映画『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』は富野喜幸監督によるアニメ映画です。ロングヒットのポイントとなる諸要素が出る、欠かせない一本です。
今回はそんな『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』の個人的な感想やネタバレ解説、考察を書いていきます!
目次
映画「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」を観て学んだ事・感じた事
・キャラの変化の過程描写が卓越している
・何度観たってラルの漢気にはしびれる!
・作画はどうしようもなく古臭いが、第一部よりは安定している
映画「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」の作品情報
公開日 | 1981年7月11日 |
監督 | 富野喜幸(現: 富野由悠季) |
脚本 | 星山博之ほか |
出演者 | 古谷徹(アムロ・レイ) 池田秀一(シャア・アズナブル) 鈴置洋孝(ブライト・ノア) 鵜飼るみ子(フラウ・ボゥ) |
映画「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」のあらすじ・内容
アムロたちの乗る揚陸艦ホワイトベースは、シャアの攻撃によって地球上のジオン勢力圏である北米に降下させられました。
シャアの狂言回しもあってザビ家の末子ガルマ大佐の部隊を退けることには成功しつつも、ホワイトベースはジオン軍から度重なる襲撃を受けます。
連戦による心的ストレスからか、ホワイトベース艦長のブライトはアムロをパイロットから解任させるという暴挙に出てしまい、ショックを受けたアムロはガンダムを奪って単身で脱走します。
しかし敵の勢力圏で逃げ切れるはずもなく、アムロは訪れた町でジオン軍大尉ランバ・ラルに目を付けられてしまい……。
映画「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」のネタバレ感想
群像劇らしくなっていく二部
『砂の十字架編』に比べると、『哀・戦士編』はアムロ以外のキャラクター描写が増えていきます。父母との関係が不足していたアムロの人間関係は序盤である程度安定し、多対多の戦争らしい厚みが増します。セイラやカイといったホワイトベースの若者に加え、連邦側・ジオン側両方の大人の軍人たちも幅広く描かれていきます。単なるロボットものを超え、さらに大きな物語らしさが出てきます。
舞台も地球に移り、地上用・水中用のモビルスーツ・モビルアーマーが登場します。玩具的な事情を感じさせるものでもあり、実際にガンプラ(ガンダムシリーズのプラモデル)などで人気に相乗効果をもたらしたものでもあります。そういった意味では、『哀・戦士編』シリーズのロングヒットにつながる諸要素を決定づけたパートと言えるかもしれません。
有能な艦長、ブライトの若き悩み
今日「哀・戦士編」見て感じたのは、アムロとブライトの関係が
口うるさい上に殴ってくる艦長vs生意気で自己中なパイロット
から
オールドタイプとニュータイプだけど分かり合ってる
に変わっていくところにガンダムの歴史を感じました。#機動戦士ガンダム#逆襲のシャア#ガンダムUC pic.twitter.com/AD5dNaXD6A
— moric [モリッチ] @next 7/10(水)天皇杯2回戦 アルテリーヴォ和歌山 (@moric08) April 18, 2018
序盤では、ジオンのランバ・ラルにアムロたちが総合的に苦戦を強いられます。モビルスーツの性能だけであればガンダムが圧倒的ながら、戦闘員数と実地経験で劣ることもあって戦果を上げられません。それはアムロの戦いぶりを見ていても明らかですが、他のホワイトベース乗組員にとってもストレスとなっていることは明らかです。
そして最も強くストレスを感じているのは、パイロットたちよりも、案外艦長のブライト・ノアかもしれません。正規の艦長が『砂の十字架編』の序盤で亡くなったため、突如として少年たちの命を預かることとなった人物です。彼のプレッシャーは、直接的な描写こそさほど多くはないながら、多大なものでしょう。それゆえか、「アムロはニュータイプと呼ばれる革新的存在かもしれない」という仮説が立ったこともあって、序盤に彼はアムロをガンダムから降ろしてしまいます。
