名監督かつ名優でもあるクリント・イーストウッドが齢88歳にして作り上げた最新作「運び屋」。90歳の老人が麻薬の運び屋になるというユニークなストーリーながらも、その中に含まれている家族愛や人生において大切なものが感じられます。
数々の名作を世に送り出し、自身も俳優として輝かしい活躍をしてきたクリント・イーストウッドの今をみることができるでしょう。
今回は映画「運び屋」の個人的な感想やネタバレ解説、考察を書いていきます。
目次
映画「運び屋」を観て学んだ事・感じた事
・90歳の老人が麻薬の運び屋をやるというユニークなストーリーが魅力的
・物語を通じて伝わる家族愛や人生において重要なことが語られている
・この映画を観て大切な人と過ごす時間について考えさせられる
「運び屋」の作品情報
公開日 | 2019年3月8日 |
監督 | クリント・イーストウッド |
脚本 | ニック・シェンク |
原作 | サム・ドルニック「The Sinaloa Cartel’s 90-Year-Old Drug Mule」 |
出演者 | アール・ストーン(クリント・イーストウッド) コリン・ベイツ(ブラッドリー・クーパー) メアリー(ダイアン・ウィースト) ローレンス・フィッシュバーン マイケル・ペーニャ |
映画「運び屋」のあらすじ・内容

90歳の老人アールは園芸家としての人生を歩んできました。仕事にばかり熱中し、定期的に開催される品評会での結果を何よりも重要としてきたため、家族はたびたび放ったらかしにされてきました。
決定的だったのは、娘の結婚式を欠席し花の品評会に参加したことでした。これにより娘との関係が決裂してしまいます。
時が経ち、時代が大きく変わる中、アールの仕事はインターネットの出現によって窮地に立たされます。人生を捧げてきた農園は差し押さえにあい、家族との関係も冷え切っています。
そんな中、金に困ったアールの元に金儲けの話が舞い込んできます。それは、麻薬の運び屋でした。
運び屋の仕事を通じて、大金を得ていくアール。次第に自身の考え方や家族との関係性を見直していくのですが、麻薬捜査の手が彼に近づいていきます。
映画「運び屋」のネタバレ感想

この映画はニューヨーク・タイムズ・マガジンに掲載された「90歳の運び屋」という衝撃的な記事が原案となっています。
こちらの記事では、第二次世界大戦の退役軍人で園芸家でもあったレオ・シャープという人物が、メキシコから大量のコカインを運んでいたという事実が語られています。
アメリカでは麻薬問題が深刻化しており、メキシコやコロンビアといった南米の国々から入ってくる大量の麻薬に頭を悩ましている状態です。
このような事実を元に、巨匠クリント・イーストウッドがメガホンをとって作り上げられたのが「運び屋」です。映画では、こういった衝撃的な事実を元に、麻薬捜査官との駆け引きや家族愛などが魅力的に描かれている作品でもあります。
ここでは、映画「運び屋」の感想を1つ1つ掘り下げていきたいと思います。
【解説】90歳の老人が麻薬の運び屋をするというユニークなストーリー

まず、最初に驚かされるのは、この映画のストーリーについてです。90歳の老人が家族の知人から紹介された麻薬の運び屋という仕事をやるというユニークな内容となっています。
しかもそれが事実を元にした話であるというのですから、なおのこと驚きますよね。
クリント・イーストウッド演じるアールは飄々と仕事を成功させていき、大金を掴んでいきます。90歳の老人が麻薬を運んでいるという事実すら想像ができないばかりでなく、アールの自由気ままな仕事ぶりに麻薬組織や麻薬捜査官までもが振り回されていきます。
この映画で重要な部分というのはたくさんあるのですが、まずはこの意外性のある設定に興味をそそられてしまいました。
【解説】老人・アールという人物を中心に描かれる人間ドラマ

