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『劇場版 はいからさんが通る 前編』ネタバレ感想・考察!紅緒の魅力を中心に、現代の理想的な人物像を描いた痛快ラブコメディ作品!

【考察】これは大正時代のいつごろの話か

『はいからさんが通る』は、もともと『週刊少女フレンド』に連載された少女漫画です。第1回講談社漫画賞の少女部門でグランプリを受賞して一世を風靡しました。

その後も、1978年にテレビアニメ化、1987年に南野陽子主演で実写映画化され、少女漫画の名作として高い評価を受けてきました。その名作が、原作者である大和和紀の画業50周年として2017年に宝塚で舞台化、同時に劇場版アニメ化もされました。

今回は、2017年に公開された劇場版アニメの前編『劇場版 はいからさんが通る 前編 ~紅緒、花の17歳~』のネタバレ感想や解説、考察を書いていこうと思います。

「劇場版 はいからさんが通る 前編 ~紅緒、花の17歳~」を観て学んだ事・感じた事

・大正時代の世相とのリンクが実に見事
・主人公である「はいからさん」こと花村紅緒のあかるく闊達なキャラクターが良い!
・恋愛を通して、日本の価値観が近代的なものから現代的なものへと変わっていくさまが見事に描写されている

「劇場版 はいからさんが通る 前編 ~紅緒、花の17歳~」の作品情報

公開日2017年
監督古橋一浩
脚本古橋一浩
原作大和和紀
出演者花村紅緒(早見沙織)
伊集院忍(宮野真守)
青江冬星(櫻井孝宏)
鬼島森吾(中井和哉)
藤枝蘭丸(梶裕貴)
北小路環(瀬戸麻沙美)

「劇場版 はいからさんが通る 前編 ~紅緒、花の17歳~」のあらすじ・内容

「劇場版 はいからさんが通る 前編 ~紅緒、花の17歳~」のあらすじ・内容(C)大和和紀・講談社/劇場版「はいからさんが通る」製作委員会

時代は大正、女学館に通う花村紅緒は17歳で軍人の娘です。女学館での成績はかんばしくありませんが、剣道は男子有段者顔負けのつよさで木登りが得意、当時は時代の最先端だった自転車に乗って学校まで通うような、おてんばなはいからさんです。

ある日、端正な顔立ちをした日本陸軍の少尉が花村家におとずれます。少尉の名は伊集院忍。公家の家系で、三代前からの親の決めた紅緒のいいなずけでした。親の決めたいいなずけなど時代遅れ、結婚相手は自分で決めると婚約を突っぱねようとする紅緒ですが、少尉と接しているうちに、次第に心惹かれていきます。

ある時、酒の席で、紅緒が日本軍の中佐を相手に無礼を働いた事がきっかけとなり、少尉は小倉へ転属となり、ほどなくしてシベリアへと出兵していく事になります。ようやく少尉の花嫁になる事を心に決めていた紅緒でしたが、それを言いだす事が出来ないまま、伊集院家で少尉の帰りを待ちます。

しかし、戦地から少尉が戦死したという通知が届きます。少尉のいた伊集院家を守る決意をした紅緒は、女ながら働いて家を支える決心をし出版社に入ります。そんなおり、少尉かも知れない人物が満州にいるといううわさを聴き…。

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「劇場版 はいからさんが通る 前編 ~紅緒、花の17歳~」のネタバレ感想

絵柄が違う?!原作漫画やテレビアニメのファンが見ても大丈夫な仕上がりなのか

絵柄が違う?!原作漫画やテレビアニメのファンが見ても大丈夫な仕上がりなのか(C)大和和紀・講談社/劇場版「はいからさんが通る」製作委員会

1970年代に爆発的なヒットとなった大名作少女漫画『はいからさんが通る』ですが、それから50年近く経過して制作されたアニメ映画化『はいからさんが通る』を観る人は、どのような人でしょうか。

視聴者層のひとつは、過去の大ヒットとはまったく関係なしにこのアニメを観る若い世代でしょうが、もうひとつは、70年代当時の原作コミックやテレビアニメ『はいからさんが通る』を観て熱狂した世代の人ではないでしょうか。

