映画「ファースト・マン」は、人類史上初めて月面を歩いた人物ニール・アームストロングの人生、そしてその周囲の人物や出来事を描いた映画です。
本作は、ジェームズ・R・ハンセンの「ファーストマン: ニール・アームストロングの人生(英語版)」を原作としており、実話に基づいた映画となっています。
この記事では、宇宙に挑むということの壮大さを丁寧に描いた映画「ファースト・マン」の感想・解説をネタバレを含みながら書いていきます。
目次
映画「ファースト・マン」を観て学んだ事・感じた事
・圧巻のスケールで描かれる宇宙の世界があまりにも壮大
・映画全体の「静」と「動」のメリハリに感動する
・どんな偉業にも、人間の想いや葛藤がある
映画「ファースト・マン」の作品情報
公開日 | 2019年2月8日 |
監督 | デイミアン・チャゼル |
脚本 | ジェームズ・R・ハンセン |
出演者 | ニール・アームストロング(ライアン・ゴズリング) ジャネット・アームストロング(クレア・フォイ) エド・ホワイト(ジェイソン・クラーク) ディーク・スレイトン(カイル・チャンドラー) バズ・オルドリン(コリー・ストール) |
映画「ファースト・マン」のあらすじ・内容
映画「ファースト・マン」は、人類史上初の月面歩行を実現した宇宙飛行士ニール・アームストロングの人生を描いたドラマです。
空軍でテストパイロットを勤めていたアームストロングでしたが、幼い娘カレンが重い病と闘病していました。
懸命な看病もむなしく、カレンは亡くなってしまいます。そんな折、アームストロングは現実から逃げるようにNASAの募集していたジェミニ計画の宇宙飛行士に応募します。
NASAに選ばれたアームストロングは、宇宙飛行士という特殊な職業特有の苦しさに家族共に飲み込まれながらも、なんとかそこで生きていく道を選択します。
仲間を失いながらも、アームストロングはついにアポロ11号で月面に到着します。
映画「ファースト・マン」のネタバレ感想
映画「ラ・ラ・ランド」の監督、主演の再タッグ
映画「ファースト・マン」の監督は、映画「ラ・ラ・ランド」で監督を務めたデイミアン・チャゼルです。
本作の主演は映画「ラ・ラ・ランド」でも主演を務めたライアン・ゴズリングなので、本作は映画「ラ・ラ・ランド」の監督と主演が再タッグを組んでいます。
映画「ラ・ラ・ランド」と比べてみると、描かれている世界は全くと言っていいほど違っています。映画「ラ・ラ・ランド」はミュージカルであり、至極のラブストーリーだと言えますが、本作はミュージカル要素はありませんし、ラブストーリーの要素もありません。
しかし、丁寧で美しい画面づくりや人間の内面まで描ききっている点などは、通ずる部分があると言えます。
また、主演のライアン・ゴズリングのなんとも言えないカッコよさも、共通点と言えそうです。映画「ラ・ラ・ランド」ファンにとっては、相違点を意識しながら観る観方も面白いかもしれません。
あまりにも美しい「静」と「動」のメリハリ
本作品の一番の特長といってもいいのは、『静と動のメリハリ』です。
どこまでも広がる壮大で美しい宇宙空間の映像や、ぽっかりと浮かぶ月を映した映像は、まさに自然の「静」を描いたものであり、あまりの美しさに息を呑みます。
また、月に着陸したシーンなども静寂が貫かれており、その神秘性が強調されています。
乗っている宇宙船にトラブルが起きた際の映像では、緊迫感や焦りに包まれます。宇宙船がものすごい揺れに見舞われたり、猛スピードで回転してしまったりと、トラブルが多発するのですが、その緊張感たるや、自分が機内にいるかのような「動」が描かれたシーンでした。
特に、映画冒頭のシーンがアームストロングのテストパイロットから始まるのですが、最初のシーンということもあり、非常に緊張し、一瞬で「ファースト・マン」の世界に惹き込まれることになります。
本作品を観ていると、自然というものの二面性がリアルに伝わってきます。
美しく静かな自然は、時として脅威となる。日本人であれば、なんとなく知っていることかもしれませんが、宇宙空間にもまたそうした世界があることに気付かされます。
映像としても、「静」と「動」が効果的に使われているので、観ていて飽きません。食い入るように映像を見入ってしまいます。
娘を失って宇宙を目指したアームストロング
本作のもう1つの特長は「家族を描いている」ところです。人類初の月面着陸の映画というと、なんとなくヒーロー物で試練を乗り越えるような物語なのだろうと想像する方も多いと思います。
