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映画『魔女の宅急便』ネタバレ感想・解説・考察!少女・キキが魔女として成長する姿を素直に描いた物語

【解説】児童文学らしい内容が魅力の作品

『魔女の宅急便』の面白さを語るのは難しいものです。それまでにスタジオジブリが発表した『となりのトトロ』や『天空の城ラピュタ』に比べても、突出した何かを持った物語というわけではありません。そこにあるのは、魔法が使える13歳の少女が街の人々との交流を通じて成長していく物語、ただそれだけです。

しかし、本作を一度見れば、多くの魅力に気がつくことでしょう。そこには児童文学を原作とした強さや優しさはもちろんのこと、少女キキの素直な姿がスタジオジブリの手によって生き生きと描かれているのです。

今回はそんな『魔女の宅急便』の感想や解説、考察を紹介します。ネタバレを多く含んでいるので、視聴前に読まれる場合はご注意ください。

目次

映画『魔女の宅急便』を観て学んだこと・感じたこと

・日常に魔法がとけ込む様子を素直に描いた作品
・ファンタジーというよりも上京物語?キキの成長に注目
・壮大さはないがスタジオジブリ好きなら外せない一作

映画『魔女の宅急便』の作品情報

公開日1989年7月29日
監督宮崎駿
脚本宮崎駿
出演者キキ(高山みなみ)
ジジ(佐久間レイ)
おソノ(戸田恵子)
トンボ/ コポリ(山口勝平)
ウルスラ(高山みなみ)

映画『魔女の宅急便』のあらすじ・内容

映画『魔女の宅急便』のあらすじ・内容

空飛ぶ魔法が使える少女・キキは、13歳の満月の夜の日、魔女のしきたりに従って家を出る決心をします。そのしきたりとは、魔女のいない街を探して、そこで魔女としての修行を積むというもの。両親の愛情を一身に受けて育ったキキは、生家を離れてまだ見ぬ新しい街を探します。

やがて、キキはコリコと呼ばれる、大きな時計台が特徴的な街に辿り着きます。しかし、他人に対してよそよそしい態度を取るコリコの住人にキキは当惑するばかり。

次の街を探そうか迷っていたところ、彼女はおソノさんと呼ばれるパン屋の女将と出会いました。魔法でおソノさんの依頼をこなしたことがきっかけとなり、キキは家の空き部屋へ居候することになります。

コリコの街で修行することを決めたキキ。そこで彼女は、空飛ぶ宅急便の仕事を思いつくのでした。

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映画『魔女の宅急便』のネタバレ感想

【解説】当時の劇場アニメーション映画の日本記録を更新!スポンサーはヤマト運輸?

【解説】当時の劇場アニメーション映画の日本記録を更新!スポンサーはヤマト運輸?(C)1989 角野栄子・二馬力・GN

映画『魔女の宅急便』は、1989年に公開されたアニメーション作品です。スタジオジブリが制作した劇場版長編アニメーション作としては、『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『火垂るの墓』に続く第4作にあたります。

原作は、角野栄子による同名の児童文学です。監督・宮崎駿によるスタジオジブリ作品としては初めて、他に原作を持つ作品となりました。当時、映画プロダクションの風土舎が原作の映画化を企画し、スタジオジブリで製作されることとなった、という経緯があります。

 

また、映画製作のスポンサーはヤマト運輸。風土舎が真っ先にスポンサーを同社へ依頼したのは、タイトルにある「宅急便」がヤマト運輸の登録商標だったためです。

当時の配給収入は21.5億円であり、1988年4月に同時上映された『となりのトトロ』『火垂るの墓』の記録を大きく塗り替えました。さらには1978年に公開された『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の配給収入21億円も突破し、当時の日本のアニメーション映画の興行記録を更新しています。

【解説】主題歌はユーミン!一度聴くと忘れられない楽曲の数々

【解説】主題歌はユーミン!一度聴くと忘れられない楽曲の数々(C)1989 角野栄子・二馬力・GN

『魔女の宅急便』で特徴的な点のひとつが、物語を彩る音楽の数々でしょう。もちろん劇伴を担当するのは久石譲。宮崎駿作品とは切っても切れない関係にある音楽家です。

本作の舞台となるコリコは、二度の大戦で戦火に見舞われることのなかった架空の街という設定。スウェーデンのストックホルムやゴッドランド島のヴィスビューなどのイメージが混じり合った街の様子に、久石の牧歌的かつノスタルジックな楽曲が見事なまでにマッチしているのがわかるはずです。

 