『砂の十字架編』での「親父にもぶたれたことないのに!」のくだりでは逆に無理矢理アムロをガンダムに乗せていますから、手のひら返しを通り越してただの横暴としか言いようがありません。アムロはこの地点ですでにかなりの戦果を上げているのでなおさらです。業績が悪いからクビとは決して言えません。休養を取らせるため他のパイロットとの交代制にすると言うならともかく、解任は自殺行為としか思えません。アムロの方もショックを受けて、船から脱走してしまいます。ロクなことになっていませんね。
また、劇場三部作ではカットされていますが、TV版ではクルーたちと多数決をとって作戦を決めるという決断力のなさを見せたり、パイロットの一人であるリュウのある行動にショックを受けて寝込んだりもしています。続編でも度々艦長を務める有能な人材とは思えないような体たらくと言えます。
このようにリーダーとしてはひどい有様ですが、しかし同情の余地も多分にあります。ストレスの件もそうですが、何より彼は設定上まだ19歳なんです。明らかに老け顔で、かつ劇中で年齢を明かす場面がないためにいい大人であるような気がしてしまいますが、実際には成人でさえありません。デザインと声質は30代に思われてもおかしくないほどですが、この年齢であれば自分をコントロールできても仕方なさそうです。むしろ十代のうちにこれだけの責任を失敗を背負ったからこそ、卓越したリーダーとして成熟していけたとも言えますね。
ガンダム屈指のいい人、ランバ・ラル
7/11『機動戦士ガンダムII 哀戦士編』公開記念日!!!#今日は何の日 #機動戦士ガンダムII哀戦士編 #機動戦士ガンダム #哀戦士 #安彦良和 #大河原邦男 pic.twitter.com/MK9ckgwupE
— フーゴ891418 (@de9b3e353b854e7) July 11, 2018
脱走したアムロが遭遇したのは、『砂の十字架編』のラストでアムロと対峙したラルでした。常識的に考えれば絶体絶命のピンチですが、このときラルが見せた漢気が、アムロを男として成長させることになります。
二人が出会ったとき、お互いが「白いモビルスーツ(ガンダム)と青いモビルスーツ(グフ)のパイロット」だという認識はありませんでした。戦場では互いにモビルスーツとして正面から戦ったものの、その表面から相手のパイロットを見ることなどできません。二人が互いにモビルスーツ乗りであることを認識するのは、この後のことになります。
脱走したアムロは軍服を着ていなかったため、ラルはアムロを連邦の兵士だとは知りませんでした。そしてちょっとした会話から彼を気に入るのですが、そこに軍服を着たフラウが現れ、ジオン兵に捕らわれてしまいます。これによりラルはアムロを敵だと知りますが、それでもなお「いい目をしているな、少年。それに度胸もある」と言い、さらには「頑張れよ」と加えて二人を解放します。子ども相手だからといって、なかなかできることではありません。
それでいて部下に後をつけさせ、ホワイトベースの位置を特定するあたり、ただのいい男ではない抜け目のなさを見せます。器の大きさと賢さを同時に見せる様子は、何度見ても惚れ惚れしますね!アムロも「あの人に勝ちたい」などと言っていることから、敵ながら尊敬している節があります。そしてまたラルと戦った後は、精神的にもかなり落ち着きを見せます。いい男に影響されて、大人の階段を一つ上ったのでしょう(それでも時折直情的になったり、とっぽい部分を見せることはありますが)。
ちなみにブライトは19歳ですが、ラルは35歳です。体型にしてもヒゲにしても、50代と言われたってしょうがない風貌ですが……!しかも本作(一年戦争)の数年前を描いた『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』でも、大差ない見た目をしていたりします。若いのに貫禄があると言えば聞こえはいいですが、なんだかちょっと可哀そうにもなってきます。
以下から『哀・戦士編』のネタバレを含みます!
【解説】ジオンにとっての資源とは?
