映画『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』は、世界的SFオペラ映画「スターウォーズ」シリーズの第5作目であり、ルーク・スカイウォーカーの父アナキン・スカイウォーカーが生きた時代を描く「過去編」にあたる作品です。
本作は過去編、ないしは新三部作の二作目にあたる物語であり、「スターウォーズ エピソード1」ではまだ子供であったアナキンがすっかりと成長し、恋に戦いに明け暮れていく様子を描いた内容で構成されています。
ただし、既存のファンからしてみればこの新三部作はバッドエンドが確定している物語でもあり、中盤以降は作品に暗い影のようなものを感じるのが特徴です。
今回はそんな『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』の個人的な感想や考察を書いていきます!なお、ネタバレには注意してください。
目次
映画『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』を観て学んだこと・感じたこと
・アナキンとパドメの恋愛パートは、ちょっと出来が悪い?
・中盤以降のアクションには見せ場もあったが…
・第二作ということでやや中だるみを感じた
映画『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』の作品情報
公開日 | 2002年7月13日(日本) |
監督 | ジョージ・ルーカス |
脚本 | ジョージ・ルーカス ジョナサン・ヘイルズ |
出演者 | アナキン・スカイウォーカー(ヘイデン・クリステンセン) オビ=ワン・ケノービ(ユアン・マクレガー) アミダラ(ナタリー・ポートマン) パルパティーン(イアン・マクダーミド) メイス・ウィンドゥ(サミュエル・L・ジャクソン) |
映画『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』のあらすじ・内容
遠い昔、はるか彼方の銀河系で…。
ファントム・メナスの10年後、腐敗が加速した共和国を見限った勢力がドゥークー伯爵の元へ集い、共和国との間に緊張が走っていました。
この緊張に巻き込まれる形でパドメがテロに遭遇し、彼女は難を逃れるものの多数の犠牲者が出るという有様。共和国のパルパティーンは、パドメの身を案じてアナキンとオビワンの二人をボディーガードとして派遣し、彼らは行動を共にするようになりました。
道中で彼女を狙った刺客に遭遇するも、ジェダイの力を発揮して見事に撃退します。
しかし、旅の中で若さを見せるアナキンは、しだいに精神のバランスを崩していくのです…。
映画『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』のネタバレ感想
【解説】豪華キャストが揃ったが、ヘイデンの演技はいただけない…
前作「エピソード1」は、内容に賛否が議論されたものの商業的には大成功を収め、当時の記録を次々と塗り替えていくほどでした。そのため、本作にも前作同様多額の製作費が投じられており、その事実は当時として破格のCG技術や豪華キャストの顔ぶれに見ることができます。
特に、キャストの豪華さは他作品の追随を許さないものになっています。ユアンマクレガーやナタリーポートマンは今見れば当時よりもスターになっている印象さえありますし、彼らの演技も見どころの一つになっているでしょう。
しかし、こと「演技」という点においては、致命的な点が存在しているのです。それは、他でもないアナキン役を務めたヘイデンの棒演技っぷりに他なりません。実際、吹替で映画を見ていれば声優の浪川大輔が声を担当しているため、演技にそこまでの違和感を覚えなかったでしょう。ところが、字幕版で見てみるとなかなかに酷い演技を披露してしまっているのが分かります。
筆者は英語ネイティブでもなければ満足にしゃべることさえできないわけですが、それでも気になってしまうほどなのでよっぽどだと思います。実際、本作の演技はゴールデンラズベリー賞にて最低助演男優賞に輝き、次作の「エピソード3」では最低主演男優賞を獲得するなど、本国ではその演技力のなさが公認されているといっても過言ではありません。加えて、脇を固めるのが実力派揃いのキャストというのも災いしている気がします。
とはいえ、先ほども言ったように「しゃべらなければ」顔もハンサムでスタイルもいいので絵にはなります。吹き替え版で見ていると、その若々しさが暴走している感じを表現できていてよさそうに見えるのですがね…。
まとめると、ある意味で彼の演技を許容できるか否かが作品評価の鍵を握っているといっても過言ではありません。主役級キャラのため頻繁に登場するので、演技にうるさい方はまず間違いなくイライラすることになりますし、普段は字幕派の方も吹替で視聴したほうが良いかと思います。
