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映画『機動戦士ガンダム(砂の十字架編)』ネタバレ感想・解説・考察!国民的アニメはここから入れ!

作画の難は多い

『機動戦士ガンダム 砂の十字架編』は富野由悠季監督によるアニメ映画です。言わずと知れた国民的アニメを知るのに最適な、TVシリーズの総集編です。

今回は三部作の一つ目ということで、ネタバレは控えつつガンダムを全く知らない人向けに「機動戦士ガンダム 砂の十字架編」の個人的な感想を書いていきます!

目次

映画「機動戦士ガンダム 砂の十字架編」を観て学んだ事・感じた事

・昨今のイメージに反してとても繊細に作られている
・人物描写が巧みで、歳をとってから見返しても発見がある
・作画の悪さには目をつむるしかない

映画「機動戦士ガンダム 砂の十字架編」の作品情報

公開日1981年3月14日
監督富野喜幸(現:富野由悠季)
脚本星山博之ほか
出演者古谷徹(アムロ・レイ)
池田秀一(シャア・アズナブル)
鈴置洋孝(ブライト・ノア)
鵜飼るみ子(フラウ・ボゥ)

映画「機動戦士ガンダム 砂の十字架編」のあらすじ・内容

映画「機動戦士ガンダム 砂の十字架編」のあらすじ・内容

人類が増えすぎた人口を地球外に移して半世紀以上が経った、UC(宇宙世紀)0079。地球から最も遠い宇宙コロニー(人工居住地)サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦に独立戦争を仕掛けてきます。

ジオンはザクⅡに代表される新型兵器・モビルスーツを投入し、シャア・アズナブルといった優秀なパイロットの活躍にも支えられて機先を制しました。

しかし地球連邦は降伏せず、抗戦を続けるうちに複数のコロニーが壊滅、オーストラリア大陸が消滅、さらに全人類の半分が死亡します。

開戦から八か月余りが経ったある日、連邦側の技術士官の長男であるアムロ・レイが住むサイド7にザクⅡが現れて……。

映画「機動戦士ガンダム 砂の十字架編」のネタバレ感想

「ガンダムはどれから観ればいい?」の答え


この国に住んでいて、ガンダムを知らない人はいないのではないでしょうか。白いボディと角を特徴とするガンダムは、今や国を代表するアイコンとも言えるでしょう。TVアニメ初公開から40年が経った今もなお無数の続編・外伝が製作され続けており、非公式なものも合わせると、その数は熱心なファンでも把握しきれないほどとなっています。関係各所にとってはまさにドル箱となる、世代を超えたキラー・コンテンツです。

一方で昨今の売り方ゆえに、「ガンダムといえばオジサンや男子高校生向けのロボットアニメ」といったイメージが浸透してしまっているのも事実です。1994年以後断続的にTVで放映されているシリーズは特に外連味を重視したスーパーロボットらしくなっているため、そういった世間的なイメージはもはや崩せないとさえ考えられます。ファンとしては非常に残念ですが、資本主義には逆らえません。

しかし、本来のガンダムは決してそうではありませんでした。ガンダムの見た目こそ非常にオモチャっぽいのは否定できませんが、それはアニメグッズやスポンサーといった商業的事情によるもので、物語までオモチャっぽいものとは決して言えません。むしろ過去の戦争を大いに参考とした、リアリティのあるストーリーが展開されていきます。このリアリティに魅力があったからこそ、他のロボットアニメを押しのけて三十年超の人気を獲得しているんです!一定の人気を博したロボットアニメは数あれど、(『新世紀エヴァンゲリオン』を除けば)どれもガンダムほどのロングヒットに繋がらないのは、そうした事情があります。

 

そして「本来のガンダム」を比較的短時間で味わうことができるのが、今回紹介する劇場版三部作です。元々30分のアニメ43本であるTVシリーズを、新作カットを追加して二時間余りの映画三本にまとめあげています。ここ最近の総集編アニメ映画は「TVシリーズを観なければ理解できない不完全品」になっていることも少なくありませんが、この三部作はこれだけで要所を網羅しつつ楽しめるものになっています。