この映画の根幹となっているのは、主人公の老人アールとそれを取り巻く人々との人間ドラマです。複雑な映像技術などは一切なく、普遍的でシンプルなドラマでもあります。
アールはもともとユリの花の一種「デイリリー」の栽培事業を営んでいた園芸家でしたが、時代の流れとともに事業が頓挫してしまいます。
人生のほとんどをデイリリーに費やしてきたあまり、家族との時間を蔑ろにしてきました。挙げ句の果てには娘の結婚式当日もデイリリーの品評会を優先してしまうという始末で、長らく娘とは口も聞けない間柄です。妻からも見放されており、言ってみれば典型的な働く男性でもあります。
最近では、こういった典型的な男性像は社会の中で批判されることが多いですが、アール自身の感覚の中では、仕事に身を捧げてきたことは認めながらも、それによって家族を養ってきたという自負も抱えています。
しかし、家族にしてみれば、大事な時に一緒にいてくれない「ダメ親父」として見なされるわけです。悲しいですが、家族の中での価値観の相違によって、だんだんと心が離れてしまうという状況でもありました。
そのなかで、アールに舞い込んできたのが麻薬の運び屋という仕事です。もともと車を運転して各地を走り回るのが好きなアールにとってはうってつけの仕事でもあります。最初は何を運んでいるのかを知らず、ただただ荷物を運んで、大金を得ていたのですが、幾度目かの仕事で荷物の中身をしってしまいます。もちろんここで引き返すこともできたのですが、アールは仕事を続行します。
車を運転するだけで大金が得られたアールは、それを自分のため、人のために使っていきます。孫娘の結婚パーティの資金を出してあげたり、退役軍人でもある彼自身がよく通っていた退役軍人クラブの再開資金を出すなど、いろいろなことにお金を出していきます。
そういったことを繰り返すうちに、家族たちとの距離が少しずつ詰まっていきます。娘や妻に関しては、それでも許せない部分を抱えていましたが、以前のような冷ややかな関係は修復傾向にあります。
90歳にして麻薬の運び屋という仕事をはじめ、繰り返すうちに周囲との人間関係が大きく変化しています。そのなかで、アール自身の考え方についても変化が訪れていきます。
この映画は、老人が麻薬の運び屋をするという突飛なストーリーではありますが、そこに含まれているのは、人生の終盤を迎えた老人を取り巻く人間ドラマが中心として描かれています。
【解説】物語が進むにつれて深まっていく家族愛に感動する

父親とそれ以外という家族関係が冷え切っていた中、麻薬の運び屋という仕事を通じて、次第に関係性を修復していきます。
これまで家族を蔑ろにして、仕事を優先してきたアールですが、物語が進んでいくにつれて家族と過ごす時間の重要性を認識していきます。
決定打となったのは、妻の病気でもありました。ベットで寝たきりの状態になっている妻と対峙する中で、アールは自身の過ちについて深く反省をしていきます。いくら仕事でお金を得ても、時間を取り戻すことはできず、その中でアールが失ってきたものの重要性に気がつくのです。
死の間際に瀕している妻と話す中で、アールは家族との関係性を改めるよになっていきます。この家族愛という部分はこの映画の中心として見て欲しいテーマでもあるのですが、やはり妻の病気を前にして、長年失われてきた家族愛に気づくシーンは涙を誘いました。
特に、アールと妻が話す中で出てきた歌の歌詞もグッとくるものでした。
これは、アールが仕事中に車の中で口ずさんでいた歌でもあるのですが、それを2人で歌う姿を見ると、やはりいくら冷え切っていたとはいっても、幸せな時間を共有したことがある2人であることは明らかで、だからこそ冷え切ってはいるものの、完全に関係が崩壊しているわけでもないことが伺えます。
そして、妻の死に瀕して、アールが己の過ちを認め、長らく忘れていた妻への愛を取り戻していくわけです。
このシーンの中では、「I love you more today than yesterday」という曲が使われており、その歌詞にある「I love you more today than yesterday. But not as much as tomorrow」には感動させられてしまいました。日本語に直すと「昨日よりも今日の方がもっと愛しているよ。でも明日の方がもっとだよ」となるのですが、ここに1組の夫婦の深い愛情が垣間見えてきます。
【解説】なぜか憎めないクリント・イーストウッドの演技

この映画の監督兼主演はあの巨匠クリント・イーストウッドでもあります。齢88歳にして、ここまでの映画を作り上げたことは感服に値することでもあります。
そして、この映画の主人公でもある彼のキャラクターにはどうしても惹かれてしまいます。
ストーリーだけをみれば、彼は麻薬の運び屋でもあり、家族よりも仕事を優先してきた男です。これだけをみれば彼に対する印象は悪く、悪い人役でもあります。しかし、この映画の中で描かれているのは、そうした人物でありながらなぜか憎めない、ともすれば愛おしいとさえ思わせられるキャラクター像でもあります。
まったくもって正義というイメージ像ではないのですが、なぜか彼が全て悪いような印象も受けないのです。これはクリント・イーストウッドが持つ魅力の1つだとも言えますし、無理に悪役として描かない演出の妙ともいえるでしょう。
結構な大犯罪を犯しているのにも関わらず、どこかのどかな印象を抱かせてしまいます。この映画の主人公でもあるクリント・イーストウッド演じるキャラクター像の魅力というのもこの映画の見どころです。
クリント・イーストウッド監督が手がけ、実際のテロ事件を描いた映画もおすすめです。