『哀・戦士編』の中では、何度か「資源」のワードが思わせぶりに登場します。ラルがアムロやセイラたちに見せつけるように自決した後、連邦主力部隊はジオンのマ・クベ指令が管轄する特殊鉱物資源基地への侵攻(オデッサ作戦)を開始します。
その際には「地球連邦軍が戦勝を得れば、宇宙での戦いにおいても長期戦を回避することができる」とのナレーションが流れます。アムロらが黒い三連星と戦っている間にジオン軍は後退し、ハモンを下したころにはマ・クベ隊は宇宙に撤退します。その際にも、マは「我々がキシリア閣下にお送りした資源の量で、ジオンはあと十年は戦える」との捨て台詞を残しています。
また終盤には、「ソロモンが落ちれば、国力の無いジオンは必ず和平交渉を持ち掛けてくる」との発言もあります。これだけでも「ジオンには資源がない」ということがなんとなく感じられますが、詳しくはどういうことなのでしょうか?
まず単純に、「地球外に人間が暮らすのに必要な物質が存在しているかどうか?」「存在していたとして、効率よく発見・採掘して運搬することができるか?」という問題があります。21世紀の現在では、火星に水が存在しているかどうかだけでも大騒ぎしていますよね。まして兵器作製に必要な鉄や、精密機械に必要な金ともなれば、少なくとも私たちの目が黒いうちに採掘ができるとは考えられません。『ガンダム』シリーズの中では、月面上にルナチタニウムという金属があるとされてはいますが、非常に希少であることにもなっています。資源を安定して供給できるのはやはり地球、ということになるでしょう。
そして、地球の大部分を占領しているのは名前通り地球連邦側です。『砂の十字架編』より前の地点でオデッサのような採掘場を制圧していたとはいえ、宇宙に本陣を敷くジオンにはやはり採掘上の不利が大きいんですね。
この構図は、ちょうど第二次世界大戦期の英仏側と独伊側のバランスに共通するものがあります。英仏は広大な植民地を所持していたため資源・人民ともに豊富で、第一次世界大戦の事情からドイツ(当時はヴァイマル共和国ないしナチス・ドイツですが)を抑圧していました。逆にドイツは植民地を持たない一方で、戦車・戦闘機を用いた効果的な戦い方を実戦に活かしていました。これにより、第二次大戦初期には北欧とフランスを瞬く間に下しています。戦闘機の戦術=モビルスーツの運用と捉えれば、まさにドイツがジオンと言えますね。
その後ナチス・ドイツがどうなったかと言えば、皆さんご存知でしょう。米ソを敵に回したことでコテンパンにやられます。パリを手に入れたところで満足するか、ロンドンを落とし損ねたところで落ち着けばいいものを、調子に乗って戦争を継続したために逆転されてしまいます。そして逆転の要となったのも、やはり資源の差でした。その経過とジオンの行く末を照らし合わせるとどうなるか、というのも楽しみの一つですね。
ところで、ナチス・ドイツといえばヒトラーの独裁国家でしたが、ジオンはどうなのでしょうか?
国の名前はジオン・ズム・ダイクンから取っていますが、政治的にはザビ家が大きく関わっているようですし、脚本的にはシャアが一番クローズアップされています。真相は『めぐりあい宇宙編』で明らかとなります。
【ネタバレ】前作の謎はほぼ繰り越し
1981年7月11日『機動戦士ガンダムⅡ哀・戦士編』公開!