TVシリーズはスケジュールが限られていた上、途中でメインのアニメーター(安彦良和)が入院するなどのトラブルもあって作画崩壊や使いまわしも多い分、三部作の方が見やすいとさえ言えます。「ガンダムを知りたければまずコレを観ろ!」と胸を張れる映画です。

なおここでは便宜上(砂の十字架編)としていますが、あくまでこれは俗称です。三部作のほかの二本には『哀・戦士編』『めぐりあい宇宙編』というエンディングテーマにあやかったサブタイトルが付いていますが、一本目である本作に正式なサブタイトルはありません。レンタルショップや配信サイトで検索をかける際には注意してください。

説得力のある戦争モノ

ガンダムを知らない人にとって、「リアリティのあるロボットアニメ」という言い回しはちゃんちゃらおかしいことかと思います。そもそもアニメである上、巨大ロボットまで出てくるとなれば、現実味は皆無とさえ言えるかもしれません。21世紀となった現在、Pepperやルンバのようなロボットを日常的に見ることも増え、遠隔操作のドローンが空を飛びまわり、自動運転が日々実験されていることを考慮すると、人が乗り込んで操るロボットというのはあまりに非効率でナンセンスにも思えるでしょう。

そこを理屈によって正当化したのが、『機動戦士ガンダム』の面白さの一つです。この世界には、ミノフスキー粒子という名前の、通信障害を生じさせレーダーを機能させなくする物質が存在していることになっています。これを一定量散布することで、半自動的な超遠隔攻撃が不可能になります。そのため今日の戦争のように、遠方からミサイルを撃ちあって戦うことは出来ず、他の兵器を用いて人が近寄る必要が出ています。

 

それでも人型にする必要はないのは確かです。ある程度近づいて戦うにしても、『スター・ウォーズ』シリーズのような戦闘機で済みそうなものです。実際『機動戦士ガンダム』でも、ある時期までは『宇宙戦艦ヤマト』のような軍艦タイプの宇宙船が主力となっていました。しかし「人型の兵器である方が、多彩な用途を持たせることができ、かつ縦横無尽に動ける」ということをシャア含むジオン兵が証明したことで、四肢をもったものが主流になりました。あくまで人が乗り込む兵器ということで、自立思考をもつロボットと区別して「モビルスーツ」という独自の名前をつけたのもそれらしいポイントです。

ただし、ロボット的兵器を戦争と結び付けたのは、『機動戦士ガンダム』が初めてではありません。それよりも前から、『装甲騎兵ボトムズ』などの作品で兵器として使われていました。『ガンダム』の戦争描写が優れていたのは確かですが、それだけなら三十年を超える大ヒットに繋がらなかったのも間違いありません。他にも評価されるポイントがありました。

成長前のアムロの描き方が秀逸


『ガンダム』シリーズの特徴として、「主人公たちが少年である」ということが挙げられます。アニメとしてはごく当たり前のことですが、戦争モノとなれば話は別です。常識的に考えれば戦争は軍人の仕事であり、本来子どもの出る幕はありません。まして戦闘機を超える兵器に乗るともなればなおさらです。しかし『機動戦士ガンダム』では数奇な運命の元に子どもたちが戦争に参加させられ、その中で大人になっていく様が描かれるのが特徴となっています。

劇中では複数の子どもが戦わされることになりますが、中心的に描かれているのはやはり主人公のアムロ・レイです。彼ははじめ、80年代の主人公とは思えないほど内向的であまり元気のない、ただの機械オタクとして描かれています。当世風に言えば陰キャですね。一般的なロボットアニメの主人公というと、元気、勇気、好奇心に溢れた健全な男子が配置されがちですが、アムロにまったくそんな様子はありません。