ただ、本作品はそうしたヒーロー物とは一線を画しています。映画「ファースト・マン」は、主人公であるアームストロングという人間、そこにいる家族を丁寧に描いています。
映画前半では、アームストロングがNASAの宇宙飛行士募集に応募したきっかけとして、
娘のカレンの死を描いています。
カレンの重病に対し、懸命に看病するアームストロングと妻のジャネットでしたが、残念ながらカレンは命を落とします。アームストロングは放心状態になり、カレンの空白を満たすようにNASAの宇宙飛行士に応募します。
なぜ娘を失って間もなく、NASAの宇宙飛行士などになろうと思うのだろうと疑問に思う方もいるかもしれません。ただアームストロングとしては、どう考えても受け入れがたい娘の死という理不尽に対して、壮大な人生の目標が必要になったのだと思います。
その壮大な目標にひたすらまい進することで、なんとか生きていこうと思ったのではないでしょうか。
この娘の死は、映画ラストでも重大な意味を持ってきます。後ほど解説します。
近いようで、あまりにも遠い月という存在
夜になると何気なく見上げる月。ふと見上げればそこにあるので、なんとなく親しみがありますし、何より目に見えるのでそこまで遠くはないのではとも思ってしまいます。
実際、現代の科学技術を持ってすれば「月くらい行けるだろう」とも思ってしまいそうですが、全くそんなことはないということがこの映画を観ると明らかになります。
映画「ファースト・マン」では、月に着陸し月を歩くという夢のため、莫大な税金が投入され、犠牲が払われてきたことが描かれています。また、アームストロングにとっては同僚であり友人でもある宇宙飛行士の仲間たちの死も描かれます。
そして、これらはすべて「月に行く」という壮大な夢のために払われた犠牲とも言えます。そのあまりの過酷さには目を覆いたくなります。
アメリカは当時、ソ連と宇宙開発を競うことによって国力を争っていました。これは「宇宙開発戦争」とも呼ばれていて、この宇宙開発戦争において、アメリカはソ連の後手に回ってきました。映画内でも、ソ連が人類初の船外活動に成功したことが描かれています。
そんな中、アメリカにとって月面着陸や月面を歩くことは、国家の存立に関わる重大な事態だったのかもしれません。
凄まじいプレッシャーの中、想像を絶するハードな訓練を積んで、それでも月に行こうとするアームストロングたちの姿は胸を打ちます。
家族とギクシャクしていくアームストロング
娘を亡くしてからNASAの宇宙飛行士となり、人類史上初の夢に向かって全力を尽くしているアームストロングでしたが、家族(息子2人と妻)との関係はギクシャクしていきます。
これは娘を失ったことにより、家族全体がなんとなくバランスを取りにくくなってしまうことや、アームストロングが家庭内を上手く顧みることができなくなってしまったことなど、様々な原因が複合して起きてしまったことだと思われます。
もちろん、アームストロングは息子たちと妻を愛していたと思いますが、アームストロング自身がそれをどうやって表現していけば良いのか、分からなくなってしまったように見えました。
また、ご近所に住む同僚(宇宙飛行士)の家族は、父親を宇宙船の事故で亡くしています。アームストロングの息子たちも「父を失った家族がいる現実」を目の当たりにしているわけですね。
こういったことも、自身の家族と接したらいいのか悩んでしまう原因の1つかもしれません。
そして、アームストロングはアポロ11号で月に向かう直前ですら、息子たちに掛ける言葉が分からず、意味のない荷造りをし続けていました。それに対し妻ジャネットは、意味のない荷造りをしていないでと彼を叱責し、アームストロングが息子たちに直接声を掛ける機会を設けました。
しかし、ここでの息子が聞いた「帰ってくるの?」という言葉に対して、アームストロングは首を縦には振りません。「絶対に帰ってくるよ」などという甘い言葉は言いませんでした。アームストロングはあくまでも、最善を尽くすということしか言いませんでした。
アームストロングのこの対応が父親として正しいのかは分かりませんし、親としての模範解答ではないのかもしれませんが、アームストロングはどこまでもまっすぐで実直な人間で、だからこそ子供に淡い希望を持たせるようなことはしたくなかったのかもしれません。
