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映画『ランボー』ネタバレ感想・解説・考察!アメリカの魅力と闇を描く、80年代を代表するヒーロー映画!

【解説】ランボーの代名詞・サバイバルナイフ

1970年代と80年年代のアメリカのアクション俳優の代表格であるシルヴェスター・スタローンが、名作『ロッキー』についで爆発的ヒットをさせた映画が『ランボー』でした。

ロッキーのようなアメリカン・ドリームを象徴するヒーローではなく、ベトナム帰還兵というアメリカの暗部にあるアンチ・ヒーローではるランボーは、これまでのアメリカのヒーロー像を一変させるセンセーショナルなものであったと思います。

今回は、ネタバレと解説を含む『ランボー』の感想を書いていきます!

映画「ランボー」を観て学んだ事・感じた事

・アメリカの魅力と闇
・ロッキーとランボーの差に、アメリカのヒーロー像の転換点を感じた
・サバイバル術とは何か、それを知る大きなきっかけとなった作品

映画「ランボー」の作品情報

公開日1982年
監督テッド・コッチェフ
脚本マイケル・コゾル
ウィリアム・サックハイム
シルヴェスター・スタローン
原作ディヴィッド・マレル
出演者ジョン・ランボー(シルヴェスター・スタローン)
サミュエル・トラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)
ティーズル保安官(ブライアン・デネヒー)
ガルト(ジャック・スターレット)
カーン州警察長(ビル・マッキニー)
ミッチ(デヴィッド・カルーソ)

映画「ランボー」のあらすじ・内容

映画「ランボー」のあらすじ・内容

元アメリカ軍人のランボーは、同じ部隊にいた戦友の家を訪れますが、戦争の後遺症で戦友は死んでいました。気を落としたランボーは田舎町で食事をとろうとしますが、彼の身なりを見たティーズル保安官が町からランボーを追い出します。しかし、ランボーが町へ戻ろうとした事で保安官と悶着となり、逮捕されてしまいます。

逮捕に不満を持つランボーは、警察署で指紋も取らせず名前も答えません。これに怒った警官ガルトがランボーに暴行を加えます。こうした扱いにベトナム戦争時に受けた拷問がフラッシュバックしたランボーは、警官たちを倒して逃亡、山に逃げ込みます。

ランボーに業を煮やしたガルトは命令を無視してヘリから発砲するも、誤ってヘリから落下して死亡します。これで警察とランボー両者の遺恨が深まり、山からランボーを狩り出そうとする警官たちですが、反対にランボーに狩られていきます。ランボーは元グリーンベレーの英雄で、ゲリラ戦のスペシャリストでした。

ついに対策本部が設けられますが、そこにランボーの元上司であるトラウトマン大佐があらわれて…。

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映画「ランボー」のネタバレ感想

断崖絶壁からのダイブシーンは、映画史上最高のスタントでは?!

映画『ランボー』についてあれこれ書く前に、まだこの映画を観たことがない人に、声を大にして伝えたい事があります。スタントマンなしで、シルヴェスター・スタローン自らが行ったものすごいシーンがあるのです。映像で見ているだけでも足がすくむほどの切り立った断崖絶壁からのダイブシーンです。

私が『ランボー』が好きでたまらないのはこのシーンとはまったく関係のない所なのですが、このシーンだけでも、この映画は見るに値すると言えると思います。私が今まで観てきた映画の中で、最もすごいスタントシーンだと思っているぐらいですから。

ちなみに、スタローンはこのシーンの撮影で4カ所を骨折したそうです。私などから見れば、よくそれだけで済んだなと思えるほどのシーンでしたね。

時代背景を解説。ランボーが戦うのはベトナムではなく祖国アメリカ

時代背景を解説。ランボーが戦うのはベトナムではなく祖国アメリカ

さて、本題に入ります。『ロッキー』と並ぶシルヴェスター・スタローンの代表作『ランボー』が作られたのは1982年です。この映画の主人公ランボーはベトナム帰還兵ですが、ベトナム戦争終了は1975年、アメリカ軍撤退はそれより2年早い1973年です。

