名作SFアニメとして人気の高い「PSYCHO-PASS(サイコパス)」。SFといえばアニメよりも映画が多く、日本にはこういった作品はあまり多くありません。
PSYCHO-PASSのアニメはノイタミナ枠で2012年に放送されると、瞬く間に人気作品となり、そこから第2期、劇場版シリーズ展開され、2019年には映画三部作が公開されています。
今回は映画PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.3「恩讐の彼方に__」のネタバレ感想や解説、考察を書いていきます。
復讐を果たし、放浪の旅を続ける狡噛がたどり着いた先にあったものが何なのか。この映画を見ると、「平和」とは何かを改めて考えさせられます。
目次
映画「サイコパス Sinners of the System Case.3 恩讐の彼方に」を観て学んだこと・感じたこと
・正義とは。秩序とはなにか改めて考えさせられた
・規制に縛られず、信念に従う主人公
・現在→過去→未来へ。三部作の完結にふさわしい内容だった
映画『サイコパス Sinners of the System Case.3 恩讐の彼方に』の作品情報
公開日 | 2019年 |
監督 | 塩谷直義 |
脚本 | 深見真 |
キャラクター原案 | 天野明 |
出演者 | 狡噛慎也(関智一) テンジン・ワンチュク(諸星すみれ) 花城フレデリカ(本田貴子) キンレイ・ドルジ(志村知幸) ギレルモ・ガルシア(磯部勉) |
映画『サイコパス Sinners of the System Case.3 恩讐の彼方に』のあらすじ・内容
旅する中でチベットに来た狡噛は、途中テンジンという少女を武装ゲリラから救い出します。テンジンは幼少期に両親を殺され、その親の仇に復讐をすると心に誓っていました。狡噛はテンジンにかつての自分を重ねます。
狡噛は復讐を誓うテンジンに何を想うのか。そしてテンジンは復讐を果たすことができるのかが描かれます。
そして今回の話は、PSYCHO-PASSの劇場版の後日談。アニメ第1期で主人公の狡噛が復讐を成し遂げた先、そしてアニメPSYCHO-PASSの第3期につながってくる物語です。
狡噛慎也という男をあらゆる角度から観れる、PSYCHO-PASSファンには必見の作品になっています。
映画『サイコパス Sinners of the System Case.3 恩讐の彼方に』のネタバレ感想
この映画を観ると正義や秩序、自由、平和とは何か?など色々なことを考えさせられます。
前作のSEAUuの舞台であるアジアでもそうでしたが、シュビラシステムが管理している日本以外の国は治安がすごく悪いです。シュビラシステムは完璧ではないものの、他の国の極端な惨状を見ると、シュビラシステムの凄さを思い知らされます。
しかし、そんなシュビラシステムもサイコパスの代名詞「ドミネーター」も、今回は出番がなく、今回はあくまで狡噛慎也という男の話がメインです。
狡噛はやってはいけないことと分かっていながら、自分の信念に付き従った結果、国を出ることを余儀なくされてしまいました。狡噛は法や規制どうであれ、自分の信じた道を行くかっこいいキャラクターです。
とくに印象に残っているのは、狡噛が自分の両親を殺した相手への敵討ちを誓う少女(テンジン)に言ったこのセリフ。
「俺は復讐なんて、命をかけるほどの価値はないと思ってる」
狡噛はアニメの第1期でシステムの力では殺せない槙島聖護に対して、自分の同僚の復讐を果たしました。あれだけ迷い、悩み、葛藤し最終的に復讐を成し遂げた狡噛が言うこのセリフは重みがあります。
では、狡噛は復讐を果たしたことを後悔していたか?と考えてみると、おそらく違うと思います。狡噛は自分の強い信念にこれまでずっと従ってきて、そしてここにきて自分を見つめ直している。そんな印象を受けました。
狡噛は槙島聖護という男をひたすら追い続けるうちに「槙島聖護のように考えること」ができるようになりました。その思考の先読みができるから、槙島を追い詰めることができたのだと思います。
一方で、必死に追い求めるあまりに狡噛は自分の内に槙島を飼いならすようになっていました。本作でも、幻影のように槙島聖護が何度も登場し、二人が対話をするシーン印象的なシーンもあります。
そして、槙島から「君自身が悪霊なんじゃないか」と問われます。悪霊とは過去のこと。つまり、槙島は狡噛に過去に縛られていることを指摘しています。
狡噛自身も「一度人を殺したら、もう二度と殺す前の自分には戻れない。その重さは時間が経つごとに重しとなってのしかかってくる」と、柄にもなくテンジン(復讐を誓う少女)に語っています。
