり、安定志向を狙うのであればそうした作品を製作しても良かったはずです。それでもなお、「新たな作風」を取り入れようとする彼のあくなき向上心には、いち映画ファンとしてただただ敬服するばかりです。

機長の疑惑・バッシングを受け「正しさ」を証明する内容となっている

機長の疑惑・バッシングを受け「正しさ」を証明する内容となっている(C)2016 Warner Bros. All Rights Reserved

伝記映画というものは、大まかに結末が決まっていることがほとんどです。その理由は言うまでもないことですが、実話をもとに構成されているため話の内容そのものは変えようがないのです。

そのため監督の腕の見せ所は内容や世界観以外の部分、つまり脚本や構成・演出といった「映画の魅せ方」という部分になります。ここがしっかりしていなければ、たとえ優れた実話をもとにしていても映画としての評価は芳しくなりません。

 

では、イーストウッドはこの「ハドソン川の奇跡」という実話をどのように料理したのでしょうか。仮にですが、我々がこの物語の映画化を任されたとしたら、恐らく無難な選択肢としては「優れた機長の日常生活や人生に着目し、訪れた最大の試練を乗り越えてハッピーエンド」となりそうな気がします。そのため、人々がよく知る「ハドソン川の奇跡」という一連の着水部分が映画の「転」に相当し、それを乗り越えていく物語構成が浮かぶでしょう。

しかし、イーストウッドはその「無難さ」から一歩先に進んだ構成を取り入れています。通常であれば着水部分が「転」にあたるところを、彼は「起」の部分として構成しているように感じました。そして、機長が英雄から一転容疑者になる部分を「承」、機長が自らの正しさを確信する部分を「転」、改めて正しさが公然と証明される部分を「結」とみることができます。

イーストウッドにとって「機長が奇跡を起こした」という部分はこの物語の本質ではなく、「奇跡を起こした機長が疑われたが、自身の正しさを証明した」という部分こそが最も伝えたかったことなのでしょう。このあたりは「善悪」という二元論に対して常に疑問を投げかけ続けてきたイーストウッドらしさが現れており、一見カラーが違う本作も彼の手によってしっかりと消化されていることが分かります。

 

もっとも、これは「着水部分を疎かに描いている」というわけではありません。本作は脚本として実在の機長サリーがクレジットされているだけではなく、スタッフや救助隊など実際に事件にかかわった人々を本人役で出演させ、さらに航空機本体や救命ボートもイーストウッドが私費で購入しリアリティを高めています。

さらに、映画全編がIMAXカメラという最新鋭の技術で撮影されており、映画の本質的な部分を抜きにしても優れた再現力と映像美を有する映画であることは間違いないでしょう。

【解説】「容疑者」という点に見えてくる実話との違い

【解説】「容疑者」という点に見えてくる実話との違い(C)2016 Warner Bros. All Rights Reserved

さて、本作が単なる奇跡を取り扱ったものではなく、155人の命を救ったにもかかわらず機長が容疑者扱いされている面にフォーカスを当てた作品であることは既に述べました。この点だけを考えると、当時のアメリカでの反応を詳しく知らない我々日本人からすれば「ずいぶんと薄情ではないか」と思います。

しかし、本作について詳しく調べていくと、キャッチコピーにもなっている「155人の命を救った男が容疑者に」という側面は、実際の出来事とは少し異なる側面があるようです。実は、本作には元となった自伝小説があるのですが、その内容を見る限り「命を救ったのに容疑者扱いされた」ということに苦しむ様子というのは、あまり描かれていません。

それどころか映画で描かれた以上の英雄として大々的にクローズアップされ、事件の5日後には当時のオバマ大統領によってホワイトハウスへと招かれているほか、全米から称賛の声が止まなかったという見方がなされています。

 

さらに、本作で中心的に取り上げられた「事件後の調査」という作業も、大統領公認の英雄を容疑者扱いするわけにはいかず、あくまで形式的な捜査に過ぎなかったという指摘も存在します。確かに事故原因の詳細な検証は行われましたが、それは機体の欠陥や航空会社の責任を問うものであり、その結果として機長の正しさが証明されることになったという副産物に過ぎない可能性は高いでしょう。

本作で見られた「容疑者扱い」という側面は、あくまでフィクションの一環であると考えた方がいいのかもしれません。考えてみれば、機体着陸で奇跡を起こした機長が特にドラマもなく称賛されるだけのストーリーは「映画的な」魅力に欠けるというのも分からないではないですし、イーストウッドの哲学にも合致しないでしょう。そうした諸要素を検討していくと、本作の息詰まるやり取りはやはり実際の歴史と考えるのは難しいようにも思えます。

とはいえ、本作はなにも「実話の忠実な再現」を目標にした再現映像ではなく、あくまで「娯楽ドキュメンタリー映画」であることを忘れてはなりません。確かに実話と異なる点があるのは指摘できますが、それが原因となって本作の評価を大きく下げる必要はないでしょう。

