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映画『サスペリア』ネタバレ感想・考察!オカルトとスプラッターが怖いホラー作品

映画「サスペリア」のあらすじ・内容

映画『サスペリア』は、ホラー/サスペンス映画の巨匠ダリオ・アルジェントの代表作といわれるオカルトホラー映画です。

日本公開当時は映画だけでなく、「決して、ひとりでは見ないでください」というキャッチコピーまで流行するほどの大ヒットとなりました。

今回は映画『サスペリア』のネタバレを含む個人的な感想や解説、考察を書いていきたいと思います!

目次

映画「サスペリア(1977年版)」を観て学んだ事・感じた事

・音楽のすさまじい恐怖
・オカルトとスプラッターとジャーロの融合
・ホラー映画の手法を劇的に変えた、現実と虚構のあいまいさ

映画「サスペリア(1977年版)」の作品情報

公開日1977年
監督ダリオ・アルジェント
脚本ダリオ・アルジェント
音楽ゴブリン
出演者ジェシカ・ハーパー(スージー・バニヨン)
ステファニア・カッシーニ(サラ)
アリダ・ヴァリ(ミス・タナー)
ジョーン・ベネット(ミセス・ブランク)

映画「サスペリア(1977年版)」のあらすじ・内容

映画「サスペリア」のあらすじ・内容

アメリカ人のスージー・バニヨンは、バレリーナになる事を夢見て、ドイツにある名門バレ学校に留学します。

留学したその日は激しい雷雨。到着の遅れで夜に着いたスージーは、何かを叫んで学校から飛び出した女生徒に出くわします。女生徒は、逃げるように森の中に消えていきます。

翌日、バレエ学校に警察が押し寄せ、スージーはその女生徒が惨殺された事を知ります。以降、学校の中では奇妙な事件が起きます。

スージーは寮で仲良くなったサラから、学校の色々な話を聞きますが、そのサラまでが、ある日忽然と姿を消してしまいました。それを不審に思ったスージーは、ある教授からこの土地や学校の歴史を聞くことになります。

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映画「サスペリア(1977年版)」のネタバレ感想

サスペリアのゴブリンの音楽がとにかく怖い!

やばいぐらいに音楽が怖すぎる!

サスペリアを観はじめて最初に受けた印象は、音楽の怖さでした。この映画、始まってしばらくは、黒バックにナレーション程度の状況でメインテーマが流れるのですが、まだ映像もなければ何も始まっていないというのに音楽だけで恐怖を覚えたのです。

映画が始まってから最初の惨劇が起きるまでの約14分間、ほぼ切れることなく音楽が鳴り続けるのですが、冒頭の恐怖の7割は音楽によるものだったかもしれないと感じるほど、音楽が強烈です。

何かが起きるかもしれないシーンでは、静かに不安をあおる音楽が何度も繰り返されます。おびえて逃げるシーンは、おどろおどろしいティンパニの連打。ついに惨劇が起きるシーンに向かって不協和な音が増え、不穏さも増し、そして…ドラマ自体が、音楽で構成されているのです。

映画冒頭の音楽で、僕はサスペリアの恐怖の下ごしらえをされたように感じました。音楽だけで恐怖を覚えた経験は皆さんはあるでしょうか。僕にとってそういう体験は、サスペリアが初めてでした。

【解説】映像的な恐怖の演出の数々

映像的な恐怖の演出の数々

音楽だけではなく、映像や演出面でも恐怖を感じるものが多くあり、サスペリアは演出や構図の見事さが優れています。

例えば、冒頭の雷雨のシーンでの水しぶきのカットがそれです。雷雨に見舞われた主人公は、なんとかタクシーに乗る事に成功します。そこで一息ついて外を見ると、カメラがパンして、雨で水かさの増えた川の水しぶきが映し出されます。そこでカメラがカットをして、水しぶきをアップで映し出します。

これはストーリー的には意味はないのですが、演出としてはこの映画でもっとも優れている描写だと感じました。主人公の意識がこのように動いたという視覚表現だと思いますが、暴れる川のアップを映画の冒頭に映す事で、いかにもこれから何かが起こるという不安をあおっているわけですよね。ただ、水をアップにしただけだというのに演出効果が素晴らしくて、問答無用でゾクッと来るものがありました。