きっとこれまでの旅の4年間、過去の自分の罪を問い続けてきたんだと思います。そして、槙島と話す時にはとても話し慣れていたようでした。自分の罪と罰について、槙島聖護から何度も問い詰められていたのかもしれません。
この作品の最後では、狡噛がこれだけの罪に向き合っていたのにも関わらず、ガルシアという悪を銃で殺してしまいます。しかも、特に悩んだり迷う様子もありませんでした。
狡噛は徹底して自分の信念に従う人間ですが、劇中では降参したと見せかけた敵に対して情けをかけ、銃で殺されかけてしまいます。迷いもせずに中で殺してしまったり、情けをかけて自分がピンチに陥るという様子は、とても狡噛らしいと感じました。
銃で撃ち合いになっている中、敵を殺さずに背を向けてしまう甘さも、容赦無く敵を殺す狡噛も表裏一体なんです。今回の映画では「俺は俺のやりたいようにやるだけだ」と言っているカッコいい狡噛と「自分のやってきたことは本当に正しかったのか」と悩む狡噛も今作では観ることができます。
秩序が狡噛を作り無秩序がテンジンを作る
作品の中では復讐を誓うテンジンと、復讐を果たした狡噛が対照的に描かれている様に思えました。テンジンはシュビラシステムという秩序がない世界で、両親を失ってしまいました。
両親を失っているのにも関わらず、天真爛漫で性格的にも狡噛とは対照的であり、笑顔の裏にある強さもしっかりと描かれていました。
クライマックス前のセリフに「ガルシアは悪だけど、ガルシアがやろうとしていることは本物」と狡噛に伝えました。両親を殺した黒幕のガルシアのやろうとしていることは本物だから、それが終わってからにしてほしいと懇願した様子はとても印象に残ったシーンでした。
シュビラシステムが機能し、世界が管理されていればテンジンの両親が殺されることはなかったのかもしれません。そうなれば、復讐をするという動機もなくなると思います。
サイコパスが描いている矛盾はここにも表れています。シュビラシステムを機能させれば、深い闇を作り狡噛のような男を作ってしまうが、逆にシュビラシステムが無いと秩序はなくなり、テンジンのような子を生み出してしまうのです。
狡噛とテンジンはシュビラシステムの表裏一体の関係にあるんですね。
【解説】小説「恩讐の彼方に」の市九郎と狡噛、そしてテンジンの関係
テンジンの父親が残した小説が菊池寛の「恩讐の彼方に」。すべて焼け落ちてしまった中に、偶然残った小説は奇しくも復讐の物語です。
漢字の読み方がわからなかったテンジンは、本の読み方や出てくる単語の意味を狡噛に聞いていました。両親を殺されて復讐に燃えるテンジンに、復讐を悔いる男の話が両親から残されたのはきっと偶然ですが、意味のある偶然でした。
狡噛は「偶然に意味があるのだとしたら、それは運命と呼ぶのかもしれない」と言っています。そして、小説「恩讐の彼方に」の内容はこうです。
大正から昭和初期に小説家・劇作家として、また「文藝春秋」を創刊し雑誌発行人としても活躍した菊池寛の作品。主君殺しの大罪を犯した市九郎は逃亡し、やがて出家して諸国を放浪していた。一方、殺された主君の子である実之助は長い仇討の旅の末、市九郎を洞窟で発見するのだが。
自分の主君を殺したあと逃亡し、放浪していた市九郎はどこか狡噛に似ていますね。主人を殺し、その後も盗賊のようなことをしていた市九郎を狡噛は「ろくでなしだな」と言っていたことも印象的でした。どこかで自分のこともそう思っているのがわかります。
そして小説「恩讐の彼方に」では、市九郎の元主君の息子である実之助が仇打ちに現れますが、実之助は市九郎が罪滅ぼしとして作っていたトンネルの完成まで待つことにします。ここが、今回の映画と一番重なる点なのかもしれません。
ガルシアは悪だが、その停戦協定は本物。ガルシアを殺すのはその後にしてほしいと、テンジンは狡噛にそうお願いしていました。ですが小説のほうでは、実之助は市九郎を殺せませんでした。トンネルを作ることに必死になる市九郎を見て、すでに仇打ちの心を捨てていたんです。
実之助とテンジンは似ています。テンジンも結局親の仇に銃の引き金を引けず、逆にガルシアに殺されかけてしまいました。決定的に違うのは、おそらくガルシアと市九郎。そしてガルシアと狡噛でしょうか。
自分の罪を自覚して人のために仕事をしようとする市九郎と、そうじゃないガルシアでは決定的に違います。同じように、自分の罪とひたすら向き合って生きてきた狡噛と、ガルシアも決定的に違ったのかもしれません。
ただ、切っても切れない関係性を感じる三者は合わせ鏡の様でした。映画を見ていると、相手を通してそれぞれが自分と向き合っているように感じました。