パドメとアナキンの恋愛パートはやや退屈
この映画は、前後半で大きく展開が異なるという特徴があります。その証拠に、前半部ではボディーガードとして再会したアナキンとパドメの恋愛模様に多くの時間が割かれており、これはアナキンの「ダークサイド堕ち」に対する伏線と考えられます。
しかし、非常に残念な点としては、上記の棒演技も相まってこの恋愛シーンがやや退屈な出来に終始してしまっていることです。実際、アナキンが草原でパドメを追いかけまわすようなラブコメを感じる展開が目立ち、「見る映画を間違えたかな?」と思わされてしまった記憶があります。
もちろん、最終的にアナキンを不幸な立場に陥れなければならないわけで、アナキンの幸福と転落を描く必要があるのは理解できます。とはいえ、アナキンとパドメがキャッキャウフフしている様子を見にきている客は誰もいないわけで、正直スターウォーズに求められているシーンとはかなりの差異があるようには感じました。
ただし、ジェダイには恋愛を禁止するという掟があり、二人はそのしきたりに苦しめられるようになります。特にアナキンはそこに対して反発を見せており、ジェダイの掟を重視するオビワンとの間で軋轢が深まっていきました。このあたりは、もちろんオビワンのいうことが正しいわけですが、一方でアナキンの気持ちも理解は可能です。
両者の言い争いはどちらも一理あると言った感じなのですが、ここでも問題になるのはやはり「スターウォーズという作品で『恋愛絡みの師弟喧嘩』を描く必要があるのか」と感じざるを得ませんでした。何度も言っていることですが、アナキンの闇落ちという過程を描くために必要なシーンであることは分かります。
しかし、そのシーンが構成上必要であることと、映画的な面白さを有していることは全く別物なのです。そのため、なぜこのシーンを挿入したのかというような意味不明なシーンにはなっていないものの、端的に言ってしまえばシンプルにつまらない内容に終始していました。
これは筆者が求める「スターウォーズらしさ」と作品の内容にズレがあったため、作品の質以上に退屈な印象を抱いたのかもしれません。とはいえ、大半のファンが求めているのはジェダイの活躍に他ならないわけで、そもそも作品の根底にあるコンセプトそのものが問題なのではないかと思わされました。
中盤以降はアクションシーンも多く、盛り上がりを見せた
上記のように、前半の恋愛シーンはやや退屈な出来に終始していたものの、中盤以降で戦いが本格化してくると見どころも増えてきました。特に本作では敵となるドローンが大量に出現し、これらをなぎ倒していく展開は爽快感がありました。
エピソード1ではあまり描かれなかった、大量のジェダイが一斉に戦うシーンも数多く描写されており、色とりどりのライトセーバーが舞う画面はジェダイが絶滅してしまった旧三部作には見られない優れた点でした。特に、紫のライトセーバーを操る手練れのメイスが活躍していたのも好印象でしたし、さらに終盤ではついにヨーダが実際の戦闘を行っている様子も見ることができました。
もちろんアクションシーンには莫大な製作費が投じられているようで、CGの面で違和感を覚えるシーンはなかったように記憶しています。この映画の中盤以降はエピソード1で不満点として挙げた「ファンの求めているものが描かれていない」という点を上手く改善できており、クローン戦争勃発以前にジェダイがどれほどの勢力を誇っていたのかを見せつけられる結果となりました。
さらに、終盤のドゥークー伯爵との戦いも、まさしく決闘といった印象を受け、アナキンやオビワンは敗れてしまうものの敵の魅力や脅威を存分に描き出せていたように思えます。また、ここで成すすべなく敗れたアナキンが、次作では彼をあっさりと打倒するという伏線にもなっており、この決闘は見ごたえ充分でした。
ただし、一連の戦いにおいてやや不満を覚えたのは、本作の主役であるはずのオビワンが活躍するシーンがあまり見られないことです。もちろん主役だけあって画面に映る回数は非常に多いのですが、エピソード1ではクワイガンの陰に隠れ、エピソード2ではアナキンやヨーダの陰に隠れてしまっている印象がぬぐえません。
また、上記の恋愛シーンなどでもそうなのですが、アナキンの保護者という形で彼に小言を言うようなシーンが目立ってしまっており、意地の悪いおじさんのような印象を抱いてしまいました。結局アナキンの教育には失敗してベイダーになってしまうわけで、良い教育者でないのは仕方ないにしても戦闘で輝くようなシーンをもう少し増やしてほしかったところです。
とはいえ、中盤以降の出来は佳作と呼ぶにふさわしいものがありますので、前半の恋愛パートを我慢できれば十分に魅力的なシーンを楽しむことができるはずです。
【解説】闇落ちの過程でアナキンが傲慢に描かれるのは理解できるが、フラストレーションがたまる