 

また、不可解な事ばかりが起きる事を、主人公と友人が話すシーンがあります。知られてはいけない内容なので、誰にも聞かれないように二人でプールを泳ぎながら話すのですが、カメラはその二人を物陰から捉えているのです。

これって、誰かの視点だという事ですよね。秘密の話のはずが、誰かに察知されて見られているという恐怖は不気味そのものでした。

サスペンスやスプラッター、オカルトの融合

サスペンス、スプラッター、オカルトの融合

サスペリアが公開されたのは1977年です。サスペリアの恐怖は、それまでのホラー映画とは比較にならないほどに鮮烈なものであるように感じました。恐怖の質自体が、それまでの恐怖映画とは異なるものだったのです。

サスペリアには、ホラー映画の転換点となった部分がいくつかあると思うのですが、なかでも、それまでの恐怖映画の3つの様式を統合した点は素晴らしかったと思います。

サスペンス映画、スプラッター映画、オカルト映画この3つです。

スプラッターの恐怖描写のえぐさ

スプラッターの恐怖描写のえぐさ

第1のスプラッターですが、映画の序盤で起こる最初の恐怖は、プラッターの鮮烈さでした。

物語の冒頭、留学先のバレエ学校にたどり着いた主人公のスージー・バニヨン(ジェシカ・ハーパー)は、その学校から飛び出して森の中へと逃げ込んでいく女生徒を見かけます。この女生徒は、友人のいるマンションに逃げ込むのですが、そこで何者かに惨殺されます。そこからのスプラッターな描写が鮮烈でした。

ナイフで何度も内臓を刺されるシーンでは、本当に何かの生き物の臓器をえぐっているようで、ナイフを抜く時に血がにじみ出します。首にロープをかけられて下に落とされた時の、人の重みでロープがビクビクと動くリアルな描写は背筋が凍ります。そして、マンションの吹き抜けにあるステンドグラスが割れ、友人の顔に突き刺さるシーンの恐怖といったら…。

 

冒頭の惨劇シーンは、何度見ても鮮烈な恐怖です。はじめて観る時には直視できない人もいるかもしれません。血が吹き飛び、心臓にナイフが突き刺さる様子の克明な描写は、即物的ですが、その恐怖は鮮烈でした。

死やはげしい痛みという実際の肉体的なダメージこそ、恐怖の本質なのではないかと思ったほどでした。

世界公開された映画での鮮烈のスプラッター

サスペリアは古い映画なので、特撮や特殊メイクによるスプラッターシーンには完成度の低いところもあって、今観るとすべてを褒められるわけではありません。魔女の巣食うバレエ学校を追い出された盲目のピアニストが、自分の飼っていた盲導犬にかみ殺されるシーンなどは、いかにも犬が人形という感じで、いま観ると正直に言って少し興ざめでした。

それでも、その犬が食っている人が皮や肉をちぎって食っている所は、やはり身の毛がよだつスプラッターであると感じます。

 

スプラッター映画としては、サスペリアに先駆けた名作がないわけではありません。有名なのはハーシェル・ゴードン・ルイス監督のゴア・フィルムと呼ばれる映画群です。64年の「2000年の狂人」では人の指をハサミで切り、70年「血の魔術師」では、人の内臓をえぐり取ります。そのスプラッターぶりは、サスペリアに引けを取るものではありません。

しかし、ゴードン・ルイスの映画はモーテルで一部マニアが見るような、あくまで限られた人がひそかに観るようなもので、広く公開されたものではありませんでした。サスペリアは、最初から世界上映を前提に作られたロードショームービーです。こうした形式の映画で、ここまで鮮烈なスプラッターを披露したのは、センセーショナルな事だったのではないでしょうか。もしかしたら、スプラッター史上最大のヒット作はサスペリアかもしれません。

ジャーロ映画の手法の応用

ジャーロ映画の手法の応用

そして、二つ目はサスペンス映画としての恐怖です。僕はこのサスペンスの恐怖が、この映画でもっとも恐いと感じる部分でした。スプラッターのような一瞬の恐怖ではなく、ずっと恐怖に追い詰められている感覚なんですよ!

