映画『劇場版ガールズ&パンツァー』は、女子高生×戦車という異色の組み合わせながら大ヒット作となったアニメ『ガールズ&パンツァー』の後日談にして、完全新作となる劇場版です。
時系列としては、アニメ→本作→最終章となっており、目下公開中の「ガールズ&パンツァー 最終章」を楽しむためには前二作を押さえておくべきだと感じます。特に、本作はアニメで放送された内容の直後にあたる時間軸で物語が展開されていくため、そのあたりの理解は必須になるでしょう。
今回はそんな『劇場版ガールズ&パンツァー』の個人的な感想や解説、考察を書いていきます!なお、ネタバレには注意してください。
目次
映画『劇場版ガールズ&パンツァー』を観て学んだこと・感じたこと
・これ以上ないほどの王道展開が清々しい
・蛇足感はなく、しっかりとまとまっている
・音響面の作り込みが抜群
映画『劇場版ガールズ&パンツァー』の作品情報
公開日 | 2015年11月21日 |
監督 | 水島努 |
脚本 | 吉田玲子 |
出演者 | 西住みほ(渕上舞) 武部沙織(茅野愛衣) 角谷杏(福圓美里) ダージリン(喜多村英梨) 島田千代(ゆきのさつき) 島田愛里寿(竹達彩奈) |
映画『劇場版ガールズ&パンツァー』のあらすじ・内容

戦車道の全国大会で見事に優勝を果たし、当初の学校存続という目的を果たしたかに思われた大洗女子学園。
しかし、いざ日常に戻って平和な日々を過ごしていると、突如として杏が学園間に呼び戻されます。そこで彼女が耳にした事実は、「大洗の優勝による学校存続は口約束。廃校は免れなかった」というものでした。
抗議の声を挙げようとする生徒たちですが、杏は彼女たちの不満を静め、やむたく学園感からの退去を選択するのでした。
こうして離れ離れになってしまった大洗の生徒たち。それでも、杏が粘り強く交渉を続けた結果、「大学選抜チームへの勝利」を条件に廃校撤回の確約を得たのです。
ところが、レギュレーションを踏まえると大洗の戦力はあらゆる面で不足しており、苦戦は必須という有様でした。そこで立ち上がったのが、かつてのライバルたちであったのです…。
映画『劇場版ガールズ&パンツァー』のネタバレ感想
多少強引な導入も、王道展開はやはり燃える

まず、先んじて話をしておくとこの作品はかなり素晴らしい出来の物語です。そのため、基本的には賛の意見が多めになると思いますが、最初にあえて気になった点を指摘しておきます。その部分とは、「そもそも本作で戦車道戦が組まれるキッカケとなった出来事」つまり「動機」の部分です。
ここについてはあらすじ部分でも指摘しましたが、戦車道大会で優勝したら廃校回避という約束が守られず、それをなんとか撤回させるために大学選抜とのカードを組むというのが大まかな流れとなります。
正直、そもそもガルパンという作品において「リアリティ」を論じること自体に意味はないようにも感じますが、この部分は「明らかな無理矢理感」があったことは否めません。始めから戦車道で廃校回避ということ自体が取ってつけたような動機ともいえますが、同じような手をリピートで再度用いてきたあたりは、展開としての良さを評価するには至らないでしょう。
ただ、このあたりのご都合主義に関しては、製作陣の罪ではないようにも感じます。そもそもアニメの時点でこの作品には明らかな一区切りがついており、展開を考えるに「続編が生まれるほど大ヒットすると見込んでいたわけではなかった」ようにさえ感じてしまうのです。
続編を作ることにかなり意欲的な作品であれば、そこで使えるような伏線を仕込んでおいても何ら不思議ではありません。しかし、本作は後々になって使える伏線が皆無に等しく、それゆえに本作でみせたような強引さが必要になってしまったのでしょう。
世の中には悲しいことに「明らかに続編を意識した伏線を張っておきながら、人気低迷によりそれが作られなかった」という作品も多く、それを踏まえれば致し方ない製作スタイルだったのかもしれません。むしろ、下手に続編の色気を出さなかったことが成功の秘訣ともいえますし。
ただし、この「不自然さ」は、映画を見ている中にだんだんと気にならなくなっていきます。本作は良くも悪くも王道路線を徹底的に意識しており、緻密な脚本というよりは熱い展開で我々を楽しませてくれます。そのため、終わって冷静に考えれば「ちょっとご都合主義的じゃない?」というシーンも、大迫力の画面を見ているうちは、そこに目を奪われてあまり気にならなかった記憶がありますね。
一人一人に焦点が当てられており、新キャラだけでなく旧キャラにも見せ場多し