アムロといえば「二度もぶった!親父にもぶたれたことないのに!」のセリフが非常に有名ですが、これはまさに彼の陰キャっぷりを表しているために名言とされています。これはガンダムで戦うことを放棄したアムロが、正規の軍人であるブライト・ノアに殴られて放った一言ですが、普通の主人公ならば絶対にこんなことは言わないでしょう。

二度もぶたれる前に殴り返すか、そもそも仲間を守るために進んで戦いに参加するかになるはずです。しかしアムロは一切手を出しませんし、その後「もうやらないからな!誰が二度とガンダムなんか乗ってやるもんかよ」と不貞腐れます。根性なしですが、だからこそどこにでもいる少年らしさが出ているとも言えます。

 

アムロのみならず、他のキャラクターのセリフ回しも味わい深いものがあります。ただのアニメとして観ると、揚陸艦・ホワイトベースに乗らされたアムロを含む子供たちに注目しがちですが、あえてそれ以外の大人の言葉にも気を払いたいところです。人類の半数が死んだ恐ろしい戦争の中、非人道的だと知りながらも冷徹にアムロたちを戦争に送り込む軍人たちの心の内が、短いセリフに詰まっています。

あるいは、職業軍人はまだ同情の余地があるとさえ言えるかもしれません。戦いに勝つことが仕事であり、全体のためであることを知っているので、残酷な決断をする必要もあると言えるでしょう。しかしアムロの場合、両親からも理解を得られない様が描かれます。序盤には父親(テム・レイ)にまったく構ってもらえない場面がありますし、「親父にもぶたれたことないのに」という言葉には暗に父親とロクに関わったためしがないという意味もこめられています。

また、第一部の後半では母親(カマリア・レイ)と再会することになるのですが、この時の彼女の言動も残酷そのものです。戦争をベースに親子間の軋轢も描いています。

心の底では「何かがオカシイ」と感じていながらも、戦争と言う大義名分を掲げて止めない軍人たち。そんな大人に担ぎ上げられ、戦場で成長していく子どもたち。自分の思い通りに育たない子どもに絶望する親……。こういった人間模様の繊細さも、『ガンダム』の魅力なのです。

名言しか言わない男、シャア


『機動戦士ガンダム』の魅力をさらに高めているのが、有名な赤い彗星のシャアです。常にどこか切羽詰まっていて余裕のない地球連邦の軍人たちに対し、泰然自若としつつモビルスーツパイロットとしての腕にも優れたシャアは、謎に満ちた底知れない悪役として視聴者を圧倒します。あるいは視聴しなくても、服も機体も赤まみれで、なぜか仮面をつけた金髪の美男子ということで、かなり印象に残ることでしょう。アニメ史に残る敵役と言うにふさわしい人物です。

そんな彼は本作において、第一部から第三部まで何度も登場し、そのたび特異な言いまわしで敵・味方・視聴者を翻弄して回ります。アニメ版だと必ずしもすべてが不思議な言葉遣いではないのですが、特にこの第一部では余計なセリフがカットされた分、完全に「名言しか言わない男」と化しています。

「認めたくないものだな。自分自身の、若さゆえの過ちというものを」「見せてもらおうか。連邦のモビルスーツの性能とやらを」「当たらなければどうということはない」といった有名なセリフを、素知らぬ様子で連発してきます。仮面の名言製造機、カッコ良すぎて逆に笑えてきます。

 

また、シャア含むジオン兵たちはあくまで地球連邦の敵ではあっても、必ずしも悪として描かれないのもまたリアルなところです。ジオン公国はあくまで独立が主目的であり、その意志自体は本来尊重すべきものです。

自分たちの都合で遠方の独立を阻止し、いざ戦争となったら子どもを戦争に参加させる地球連邦側が本当に正義と言えるのか?そんな問いを暗に投げかけてくるのも面白い部分です。

ネットにネタバレが溢れている!