『劇場版 はいからさんが通る』は、原作とは絵柄が明らかに違います。これを観て、原作や、原作に比較的忠実だったテレビアニメ版が好きだった私は少し躊躇しました。リメイク作品で「観なければよかった」と幻滅してしまう事は、決して珍しいことではないからです。

しかし、実際にこの映画を見た感想は、「すごく楽しかった。また、この映画ならではの良さも色々とあって、原作やテレビアニメのファンもお釣りがくるほど楽しめるのではないか」というものでした。

もちろん、見る人によって感じ方は違うでしょうが、個人的には原作やテレビアニメのファンの方でも、観るに値するだけの作品になっていたように感じます。

原作漫画、テレビアニメ、南野陽子主演の実写映画との違い

原作漫画、テレビアニメ、南野陽子主演の実写映画との違い(C)大和和紀・講談社/劇場版「はいからさんが通る」製作委員会

何度も映像化されている『はいからさんが通る』ですが、それぞれに特徴を感じます。その違いを、簡単にまとめてみます。

まずは原作コミック。1975年から77年まで少女漫画誌に連載され、単行本化されました。何度か復刻されていますが、オリジナルは全8巻で長すぎず短すぎず、ストーリーも作画も見事で、名作と呼ばれるのも納得です。最終巻は番外編なので、本編は7巻という事になり、この7巻分がすべての映像化作品の原作にあたる事になります。

この見事な原作の最初の映像化は1978年から79年まで放送されたテレビアニメで、全42話の放送となりました。このテレビアニメは一長一短があります。個人的には音楽や演出、作画、声優など、非の打ちどころのない見事なアニメ化だと思います。

ただ、非常に残念な点があって、途中で打ち切りとなったために話に結末がついていないのです。この弱点は、素晴らしさがすべて帳消しになってしまうほどに残念な点でした。

 

次に、1987年の実写映画化された『はいからさんが通る』です。これは南野陽子主演のアイドル映画でしたので、基本的には南野さんの魅力を伝えるような作りになっていました。しかし、当時のアイドル映画の中ではかなり完成度が高く、大正時代の景観の再現など、実写ならではの表現に力の入った、スタッフの努力が見事な作品でした。

物語も一部を抜粋したものではなく、なんと90分の上映時間で原作の最初から最後までが扱われていました。さすがに90分ですべてを語るのは難しかったようで、ストーリーを追うので精いっぱいと感じた事も確かでした。

 

そして、今回紹介する『劇場版 はいからさんが通る』です。キャラクターデザインの変更は、現代の流行に合わせたとか、以前の映像化との差別化を図ったなど、色々と理由があったのだと思いますが、作画変更によるメリットもありました。

違いは原作やテレビアニメの方が劇画に近くリアリティを感じたのに対し、劇場版は近年の美少女ものアニメ作品の流行に近いデフォルメーションが施されています。ここを長所と取るか短所と取るかは人それぞれでしょうが、私が感じた長所はデフォルメが激しいだけに、コミカルな表現をする時に面白い効果が出ている点です。特に、主人公である紅緒が酒乱となるシーンでそれが顕著になるのですが、それは後述します。

そしてそれ以上に良かったのは、上映時間を前後半あわせて200分超とした事で(これは実写版の倍以上の尺です)、映像化された『はいからさんが通る』では初めてストーリーが不足なく表現されたと感じた点です。テレビアニメだけを観ていた人にとっては、はじめて結末を知る事が出来るはずです。

劇場版ならでは紅緒の魅力

劇場版ならでは紅緒の魅力(C)大和和紀・講談社/劇場版「はいからさんが通る」製作委員会

さて、先ほど書きかけた事ですが、この劇場版では主人公である「はいからさん」こと紅緒のコミカルな表現が最高です。大正時代のモダンガールの花村紅緒ですが、酒乱の気があります。目が座り、顔がコミカルになり、ろれつが回らなくなり、陽気になって踊りだしてしまうのですがこの表現が爆笑ものです。

さらに、声優の早見沙織さんが声をあてているのですが、そのろれつの回らなくなる喋り方が素敵です。このコミカルさは、実際の映像を観ないとなかなか伝えきれません。

 