実際、父親を失った家族を子どもたちは間近で見ているわけなので、実はアームストロングの言葉こそ、誠実な父親の姿なのかもしれません。
「普通の人生」と「挑む人生」の違いについて考えさせられる
アームストロングはNASAの宇宙飛行士となり、命がけで月に向かいその夢を実現させました。彼の人生は、まさに「挑む人生」の象徴だといえます。
ただ、アームストロングはその「挑む人生」を歩むことの代償を払っています。あまりにも危険な業務に従事し、訓練中でも死者が出るほどのこの任務に文字通り命を捧げています。
「ヒーロー」としてカッコいいと言ってしまえばそれまでですが、アームストロングは実在する人物であり、そこには「人間」としての生活があります。そして、この映画の凄さはアームストロングという人物を単なる「ヒーロー」ではなく、「人間」として描いたことです。
この映画では人間が「挑む人生」を選んだときにある困難が描かれています。
単なるヒーロー物であれば、「自分も宇宙飛行士になりたい!」という人が続出しそうですが、この映画は必ずしもそうならないと思います。「自分は普通の人生を歩もう」と思わせるような凄みがあります。
もちろん、「挑む人生」と「普通の人生」に優劣はありませんが、この映画を見ると「挑む人生」を本気で歩んだ人間の姿を見て、思わず「挑む人生」に想いを馳せてしまいます。これは例え自身が「普通の人生」を歩むことに決めたとしても、とても大切なことではないでしょうか。
なぜなら「普通の人生」を選んだからといって、生きていくのが楽になることはありません。「挑む人生」でも「普通の人生」でも、生きていくということはそれだけ大変です。
本作品はこのような形で、人生に対して多くの示唆を与えてくれる映画だと感じました。
クレーターに投げ入れられた娘・カレンの形見
月に着陸し、初めて月に人間の足跡を残したアームストロング。彼は月を少し歩くと、クレーターに娘であるカレンの形見であったブレスレットを投げ込みます。無重力空間で、フワリと投げ込まれたブレスレットは月の奥底に吸い込まれていきました。
そもそも、アームストロングがNASAに志望したのは、カレンの死がきっかけでした。愛娘の死がアームストロングを月に向かわせ、月に到達させたのです。
そして、人類史上初の快挙を成し遂げたアームストロングは、月という場所で娘の弔いをしたわけです。
この部分に着目すると、この映画は古典的な「行って帰ってくる」映画だと言えます。
月という場所に向かい、そして帰ってくる。戻ってきたからといって、世界が一変しているわけではありませんが、彼の愛娘の弔いが完了し、彼の中での1つ区切りがついたことは間違いありません。
月という場所に連れてきてくれた愛娘の形見を、そこに残すことが彼が考えた彼自身の弔いの仕方だったのかもしれません。
月を歩いたアームストロングたち
アームストロングたちは人類で初めて月を歩きました。現代の科学技術を持ってすれば、月の空間を再現してその場所を歩くことも可能かもしれません。
さらにもっと先の未来になれば、月を往復することは他愛のないことになるのかもしれません。
しかし、「人類で初めて月を歩く」という経験をすることができたのは、アームストロングたちが最初で最後です。これ以降の人類は、全ての人が「人類で初めて月を歩く」という経験をすることができません。
そう考えると、きっとアームストロングたちにしか見えていない景色や感覚があったのかもしれません。この映画を通してその一端を垣間見ることができ、本作はそうした「体験」を与えてくれる映画です。
アームストロングたちは月を目指してたどり着き、人類で初めて月を歩き偉業を達成しました。自分の目を通して見る景色はどうだったのか、その時どんな感覚が訪れたのかは想像がつきません。
きっと、私たちの想像を超える世界がそこにはあったのだと思います。そしてそれは、「ヒーロー」である彼らというよりも、「人間」としての彼らが見た世界だからこそ、意義があったのかもしれません。
人生に行き詰まってしまうと、どちらを向いて歩いていけばいいのか分からないことがあると思いますが、映画「ファースト・マン」はそうした方にとっても、オススメできる映画です。
人類の夢を叶えるために命をかけた「人間」がいたという事実を目にすることで、「自分も何かできるかもしれない」と思わせてくれます。
宇宙や星、人間ドラマが好きな方、人生を見つめ直したい方はぜひ視聴してみてください。