【解説】逃げていた過去に決着、狡噛の決意
「悪霊は過去からやってくるものだ」狡噛の中に住む槙島は、狡噛にそう言っていました。さらに、「本当は悪霊は君自身なんじゃないか」とも言ってました。
槙島と狡噛はお互い宿敵であると同時に、お互いのことをとても理解していますよね。ここでも、槙島は狡噛がずっと過去に縛られていることを見透かしていました。
それに対して狡噛は「違う」と一言放ち、吸っていたタバコを折ります。過去と向き合い続けていた狡噛は、どこかで自分が逃げているということにも向き合っていたんだと思います。それでも狡噛はきっと後悔はしていません。
「正解」や「不正解」で割り切れるようなことではないから、常にブレない自分の信念に従う人なんだなというのが、この場面にも現れていました。
そしてガルシアとの戦いが終わった後に、日本へ帰る決断をします。ここがとても意外でしたが、本当の意味で過去との決着をつける覚悟が今回の一件で決まったのだと思います。
日本へ帰れば、待っているのはシュビラシステムの管理。かつての自分の同僚と向き合うことになります。狡噛は「あいつらはきっともう俺のことなんか忘れてる」と言っていました。
フレデリカも言っていましたが、狡噛はもう自分のことを忘れていて欲しかったんだと思います。悪く言えば、そうやって過去から逃げていたのかもしれません。
ちなみにこのフレデリカですが、今回の劇場版三部作の第二部にも登場していました。アニメ第3期でも活躍が期待できそうです。
狡噛はガルシアとの戦いの中で、ガルシアに「お前の生き方は他人の命を背負ったことがないやつの生き方だ」と言われ、狡噛は「ああ、そうだよ」と返します。このやりとりだけで、この映画の重要な部分のほとんどが詰まっているような気がします。
目的のためなら手段を選ばないガルシア。それでも最終的な目的は世界平和につながっていました。それに対して狡噛は良くも悪くも目の前のことしか見ていません。しかし、目の前の人を大切にすることが狡噛の信念なのでしょう。
【考察】黒幕のガルシアはシュビラシステムだった?
個人的に気にかかっていたことがくつかあります。なぜガルシアはマッチポンプで停戦協定を結ばせたのか、狡噛はガルシアを殺した理由、日本へ帰る決断の部分がどうしても腑に落ちませんでした。
このことを考える中で一つの仮説にたどり着きました。それは、ガルシアがシュビラシステムだということです。シュビラシステムには知られざる大きな秘密があり、大犯罪者の脳を保存して、管理システムの一員にしています。
それを知った槙島は「こんなシステム。君たちが命をかける価値はない」と言っていました。
さらに、シュビラシステムは、そのシステムとして機能する脳を移植することによってシステム自体を人に搭載することができます。これはサイコパスを見たことがある人であれば知ってると思いますが、今までの映画でも散々出てきましたよね。それが今回の映画では出てきませんでした。
理由は狡噛はまだこの真実を知らないからです。しかし、ガルシアの「戦争を起こしてでも停戦協定を結ばれせる」という手法は「善の目的のためならいかなる悪の手段でも厭わない」というシュビラのそれと似ています。
狡噛はもしかすると、このこと(シュビラの裏の真実)を感覚的に気づいてたのかもしれません。あるいは今回の件で気付いたのかもしれません。もしこの仮説が本当なら、狡噛が日本へ帰る決断をしたのにも納得がいきます。
秩序が狡噛を作り、無秩序がテンジンを作ったと思っていたのに、狡噛とテンジンの復讐の根源の両方がシュビラシステムとなれば、向かうべきは日本という一連の流れも納得がいきます。
サイコパスはアニメ版の第3期が放送予定(2019年3月現在)なので繋がってくるかもしれません。
3作目「サイコパス Sinners of the System Case.3 恩讐の彼方に」はとにかく狡噛慎也を描く
今作は一見すると地味です。過激な戦闘シーンもそれほどなく、狡噛の物静かな雰囲気が全体を包んでいるような映画でした。シュビラシステムもドミネーターも出てこないので、それを期待していたサイコパスファンには、少し物足りなく感じるかもしれません。
しかし、これほど狡噛慎也という男の芯に迫った映画もありませんでした。映画の中で狡噛が手料理を作るシーンなど、意外な一面も見ることができましたし、以前よりもかなりマッチョな体格になっていて、この映画からは厳しい環境下暮らしている狡噛の様子が少し覗けます。
今作は、狡噛慎也というキャラクターの要素をこれでもかと詰め込まれた作品になっているので、ファンにはたまらない映画でした!