また、主題歌を担当するのはユーミンこと荒井由実、現在の松任谷由実です。

実は、オープニングテーマの『ルージュの伝言』、エンディングテーマの『やさしさに包まれたなら』も、どちらも1970年代に発表された歌です。つまり、『魔女の宅急便』のために書き下ろされた曲というわけではありません。

しかし、旅立ちの情景や、成長後の前向きな気持ちを喚起させる歌詞を聞けば、本作のイメージとマッチしている部分が多いことに気がつくはずです。実際、これらの歌を聴いて本作を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

【解説】児童文学らしい内容が魅力の作品

【解説】児童文学らしい内容が魅力の作品(C)1989 角野栄子・二馬力・GN

物語は13歳の少女、キキが生家を離れてコリコという街に辿り着くところから始まります。魔女のしきたりに従い、魔女の子は魔女のいない街へ定住し、そこで修行を積むこととなっているのです。

ホウキに乗って空を飛んでくるキキの姿に、コリコの住人は多少驚いた様子を見せるものの、それ以上の関心を示すことはありません。このことから、物語の舞台では魔法使いの存在が当たり前のものであることがわかります。

居候先となるパン屋の女将おソノさんの協力もあって、空を飛ぶ魔法を生かして宅急便をすることを決めるキキ。コリコに住む同い年の少年トンボや、画家としての研鑽を積む女性ウルスラ、そして宅急便を通じて出会った住人との交流を経て、次第にキキはコリコの街に居場所を見つけていくという流れになっています。

 

また、彼女の相棒である黒猫のジジの存在も物語に欠かせません。ジジはキキの大切なパートナーであり、生家から彼女にくっついてきます。なお、ジジは喋ることのできる猫ではなく、キキが魔法を使ってジジと会話しているという設定です。

猫らしく気のない素振りを見せることはあるものの、基本的にキキのことを大切に想っている様子。時にぬいぐるみのまねをしたり、落ち込むキキにそれとなく声をかけたりと、彼女の良き理解者として付き添います。『魔女の宅急便』に猫のイメージを覚えるなら、それはスポンサーであるヤマト運輸と、このジジの存在があるからでしょう。

なお、原作にあったファンタジー感あふれる雰囲気は、映画では薄くなっています。どちらかといえば本作は、田舎町から出てきたキキがコリコの住人たちと触れあい、仕事を見つけ、戸惑いながらも魔法使いとしても成長していく物語。つまり、「ファンタジー風味を加えた上京物語」といった感じになっているのです。

【解説】13歳の素直かつ複雑な心の機微を秀逸に描く

【解説】13歳の素直かつ複雑な心の機微を秀逸に描く(C)1989 角野栄子・二馬力・GN

本作では、キキの13歳らしい心情の揺れが丁寧に描写されています。

冒頭でのキキは田舎町に住み、自分の家を出たことがない様子です。ここでは母親や父親に甘える姿が多いものの、家を出て自立したいという気持ちはたっぷり。これから向かう新しい街に胸をときめかせています。

しかし、コリコの街にやってきたキキは、すぐに意気消沈することになります。他人への興味が薄く感じられるコリコの街は、彼女にとってカルチャーショックだったのでしょう。それは、まさに田舎から出てきた若者に対する都会の洗礼そのものです。

そんな彼女は、ふとした出来事もあって、パン屋を営むおソノさんの家に居候することに。おソノさんとの出会いは、決してコリコが他人によそよそしいだけの街ではないことを表しています。

ここで、おソノさんと出会ったキキがとても礼儀正しく振る舞うのが印象的です。冒頭で出会った先輩魔女や宅急便のお客など、キキは年長者に対しては普段の様子を少し潜め、礼儀正しい一面を見せます。それは彼女の生来の性格というよりも、13歳という年相応の子どもが身に付けた、社会に対する処世術のように見えます。

 

一方、トンボに対するキキの感情からは、思春期特有の複雑なものが見え隠れします。コリコの街で初対面のときから馴れ馴れしく話しかけるトンボに対して、キキは嫌そうな感情を隠そうとはしません。トンボのことを不良みたいと語るなど、同世代の男の子に対する好き嫌いの感情がはっきりと出ています。

他方、トンボからパーティのお誘いがあったときには仕事が手に付かないほどに喜んでしまうなど、年相応の女の子の感情が出ているのも印象的。そして、訳あってパーティに行けなくなったキキは、トンボに対する謝罪を素直に口にして、少しずつ仲良くなっていきます。

しかし、トンボが同じ年頃の女の子と話しているのを見て、キキの感情は再び変化。しかも、その女の子が仕事の関係上、あまり良くない感情を抱いていた相手だったことがわかると、キキの心はざわつきます。その結果、一時的にトンボと距離を開けようとするなど、嫉妬とも取れるような行動に出るのです。

