「ライ麦畑でつかまえて」といえば、J.D・サリンジャーが発表した稀代の名作で今もなお読まれている作品です。作品名や作者の名前だけでも、聞いたことがあるという人は多いかと思います。しかし、作家J.D・サリンジャーについては、それほど多くのことは知られていません。
20世紀文学の最高傑作とまで言われた長編小説「ライ麦畑でつかまえて」を発表後、表舞台から姿を消した彼については、未だ多くの謎が残っています。
そんなJ.D・サリンジャーの人物像や生き方を明らかにするために作られたのが、映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」です。作家として、一人のアメリカ人としてどのような人生を歩んでいったのか、その全容を知ることができます。
今回は、映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」の個人的な感想やネタバレ解説・考察を書いていきます。
目次
映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」を観て学んだ事・感じた事
・作家としてあるべき姿や覚悟を知り、考えされられる
・J.D・サリンジャーと周囲の人たちの関係性が魅力的
・J.D・サリンジャーが「ライ麦畑で捕まえて」を生み出すまでの壮絶な人生に驚愕する
映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」の作品情報
公開日 | 2019年1月18日 |
監督 | ダニー・ストロング |
脚本 | ダニー・ストロング |
原作 | ケネス・スラウェンスキー「サリンジャー 生涯91年の真実」 |
出演者 | J.D・サリンジャー(ニコラス・ホルト) ウーナ・オニール(ゾーイ・ドゥキッチ) ウィット・バーネット(ケヴィン・スペイシー) クレア・ダグラス(ルーシー・ボイントン) |
映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」のあらすじ・内容
「ライ麦畑でつかまえて」を発表した天才作家J.D・サリンジャーの人生の多くは、謎に包まれたままでした。この映画は、そんなサリンジャーがどのような人生を歩んできたかを描いた作品です。
物語はサリンジャーの学生時代から始まります。問題のある学生だったサリンジャーでしたが、担当教授のウィットにその才能を認められ、彼が編集長を務める雑誌「ストーリー」での作品掲載をきっかけに短編小説家としてキャリアを進めていきます。
そして、サリンジャーにとって重要な登場人物でもあった「ホールデン」を題材にした長編小説に取り掛かろうとする中、第二次世界大戦に兵士として参戦することになります。
戦地でも書くことを辞めなかったサリンジャーは、帰国後、神経衰弱に悩まされますが、「ライ麦畑でつかまえて」を発表し、当時の若者に絶大な影響を与えます。その後は田舎で隠匿生活を送り、表舞台に出ることはなくなりましたが、それでも彼は物語を書き続けるのでした。
映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」のネタバレ感想
「ライ麦畑でつかまえて」は当時の若者たちに多大なる影響を与え、20世紀の文学作品として重要な地位を占めています。この作品を生み出した天才作家J.D・サリンジャーですが、彼の長編小説はこの「ライ麦畑でつかまえて」しかありません。
劇中で元々は短編小説を得意としていたという描写もありましたが、彼が生涯に渡って発表してきた作品の数は、彼の名声と比較しても少ないといえます。
たった1つの名作「ライ麦畑でつかまえて」を発表後、世の中から忽然と姿を消し、長らく沈黙を保ってきたサリンジャーの生涯については、多くのことが謎に包まれています。そんなサリンジャーの人物像や「ライ麦畑でつかまえて」が生まれるきっかけとなった出来事を描いたのが今作です。
基本的には、サリンジャーの伝記映画というジャンル分けができると思いますが、サリンジャー自身がかなり壮絶な人生を歩んでおり、作家として特異な考え方の持ち主だったこともあるため、映画の内容としても非常に興味深くなっています。
ここでは、映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」の感想をいくつかの項目に分けて書いていきます。
【解説】J.D・サリンジャーという人物について