この映画は、ベトナム戦争からしばらく時間が経ってから制作されましたが、その時期のアメリカ合衆国におけるベトナム戦争の位置づけは、ベトナム戦争そのものから、ベトナム戦争による影響へとシフトしていました。

 

ベトナム戦争におけるアメリカ軍のふるまいには、多くの問題が指摘されています。特に有名なのはソンミ村ミライ集落虐殺事件で、アメリカ軍は非武装の村人を徹底的に虐殺し、人口507人の集落の504人が殺害される惨状でした。これは特殊な例ではなく、ベトナム戦争におけるアメリカ軍の凶行の一例にすぎないそうです。こうした状況から、本国である合衆国でも、軍やベトナム戦争介入を行う政府に非難が集まるようになり、その余波を受けてベトナム帰還兵まで批判の的とされる事となったのです。

しかし、兵士自身が悪だったのでしょうか。この映画の終盤で、主人公であるランボーが叫ぶセリフは、ベトナム帰還兵に向けられた批判に対する抗弁です。「帰国したら空港で避難ごうごうだ」「赤ん坊殺しとか悪口の限りを並べやがった」「あいつらは何だ?戦争も知らんくせに」。

ランボーは赴任した先のベトナムで親友を殺され、吹き飛ばされた親友の手足を必死に拾った経験を持っています。戦争から何年が過ぎても、その光景を思い出さない日はありません。

これは、ベトナム帰還兵の多くが患う事になったPTSD(心的外傷後ストレス障害)の一例です。ベトナム帰還兵が負う事になったPTSDは、『ランボー』と同時代に放映されて大ヒットとなったアメリカのテレビドラマ『マイアミバイス』でも取り上げられました。ちなみに、『マイアミバイス』のレギュラー出演者であるマイケル・タルボットは、『ランボー』にも出演しています。ランボーが作ったブービートラップの犠牲者となる警官役です。

 

また、ベトナム帰還兵の社会拒絶は、失業問題へと繋がります。ベトナム戦争後にホームレスになったアメリカ退役軍人の数は40万人と言われていますが、ランボーが言う「俺はな、世間じゃのけ者なんだ」「ここじゃ駐車係の口もない」は、その状況を表現しているのでしょう。

ベトナム戦争で戦ったアメリカ人の状況は、『ランボー』と同時代に作られてヒットした、ブルース・スプリングスティーンの曲『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』にも歌われています。「So they put a rifle in my hand, sent me off to a foreign land to go and kill the yellow man」(手に銃を握らされ、黄色いやつらを殺す為に異国へと送られた)。

こうした当時の合衆国の背景の上に、映画『ランボー』が製作されました。ランボーが戦っている相手は、ベトナムではなくて祖国アメリカなのです。

【考察】ティーズル保安官が象徴しているもの

【考察】ティーズル保安官が象徴しているもの

グリーンベレー所属だったベトナムの英雄ランボーですが、祖国に帰ると「のけ者」で、ランボーに敵対する存在として登場するのが、ランボーが立ち寄った小さな町の保安官・ティーズルです。ところが、敵役にもかかわらず、私にはこのティーズルが悪役であるだけでなく、好ましい人物とも見えるのです。『ランボー』はシリーズ化されましたが、シリーズ中でランボーについて好きなキャラクターが、ティーズルであるほどです。

ティーズル保安官は、ガキ大将的な人物です。町を自分が守っているという意識が強いのか、町の人と会うと名前を呼んで気軽にあいさつします。しかし「風呂に入れよ」などと平気でいうような高圧的な態度も示すのです。これは、「俺がお前らを守っているんだ」という意識がないと言えない言葉でしょう。つまり、親分肌ではあるけれど配慮に欠けて自己中心的なのです。

食事をしたいと町に立ち寄っただけのランボーに対し、ティーズルは「身なりや面がまえから見ると面倒を起こしそうだな」「50キロ先に食堂がある」と言って、ランボーを町の外へ追い出します。ティーズルにとっては、「町の平和を守る」という面しか見えておらず、任務を果たしたと思っているのでしょう。しかし飯も食えずに50キロ先に歩かされるランボーへの配慮はありません。なにせ、苦情を言うランボーに対して「俺が法律だ」と言い放つほどの傲慢さですから。

 

