近年のハリウッドでは、多様性を求める声が強まっている中で、その色が強く出た映画が数多く描かれています。ただ、そこで素晴らしいのは、映画としても非常に魅力的な作品が多いということです。
今回紹介する「ビリーブ 未来への大逆転」は、1970年代に起きたある裁判によって、性別に基づく差別を撤廃するきっかけとなった実話を映画化したものです。この映画の主人公は、実在の人物でもあるルール・ベイダー・ギンズバーグ、のちにアメリカ合衆国最高裁判事にもなった人物でもあります。男女平等裁判という当時の時代では、不可能に近かった挑戦に果敢に挑んだ姿が描かれています。
今回は「ビリーブ 未来への大逆転」の個人的な感想やネタバレ解説を書いていきます。
目次
映画「ビリーブ 未来への大逆転」を観て学んだ事・感じた事
・差別の撤廃に情熱を燃やした1人の女性の執念がすごい
・この裁判を受けて現代に生きる私たちが何を考えるべきなのかを知る
・不可能と思われた裁判に挑んでいく夫婦の愛
映画「ビリーブ 未来への大逆転」の作品情報
公開日 | 2019年 |
監督 | ミミ・レダー |
脚本 | ダニエル・スティープルマン |
出演者 | ルース・ベイダー・ギンズバーグ(フィリシティ・ジョーンズ) マーティン・ギンズバーグ(アーミー・ハマー) メル・ウルフ(ジャスティン・セロー) ドロシー・ケニヨン(キャシー・ベイツ) |
映画「ビリーブ 未来への大逆転」のあらすじ・内容

1950年代のアメリカでは、男はスーツを着て仕事にいき、女は家で家事をするという典型的なジェンダーロールが社会の常識として見なされていた時代でした。ルース・ベイダー・ギンズバーグは、女性ながらハーバード大学の法科大学院に入学、女性ということで、ナチュラルに下に観られることに辟易としながらも、持ち前の頭脳で優れた学業成績を納めています。
そんな中、夫のマーティンがガンで倒れます。懸命の看病の末、夫のガンは寛解し、ニューヨークの法律事務所で働くことになります。ルースは病弱な夫を1人にはできないと、コロンビア大学への移籍を決断します。
大学を首席で卒業したルース、優れた能力を持ちながらも女性という理由で雇ってくれる法律事務所はありませんでした。そのため、弁護士になる夢を一旦諦め、大学で教鞭をとる道へ進みます。
1970年、大学教授として性差別の分野で後進育成に励むルースでしたが、弁護士としての夢を心に抱えていました。そんな中、マーティンがある訴訟の案件を持ち込んできます。
その案件はモリッツという独身の男性が働きながら母親介護をする中で、介護士を雇っていたのですが、その介護士への給料に対して、所得控除が受けられないという判断でした。
この根拠には「介護に関する所得控除は女性、妻と死別した男性、離婚した男性、妻が障害を抱えている男性、妻が入院している男性に限られる」とされていました。
この案件は、法律によって男性を差別していると判断でき、この訴訟を覆すことができれば性差別撤廃への大きな一歩となるに違いないと確信したルースは、アメリカ自由人権協会に行きメル・ウルフの助力を扇ぎます。
訴訟経験のないルースは口頭弁論に不安を残していましたが、税法が専門の夫マーティンの力を借りて、前代未聞の裁判に挑んでいきます。
映画「ビリーブ 未来への大逆転」のネタバレ感想

現代の私たちの生活の節々には、先人たちが戦い抜いてきた産物が数多くみられていますよね。今では女性が働くということは当たり前になりましたし、自分の力によって道を切り開くこともできるようになりました。
50年も前には、そんなことを考えていた人はほとんどいなかったでしょう。ジェンダーロールが社会的規範となっていた世の中で、人はもっと自由であるべきだと叫ぶ人たちがいたことによって、私たちの自由な生活が生み出されてきたのです。
「ビリーブ 未来への大逆転」では、性差別的な法律を是正するために奮闘する実在の人物を描いた映画となっています。50年前のアメリカでこのような戦いが起きていた事実を知るだけでも、この映画を見る価値があるといえるのではないでしょうか。
【解説】この映画のモデルとなったルース・ベイダー・ギンズバーグについて