そして、その泥酔状態で少尉の背中に背負われて帰る道すがら、はじめて紅緒は自分の素直な気持ちを少尉に伝えるのですが、ここは映画の前後編を通して最も胸にせまる屈指の名シーンと感じました。これも、直前のコミカルなシーンとのギャップがあればこそだと感じます。

ちなみに、原作には酔った紅緒を少尉が背負うシーンはあるものの、その時に紅緒が思いを伝えるシーンはありません。この演出の素晴らしさが、以降のストーリーをより情緒的なものとしたように感じました。

価値観が近代から現代へと移っていく瞬間の表現

価値観が近代から現代へと移っていく瞬間の表現(C)大和和紀・講談社/劇場版「はいからさんが通る」製作委員会

『はいからさんが通る』は大正時代を舞台にした話です。そして、あくまで紅緒と少尉のラブロマンスを中心に見せるべく、時代思潮が前面に来てしまわないよう配慮してありましたが、やはりこの「大正時代」というところが重要であるように感じました。

近代から現代へと制度や価値観の変化が起きた時代であることが、この物語で重要な意味を持っているからです。この物語でいちばん魅力的に感じるのは、私にとっては主人公である紅緒のキャラクターですが、この「はいから」で自立した女性像自体が大正時代と切っても切り離せないものと感じるのです。

紅緒の通っている女学館で紅緒たち女学生は、女教師に「女子として恥ずかしくない教養を身につけ、良い殿方に見いだされ、かがやく日本国の母となる」と教え諭されます。これに対し、紅緒とともに「はいから」である女学生の環(たまき)が言い返します。「私たちは殿方に選ばれるのではなく、私たちが殿方を選ぶのです。」

大正時代は、日本でも世界でも女性解放運動が起きた時代ですが、このセリフは当時の女性解放運動とリンクしているものでしょう。自分の考えをしっかり持ち、自立して明るく前向きに生きる紅緒の強さは、間違いなくこの物語の大きな魅力のひとつですが、それを表現するに、女性の自立が日本で最初に起きた大正時代こそ最もふさわしい時代設定であったのではないでしょうか。

女性の自立という考えを、すべての女性がいきなり持ったわけではないでしょうが、だからこそ先陣を切った「はいからさん」が重要なのでしょう。「はいからさん」は、ファッションや権利の面だけでなく、平等を得るために個人が自立するという考え方の上での「はいから」も含めて表現されていたように感じました。

勝気な「はいからさん」の恋愛

勝気な「はいからさん」の恋愛(C)大和和紀・講談社/劇場版「はいからさんが通る」製作委員会

そんな強い女性であるはいからさんですが、しかし恋愛となると勝手が違ってきます。この心の機微の描き方が劇場版は秀逸でした。

環の「私たちが殿方を選ぶ」という言葉に感化された紅緒は、親が決めたいいなずけであるという理由もあり、最初は少尉に反撥します。それを嫌って、幼なじみの蘭丸と駆け落ちまでするのですが(そして駆け落ちした最初の夜が、例のコミカルな酒乱ぶりを発揮する名シーンです)、少尉にたしなめられて手を握られると、頭がボオっとして胸がときめいてしまいます。

駆け落ちに失敗した紅緒は婚約者として伊集院家に家事見習いに入りますが、その夜に少尉から手の甲にキスされた時もやはり言葉を失い、女らしくなってしまいます。さらに、木の上で少尉から頬にキスをされた時も紅緒は頬を赤らめて、ぼうっとして木から落ちそうになってしまいます。

男性に慣れておらず、恋愛に純心なのです。他の映像化作品に比べ、この恋愛に初心な部分がかなり強調されて描かれていましたが、この乙女な所が良かったです。自立した女性ではあるのですが、ウーマン・リブの先頭に立って女性の権利を叫き、見ようによっては男を敵対視するようなタイプではないのです。女として純粋に恋するその様は、とても自然で好ましく思えました。やはり、はいからさんのキャラクターの好ましさが、この物語の胆だと感じます。