魅力にあふれる『機動戦士ガンダム』ですが、鑑賞前後には気を付けたいことがあります。それは「安易にググってはいけない」ということです。なにぶん昔の作品で、かつ続編も大量にあるものですから、三部作全体に関わるネタバレがそこかしこに転がっています。純粋に映画に楽しむ場合、映画としての情報はもちろんのこと関連商品の情報もすべてシャットアウトすることが求められます。

ちょっとでも『スター・ウォーズ』について調べるとダース・ベイダーの正体がポロっと書かれていたり、『天空の城ラピュタ』のムスカの正体がネタにされているのと同じですね。ベイダーやムスカのように謎を持った悪役であるシャアについて純粋にワクワクするためには、三部作をすべて観るまでガンダムに一切関わらないことを強くオススメします。

作画の難は多い

作画の難は多い

ただでさえ40年前のアニメということで、ヴィジュアルのすべてが古臭いのはどうしようもありません。絵柄や塗りもそうですし、キャラクターやモビルスーツの造形もとにかく「ザ・昭和」といったところです。そこはもういかんともしがたいものがあります。

その上この『砂の十字架編』は、当時なりの修正も少なく、作画崩壊が頻発しています。元々売れるかどうか怪しまれていた作品であるだけに、TV放映版からの改善があまり無いんですね(本作にサブタイトルが無いのも、続編を公開する保証がなかったことに起因しています)。『砂の十字架編』のヒットを受けて『哀・戦士編』『めぐりあい宇宙編』は新作カットがかなり増やされ、作画崩壊もほとんど消滅する分、アラが目立つのは確かです。

それでも世界観やキャラクターの造形、脚本に関してはまだまだ色あせていないと思います。見てくれの古臭さはガマンしつつ、それ以外の部分を楽しんでもらえればと思います。

以下、砂の十字架編のネタバレを含みます!

【ネタバレ】複数の謎を残して続編へ

『砂の十字架編』はTVアニメをただ三分割にしただけなので、映画単体としてはまったくまとまらずに閉幕します。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』やら『バットマン・ビギンズ』のように、三部作のひとつめだけど一本一本が完結しているということはありません。

そのため、本作で出てきた謎はすべて『哀・戦士編』『めぐりあい宇宙編』での展開を待つこととなります。

・シャアはなぜ仮面をつけているのか
・サイド7から宇宙に放り出された父親のことを、アムロは知らないままなのか
・アムロとシャアの戦いのゆくえは
・セイラとシャアには何があったのか
・なぜシャアは友人かつ上官であるはずのガルマを間接的に殺したのか
・戦争全体はどう決着するのか

これらの謎は、続編で解決します。改めて整理するとシャアの件ばっかりですね!もちろん、そこが魅力なのですが。

【評価】国民的人気も納得の名作

『機動戦士ガンダム 砂の十字架編』は、世間的なイメージに反して人間の不完全さを的確に表現した映画です。兵器としてのモビルスーツの戦闘、未来の戦争に対するアイデアも卓越したものがありますが、40年の時を経てもなお不動の地位を獲得しているのは、40年経っても変わらないヒトの姿を巧みに織り交ぜているからこそだと言えるでしょう。

作画の古さや、「しょせんスーパーロボットもの」というパブリック・イメージは大きな問題ではあります。そこを押して、人間ドラマとしてより多くの人に観てもらいたい映画です。

(Written by 石田ライガ)

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POSTED COMMENT

  1. su より:

    >ロボット的兵器を戦争と結び付けたのは、『機動戦士ガンダム』が初めてではありません。それよりも前から、『装甲騎兵ボトムズ』などの作品で兵器として使われていました。

    ロボット的兵器を戦争と結び付けたのは、『機動戦士ガンダム』が初めてです。
    装甲騎兵ボトムズなどの作品はガンダムのヒットを受け、2匹目のドジョウを狙った作品群の一つです。
    機動戦士ガンダム・1979年
    装甲騎兵ボトムズ・1983年

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