映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」では、J.D・サリンジャーという人物がどのような人生を歩み、どのような考え方から、生き方の選択をしたのかということを中心に描いています。
時系列で解説していくと、サリンジャーはユダヤ人の実業家でもある父親の元に生まれます。父親はチーズと食肉の貿易会社で成功を収め、裕福な家庭で育ったことが触れられています。
そして、家族の反対もありながら、作家を目指すためにコロンビア大学に進学します。大学では、問題のある学生だったのですが、授業で出会ったウィットという人物に才能を見初められ、彼が創刊している雑誌「ストーリー」に、サリンジャーの短編小説「若者たち」が掲載されます。
これがサリンジャーにとって初めての出版であり、25ドルというわずかな金額ながらも、小説家として初めて原稿料をもらった経験となります。
サリンジャーはウィットとの出会いで作家としての意識についても教えられます。作家として、たとえ見返りがなくても書き続けるだけの覚悟があるのかとウィットに問われ、それに反骨する形で応えていきます。
短編小説家として順調に掲載経験を重ねていくサリンジャーは、「ストーリー」以外にも、一流雑誌「ニューヨーカー」での掲載も掴み取っていきます。その間に女優志望のお嬢様でもあるウーノと恋に発展するのですが、突然ウーノがチャップリンに奪われてしまい失望するという経験をしています。
作家として順調なキャリアを築いていましたが、第二次世界大戦の兵隊として駆り出されることになります。その際には、彼の短編に登場した「ホールデン」という人物を描いた長編小説を執筆する予定だったのですが、戦争によってその機会を奪われてしまいます。
しかし、サリンジャーは戦地でも作品を書くことを辞めず、死に瀕しながらも何とか生き延びますが、神経衰弱によって作品を書き続けることが困難になってしまいます。
その後、瞑想と出会い精神を落ち着かせることによって執筆活動を再開することができたサリンジャーは「ライ麦畑でつかまえて」を完成させます。この作品は全米で大ヒットを記録し、当時の若者に絶大な影響を与えたのですが、そのおかげでサリンジャー自身はニューヨークで静かに暮らすことが難しくなっていきます。
都市を離れ、田舎での静かな暮らしを始めたサリンジャーは、隠匿生活を送るようになります。表舞台には一切現れず、社会とは隔絶した生活を送るのでした。
そして、サリンジャーは静かな家で日々を過ごし、発表することのない作品を書き続けるのでした。かつてウィットに言われた、見返りを求めなくても書き続けるという教えを実践し、2010年に91歳でこの世を去りました。
これが映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」の中で描かれるサリンジャーの人生です。相当クセのあるような人物像に見えたりもしますが、この中から「ライ麦畑でつかまえて」が生まれた理由のようなものが見えてきます。
「ライ麦畑でつかまえて」をいう小説は青年のホールデンという人物が社会の欺瞞に対し、鬱屈を投げかけるというテイストの作品なのですが、サリンジャー自身、ホールデンというキャラクターに自分を投影していたという描写が多く、「ライ麦畑でつかまえて」という作品がサリンジャー自身の心の叫びのような内容になっています。
サリンジャーの人生を紐解いていくと、性格が屈折する理由も何となく理解できます。裕福な家庭に生まれながらも、作家を目指すことを親に反対されたり、愛していた恋人に裏切られたり、表現とビジネスの間で思い悩んだり、戦争に派遣される中で目の前で仲間が次々と死んでいく様を見るなど、世の中に対する不満や疑念が積もり積もっているような出来事ばかりです。
そして、そんなサリンジャーだからこそ、「ライ麦畑でつかまえて」の成功によって、生活が激変することに耐えられなくなったのかもしれません。表舞台から姿を消し、隠匿生活を送ることで心を乱されることなく、書くことに専念できる環境が欲しかったのだと思います。
そこに純粋な表現者としてのカッコよさを感じます。もちろん富や名声のために表現を続けること自体はある意味当たり前のことではあるのですが、それゆえにサリンジャーの生き方には、リスペクトせざるを得ません。
見返りがなくても、書くことを続けられるという生粋の作家であるからこそ、20世紀を代表する文学作品を生み出せたのかもしれません。
そんなサリンジャーの激動の人生が今作で描かれ、これまで明らかにされてこなかった部分や、作家サリンジャーを形成してきた出来事などを紐解くことによって、彼の人物像を浮かび上がらせています。
【解説】なぜ今サリンジャーなのか?