【考察】伊集院家の表現しているもの

少尉に心が傾いた紅緒ですが、少尉の背後に芸妓の影を感じ疑います。男まさりの紅緒は、遊郭にまで足を運んで芸妓に真相を問いただします。そこで疑いは晴れるのですが、またしても酒乱が爆発、2度目の大失態を起こします。

この2度目の酒乱は、前回に輪をかけてコミカルです。顔はパンパンにふくれ上がり、ろれつは回らず顔は真っ赤。そして、よりにもよって少尉の上官に向かって酒をぶちまけ、介抱してくれた芸妓の胸で意味もなくご機嫌にケタケタと笑っています。酒乱ぶりが素敵です。

 

この事件をきっかけに、少尉は小倉へ転属になり、さらにシベリア出兵を命じられます。そして、戦地からは少尉の死亡通知が届きます。

跡取りのいなくなった伊集院家は、ただの没落貴族です。財産目当ての親族が多く集まるものの、あるのは家だけで財産は残っていません。これも単なるこの物語だけの筋ではなく、大正時代の特徴とリンクしています。

明治時代までは江戸時代の藩閥の元勲たちが国を動かしていましたが、大正まで来ると彼らは没落します。そして、非華族初の内閣である原内閣が誕生します。市民革命であるロシア革命が起きたのも、日本の元号でいえば大正期ですが、貴族社会が没落していく時代だったのですよね。

まだこのお屋敷にいたころの少尉は、紅緒に向かって「あなたがこの家を変えてくれると期待している」と言い、メイドも「紅緒さんが来て、何もかもが変わっていくような気がしておりました」と言いました。つまり、紅緒が変わっていく時代の象徴である事と対照的に、伊集院家は前時代の象徴であるわけです。

【考察】これは大正時代のいつごろの話か

【考察】これは大正時代のいつごろの話か(C)大和和紀・講談社/劇場版「はいからさんが通る」製作委員会

没落貴族の家の家計を支えるため、紅緒は女ながら働きはじめます。就職先は出版社です。米騒動の取材を命じられ、紅緒は参加者にインタビューしているうちに感情移入してしまって、自分で米騒動に参加して米蔵をうちやぶり逮捕されます。おてんばすぎます。ところで、この劇場版の前編はいつの話なのでしょう。

大正時代は、1912年から26年までの短期間です。第1次世界大戦は完全に重なっており、1914年から18年です。そして、少尉が命を落としたシベリア出兵は1918年、米騒動も同じく18年です。

この映画は『紅緒、花の17歳』の1年を描いていると思いますが、それは1918年の事ではないでしょうか。逆算すると、紅緒は1901年生まれという事になります。

あくまで物語の背景としてしか描かれていませんが、この物語は大正時代を忠実にトレースしてありました。ちなみに、少尉と紅緒がデートした喫茶店が日本に登場したのも大正ですし、紅緒が就職する事になったマスコミが発達したのも大正です。

現代の持つ価値観を、大正という日本の思潮の移り変わる瞬間を通して魅力的に描いたラブ・コメディ作品

現代の持つ価値観を、大正という日本の思潮の移り変わる瞬間を通して魅力的に描いたラブ・コメディ作品(C)大和和紀・講談社/劇場版「はいからさんが通る」製作委員会

『はいからさんが通る』は明るく元気で行動力があり、しかしあくまで好きひとつない完全な人物ではなく酒乱という弱点を持つ、人間味あふれる愛嬌のあるキャラクターとして描かれた「はいからさん」こと花村紅緒の魅力に笑い、感動させられる作品でした。

そして、この物語が長年にわたって愛され続けている理由は、単に話が面白いだけでなく、日本が江戸以降の因習から現代的な市民社会へと変化していく瞬間をとらえ、現代が持つ価値観をたくみに描いたからなのではないかと感じました。花村紅緒は、現代における理想的な人物像として提示されているように思えるのです。

この劇場版の前編は、そんな紅緒が運命の人と出会い、死別し、自立して働き、そして運命の人が実は生きているかも知れないという所で終わっていました。この続きは翌2018年に公開された後編で描かれているので、そちらもあわせてご覧ください。

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