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映画『ゲド戦記』ネタバレ感想・解説・考察!原作の改変による説得力不足で結果的には失敗…

【解説】国内だけでなく海外でも低評価を下され、初監督は失敗に終わる

映画『ゲド戦記』は、2006年に公開されたスタジオジブリのアニメ映画です。

ジブリ作品の中では異色な点の多いこの作品は、全米で人気を博すファンタジー古典『ゲド戦記』を原作とし、さらに監督を宮崎駿ではなくその息子・宮崎吾郎が務めるなど、公開前から注目される要素が多数存在しました。

ただし、結論から言ってしまえば本作がそれほど高評価を獲得できなかったという事実は、皆さんもすでにご存じかもしれません。

今回はそんな『ゲド戦記』の個人的な感想や考察を書いていきます!なお、ネタバレには注意してください。

目次

映画『ゲド戦記』を観て学んだこと・感じたこと

・終始暗いのはいいが、盛り上がるポイントがわからない
・原作を大幅に圧縮・改変した影響で、あらゆる点の整合性や説得力が不足
・絵や音楽の出来は良かった

映画『ゲド戦記』の作品情報

公開日2006年7月29日
監督宮崎吾郎
脚本宮崎吾郎
丹羽圭子
出演者アレン(岡田准一)
テルー(手嶌葵)
ハイタカ(菅原文太)
テナー(風吹ジュン)
クモ(田中敦子)
ウサギ(香川照之)

映画『ゲド戦記』のあらすじ・内容

映画『ゲド戦記』のあらすじ・内容

世界が混迷を極めていく時代。ある国の王子として生まれた少年・アレンは心を闇に支配されてしまい、父を殺害するという行動に出てしまいました。

当然ながらお尋ね者となったアレンは、国を出奔し逃亡生活を送ります。

逃避行のさなか、命の危機に瀕したアレン。しかし、そんな彼を「賢者」と呼ばれる男・ハイタカが救いました。彼は、アレンに対して「世界の均衡が崩れている」と告げ、その原因となっているものの正体を探るべく旅へ出ます。

旅の途中、アレンはハイタカの友人で顔に火傷の跡をもつ少女・テルーと出会い、二人はしだいに打ち解けていくように。

しかしながら、世界の均衡を乱しているハイタカの敵・クモによってアレンが操られると、テルーは彼らを救うべく行動を開始するのです。

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映画『ゲド戦記』のネタバレ感想

【解説】監督は宮崎駿の息子・宮崎吾郎だが、制作を巡って親子で対立した

【解説】監督は宮崎駿の息子・宮崎吾郎だが、制作を巡って親子で対立した

まず、本作最大の特徴として挙げられるのが、ジブリの監督として大ヒット作を生み出し続けてきた宮崎駿の息子・宮崎吾郎が初めて監督としてメガホンをとっていることです。詳しくは後述しますが、原作『ゲド戦記』の大ファンであった宮崎駿は、当時「ハウルの動く城」の制作に没頭していたこともあり、監督を務めることができませんでした。そのため、彼は一度この話を断っています。

ところが、せっかく大人気小説の『ゲド戦記』を映画化できるという好機を、みすみす逃したくないと考えている人物がいました。彼こそ、宮崎駿およびスタジオジブリを長年支えてきた名プロデューサーの鈴木敏夫その人で、なんとかこの作品を映画化にこぎつけるべくアイデアをめぐらせます。

 

結果、彼は宮崎吾郎を監督として起用するという構想を抱くようになり、それは実行に移されました。しかし、当時の宮崎吾郎は建築関係の仕事に携わる人物であり、ジブリ美術館の館長としてジブリに関与こそしているものの、アニメに関しては門外漢の人物でした。当然ジブリのスタッフたちはこぞって就任に反対したと言われますが、いざ彼に絵をかかせてみると、まさしく宮崎駿の息子であることを実力で証明し、信頼を勝ち得たと言われています。

ところが、父の駿だけは彼の監督就任に最後まで反対しました。無理やり監督の座から降ろすことはありませんでしたが、作品の完成後も彼の態度は変わりません。彼は本作の試写会に参加しないと明言するほど最後まで監督であることを認めませんでしたが、いざ試写会を迎えると一転して会場に現れます。しかし、鈴木敏夫が予言していた通り途中退出してしまうと、「大人になっていない」と本作の出来および吾郎の手腕を切り捨ててしまいました。

【解説】原作は小説の3巻部分を少し用い、『シュナの旅』という作品も混ぜた独自解釈の映画

【解説】原作は小説の3巻部分を少し用い、『シュナの旅』という作品も混ぜた独自解釈の映画

上述したように、本作はル・グウィンのファンタジー古典『ゲド戦記』を原作としており、映画のタイトルも同名のものとなっています。しかしながら、この小説は外伝を含めて全6巻からなる長編作品であり、そのすべてを2時間程度の尺で映像化することは不可能でした。

そこで、吾郎は挑戦的な決断を下します。彼は原作の3巻部分を中心にストーリーを構成することに決め、そのうえで3巻の内容にも大幅な変化を加えました。原作との相違点は非常に多いためすべてを書きだすのは困難なのですが、大きな違いとしてはアレンが序盤で父を殺すというシーンが挙げられるでしょう。