【解説】仕事に対する向き合い方と価値観

この映画の中で、老人のアールは度々古いタイプの人間という描かれ方をしています。携帯電話はまともに使えず、メールが打てない、目的地まで荷物を滞りなく運ぶのが仕事なのに、予定にない寄り道をしてしまうなど、現代の効率重視の世の中とは正反対の人物像でもあります。
アールのそういった仕事に対する価値観には、現代に暮らす私たちに訴えかけるものもあります。アールのそういった行動に対比する形で、予定通り仕事をこなすように命令をする麻薬組織が印象的です。
寄り道せずに目的地まで荷物を届けることを指示する麻薬組織のメンバーですが、それでもアールはタイヤがパンクした車を見つけて助けてあげたり、道中のファーストフード店に寄り道するなど好き放題やっています。結果的にそういった不規則な動きが、麻薬捜査を撹乱することにもつながるのですが、それ以上に、そうしたアールの行動に対して、麻薬組織の面々がほだされていっているのが印象的でした。
最初は仕事を滞りなくこなすことを厳格に指示していたメンバーでしたが、アールに振り回される中で、「これもアリかな」みたいな感じになっていきます。
最近では、仕事に対する余裕がなくなっている時代でもあります。効率化の背景でハードワークを強いられる労働者が数多く生きる現代の中で、「運び屋」のアールの姿というのは、ある意味、現代に対して批判的な要素を含んでもいます。そういう意味では、現代的な価値観を見直すことができる作品ともいえます。
【考察】運び屋を悪人として描いていない

この映画に特徴的なのは、アールという麻薬の悪人を絶対的な悪者として描いていないという点です。一般社会の通念としては、麻薬に携わる人間は悪で、麻薬捜査を行なっている警官たちは正義として見なされています。
しかし、この映画の中で、アールはそこまで悪い人として描かれていないのです。
ここにも「運び屋」の示唆に富む要素が含まれていると感じました。もともとアールは園芸家として生計を立てていました。そこにインターネットの登場があり、仕事を奪われる形で、事業が頓挫してしまいます。
その中で、お金を得るために運び屋をやるのですが、ここで一体悪いのは誰なのかという問題が浮かび上がってきます。確かに、アールは犯罪を犯しています。麻薬がアメリカに密輸されることによって、深刻な麻薬中毒者が発生することは容易に想像できるでしょう。
しかし、彼の仕事を奪ったのは、インターネットという巨大な産業です。花のネット通販事業によって、アールの仕事が奪われる形になっています。もちろんこれはいわゆる競争の結果として、社会的には認めらることであります。しかし、アールという人物にとっては、大きな被害を受けた形にもなっています。時代が変遷していく中で、こういったことは度々起きてくるでしょう。社会全体としてはプラスなのかもしれませんが、こういったミクロの部分では被害を被っている人たちもいるわけです。
そういった時代に対する批判的な視点というのもこの映画には含まれていると感じました。社会的に認められた「正しさ」によって割りを食っている人がいるわけで、そういった人たちが犯罪に手を染めていることに対して、真正面から批判することはできないのです。
「運び屋」では、アールという麻薬犯罪に手を染めた人物が描かれていますが、必ずしも彼が悪人として描かれていない部分に関して、私はこのような意図があったのではないかと想像してしまします。
【考察】落語の世界観にも似た映画

この映画全体を通じて、なんとなく落語っぽいなという印象を受けました。かつて立川談志は落語を評して「人間の業の肯定である」と表現しました。人間が持つ欲深い部分やだらしのない部分を肯定する、それが落語であるということですが、私の解釈では業を肯定することに人間の相互理解が成り立つのではないかと考えています。人間のもつダメな部分を認めてあげることによって、より理解が深まり、認め合い、愛し合うことができるわけです。
「運び屋」に登場するアールは、いってみれば業の塊のような人間でもあります。自分の仕事を第一に優先し、家族を蔑ろにする中で、自身の過ちを認めていきます。そして、大事なのはアール自身だけではなく、その家族たちも次第にアールを「許して」いくことだと思います。人間の持つ業を互いに認め合い、家族愛を深めていく姿は、落語にも似た世界観であると思いました。
クセがあるけど愛おしくなる映画
88歳を迎えた巨匠クリント・イーストウッド監督の最新作「運び屋」。年齢的にもどれが遺作になるのかわからない状態でもあるので、この作品を見逃すわけにはいきません。
90歳のおじいちゃんが麻薬の運び屋をするという突飛なストーリー以上に、深い味わいのある作品であると思いました。クセがありながらも、どこまでも愛おしくなるような人物像に注目しながら見て欲しい作品です。