海外映画/洋画の感想

映画『セレニティー:平穏の海』のネタバレ感想・解説・考察!後半の急展開、斬新な設定がすごいスリラー作品

【考察】結末はハッピーエンドなのかバッドエンドなのか

映画「セレニティー:平穏の海」は「マリアンヌ」や「蜘蛛の巣を払う女」で知られるスティーヴン・ナイト監督が手がけ、マシュー・マコノヒーやアン・ハサウェイなどが出演しています。

映画の序盤ではタイトルにある様に「平穏な海」が描かれますが、徐々に雰囲気が不穏になり、物語後半のまさかの急展開に驚きます。

今回はスリラー映画「セレニティー:平穏の海」のネタバレ感想や解説、考察を書いていきます。

目次

映画「セレニティー:平穏の海」を観て学んだこと・感じたこと

・ゆったりしたシーンから怒涛の展開が面白い
・「自分は誰かに作られた存在なのかも」と思わせる作品
・島の住人への違和感を感じるもラストには伏線回収

映画「セレニティー:平穏の海」の作品情報

公開日2019年
監督スティーヴン・ナイト
脚本スティーヴン・ナイト
出演者ベイカー・ディル(マシュー・マコノヒー)
カレン(アン・ハサウェイ)
コンスタンス(ダイアン・レイン)
フランク(ジェイソン・クラーク)
デューク(ジャイモン・フンスー)

映画「セレニティー:平穏の海」のあらすじ・内容

映画「セレニティ:平穏の海」のあらすじ・内容

ベイカー・ディルはプリマス島で漁船の船長として生活していて、大きなマグロを釣り上げようとしますが、今まで何度も失敗に終わっています。

そんなベイカーの元に元妻であるカレンが現れ「今の夫が私と子供に暴力を振るう」と言い、1000万ドルを渡す代わりに殺して欲しいと頼んできます。

カレンの頼み通りに殺しをするかどうか悩むベイカーですが、ベイカーは自分が暮らす世界の秘密や現実を知ってしまうことになります…。

映画「セレニティー:平穏の海」のネタバレ感想

批評家の評価は微妙?個人的にはかなり好きな映画だった

批評家の評価は微妙?個人的にはかなり好きな映画だった

人気SF映画「インターステラー」で共演したマシュー・マコノヒーとアン・ハサウェイが出演するとあって、公開前から注目されていた作品ですが、アメリカ国内の批評家からの評価はあまり良いものではありませんでした。

ラストのどんでん返しや結末についての評価があまり良くない様で、個人的にもラストのシーンはどうなんだろうと感じる部分はあったのですが、起伏のない平穏なシーンから急展開を迎える過程は展開が読めず、とてもワクワクして良かったです。

「自分の世界が他人に作られたものだったら」というテーマを描き、もし僕が生きている世界も誰かの手によって作られているとしたら…なんて考えてしまう様な作品でした。

個人的にはSFやサスペンス要素のある映画、ゲームが好きなのでこの映画のテーマは良かったですね。

 

もちろん、批評家の評価が正しいかというとそうでもなく、映画「アリータ:バトル・エンジェル」では批評家の評価はそこまで高くはありませんでしたが、視聴したお客さんの満足度は90%を超える評価となり、批評家と一般の方で大きな隔たりがありました。

まぁ映画を見て「面白い!」「面白くない…」と感じる感情に正しいも正しくないもないわけですけどね。この映画を見終わった後には「凄い映画を観たな」と感じましたし、個人的には観て良かったなと思えた作品でした。

【解説】何でも知っている島の人々はゲームそのもの…

【解説】何でも知っている島の人々はゲームそのもの...

島内には酒場や釣り用具店などがありますが、そこの人々は不思議なくらいベイカーのことを詳しく知っています。例えば、ベイカーは島内にある釣り用具店に度々訪れるシーンがあり、そこのおばちゃんが「(ベイカーの)元妻が旦那に素手とベルトで1時間半も殴られていた」ということを伝えてきます。

あの粗暴な旦那であれば島民に「妻を1時間半も殴った」と言うことは考えられなくもないのですが、可能性としては低いです。

当事者にしか分からないことを島民の人々が詳しく知っている様子は、まさにゲームそのものでした。ゲームには村人Aや村人Bなど、今後のストーリーを進める上で重要なヒントを語るモブキャラが用意されていますが、それが実写で描かれているんですよね。

 