これは本作の根底にある問題点なのですが、脚本上必要な展開をあまり上手に描けていないという点でやや不満を覚えました。本文中でも何度も指摘しているのですが、例えば「アナキンを闇落ちさせる」ためにパドメとの恋愛を描くものの、必要性こそあれそのシーンがただただ退屈な展開に終始してしまっているということなどです。
正直、この問題は脚本家の力不足を端的に描き出しているように感じますし、ジョージ・ルーカスの技量には疑問符がついてしまいます。もちろん、かつて旧三部作という傑作を生みだし、スターウォーズシリーズをここまでのコンテンツに育て上げた功績が揺らぐことはありません。
しかしながら、少なくともラブストーリーを描くセンスはあまり感じませんでしたし、また「主人公のダークサイド堕ち」という難しい命題を扱うには力不足の感が否めませんでした。
この点について補足しておくと、悪に堕ちていく主人公を魅力的に描き、かつ後の作品につなげていくというのは簡単なことではありません。特に、本作の場合は最終的にダースベイダーになるという答えが決まっているわけですから、当然作中で描けるシーンもまた限られてしまうわけです。
とはいえ、同じような制限を設けられた傑作と言えば、筆者は『ローグワン』が思い起こされます。この作品は「最終的にベイダーの手によって全滅する」という最期を約束されながらも、登場人物が僅かな希望に向け生き生きと活躍していましたし、その人物たちを蹂躙していくベイダーの絶対性も非常に上手く表現されていました。
この作品と比べてしまうと、やはり本作の出来はその水準には至っていないように思えます。結局、本作の場合はアナキンが闇落ちした理由は理解できるものの、そこに至る過程の魅力や共感といったものが欠けてしまっており、アナキンが単なる「わがまま青年」でしかないのが問題なのだと思います。
本作には結論ありきの展開があまりにも多く、理解は出来ても面白さを感じるには至らない映画であるという印象がぬぐえませんでした。やはり、アナキンを中心に据えたストーリーを展開する以上は彼を魅力的に描かなければいけなかったわけですし、旧三部作のルークやベイダーといったキャラたちに感じるような、キャラ愛のようなものを感じられなかったのは非常に残念でした。
【評価】個人的に、新三部作の中では一番劣ると感じている
ここまで、本作に関する解説や感想を執筆してきました。いいところも悪いところもハッキリしている映画なのですが、個人的にはやや「悪さ」が上回ってしまったような印象はぬぐえません。
そのため、なんやかんや言ってもアナキンとオビワンの対決が熱かった「エピソード3」はもちろんとして、一般的には最も評価が低い「エピソード1」よりも作品評価が低く感じられました。確かに「エピソード1」は毒にも薬にもならない映画という印象ですが、一方で本作は前半の恋愛シーンやヘイデンの棒演技といった毒の部分が痛かったように思えます。
ただ、かねがね言っていますが映画の後半は面白いので、映画前半部にどれだけフラストレーションを感じないかが重要になってきます。個人的には、アナキンが母の死を憎んでタスケンの一族を皆殺しにした後の展開にも問題があると感じており、罪のない女子供を皆殺しにしたアナキンを励ますようなパドメの姿勢には疑問符が付きました。
確かに「恋は盲目」ということわざがあるくらいに、恋愛は正常な判断力を失わせるのもまた事実です。しかし、仮にもパドメは元老院の議員であり、そこはしっかりとアナキンの行いを咎めるような理性的な態度をとってほしかったところです。思えば、こうしたバカップルぶりが、本作の恋愛面から魅力を失わせているのかもしれません。
また、そもそも論になってしまって申し訳ないのですが、新三部作制作以前から囁かれていた「そもそも、アナキンが闇落ちするまでの経緯を描くのは蛇足ではないか」という主張が、本作に関しては残念ながら当てはまってしまっているように感じられました。やりようによっては魅力的な「第二部」になったのかもしれませんが、これでは展開の整合性を取るためだけのエピソードだったとしか言えず、筆者としても「このような出来になってしまうなら、やはり新三部作は蛇足だったのでは?」と思わずにはいられません。
ではどうすればよかったのかという話になってくると思いますが、これだけ恋愛面を強調するのであれば、その部分はラブストーリーの演出に定評がある脚本家に一任すればよかったのではないかと感じました。
実際、本作の足を引っ張っている恋愛パートもやりようによっては面白くなる気配がないわけではないですし、ルーカスではない人物が描けばよかったのではないかと思わされてしまいます。今さら恋愛ものが書けなかったとしても彼の評価が揺らぐことはないのですから、それだけに残念な展開でした。
(Written by とーじん)