もちろん、こんな素直な感情を持った13歳の少女は、どことなく現実味に欠けますが、『魔女の宅急便』はフィクションだからこそ、誇張されつつも可愛らしいキャラクターを描くことに成功しているといえるのです。その意味では、等身大の少女を描こうとした『千と千尋の神隠し』とは対照的な作り方をしているように感じられます。

【考察】キキが魔法を使えなくなった理由・原因を考える

【考察】キキが魔法を使えなくなった理由・原因を考える(C)1989 角野栄子・二馬力・GN

物語の中盤以降、キキは突然魔法が使えなくなってしまいます。黒猫のジジの声が聞こえなくなり、さらには空を飛ぶこともできなくなるキキ。彼女は意気消沈しながら、宅急便の仕事を一時休止することとなります。

彼女が突然魔法を使えなくなった理由が、作中で明確に示されることはありません。ただし、素直に物語の流れから読み解くのであれば、トンボと仲良くしていた女の子に対する複雑な感情が、原因のひとつとなっているのでしょう。

本作は基本的に明るい雰囲気の話です。しかし、作中で唯一暗い場面を挙げるとするなら、それは宅急便のお客である老夫人の焼いたパイをキキが送り届ける場面です。

 

ある日、キキの噂を聞いた老婦人は、孫娘の誕生日にニシンとカボチャのパイを届けて欲しいといいます。老婦人の上品で優しい人柄に惹かれたキキは、甲斐甲斐しく彼女の世話を焼くことに。そして雨が降るのも構わず、キキはパイを孫娘のもとへ届けようとします。

この孫娘が、先に述べたトンボと仲良くしている女の子の一人です。女の子はずぶ濡れでパイを送り届けてきたキキの様子を訝しみながらも、パイを受け取ります。そしてドアを締めながら、おばあさんのパイが嫌いだと吐き捨てるのです。このことは、キキの表情を暗くさせました。

しかも、老婦人の依頼が間接的な原因となり、キキはトンボが招待してくれたパーティに参加できなくなってしまったのです。

老婦人の好意をないがしろにするような女の子の発言、そしてその女の子がトンボと仲良くしているという事実。それはキキにとって、許せないことだったのかもしれません。

ここでキキの感情が直接的に描かれることはありません。しかし、黙ってトンボに背を向け、歩いておソノさんの家まで帰っていく様子からは、キキの複雑な感情が行動として如実に表れているのがわかります。

 

ちょうど、キキが魔法を使えなくなるのはその直後です。それは、何を意味しているのでしょうか。

作中では、キキのお母さんが薬を作る魔法に失敗している様子や、キキがホウキを扱うのに難儀している様子などが出てきます。こうした様子から、魔法がそれなりにセンシティブな取り扱いを要するものであることがわかるでしょう。

先の女の子との出会いは、キキの感情を大いに揺さぶったのではないでしょうか。それこそ、魔法への集中を妨げてしまうくらいに。

それは、人間誰しもが経験する通過儀礼の一種ともいえます。これまで田舎町で両親や友人知人に囲まれて育ったキキには、すれた様子など微塵も見受けられません。また。当初は街の住人の様子に戸惑ったものの、おソノさんやトンボ、老婦人のように、出会う人たちはみなキキへ優しく接してくれます。

しかし、もちろん世の中にはいろんな感情を持つ人がいます。優しい人に対して向けられる感情が、また優しいとも限りません。それは作中に限らず、むしろ現実の世界でも当然あることです。

色々な人がいるという事実は、キキが初めて知った外の世界の暗い部分だったのでしょう。彼女が魔法を使えなくなったというのは、現実を知り、ひとつ大人として成長するために必要なことだったのかもしれません。

【考察】高山みなみの一人二役、ウルスラはキキの先輩役

【考察】高山みなみの一人二役、ウルスラはキキの先輩役(C)1989 角野栄子・二馬力・GN

おソノさん、トンボ、老婦人の他に、キキの成長になくてはならない人物。それがウルスラです。

ウルスラは原作では絵描きさんと呼ばれる19歳の少女。作中で名前が呼ばれることはなく、エンドクレジットから名前が確認できるのみです。作中では、キキが落とした宅急便をウルスラが拾ったのがきっかけとなり2人は仲良くなります。

普段のウルスラは溌剌とした性格をしています。しかし、一旦絵を描き始めると周りが見えなくなるほどに集中するといった一面も。普段は森の小屋に引きこもって絵を描き続けています。

 