このシーンを観たときに「何でそこまで知ってるの?」と軽く不思議に思いはしましたが、後半に解明される「ベイカーのいる世界はゲームの中」という展開まで、この謎はわかりませんでした。

ゲームをプレイしているときに不可思議な発言をする村人を見ても『ゲームの中によくある展開』として理解できますが、ベイカーと同じ様に自分がゲームの中に入り込んだと考えてみると、自分が作り物の世界にいるとは到底思えませんよね。

そして、ベイカーにヒントを与える島民たちもまた、自分が誰かによって作られた存在だとは気づいていません。気づいたらこの島にいて、どこから来たのかも分からない。いつの間にか釣り用具店の店主という役を与えられ、それが自分の人生だと思って生きているわけです。

自分が考えて発言したと思ったことが、誰かに作られたものだと思うと恐怖さえ感じます。

【解説】フォンティン社のリード・ミラーはルールブック?

【解説】フォンティン社のリード・ミラーはルールブック?

スーツを着てメガネをかけた細身の男・リードが度々登場し、ベイカーと接触しようとしますが互いにすれ違ってしまい中々会うことができません。

嵐の中、フォンティン社のリードはようやくベイカーと会うことができ、最新の魚群探知機を渡します。そこでリードは「明日、彼を殺さずにマグロを釣ってください」と言います。

不審に思ったベイカーはリードを問い詰めると、プリマス島では様々なゲームが行われていることを伝えます。ここで吹き替えと字幕にミスがあるのか、どちらとも取れる様な意味になってしまっているんですよね。

 

字幕では「プリマス島はゲームさ/この島にはゲームが多い/猫を探せ/小魚を捕まえろ/流木を集めろ/魚探知機/ラムのボトル/誰かがコンピュータで世界を作りゲームをしている」とあります。

吹き替えでは「プリマス島はゲームなんです。プリマス島には色んなゲームがあります。猫を捕まえろ、魚を数えろ。そして、日誌(?)やグンカンドリや魚群探知機をゲットできる。誰かがこの世界をコンピュータで作ったんです。ゲームで遊ぶために。」となっています。日誌の部分が何度聞いても、「西」や「虫」と聞こえるので「日誌」なのかはわかりませんが…。

字幕版を見てみると、この島のゲームの1つとして「猫を探せや小魚を捕まえろ、魚群探知機、ラムのボトル」を挙げているように意味が取れます。吹き替え版を見てみると「猫を捕まえろ、魚を数えろのゲームをする(クリアする)ことでグンカンドリや魚群探知機を報酬としてゲットすることができる」ともとれます。

長いセリフの中で字幕を省略してしまうことはよくあることですが、このシーンについては正しく表記して欲しかったですね。個人的には吹き替えの意味が正しいと思っています。

 

ルールが「マグロを捕まえろ」から「男を殺せ」にルール変更となりましたが、あの大きなマグロを捕まえるための攻略法は「猫を捕まえろ」もしくは「魚を数えろ」をクリアし、魚群探知機をゲットすることで、マグロを捕まえることができということなのかもしれません。

しかし、ルールは「男を殺せ」に変更されてしまいました。「男を殺す」という新しいルールになったのにも関わらず、リードはベイカーが殺人をすることをやめさせようとします。これは何故なのでしょうか?

これはその後のシーンで、ベイカーが海に飛び込んだシーンにヒントがあります。そこでは現実世界の声と思われる声が聞こえ、「機械学習と神経回路網、複雑な情報システムを構築するプロセスにおいて意識が自然と生じる」とあります。

パトリックがこのゲームを作っているわけですが、人がただ指示された通りに動くプラグラムを作っているのではなく、「ゲームの中のキャラの意識(思考)が芽生え、自分で考えて行動するプログラム」を構築していると考えられます。

なので、リードは最初のルールである「プリマス島では人を殺してはいけない」というルールと「人を殺せという新ルール」の間で悩み、揺れ動いているのだと思います。

【解説・考察】「男を殺そうとする」ベイカーを「マグロを釣るゲーム」に引き戻そうとする島民たち

【解説・考察】「男を殺そうとする」ベイカーを「マグロを釣るゲーム」に引き戻そうとする島民たち

島の人々は男を殺そうとするベイカーに対して、「マグロを釣るゲーム」に引き戻そうとします。

例えば、釣り用具店のおばさんは最新のルアーを無料でベイカーに渡そうとします。そして、「正しいことをして。あの魚を釣って」と言います。酒場のおっちゃんは「ジャスティス(巨大な魚)を釣るなら客を乗せず一人で行ったほうがいい」と言います。