先ほどから何度か説明している「王道脚本」とはどういうことか。この作品の展開を見てみると、「大洗に戦力が足りない」という名目でかつてしのぎを削ったライバルたちが私的に戦車を持ち寄り、さらなる強敵である大学選抜に立ち向かうという構造をしています。
これは古今東西アクションものやスポ根もので採用されてきた「かつての敵が味方になり、さらに強力な相手に挑む」というド王道の図式であることは言うまでもなく、ここだけ見れば実にありきたりな内容になっているといえるでしょう。
しかし、この手法は極めてオーソドックスな物語の膨らませ方である一方、必ずしも完璧な手法であるともいえないのが実情です。それはかつて主人公たちに立ちはだかる強力なライバルたちであったはずのキャラたちが、脚本の都合上味方になるととたんに弱体化してしまうことが目立つためです。
例えばドラゴンボールのベジータあたりの名前を挙げると分かりやすいかもしれませんが、
・新たな敵の脅威を描き出す必要がある
・主人公をあまりかませ犬のようには扱いたくない
・最後は主人公を活躍させたい
というように脚本上の都合を描き出していくと、最も妥当と思われる手法が「敵の脅威を描き出すために、かつてのライバルをダシにしてしまう」となってしまうのです。敵が味方になる作品でライバルが弱体化していくのは、こうした都合があるからなのですね。
しかし、本作はこの部分にかなり気が配られており、筆者としては「本当にキャラクターを大切にするアニメだ」と感じました。実際、主人公グループの大洗に所属する面々や大学選抜の選手だけでなく、加勢に参じた黒森峰・聖グロをはじめとした旧ライバル校、さらにアニメでは描かれなかった高校の面々も固有の見せ場があり、どのキャラを応援しているファンにも嬉しい作品に仕立て上げられていました。
もちろん作品の魅力は他にもあるのでしょうが、「キャラを大切にすることで、キャラを応援しているファンをも大切にする」という点はガルパンシリーズの素晴らしいところであり、本作の人気が高まったのも頷けるところです。
どうしても絶対的な出番・セリフの格差がゼロではありませんが、そこを最大限工夫してかつ物語全体が散らからないように構成されている点は、やはりさすがのスタッフ陣といったところです。
【解説】音響へのこだわりはすさまじく、できることなら劇場で観てほしい

ガルパンシリーズはテレビ放送の時点で人気を博していましたが、劇場版との大きな違いは「音響面」に他なりません。もちろんテレビにおいても音響面は高く評価されていましたが、そこが真価を発揮したのが劇場版たるゆえんです。
戦車を扱っている以上、必然的に戦車の駆動・砲撃音や環境音など、様々な点に音響的なこだわり甲斐があるため、劇場に備わっている大型スピーカーとの相性が非常によく、アニメ作品ながら劇場で視聴するにふさわしい完成度を誇っています。
さらに、本作は戦場での実体験に音響面から近づけるべく「爆音上映」を導入する劇場が多かったことでも有名です。これにより戦車に関係する音響面を劇場で楽しむことができ、そして同時にホームシアターでは再現の難しいものであったため、本作には多くのリピーターが出現。異例のロングランヒットに貢献したという見方もあります。
その他にも、ちょうど当時普及しつつあった4DXなど新たな上映スタイルが積極的に取り入れられていき、「映画館で見ること自体に価値を生み出すアニメ映画」という新たなスタイルを確立したともいえるでしょう。
また、本作の音響という点で優れているのは、なにも戦車周りの部分だけではありません。これはアニメ版からも大きな特徴として指摘されていた部分ですが、世界各国を象徴する高校に合わせたマーチがBGMとして採用されており、多種多様な演奏スタイルによって高校のカラーが上手く表現されています。
さらに、こうした音響面での利を生かして作品終盤はセリフをほぼカットするという、非常に大胆な制作方法にも注目すべきです。一般的に萌え系アニメはキャラクターのファンが多く、さらに「中の人」つまり声優の声を楽しみにしているファンも少なくありません。そのため、作品によっては豪華声優陣をセールスポイントにするくらいには「セリフをしゃべらせる」ということ自体に価値があります。
こうした事実を踏まえると、「あえてキャラを黙らせて、音響面を引き立たせる」という決断は、本作の音響的なポテンシャルをもってしてもなお思い切ったものであったと思います。
しかし、その思惑は見事にハマっており、セリフがないことで説明的にならず、戦車やキャラの一挙手一投足に注目できるように仕上げられています。このあたりもセリフがないことによる退屈さを感じさせず、本当によく考えられている作品であると感じました。
【考察】異例の興行収入・ロングラン上映の裏には「ガルパンおじさん」の存在が?