兄ちゃんが このポスターを嬉れっしそーに部屋に貼ってたの覚えてるw pic.twitter.com/GSW8bAZUzd
— 時星リウス (@TokiBosi20) July 10, 2017
『砂の十字架編』では物語の根幹に関わる大きな謎が複数提示され、解決されないまま終わります。それらのいくつかが『哀・戦士編』で解決する……ということはなく、すべて『めぐりあい宇宙編』に引き継がれることになります。減るどころかむしろ、「なぜラルはセイラのことを知っていたのか?」「ミライの親は何者なのか?」といった新たな謎が浮上するくらいです。
なぜ謎が減らないのかと言えば、そのほとんどがシャアに関わることであり、肝心のシャアが本作の終盤まで出てこないからと言えるでしょう。これには理由があります。今でこそシャアは敵役として不動の地位を獲得していますが、実はTV版放映当時は関係各社から「雰囲気が暗すぎる」と言われて一時的に出番を減らされたんです。そのため劇中でも、「ガルマを見殺しにした」という理由にかこつけて左遷されたことになっています。
しかし、いざ出演を減らしてみると今度は視聴者の側から「もっとシャアを出せ」という苦情が届けられたとか。ジャブローでのシャア復活は、視聴者人気に支えられたものだったのですね。よくよく考えるとジャブロー襲撃をするのがシャアである必要はまったくないあたり、製作側の事情が伺えそうです。もちろん『めぐりあい宇宙編』でもシャアはしっかり出られるようになっているため、先述の謎はしっかり解決します。
余談ですが、復活にあたってシャアは少佐から大佐に出世しています。一応キシリア・ザビの独断ということになっていますが、不祥事を起こした割には不思議な待遇です。これは物語的な整合性よりも、音声として「しゃあしょうさ」が言いにくいことが原因だとか。言われてみると、確かに噛みます。
【考察】ニュータイプとはなんなのか
第二部に入るとかなり「ニュータイプ」の概念が横行するようになり、同時にアムロがそれであるという描写が濃くなっていきます。黒い三連星との戦闘あたりから特徴的な効果音が使われるようになり、演出的にも「なんかよくわかんないけど格が違う」と思わされるようになっていきます。
それにしてもこのニュータイプとは一体何なのでしょうか?単なる正義の味方や、スーパーヒーローといったものとは意味合いが違うのは明らかです。「ジェダイの騎士」のような、立場を兼ねたものでもありません。元々はジオン・ズム・ダイクンが提唱したものなのに、地球連邦側のアムロがニュータイプになっていくのも、妙な話と言えそうです。
実のところ、ニュータイプの何たるかは『機動戦士ガンダム』の中だけではよくわかりません。一部のキャラクターの異常性を説明するのに都合が良い言葉なのは間違いありませんが、厳密な定義はされないまま終わります。なんとなく皆が感じているだけで、本当は誰も知らないんですね。
そんな極度の曖昧さを持っているにも関わらず、登場人物たちがニュータイプを語ることには特に不自然さを感じません。なぜでしょうか?その答えは、厭戦感にあると考えられます。人類の半分が死ぬほどの戦いにとにかく嫌気が差し、「誰でもいいからこの戦いを終わらせてくれ」と多くの人が願い、それを実現するような救世主を待った……とすると、筋が通るように思えます。本作の導入部でも、「人々の願望」という説明がなされていますからね。
面白いのは、『機動戦士ガンダム』の続編ではどんどんニュータイプという言葉が独り歩きしていって、意味合いが変化していくことです。『Ζガンダム』『ΖΖガンダム』『逆襲のシャア』といった、『ガンダム』からわりとすぐ後の時代を描いた作品では、エスパーっぽさが強まっていきます。気合や機械の性能では説明がつかないような描写も散見されるようになります。その一方、『ガンダム』から作中で70年余りの時間が過ぎた『Vガンダム』では「パイロット適性のある人」としか言われなくなったりします。
「じゃあ結局空虚な概念なのか?」という疑問に一定の答えを示したのは、これらの作品とは監督が違う作品(『ガンダムX』『ガンダムUC』など)というのがなんとも不思議なような、脱構築的なような……。要するにこれといった答えはなく、一人一人が好きなように解釈すればよいのでしょう。
【評価】「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」は様々な要素をブレンドした良作
『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』は、元となったTV版放映時の商業的諸問題とその打開を反映した一本です。
普通に観ても活劇・成長・戦争といったポイントを押さえているために十分楽しめますが、当初は斬新すぎる作風のために苦労していたという裏話を知ると一層面白くなります。
相変わらず作画の古臭さだけは大きな問題となっていますが、そこだけ我慢しつつ日本の一大コンテンツとして観てもらいたい映画です。
(Written by 石田ライガ)