【考察】「アメリカ的価値観」についての問題提起という側面

【考察】「アメリカ的価値観」についての問題提起という側面(C)2016 Warner Bros. All Rights Reserved

本作内で描かれていたフィクションと実話を比較すると「アメリカ的価値観」の有無が指摘できるような気がします。国固有の価値観を指摘するのはステレオタイプ的な側面があるのは否めませんが、イーストウッドはその点を意識しているようにも感じます。

実話の時点では、機長の行動がよく検証される前から大絶賛に包まれています。それはオバマ大統領しかり、アメリカの各マスコミしかり、SNSしかり同様でしょう。とはいえ、結果的に機長の正しさは証明されたものの、この時点ではまだ「本来は空港まで行けたにもかかわらず着陸を急いだ機長の判断ミス」という可能性は残っていました。それでもなお機長を称賛してやまなかった風潮には、良くも悪くもアメリカ的な価値意識を感じます。

ここでいうところの「アメリカ的価値観」とは「英雄」を称賛する態度のことです。アメリカという国は、昔から「英雄」を求めている傾向があるように感じます。そのため、優れた才覚を見せつけ奇跡を起こした人物を社会全体が称賛し、それを繰り返して歴史を構築してきた側面があります。

 

もちろん、優れた人物を褒めたたえるのは素晴らしいことですし、我々日本人も見習うべき点はあるでしょうが、この称賛は同時に英雄に対しての「問題提起」を封じるという側面があります。今回の件で言えば、機長という「英雄」は命を救ったのであり、彼の偉業に対する問題提起を許さない風潮は少なからず存在したはずです。そのため、結果的に機長の正しさが証明されたために事なきを得たものの、仮に機長の行動に落ち度があったとすれば、それをアメリカ社会が受け入れたのかは疑問です。

つまり、個人的に本作を通じてイーストウッドが投げかけた問題提起は「機長に落ち度があった場合、あなたはそれを受け入れられるのか」というものであったように感じました。彼はアメリカ人でありながら一方で「アメリカらしい」とされる文化に一石を投じ続けてきた人物でもあります。その彼は「ハドソン川の奇跡」という一連の騒動と風潮に着目し、安易な称賛に疑問を呈したのではないでしょうか。

このあたりは完全に個人的な考察になってしまいますが、仮にこうした意図があったとすれば本作はいっそうイーストウッドらしい映画ということになりますし、英雄を待ち望む人々はこの指摘を甘んじて受け入れなければなりません。安易な英雄の創出は真実からの離脱を意味することも少なくなく、筆者としては彼の発想に共感するところも大きいです。

【解説】イーストウッド映画としては及第点の評価

【解説】イーストウッド映画としては及第点の評価(C)2016 Warner Bros. All Rights Reserved

さて、ここまで本作の主な見どころについて解説してきました。作品の出来も決して悪くはなく、本来であれば佳作と呼ぶにふさわしい手堅い内容に仕上がっています。

しかし、筆者としては本作が「クリント・イースドウッドの作品である」という点を重視すると、やや物足りない部分も少なくありません。確かに、本作は実在の出来事を描き出した伝記映画として、実話部分とフィクション部分のどちらもよくできています。また、潤沢な予算をつぎ込まれていることもよくわかり、一個のニュース映画的な側面もあるでしょう。

それでもイーストウッドがメガホンを取ったからには「もっといい作品がつくれる監督」という思いがあります。それはやはり彼が積み重ねてきた功績の数々があるからこそ、我々視聴者側も高いハードルを設定してしまうためでしょう。

とはいえ、何度も触れているように映画として致命的な欠点があるわけではありません。それでも物足りないと感じる原因を考えてみたところ、彼の他作品と比べて「メッセージ性」に欠ける部分があるためではないかという結論に至りました。

 

彼の代表作には、いつも我々の「当たり前」を揺り動かす強烈なメッセージ性があります。『ミスティックリバー』では幼馴染をめぐる殺人事件で「法の裁き」という問題を描き出し、『ミリオンダラー・ベイビー』では「尊厳死」という人間社会におけるタブーに真正面から向き合い、『グラン・トリノ』では「イーストウッド」を殺させることで時代の終わりを自ら提示しました。

ここで示した以外にも、イーストウッドは絶えず人々の常識やタブーをえぐり出す映画を製作していきました。しかし、こと本作に関していえばそうした一面がやや弱いという印象を受け、それゆえに「確かに悪くはないけど、心に残る映画かと言われると…」と感じてしまうのでしょう。

そう、何度も繰り返しているように、本作の出来は決して「悪くない」のです。ただ、イーストウッドの功績や実力を考えると「良い」とまでは言い切れない映画であるというのが筆者の偽らざる感想です。

イーストウッドからすれば、勝手に期待されて勝手に不満を抱かれているわけですから、納得のいかない点もあるでしょう。確かに本作は映画史に残るところまでは至りませんでしたが、彼らしいチャレンジ精神は随所に見ることができました。彼がいつまで映画制作を続けるかは全く読めませんが、できるだけ長生きして傑作を世に送り続けてほしいところです。

(Written by とーじん)

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※2019年5月現在の情報です。

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