一方、ティーズルは親友であった警官ガルトの絶命に際し、「むごいことを」(実際のセリフは「Jesus Christ」)といって涙を流すほど、愛情深い人でもあります。ランボーがグリーンベレーの英雄だと知って尻込みする警官にも、掴みかかってこう言い放ちます。「お前がガキの頃から彼とは親友だ!」「だから思い知らせてやるぞ」。

ティーズルは、公平性を持つ事が出来ない欠陥のある人物です。しかし、自分が守っている市民や親友と言った身内に対しては、相手がグリーンベレーと知っても引かないほど仁義に熱く、阿多愛情深い人物でもあるのです。

「自分尾が思う正義と親切」を押し売りするような性格のティーズルが象徴しているものは、自分の正義ばかりを振りかざして平然と相手を捨てる態度をとった、市民の浅慮を含めたアメリカ合衆国全体の事ではないかと感じました。

【解説】ランボーの代名詞・サバイバルナイフ

【解説】ランボーの代名詞・サバイバルナイフ

ティーズル保安官がランボーを逮捕するきっかけとなったものの一つは、彼が持っていた巨大なサバイバルナイフでした。巨大なこのナイフを見た時の保安官とランボーの会話は意味深です。「ナメやがって、ナイフで何が狩れる」「何でも」。この「何でも」の中に人が含まれている事を、のちにティーズルは痛感する事になります。

町から不当に追い出され、さらに「浮浪罪」や「公務執行妨害」など、ほとんど言いがかりに近い状況で逮捕されたランボーは、警官を何人も倒して警察署から脱走し、山に逃げ込みます。ここからのランボーのゲリラ戦やサバイバル術は、明らかにこの映画の見どころで、はじめて観た時には息を飲む見事さに魅了されました。

 

まず、サバイバル術の見事さに驚きました。砂利を詰めて運ぶような麻袋を拾うと、それをナイフで割いて服にしてしまいます。また、廃坑の中に潜れば、その布をナイフに巻きつけて松明を作ります。腹が減れば、落ちている枝をナイフで削って槍を作ってイノシシを捉え食料にします。

そして、ゲリラ戦の見事さ。山の中まで追ってきた警官たちを、ランボーはひとりずつ仕留めていきます。特に、ベトナム戦争でのジャングル戦を思わせるようなブービートラップには驚かされました。木を削って作った棘の並んだ枝が警官に刺さり、一人でそこから逃れる事が出来ない仕組みなのです。

これらすべてに共通しているものはナイフです。つまり、ランボーの代名詞にもなったサバイバルナイフは、ランボーの強さの象徴であったように思います。そしてこの象徴は、次作以降にも引き継がれていきます。

対比となる名言「俺が法律だ」と「山の中では俺が法律だ」

対比となる名言「俺が法律だ」と「山の中では俺が法律だ」

そしてついに、ティーズル保安官がランボーに捕えられます。実はここまでランボーは警官殺しをしておらず、ティーズル保安官以前に倒した警官たちも、命は奪っていません。捉えたティーズルにランボーはこう言います。「この山じゃ俺が法律なんだ」。

この映画はいくつもの映画的な手法が使われていると感じますが、一つは復讐劇です。復讐劇の効果は、虐げられ続けたものが最後に逆転して悪を倒すときに生まれる爽快感だと思うのですが、「俺が法律だ」のセリフは、それを言うものが入れ変わる事によって、強者が逆転した事を示す道具となっており、映画に見事なコントラストをつけた名言だと思いました。

そして、警官たちでは手に負えないランボーの相手は、200名を超す州兵部隊へと移ります。

【ネタバレ】トラウトマン大佐が本来持っていた役割

【ネタバレ】トラウトマン大佐が本来持っていた役割

山に逃げ込んだランボーを捉えるために山麓に設置された対策本部に、トラウトマン大佐があらわれます。彼はグリーンベレー時代のランボーの上司でした。リチャード・クレンナ演じるトラウトマンは理性沈着で渋く、男くさい魅力を感じます。しかし、映画上での役割がはっきりしないようにも感じました。理由は、トラウトマンが本来演じるはずだった役回りが、結末の変更により失われたためではないかと思いました。