ここまで作品の出来を称賛してきたように、この作品は深夜アニメの劇場版としては異例のロングラン・大ヒット上映となりました。劇場によっては実に1年以上の期間も公開されていたということで、長く愛される作品といえそうです。
さらに、今もなお断続的にリバイバル上映会を実施している劇場も存在し、「最終章をみた上で、見逃した劇場版を劇場で観たい」という方も、場所を探せば視聴は可能かもしれません。
このヒット要因は先にも説明したような劇場特有の価値が影響しているでしょうが、個人的には「キャラクターへの安心感や親心」などがヒットに大きく貢献したと考えています。そもそも、この作品は中高生向けとされがちな深夜アニメの作品でありながら、大人の男性ファンが非常に多いことでも知られています。そのため、ファンのことを「ガルパンおじさん」と呼称するスラングが存在するほどで、ファン層が大人らしく資金的に優位であったことも影響しているでしょう。
実際、聖地として町おこしに成功した大洗市の現状を考えても、中高生のファンばかりであればこれほど街にお金を落とすことはなかったかもしれません。そう考えていくと、中高年の男性をブームの渦中に巻き込めたことは非常に価値のあるものでした。
では、結局どうして彼らの琴線に触れる作品になったのでしょうか。まず第一の理由としては、「ミリタリー」というジャンルとの神話性が挙げられます。もちろん。ミリタリーは老若男女の心をつかむロマンとして知られていますが、一方でお金のかかる趣味でもあり、かつて憧れたものを購入できるようになった中高年の男性がファン層を占めているという事実があります。そのため、必然的にそういった層のファンが増えたのでしょう。
さらに、筆者としては「娘のような立場のキャラクターが活躍している」こともヒットの要因であると考えています。中高年の男性からすれば、女子高生は娘のようなものに見えるでしょう。そのため、困難に立ち向かっていく彼女たちを応援するような姿勢で作品を眺めるファンが多いのではないでしょうか。
まとめると、本作を支える「ガルパンおじさん」が生み出された要因は
・年齢的な親和性の高いミリタリーというテーマの存在
・娘のような心境で眺めることができるキャラクターの存在
・上記を盛り上げ、妨害しない分かりやすくも熱い王道な展開
このあたりが大きく作用しているのではないでしょうか。
【解説】最終章の完結にはまだまだかかりそうだが、今後も目が離せない

本作は2015年公開の作品ですが、その後ガルパンシリーズの完結編として最終章の製作が決定し、2019年現在では全6話中第2話までが公開済みの状態になっています。最終章では「生徒会の桃が進学できない」という動機で戦車道大会に参加することになったので、本項で指摘した動機のご都合主義感は続編でもやはり出てしまいました。
しかし、それでもここで指摘した変わらぬ良さは健在で、興行収入ベースで考えても非常に良い成績を収めています。特に、劇場版で突撃一辺倒であった知波単学園がめきめきと成長し、かつて大洗がそうであったように劣勢を跳ね返して挑みかかってくるあたりは、本作を知っているとより感慨深いものがあるでしょう。
また、「ガールズ&パンツァー 最終章 第2話」でも指摘していることですが、本作で大洗の助っ人として参戦した中の継続高校は恐らく第3話でその出番があると思われるので、彼女たちの活躍には要注目です。
ちなみに、この高校はミカやアキなどの人物名からも分かるように、フィンランドをイメージした高校であることが明かされています。ここで挙げた人物は同国の著名人から名前を拝借したもので、もしかすると実在の人物を匂わせるようなファンサービスがあるのかもしれませんね。
また、本作に登場するような「イギリス」「ロシア」「アメリカ」「日本」のような軍事大国ではないフィンランドがなぜモデルにされたかというと、そこには歴史的な事情が絡んでいることをご存知でしょうか。フィンランドは非常に小さい国でありながら、地理的な問題で大国ロシアと渡り合うことを余儀なくされたのです。そこで両国の間に勃発したのが「冬戦争」であり、国力で劣るフィンランドは数々の伝説を残しながら奮闘しますが、最終的には痛み分けといった印象の強い戦です。
この戦は停戦するもすぐに再開され、次回の戦を「継続戦争」と呼称しました。そう、言うまでもなくフィンランドを連想できない「継続高校」という名前の由来はこの戦争であり、歴史的な背景を知っているファンはしたり顔ができる、というネーミングになっています。
このように、作中に登場する様々なモチーフが実在の軍事史に影響されている本作。もちろんそれらを全く知らなかったとしても楽しめる作品ではありますが、せっかく最終章の公開を待つ間に、軍事的な要素をお勉強してみてはいかがでしょうか。
(Written by とーじん)