そして、デュークは町工場の人に2000ドルを渡してフランクを襲わせ、フランクが船に乗れない様に仕向けます。島民みんながベイカーを殺人から遠ざけようとするのです。

 

これは何故かと考えてみると、初めに定められた「プリマス島では人を殺してはいけない」というルールをこの島の住民が守っているからだと思います。

この島が作り物だと知っているのは、主人公のベイカーとフォンティン社のリードだけです。そして、リードは「私がルール」という発言をしていることから、このゲームのルールブック的な存在だと解釈できます。暑そうな島でスーツを着ている風貌といい、島民と違った存在です。

初めはリードも「プリマス島では人を殺してはいけない」というルールを守るため、ベイカーがフランクを殺すことを止めようとしています。しかし、見逃してはいけないのが「ルールが欲求で欲求がルールになる」という発言です。

浜辺でベイカーとリードが話すシーンで「フランクを殺すことが今の欲求」と答えた瞬間かから、正午の船にフランクが乗りに来ることになります。ルールブックであるリードがルール変更を決め、殺しがOKなルールになったのです。

しかし、モブキャラである島民たちは「プリマス島で人を殺してはいけない」という初めのルールを守り続けているわけですね。そして自分で思考し、ベイカーが殺人をすることから離れさせようとそれぞれが行動しているわけです。

パトリックがルールを変えたのは勇気が欲しかったから?

パトリックがルールを変えたのは勇気が欲しかったから?

ゲームを作ったパトリックは「男を殺す」というルールに変更しました。ルールを変更してベイカーがフランクを殺したとしても、結局のところゲームの中の話なので、実際に虐待をしている父親は変わらずに存在しているわけです。

それでもルールを変更したのは大好きで尊敬のできる父に助けて欲しいのと同時に、殺す勇気が欲しかったのかもしれません。ルールを変更してゲームの中でベイカーがフランクを殺すことによって、辛い状況をベイカーと共有することができ、殺害する勇気をもらえたのかもしれませんね。

ゲームの中ではフランクが闇の組織と繋がっている人物であり、カレンとパトリックは夫の手から逃げることはできないという設定でしたが、現実世界ではどうだったんでしょうか?通常の家庭であれば警察に通報するなり、どこか遠くに逃げることがもできる気がしますが…。

【考察】結末はハッピーエンドなのかバッドエンドなのか

【考察】結末はハッピーエンドなのかバッドエンドなのか

物語の終盤では、パトリックがプリマス通りにある学校に通っていることがわかります。「プリマス島」の名前はそこから取られていたんですね。そして、実の父親はイラク戦争で死亡していたことも明かされます。

殺人を犯したパトリックは情状酌量の余地があるとして釈放されます。そして、プリマス島にいるベイカーの元にパトリックから電話がかかってきて、いつでも会える様にとゲームの仕様が変わります。

このゲームの世界が変わっていくSFぽい描写が、批評家の評価の低い部分でもあります。個人的にはパトリックが情状酌量の余地があるとして釈放されるシーンか、ベイカーと電話で話すシーンでストーリーを終わらせても良かったのではないかとも思いました。

 

結局のところ、この映画はハッピーエンドとバッドエンドどちらなのでしょうか?

ゲームの中のベイカーは自分が住む世界は作られた世界で、自分は作られた人間だと知ったわけです。仮に自分が作られた存在だったとして、そのことを知らない方が幸せなような気がします。

一方、パトリックを見てみると虐待される環境から逃れることはできましたが、大好きな実の父親は既に亡くなってしまっています。父と会うことができるのはゲームの中だけという、ハッピーエンドともバッドエンドとも取れる映画なんですよね。

ラストのシーンでは、ゲームの中でベイカーとパトリックは会うことができていたので、どちらかというとハッピーエンドよりなのかもしれません。

個人的には「セレニティー:平穏の海」は斬新な設定で、急展開が面白い映画だったのでオススメです!

映画の配信本数が多い!U-NEXTの31日間の無料お試しキャンペーン

U-NEXTには見放題の邦画や洋画が多くあり、ポイントを使うことで最新の映画も見ることができます!

毎月1,200円分のポイントを貰うことができるので、個人的に動画配信サービスの中でも一番おすすめです。

無料のお試しキャンペーンがあり、無料期間中に解約することもできるので、まだ試していない方は是非どうぞ!

新作映画も見れる!
U-NEXT31日間の無料お試しはこちら

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です