州兵部隊ですらランボーを仕留められず、とうとうランボーは自分から反撃を試みます。原作小説の日本語タイトルは「一人だけの軍隊」ですが、ランボーは武器を積んだ州兵部隊のトラックを強奪し、ひとりだけで戦争を始めます。彼を追い詰めたティーズル保安官のいる街へ行き、そして町ごと火の海にし、そして警察署で保安官を倒します。しかし保安官にとどめを刺す事をトラウトマンから制止されます。

 

警察署は大量の警官や州兵に包囲され、ランボーには逃げ場がありません。ここからのラストシーンは二つあり、劇場公開された結末は本来の結末ではありません。

ハリウッド映画では結末を二つ用意し、試写会で評判の良かった法を採用する事があるそうですが、ランボーは続編が見込める内容と判断され、本来であれば死ぬはずだったランボーが生き残る結末へと差し替えられています。そして、本来の結末では、トラウトマンはランボーを介錯する役回りを演じるのです。トラウトマンの役回りだけでいえば、本来の結末の方が綺麗な筋書きだと思います。

【考察】ラストシーンのカタルシス

しかし、差し替えられた結末が、この映画の見事なカタルシスとなった事も事実ではないでしょうか。感情を表に出さないどころか、表情すら変えないランボーですが、逃げられなくなった警察署の中で、トラウトマン大佐だけには自分をぶつけます。ここでのスタローンのひとり芝居は見事で、『野獣死すべし』のクライマックスシーンでの松田優作に匹敵する凄みを感じました。

ランボーは、トラウトマンに思いのたけを語ります。私の胸に刺さったのは、ランボーの戦友ダンの話でした。ランボーとダンは気が合う仲間で、ダンは赤いシボレー好きで、シボレーでぶっ飛ばそうとランボーに語っていたそうです。

しかし、ベトナムでダンは手足を吹き飛ばされ、ランボーが必死に介抱するものの、内臓まで流れ出てきて死んでいきます。アメ車にラスベガスという幸福のイメージは、50年代のアメリカを思わせます。ところが、ベトナム戦争に巻き込まれてからのアメリカの現実は、ダンの死やランボーの現状が示した通りです。

50年代アメリカが見た夢は、ベトナム戦争と同時に吹き飛んでいたわけです。ランボーが代表したものは、ベトナム帰還兵だけでなく、国から見捨てられた現代アメリカ市民の現状でもあって、それは以降のローン問題や失業問題というアメリカの社会問題に苦しんでいく事になる、アメリカ市民の未来を予言する叫びにも聞こえました。

エンディング曲も見事な映画の一部

エンディング曲も見事な映画の一部

トラウトマンに連れられたランボーは、警察署を出て逮捕されます。そして画面が制止し、エンディング曲が流れ、映画は幕を閉じます。そしてこのエンディング曲が見事で、心に残りました。

この映画の音楽監督はジェリー・ゴールドスミスです。私の心に残っているゴールドスミスの映画音楽は、「猿の惑星」「オーメン」「スタートレック」です。つまり、管弦楽曲の作曲家なのですよね。ランボーもやはりそうで、エンディング直前までは管弦楽曲です。

ところが最後だけがアメリカン・ソング形式のポピュラー歌曲なのです。そのようにした最大の理由は、歌詞を必要としたからではないかと思います。エンディング曲の冒頭の詩は「It’s a long load, when you’re on your own, and it hurts when they tear your dream apart」。映画の内容と完全にリンクしており、また映画の内容を抽象したものとも読めます。

このエンディング曲の詞によって、『ランボー』はエンターテイメントなアクション映画という側面より、新しい世界の市民像が強調される事になったように感じました。

「ランボー」はアメリカのヒーロー像の転換点となった名作

「どうにもならない」がこの映画でのランボーの最後のセリフですが、ラストシーンでのランボーの叫びは、ティーズル保安官とランボーの戦いを、アメリカ合衆国と見捨てられた人の戦いに昇華したのではないでしょうか。

個人の行き場がなくなっていく資本主義社会の中での新しいヒーロー像を提示した、まったく新しい型のヒーロー映画であったと思います。

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※2019年9月現在の情報です。

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