「ビリーブ 未来への大逆転」は、実話を元にして作られた映画でもあります。主人公は、ユダヤ系アメリカ人のルース・ベイダー・ギンズバーグです。
この映画を見る前に、この映画のモデルとなった彼女について少しでも知っておくと、より面白くみることができるでしょう。ここでは、ルース・ベイダー・ギンズバーグについて簡単に紹介をしていきます。
ルース・ベイダー・ギンズバーグは、ニューヨーク市ブルックリン生まれで、コーネル大学からハーバード大学のロースクールへ進学をします。当時は、全学生数500人を超える中で、女性の学生はたった9人だったそうです。
在学中に映画でも登場したマーティンと結婚、夫がニューヨークで勤務することになったため、コロンビア大学のロースクールに移籍して、法学位を取得します。
ロースクールでは極めて優秀な成績を納めてきた彼女でしたが、女性であることを理由に連邦高等裁判所やニューヨークの法律事務所で働くことは叶いませんでした。1963年にラトガース大学のロースクールで教員の職を得て、この時期にアメリカ自由人権協会に関わることになります。
コロンビア大学ロースクール初の女性常勤教員となり、性差別撤廃のための法廷闘争を数多く手がけます。
1980年にはコロンビア特別区巡回区連邦控訴裁判所判事に任命、1993年には連邦最高裁判事に就任、女性としてはオコナー判事についで二人目でした。当職就任後は、入学者を男子に限定していたバージニア州立軍事学校の規定を違憲とする判決などの功績がしれらます。
このようにルース・ベイダー・ギンズバーグは、性差別真っ只中の時代の中で、戦い続け、ついには常識を打ち破ることに成功した人生を歩んでいます。「ビリーブ 未来への大逆転」で描かれる彼女の姿よりも、むしろバイタリティに溢れる女性といえるでしょう。
また、最近ではトランプ大統領就任の影響で、リベラル派の代表格として注目を集め、ギンズバーグ判事を題材にした絵本が相次いで出版されるなど、大衆的な人気も獲得しています。
【解説】未来へ繋ぐ第一歩となる判決

「ビリーブ 未来への大逆転」で、中心となる裁判は独身男性の介護費用への所得控除が問題となっていました。介護費の所得控除が申請できるのは女性だけと限定されていた中で、法律自体が性差別的であるという議論を展開していきます。
この映画の中では、時代によって法律が大きく変わっていく様や、法律に対する考え方なども多分に盛り込まれています。
例えば、ロースクールの講義の1幕では「法律は天気によっては左右されないが、時代の空気によっては左右される」という言葉が登場します。
私たちは、法律を遵守することによって、いってみれば「正しい」生活を送っているわけですが、その法律が必ずしも時代に即しているわけではありません。
50年や100年という単位で観測すれば、昔の法律がいかに現代社会にそぐわないかがよくわかりますよね。しかし、当時の社会では「ビリーブ 未来への大逆転」の中に登場するような性差別的な法律がたくさんありました。
そして、それを疑う人はほとんどいなかったでしょう。ジェンダーロールが社会規範として広く固定された価値観の中で、それを基準に作られた法律に対して、ギンズバーグは意義を唱えていきます。
また、そういった性差別を元にした法律を正していく意義についても、クライマックスの裁判でのギンズバーグの口頭弁論からも触れられています。
性差別的な法律によって、私たちは男女ともに選択肢が限られてしまうわけです。当時の社会では、男性が介護士になることも、看護師になることもできなかったでしょう。女性がなれない職業も多く存在していました。
しかし、これから生まれてくる子供たちが将来、その職を希望した場合、性差別によって道を閉ざすのは社会的に有益ではありません。
ギンズバーグが起こした裁判は限定的に見れば、独身男性の介護費用における所得控除の是非を争うものとなっていましたが、この裁判が示す社会的意義は、未来に繋がる第一歩となったことは明らかと言えるでしょう。
【解説】女性だけではなく、男性もジェンダーロールから解放されない