そもそもダリオ・アルジェントは、サスペリア以前に、「歓びの毒牙」「わたしは目撃者」といったサスペンス映画をいくつも作っています。そしてこれらのサスペンス映画は、サスペリアを凌ぐほどの恐怖を感じさせるものです。サスペンス映画の達人でもあったんですね。

 

そしてこれらの映画、殺害現場などをぼかさないで克明に描写するのです。イタリアにはこうしたタッチで描かれるサスペンス映画の事を「ジャーロ」とか「ジャッロ」と呼んでいるそうです。こうした固有名詞が与えられるほど多数の作品があって、それだけで一つのジャンルになっています。

留学してきてすぐに殺人事件が起きたあとも、スージーのまわりで奇妙な出来事が起き続けます。同じ寮生活をして、親しくなったサラ(ステファニア・カッシーニ)は、殺された女生徒から暗号めいたメモを預けられていました。

他にも、寮から去るはずの先生たちの靴音が、学校の中へと向かっているなど、サラはこの学校への不審を募らせていきます。そしてある夜、自分のもとに迫る靴音に恐怖し、サラは寮の奥へと逃げ込んでいきますが、この見えない追跡者に追い込まれていく恐怖の描写が、実にジャーロなのです。

死の不安が延々と続く恐怖

サラが電気を消して身を潜めても廊下の電気がつき、足音が迫り、サラは恐怖に顔をひきつらせ全身を震わせます。それでも、声を出したら見つかってしまうので、必死に声を押し殺し、真っ暗で先の見えない不気味な廊下の先へとなんとか逃げていきます。ようやく逃げ込んだ小部屋では、ドアの隙間からナイフが入ってきて、フックを外そうとします。扉の間からゆっくり入ってくるナイフを見てはげしく恐怖するサラ。

このように追い詰められる様を細かく、そして執拗に描写するところが、ジャーロやサスペンスとしてのサスペリアの側面だと思います。直接的な身体ダメージそのものを描くスプラッターシーンと違い、認知不安をあおっているのですよね。恐怖そのものでなくて、恐怖する事が起こるのではないかという認知不安を描いているのです。

 

アルジェントの作るジャーロ映画の恐怖は、認知不安をあおる点にあると感じます。

即物的な恐怖は「怖い」と判断したらそれで終わるので、ある意味で一瞬です。でも、「いったいどういう事が起きてしまうのか」という認知不安は、恐怖が去るか起こるまでずっと続いてしまうのです。

恐怖に満ちた映画「サスペリア」の中で、サラが恐怖におののき、認知不安から恐怖がいつまでも引き伸ばされる、この一連のシーンでした。ジャーロの名手であるダリオ・アルジェントが作ったサスペリアには、ジャーロ映画の恐怖が見事にいかされていると感じます。

サスペリアのオカルト描写。観ている人そのものに降りかかる恐怖

オカルト、観ている人そのものに降りかかる恐怖

そして、サスペリアの恐怖の3つ目の要素オカルトです。

サスペリアの恐怖はスプラッターが瞬間の鮮烈な恐怖であり、ジャーロがその恐怖がいつまでも引き伸ばされる不安の恐怖であとすると、オカルトは映画を他人事のように客観視する事を許さない「映画を観ている人そのものに降りかかる恐怖」なのだと思いました。

 

サラは学校の人気のない用具室で恐怖に震えながら、のどをかき切られて惨殺されました。しかしその死は、教師から「荷物をまとめて退学した」と説明されます。その説明に納得のいかないスージーは、サラの友人である精神科医に会いに行き、バレエ学校で次々に起こる不審な出来事を伝えます。

すると精神科医は、この土地と学校の歴史を語り、またそこに居合わせた教授は学校にまつわる魔女の歴史をスージーに教えます。この学校、もともとは魔術とバレエの学校であったものが、忌まわしい事件から魔女が迫害され、バレエ部門だけが残って現代に残っていたのでした。

大学教授が語る魔女の歴史と魔術に関する説明の語り口は学術的で、同時に歴史上の事実として語られます。まるでそれが歴然とした事実であるかのように語られるんですよね。しかも、語っているのが教授です。事実であるかどうかはともかくとして、この「事実っぽい」というところが、オカルトによる恐怖の倍増に繋がっていたように感じました。

恐怖が現実に踏み込む!