この一場面、そもそも原作でアレンは父を殺害していないため、吾郎監督の完全オリジナルストーリーとなるわけです。彼が父を殺したということは映画内で重要な意味をもちますから、もはや根本から原作とは異なる作品であるといってしまってもいいように思われます。

 

さらに、本作の制作にあたっては『ゲド戦記』だけでなく、父がかつて出版した物語『シュナの旅』という作品を意識したオマージュ要素も含まれているのです。特に、本作のプロット面は明らかに同作の影響を受けており、以上の点から本作は『ゲド戦記』+『シュナの旅』+吾郎独自のオリジナルストーリー、という三つの要素から成り立っているといえるでしょう。

もっとも、正直に言ってしまえば本作のストーリーは後述するように極めて出来が悪いと言わざるを得ず、その一因となってしまっているのが多数の要素をごちゃまぜにしたことによる「まとまりのなさ」であることも否めません。初監督作にしては、欲張りすぎたのかもしれませんね。

【解説】国内だけでなく海外でも低評価を下され、初監督は失敗に終わる

【解説】国内だけでなく海外でも低評価を下され、初監督は失敗に終わる

先述するように父との確執を乗り越えて公開された本作ですが、商業面はジブリの名前で成功と言えるような興行成績を残したものの、評価面ではかなり酷評されてしまいました。まず、2021年1月現在で映画レビューサイト「Filmarks」では5点中3.0点、同じく「Yahoo!映画」では5点中2.3点と、一般ファンからもかなり低い評価を下されてしまっています。

では、専門家による評論はどうだったのでしょうか。結論から言ってしまえば、国内に存在する大半の映画評論誌にて、かなりの酷評を食らっています。さらに、再放送が行われた際の視聴率も振るわず、国内においては完全なる「失敗作」という烙印を押されたと考えてもよいでしょう。

加えて、原作者を中心に海外からの批評も厳しいものになりました。ル・グウィンが本作の出来を低く評価すると、ヴェネツィア国際映画祭でも現地で「最低」クラスの評価を下されたと言われており、本作のみならずスタジオジブリ全体の評判を傷つける結果に終わってしまいました。

以上のように、本作は「国内外、鑑賞者の種別を問わず低評価を下されがちな作品」と言い切ってしまっていいかもしれません。実際、私自身の感想も後々で触れていきますが、「見どころはゼロではない。ただし…」と肯定的に評価するのが関の山といった感じで、やはり作品としての評価は低いものになっています。

【感想】絵や音楽などのクオリティは高く、作品の雰囲気は良かった

【感想】絵や音楽などのクオリティは高く、作品の雰囲気は良かった

さて、先ほど「本作は低評価になる」と言いましたが、良かった点がなかったというわけではありません。宮崎吾郎が監督に選ばれるにあたって「画力」が評価されたということもあり、全体的な絵は宮崎駿作品と遜色ない出来に仕上がっていました。

雄大な情景や竜の表現は見事で、ここはやはり「さすがスタジオジブリ」というべきでしょうか。ただし、こうした素晴らしい作画面に多大な貢献をしているのが、これまでスタジオを支えてきた作画担当のスタッフたちであるというのも紛れもない事実。そのため、単純に吾郎監督の手腕とは言い切れない側面もあります。

 

また、本作は全体的な劇判のクオリティも高く、特に主題歌であるテルーの唄はかなり印象に残りました。

歌を担当したのは当時まだ頭角を現す前であった歌手の手嶌葵で、彼女は曲名の通りテルーの声優も担当。声優としてはやはり未経験が災いしてか演技に不自然な点があることは否めませんが、歌手としては特有のウィスパーボイスで極上の唄を披露していたように思えます。

実際、彼女はこの後に歌手として大成し、現在まで数多くのタイアップソングを担当する人気女性歌手に成長しています。

以上のように、概して作品全体の雰囲気を担う部分については高いクオリティで制作がなされており、その点については間違いなく本作の長所といえるでしょう。

【感想】ストーリーは原作改編の影響が大きいのか、ハッキリ言ってつまらない…

【感想】ストーリーは原作改編の影響が大きいのか、ハッキリ言ってつまらない…

さて、前項で本作の長所を指摘しましたが、残念ながら短所はその数倍以上存在するのもこの作品の特徴です。特に、その大半は「ストーリー部分」に集中しており、正直に言って当時の吾郎監督はシナリオライターとして商業映画を撮影できるレベルになかったのでしょう。

まず、大きな問題として挙げられるのが「そもそも、作中で何が起こっていて、どう解決されたのかが全然わからない」という点です。本作は全体的にとにかく説明不足であり、我々視聴者はつねに置いてけぼりを食らわされます。そのため、大半の視聴者は面白い・面白くないを論じる以前に、いったいスクリーンの中で何が起こっているのかわからないまま物語を鑑賞し終えることになってしまうのです。この点は、大衆映画として大きな問題であるといえます。

 