この映画を表面的に見ると女性弁護士が性差別と戦う、女性の物語のように見えてしまいます。しかし、本質的な部分はそこではありません。
性差別と聞くと「女性差別」のことだけが浮かび上がることが多いですが、実は男性も差別されていることも認識しなければなりません。女性が家で家事を務めることを強いられているのと同様に、男性も外で働くことを強いられているわけです。
そこに自由な選択は存在せず、男性自身も家に入ることが許されていなかったのです。ギンズバーグの夫は自身が法曹家でありながらも家事や育児を卒なくこなせる、むしろ主夫向きな男性でもありました。
しかし、そんな彼でもいわゆる「男らしさ」から解放されることはなく、彼に対して向けられる評価はいつも仕事のことばかりです。女性が女性らしさから解放されるためには、男性も男性らしさから解放してあげなければならず、その視点こそが、この映画におけるギンズバーグのブレイクスルーでもありました。
女性が女性差別の撤廃を叫んでも相手にされないことは当時の社会の空気から明らかでした。しかし、作中に登場する裁判は、いってみれば男性が差別を受けている問題です。
この裁判のように、ジェンダーロールによって差別を受けているのは、女性だけではなく、男性にも共通の問題であるというアプローチによって裁判を展開していきます。
「ビリーブ 未来への大逆転」で重要な視点となっているのは、この部分であるといえます。ギンズバーグ自身が女性らしさから解放された女性の象徴として描かれているのと同じように、夫のマーティンもまた男性らしさから解放される男性の象徴として描かれているのです。
この映画では、性差別を女性だけの問題に止まらせず、男性に対する問題としても訴えかけているのです。
ただ、個人的には男性は男性らしさから解放されるのは非常に難しいと考えています。理由としては、男性らしさを放棄した瞬間に男性は評価されなくなってしまうからです。仕事ができて収入も多い女性を評価する人は数多くいるでしょう。しかし、家事などに長けているが、仕事はイマイチで収入も少ない男性を評価する人は少ないと思います。
そういった意味では、女性らしさから解放されるのと男性らしさから解放されるのでは、ハードルが段違いといえるでしょう。その難しさが、ジェンダーロールを取り払うことができない一因であると思いました。実際、ギンズバーグの夫は家事もできるし、仕事もできるスーパーマンでした。普通の人には無理ですよね。
【解説】すべてにおいて疑問を持つという考え方

この映画では、ギンズバーグと娘のコミュニケーションにも焦点が当てられています。考え方の相違から、意見をぶつけ合う二人、ときに衝突を繰り返し、険悪になることもしばしばでした。
しかし、そのような親子関係もギンズバーグが母親から教わった「すべてにおいて疑問を持て」という考えによるものでした。裁判というものは一般的に判例に重きが置かれます。過去の判例によって、未来の裁判の判決の基準となるというのが、裁判における常識です。
ただ、それはあくまで基本的な考え方にすぎません。法律自体が間違っていることもしばしばあり、法律自体が人の作ったものである以上、それは確実に起きてしまいます。
そして、時代の中で作られた法律は時代によって覆されることもあります。それは、法律自体を正しいものとして認識するのではなく、常に疑いを持って、正しいことはなんなのかと思考を続けることによってしか成し得ることはできません。
この映画で描かれるギンズバーグの考え方は、私たちの人生にも活かすことができます。何も疑うのは法律だけではなく、一般的に正しいという価値観が持たれていることに対して、なぜ正しいと認められているのか、もしかしたら前提が間違っているのではないかなど、常に考え疑っていくことによって、真実に近づいていくことができるのかもしれません。
その考え方こそが、未来を切り開いていくための鍵となることは間違いありません。
【考察】現代社会に批判を投げかけるこの映画が今公開される意義について

映画というのは、ときたま現代社会に対して重要な批判を投げかけることがあります。
近年のアカデミー賞では、そういった作品が評価される傾向にあるというのもありますが、やはりそれだけ現代社会というのが歪な形をしており、非常に多くの課題を抱えているのだと感じさせられてしまいます。
アメリカのリベラル派が多いと言われているハリウッドでは、おそらくトランプ大統領への批判を込めた映画が数多く作られていることでしょう。もちろん、それだけではなく、現代社会が抱える問題についての重要な視点であることは間違いありません。
しかしながら、多様な価値観を受け入れ、認め合うという理想的な考え方とは程遠い現状が現実でもあります。認め合い、理解し合うことを訴えれば訴えるほど、その反発によって過激な対立や分断を招いてしまっています。
性差別だけではなく、性的マイノリティー、人種、宗教など、あらゆる「違い」によって私たちは対立し合っています。こんな時代だからこそ、このような映画が公開される意義があるのだと感じました。
私たちの生活の基盤になっている自由で平等な社会が、どのような人たちによって作り上げられてきたのか、それを知るだけでも、自分の考え方を見直すきっかけになるのではないでしょうか。
「ビリーブ 未来への大逆転」は先人たちの戦いを描いた作品

「ビリーブ 未来への大逆転」について、個人的な感想やネタバレ解説を書いていきました。
社会問題を取り上げる映画が数多く制作されるなかで、先人たちの戦いを描いた本作は、性別に関係なく見ておくべき価値のある映画かもしれません。
少なくとも私たちはルース・ベイダー・ギンズバーグが切り開いてきた道の上を歩んでいることは間違いありません。そんな偉大な彼女を描いた「ビリーブ 未来への大逆転」、ぜひ一度見てみてください。