物語の終盤において、ウルスラは魔法を使えなくなったキキを自分の小屋に泊めます。そこでウルスラは、キキと同じ13歳くらいの頃に画家になることを志し、ひたすら絵を描き続けてきたこと、あるとき急に絵が描けなくなってしまったことを話します。

続けてウルスラは、どこかで見たことのある絵ばかりになってしまった状況から抜け出すためにも、自分の絵を描かなくてはと思ったのだと言います。

 

一方、魔法は血で飛ぶと答えるキキに対して、ウルスラは魔法の才能も絵の才能も、神様が与えてくれたものであると語ります。そして、いま描きかけの絵はやめようと思っていたが、キキの顔を見ていると描けそうな気がしてきたのだと言うのです。

魔法にしても絵にしても才能は必要だが、それだけでは続けられない。才能を使いこなすには練習が必要であり、そして何かのきっかけが必要なのだ。そう、ウルスラは言いたかったのかもしれません。

もちろん、そのきっかけとは、誰かを通して得られるものなのでしょう。ウルスラの場合は、キキとの出会いがそれにあたります。そしてキキもまた、物語のクライマックスで誰かの危機に直面したとき、再び魔法を使えるようになるのです。

ウルスラはまさにキキが抱えた悩みをかつて経験した者であり、キキの先輩として彼女に道筋を示す役割を果たしています。そう考えると、キキとウルスラの声優が同じ高山みなみであるのは、決して偶然ではないでしょう。ウルスラはキキの少し前を歩く、未来のキキとして描かれているように感じられます。

【考察】少女の成長譚が当時ヒットしたのはなぜか

【考察】少女の成長譚が当時ヒットしたのはなぜか(C)1989 角野栄子・二馬力・GN

批判を恐れずに言えば、『魔女の宅急便』には特段ものすごく面白い展開はありません。キキ自身が困難や事件に直面することはあるものの、全体的にはまったりとした物語が続きます。

現実世界と魔法世界の対立があるわけではなく、魔法を使えることが秘密とされるわけでもなく、ましてや魔法の使用に対して一般人から迫害を受けるわけでもありません。少なくとも、「超大作」や「傑作」というコピーが付くような作品では決してないのです。

 

そんな少女の成長譚が、なぜ当時ヒットしたのでしょうか。

当時の劇場版アニメーション作品といえば、1970年代に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』がヒット。その後、1980年代に入ると『機動戦士ガンダム』の劇場版三部作や『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』などが続けてヒットしました。

しかし、これらがヒットした背景には、当時のSFブームに押された部分も多いでしょう。当時のガンダムもマクロスも、現在のようにアニメをあまり見ない一般層にまで深く浸透していたとはいえません。

これらを除くと、毎年ある程度のヒットを見込んで公開されていたアニメ映画といえば、『ドラえもん』、もしくは東映まんがまつりでしょう。つまり、1980年代までのアニメ映画とは、まだまだ子ども向けのもの、もしくは一部のオタクが賞賛するものといったイメージが強かったのかもしれません。

 

一方、『となりのトトロ』や『天空の城ラピュタ』は、商業的には必ずしもヒットしたとは言えない部分があります。ただし、両作品を通じて、宮崎駿ならびにスタジオジブリの名前が少しずつ広まってきたことは十分に考えられます。

そこへ登場したのが『魔女の宅急便』でした。『となりのトトロ』や『天空の城ラピュタ』に比べて、『魔女の宅急便』の内容は決して傑出しているわけではありません。しかし、結果として本作は、当時のアニメーション映画の記録を塗り替えてしまいました。

奇をてらわない王道的な展開で13歳の少女の成長を描く本作は、子どもが楽しめる内容である一方、大人の観賞にも十分に足るものとなっています。もちろん、そんな作品は過去にもあったはずです。しかし、スタジオジブリによってここまで高いレベルに押し上げられた作品は、過去になかったのではないでしょうか。

しかも、当時はスポンサーだったヤマト運輸がテレビCMや新聞広告で積極的なPR活動を行ったといいます。もしかすると、本作は初めてオタクや子どもだけではなく、普段アニメをあまり見ないような大人も多く楽しめた作品となったのかもしれません。

 

その後、スタジオジブリ作品は『紅の豚』や『平成狸合戦ぽんぽこ』などヒット作を生み出し続け、1997年の『もののけ姫』で現在の知名度を不動のものとしていきます。

そんなスタジオジブリが初めて広い層のファンを獲得したといえる『魔女の宅急便』。特別な予備知識は何も必要ありません。空を飛ぶ少女が紡ぐ少しだけ不思議なファンタジーをぜひ楽しんでみてください。

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