恐怖が現実に踏み込む!

なぜオカルトが恐怖を倍増させるのでしょう。もちろん、オカルトである事によって、恐怖が減少する事もあるでしょう。

映画で描かれる恐怖が人によって与えられるものの場合、観ているうちは恐怖であっても、犯人が分かった時には恐怖は消えてしまうと思いませんか?金田一耕助の猟奇殺人や、サスペンス映画がそれです。それって、犯人が具体的に誰と分かった時点で、相手があの女性なら、自分の力でも対処できるなどと思えてしまうのだと思います。

 

ところが、その恐怖が人の力を超えたものの場合、映画が終わっても恐怖が持続するのではないかと思います。幽霊や心霊写真の恐怖がそれです。心霊写真を見終っても、それが実際にある事だと信じている場合は、ひとりでトイレに行くのも怖くなってしまいますよね。その恐怖が自分では対処しようのない質のものだからです。

現実に侵犯した恐怖が続くには、それが実在して、かつそれが自分だけではどうにもならないものである必要があるように感じます。サスペリアのオカルトの恐怖は、「かつてヨーロッパの森にたしかにいた魔女が、現在も隠れて生きているかもしれない」という、その題材にも理由があるのではないかと感じました。

これって幽霊と同じで、確証がなくていいのだと思います。仮に信じなくても、いるかも知れないという可能性さえ残せれば恐怖が続くのです。

オカルト、隠された知の体系

オカルト、隠された知の体系

サスペリアに持ち込まれたオカルトは、恐怖の増加という効果だけではなかったと思います。もしこの映画から、土地にまつわる魔女の伝説と、その魔女にまつわるオカルトの掘り下げがなければ、単に人が追い込まれ、血が吹き飛ぶ「怖い」というだけの映画になっていた可能性もあると思います。そうならなかったのは、オカルトが物語に面白さと深さを与えた事で起きたのだと感じました。

オカルトは実際に歴史の古い分野です。オカルトにつながるものとして有名な知の体系に、ユダヤ教のカバラやキリスト教のグノーシス主義などがありますが、これらは成立から2000年近くたち、そして今も探求が進められている、西洋に実在する「隠された知」の体系です。サスペリアは脚本家の虚構に閉じたものではなく、現実に存在する隠された知の体系に繋がっているのです。

 

実際、映画「サスペリア」には、その着想の原点となった本が存在します。

サスペリアは、アルジェントと懇意な関係にある女優ダリア・ニコロディが、アルジェントに薦めた小説「深き淵よりの嘆息 SUSPIRIA DE PROFUNDS」からインスピレーションを受けて制作された映画です。

原作者はイギリスのロマン派文筆家ド・クインシーで、この本には姉妹書として「阿片常用者の告白」という本があります。どちらも、岩波文庫から日本語訳が出ています。もし映画「サスペリア」のヒットがなかったら、絶版で失われた書になっていたかもしれませんね。

サスペリアのタイトルの意味・解釈

サスペリアの意味

深入りは僕も怖いので避けますが、オカルトの本質に迫るものを想起させる要素が、この映画にはいくつか入っています。例えば、「サスペリア」というタイトルです。

実際に「サスペリア」という言葉の意味を知りたがる人は多いようですが、ネットを調べると、単語の意味自体は書いてあっても、この言葉の背景が説明されているものはありませんでした。そこで、マメ知識として書いておこうと思います。

サスペリアはラテン語、もしくは古いイタリア語で、言葉の意味は訳書のタイトル通り「嘆息」です。でも、単語の意味ではなく、これが固有名詞である事も知っておかなくてはいけない点だと思います。「愛」という人名の映画があったとして、これは愛の映画なんだと思ったら、それはハズレとは言わないまでも当たりではないですよね。

 

原書「SUSPIRIA DE PROFUNDS」には、このような文があります。

「彼女たちは『悲しみ』なのだ、数は三人、人間の生命を美で装う三美神のように。人間の生命の暗い綴れ織りをその神秘的な織機でいつも部分的には物悲しい色合いで、時には悲劇的な深紅や黒の怒りの色合いで織り上げる運命の三女神のように。」(『深き淵よりの嘆息』野島秀勝訳、岩波文庫、P.140)