次に上記の説明不足を招く要因ともなった「原作を改変し、独自要素をふんだんに盛り込んだ」という点も問題です。確かに、従来のジブリ作品は往々にして原作を大きく改変してきましたが、それでも一本筋の通ったきれいなシナリオに再編成して映画に落とし込んでいました。

ところが、本作の場合は「とりあえず色々つなげて無理矢理2時間に押し込んだ」という感じか否めず、肝心の改変ポイントについても原作の良さを殺す形にしかなっていないのが実情。

加えて、作品のメッセージを安易なセリフという形で登場人物たちに何度も口にさせるためか、内容が非常に安っぽく、説教くささのようなものを感じてしまいます。従来の作品ではセリフ以外の様々な要素を駆使して本当のメッセージを発信していただけに、この点はかなり気になりました。

他にも気になった点は数多く存在するのですが、全体的に吾郎監督の「経験不足」を感じさせるような問題点ばかりであったように思われます。いくら光るところはあっても、やはり門外漢からいきなり長編アニメーションの監督を務めるというのは、そもそも後述するように人員配置の点で重大なミスであったと言わざるを得ません。

【解説】宮崎吾郎監督は決して単なる「ドラ息子」でないことを後の作品で証明

【解説】宮崎吾郎監督は決して単なる「ドラ息子」でないことを後の作品で証明

ここまでの内容から「やはり、宮崎吾郎に監督の才能はなかった」と思う方がいらっしゃっても不思議ではないでしょう。実際、本作で彼が大ゴケした後はそうした風潮も広く普及し、宮崎駿待望論が巻き起こったのも紛れもない事実です。

しかし、私はこうした風潮に極めて否定的です。それはなぜかというと、彼は『ゲド戦記』の撮影後から現在に至るまでに、アニメーション監督として十分な実績を残してきたからです。

まず、彼は2011年にジブリ映画『コクリコ坂から』で二作目の監督を務めました。1960年代の恋愛模様というノスタルジックな世界を描き出したこの作品は、ジブリ作品としては大人な雰囲気を有していたため賛否が分かれたものの、個人的には非常にいい映画だと感じました。少なくとも、本作のように万人に否定される作品ではありません。

 

続いて、彼は2014年に『山賊の娘ローニャ』というテレビアニメでふたたび監督を務め、スウェーデンの児童文学作品を3Dで再現するという難しいミッションに挑みました。こちらもやはり落ち着いた作品のため絶賛されるとまではいかなかったものの、アメリカのテレビに関する最高峰の賞・エミー賞にて子供向けアニメーション番組賞を与えられるなど、国際的な評価を高めました。

個人的に彼の描く本作以外の作品が好みということもあるのでしょうが、少なくともアニメ監督としての才能が全くないとは思えません。実際、吾郎監督はジブリで新作映画の撮影に入っていると報道されており、制作に慣れてきた彼がその才能を開花させる可能性もあると個人的には考えています。今後の続報に期待ですね。

【考察】ゲド戦記の失敗は、初監督の宮崎吾郎にすべてを任せたジブリ全体の失敗か

ここまで、『ゲド戦記』という作品に関する情報をまとめてきました。その評価を一言でまとめてしまうと失敗作であったというほかなく、残念ながらジブリの名前に大きな傷を残す結果を招いてしまいました。

この失敗は一般的に「吾郎監督の力量不足」を原因として考えられがちです。確かに、先述したように「そもそも何をやっているのかわからない」といった作品の出来以前に解決すべき点が山積している点から、そう言い切ってしまいたい気持ちも理解はできます。

しかし個人的には「そもそも、初監督で任される題材にしては調理が難しすぎる」という彼の資質以前の問題があるように感じます。実際、この『ゲド戦記』という小説は簡単に映像化できるたぐいの作品ではなく、吾郎監督が初っ端に挑戦するべき題材でないことは誰の目にも明らかです。だからこそ父親も反対したのでしょう。

つまり、本作の失敗は監督の力量不足ではなく、「そもそも監督の人選ミス」という点からスタートしているのです。そのため、強いて「この失敗は誰の責任か」と聞かれたら、私はプロデューサーの鈴木敏夫がその責を負うべきではないかと考えます。

元はといえば、彼が『ゲド戦記』映像化のチャンスに焦って吾郎監督を抜擢してしまった点に問題があり、ある意味では監督も被害者といえるかもしれません。

 

もっとも、鈴木敏夫の決断は『ゲド戦記』を映像化するという点に関して言えば大失敗に終わりましたが、スタジオジブリの未来を見据えた先行投資という意味では、必ずしも失敗とは言えません。実際、彼は吾郎監督の抜擢を「高齢化する監督陣に代わる新たな才能を発掘するため」と語っており、少々強引ながら吾郎監督をアニメ界に引き込んだことについては意義のあることだと感じられます。

ただし、個人的に懸念している点としては、吾郎監督の得意分野が父とは異なっている気がするところです。彼は大作映画よりも中・小規模のヒューマンドラマを上手に制作する監督というイメージがあり、果たしてジブリがこれまで生み出してきたような大作冒険譚を上手に料理できるのかと思わずにいられません。

(Written by とーじん)

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