稀代の小説家J.D・サリンジャー。彼の残した作品が名作であることは間違いありませんし、彼の人生自体も物語に溢れているので映画としても面白いです。
ただ、なぜ今になってサリンジャーなのかという部分には疑問が湧きました。サリンジャー自身、映画内でも描かれていますが、「ライ麦畑でつかまえて」の映画化に関して、猛反対するといったシーンがありましたし、隠匿後は表舞台に姿を表していません。
サリンジャー自身、自分にまつわることを公にすることに対して、ネガティブな印象を持っていたことは容易に想像できます。そんな中で、なぜ今になって映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」が制作され、サリンジャーに注目が集まっているのでしょうか。
その理由として、1919年に生まれ2010年に91歳でこの世を去ったサリンジャーは、ちょうど2019年にサリンジャー生誕100周年となります。
また、この映画の原作でもある「サリンジャー生涯91年の真実」が2012年に発表されたり、サリンジャーの死後、遺族によってサリンジャーが残した未発表原稿の出版に向けた準備が進められているという話も見つかりました。
なので、映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」が作られた理由としては、これまで多くが語られてこなかったサリンジャーという人物を描くという目的もありながらも、サリンジャー生誕100周年を迎えるにあたって、サリンジャーが残した遺産を世の中に公表することも視野に入っていると考えられます。
死人に口なしとは言いますが、あれだけの名作を残した作家の未発表原稿ですから、世界中で読みたいと思う人がいるでしょう。20世紀を代表する文学者として、歴史に名を残す偉人でもあるサリンジャーの隠されていた部分が、今後明らかになることが考えられます。
世の中に出すことを考えずサリンジャーが書いたのはどのような話だったのか。この映画を見るとますます気になってきますね。
おそらくサリンジャーの死後、アメリカでは着々とサリンジャープロジェクトが進んでいるのだと思います。「ライ麦畑でつかまえて」に夢中になった人にとっては、夢のようなプロジェクトかもしれません。
サリンジャーが「ライ麦畑でつかまえて」以後、どのような作品を書いていたのか、天才作家は隠匿生活の中で何を思い書いたのか、気になってしまいますね。
【考察】書くことだけは辞めなかったサリンジャー
「ライ麦畑でつかまえて」を発表し、小説家としての名声を手にしたサリンジャーでしたが、ファンに待ち伏せされるなど静かな生活を送ることが困難になり、田舎に引っ越してからも、学校新聞の取材として少女のインタビューに応えた記事が地元新聞にリークされてしまうなど、平穏な生活を送ることが難しくなっていました。
そのようなことが積み重なって、社会とは隔絶した生活を送るようになったサリンジャーですが、それでも小説家として書くことは辞めませんでした。
これがサリンジャーという人物をよく表しているといえます。見返りがなくても、世の中に発表できなくても、自分が作家である以上、書くことは続けるという意志の強さ、そして、書くことを続けるために平穏な生活を送ることが可能な選択をしたといえます。
物語中盤では、出版社と揉めるサリンジャーと編集者との会話のシーンで「出版されることが全てだ」と言われる場面がありますが、そういったことからも反抗し、書くことを追求していきます。
書くことに取り憑かれているようで、実は書くことによって平穏を保つことができる根っからの作家であるサリンジャー。このような人物だったからこそ、このような生き方を選び、そして世の中からは神格化されているのだといえます。
そうやってみてみるとこの映画のタイトルにも合点がいきます。社会に疑念を持ち、反抗心を持ちながら書き続けた「ライ麦畑でつかまえて」、そして、周囲の期待に反して隠匿生活を送りながら創作活動を続けた彼の根幹には、反逆者としてのメンタルが根深く刻まれているのだと思います。
正直、映画としては、凡庸なできではあると思うのですが、サリンジャーという人物が濃厚すぎて、そのようなことが吹っ飛んでしまうほど見入ってしまう作品でした。
作家としてのサリンジャー、人間としてのサリンジャーを追った映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」は、サリンジャーの根幹を支える部分を明らかにし、彼のかっこいい生き様を私たちに見せてくれています。
ここまで思い切った生き方ができる人は、今の世の中にはそういないと思います。だからこそ、サリンジャーが歩んだ人生がより際立って見えるのでしょう。
20世紀文学の最高傑作を生み出したサリンジャーの実話
「ライ麦畑でつかまえて」を世に送り出した天才作家J.D・サリンジャーの生涯を描いた映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」。サリンジャーというこれまでベールに包まれていた人物の全容を知ることができます。
物を書くことに人生を捧げたサリンジャーが、なぜこのような人生を歩んできたのか、ものすごく興味深い内容となっているので、ぜひご覧になってみてください。