「次女の名は、Mater Suspiriorum『われらの嘆息の貴婦人』である。」(同p.145)

つまり、サスペリアの意味とは「嘆き」ではあるんですが、それ以上に固有名詞であって、またその固有名詞が指すものは生命を実際に織り上げている3つの力の一つの事なのです。それを比喩的に表現すると「嘆き」なんですね。この力は人の目に見えないため、隠された知であって、つまりオカルトなのです。あくまでこの謎めいた文章の僕なりの解釈ですけれどね。

論理的に解釈するより先に感じる恐怖

「サスペリア」はサスペンスやスプラッター、オカルトの良い部分が融合された映画というのが僕にとってのサスペリアの印象ですが、それがうまく融合しているように感じるのは、説明を最小限にとどめたところだったのではないかと思います。

例えば、主人公が魔女たちの思惑通りに住まわせられる事になってしまう学校寮の壁です。赤いのです。別に悪魔が書かれているわけでも、死体が写り込んでいるわけでもなく、ただ赤いだけなのですが、この赤さに恐怖した人は少なくないのではないでしょうか。

冒頭の逃げ惑う女生徒が走り抜ける森もそうです。少し先ですら真っ暗でよく見えない森のなか、近くにある木だけが雷の光や自動車のライトに照らされてうっすらと見えます。しかしこの木が、緑や青に照らされるのです。

スージーがダンスホールに向かう廊下で、給仕係の女に銀のナイフの光を当てられるシーンもそうです。このシーンは構図が実に見事なのですが、なぜ怖いのか分かりません。

いずれも、理由は釈然としないのですが怖いのです。言葉に書くと伝わらないかも知れませんが、映像で見るとその恐怖は分かりやすいかと思います。

ホラー映画の本質

これらの説明しがたい恐怖は、なぜ起きるのでしょうか。色々と不気味な事が起きているので、普通でないものや意味ありげなもののすべてに不安や異常さを重ねて見てしまう。このような後からそれらしい説明をつける事も出来るのですが、実際に観ている時は説明不能の恐怖としてそれを感じました。

そして、この言葉では説明不能である恐怖という所が、この映画の重要な所なのではないかと思います。理屈はあくまで背景にとどめ、恐怖を理屈ではなく感覚で感じさせることを全面に押し出ます。理屈より感覚で感じる恐怖を先行させているのです。

 

これが、ホラー映画の本質を根本から変えた、サスペリアの偉業だったのではないでしょうか。元々の映画には色々なものがありましたが、次第に劇映画が突出していきました。劇映画の場合、ストーリーが中心にあって、映像と音楽はそれに彩りを与えるような作りとなるものがほとんどです。

こういう作りの場合、恐怖映画は「ある事件があった→殺人鬼が近くにいる→怖い」というように、ストーリーとして恐怖を描く事になります。

サスペリアも構造自体はその例外ではないのですが、しかしサスペリアに感じる恐怖そのものは理屈による説明ではなく、感覚が先行しているのです。

サスペリアは2018年にリメイクされた!

サスペリアは2018年にリメイクされた!

人間は生き物ですので、論理よりも先に感覚があります。論理よりも感覚がどのように感じるか、これを味わうことが出来るのはそう多くないと思います。まして、感覚的に感じる恐怖は、ほとんど日常で味わうことはできません。

これを直接伝えてくれるのが映画「サスペリア」です。根本から劇映画とは違い、論理ではなく感覚で感じさせる恐怖を描いた本作は、ホラー映画の転換点とも言える映画だったのかも知れません。同時代の傑作オカルト映画「オーメン」や「エクソシスト」ですら、その恐怖は物語の中にあるものだと感じます。

 

ジャーロとスプラッター、オカルトを融合し、それを説明過多にせずに直観的な恐怖に徹した傑作が「サスペリア」です。ホラー映画の金字塔であるこの映画、2018年に「サスペリア(リメイク版)」として日本でも2019年1月に公開予定です。

予告編を見る限り実によく出来ている感じでしたので、観てみようかと思っています!

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