映画『たちあがる女』は、地元の合奏団講師と過激な環境活動家という2つの顔を持つ独身中年女性が養子を迎え、母親になる選択をしたことから物語が始まります。アイスランドの大自然を舞台に、ドタバタ劇を描いたユーモラスな社会派ヒューマン映画です。
監督は、長編デビュー作『馬々と人間たち』(2014)で注目を集め、アキ・カウリスマキやロイ・アンダーソンの後に続く北欧の才能と目されるベネディクト・エルリングソン監督。
カンヌ国際映画祭・批評家週間の劇作家作曲家協会賞受賞をはじめ、2019年アカデミー賞アイスランド代表作品に選出されるなど数々の賞を受賞し、ハリウッドでのリメイクが決定したことも話題になりました。
今回は、映画『たちあがる女』を観た感想やネタバレ、物語の舞台背景の解説や考察を書いていきます!
目次
映画「たちあがる女」を観て学んだ事・感じた事
・コミカルでユーモラスに訴えかける環境問題の現実
・移民・難民受け入れや養子縁組の現実を描いたサブテーマ
・不思議な演出と破天荒なストーリーの中毒性
映画「たちあがる女」の作品情報
公開日 | 2019年3月9日 |
監督 | ベネディクト・エルリングソン |
脚本 | ベネディクト・エルリングソン オラフル・エギルソン |
出演者 | ハットラ/アウサ(ハルドラ・ゲイルハルズドッティル) 謎の音楽隊のピアニスト(ダヴィズ・ソゥル・ヨンスサン) ニーカ(マルガリータ・ヒルスカ) バルドヴィン(ヨルンドゥル・ラグナルソン) スヴェインビヨルン(ヨハン・シグルザルソン) |
映画「たちあがる女」のあらすじ・内容
風光明媚なアイスランドの片田舎で暮らすハットラは音楽と自然を愛する独身の中年女性で、普段は聖歌隊のコーラス教師として生活しています。
そんな彼女には、正体不明の環境活動家、コードネーム”山女”というもうひとつの顔がありました。
急激な工業の産業化による自然豊かなアイスランドの環境破壊を危惧したハットラは、秘密裏にリオ・ティント社のアルミニウム工場の電源を遮断して稼働を妨害することで、地元の環境を守るという活動を行っています。
過激ともいえるハットラの妨害はたちまち国中に知れ渡り、国内外の協力のもと犯人捜しをするものの、アイスランド政府でさえ地元の中年女性の仕業と特定できないまま、ゲリラグループの破壊活動やアルカイダやISISなどのテロ組織の犯行との見識で捜査を進めていました。
そんなある日、ハットラは長年の夢であった養子縁組の申請が通り、ウクライナの紛争孤児ニーカを娘として迎え入れることになります。
未来ある子どもたちの地球環境を守り母親になるという夢の実現に向け、アルミニウム工場と決着をつけるべく最終決戦の準備に取り掛かるのでした。
映画「たちあがる女」のネタバレ感想
おばさんが繰り広げるスパイさながらの行動に仰天!
この映画を観た人であれば、冒頭のシークエンスでの異様な光景に「これから何が始まるのだろう?」という不安に近いドキドキ感を持った人もいるのではないでしょうか?
予告動画でも紹介されていた、ワイヤー付きの鉄の弓を放って送電線をショートさせるシーン。アイスランドの大自然の中、ごく普通の”北欧のおばちゃん”風な見た目の女性がキッチン用のゴム手袋をはめ、慣れた手つきでミッションをこなしていく唐突すぎる風景に、オーディエンスの頭の中には「?」が浮かんだのではないでしょうか。
その後も草原を全速力で走り去り、岩陰に隠れながらヘリコプターの追跡をいとも簡単に振りほどくなど、ミッションを確実に遂行していく様子はまさにスパイさながらです。
別のシーンでは、追跡や盗聴を恐れ冷蔵庫にスマホを入れるシーンやコピー機のネット接続による情報漏洩を気にする場面など、どうみても工作員にしか見えない様子に「この女性は一体何者なんだ」という疑問が益々膨らみます。
ちなみに、映画『スノーデン』の題材にもなったアメリカNSA/国家安全保障局のスキャンダル告発の情報提供者であるスノーデン氏もまた、盗聴対策のために面会人には冷蔵庫に携帯電話を入れさせたという逸話があります…このおばちゃんもまさに諜報員のようですね!
でもこのハットラという女性、普段の生活では地元の合唱団の指導する仕事で、休日には市民プールでスイミングをしたり我流の空手や合気道をたしなむような、いたって普通の中年女性です。
この意外な二面性が観ている側の興味を惹きつけ、ハットラやストーリーの続きを益々知りたくなってしまうポイントになっていた気がします。
もしハットラが『トゥームレーダー』に出てきたアンジェリーナ・ジョリーのような若くたくましい女性や、『バイオハザード』に出てくるミラ・ジョボヴィッチのような美貌良しスタイル抜群な女性であったら、ただのアクション映画になってしまっていたのではないでしょうか。
女優さんには悪いですが、ハットラがごくごく普通のルックスで”いかにも”なオバちゃん体型だったからこそアクションシーンに意外性を与え、環境活動家の一面性を強く印象付けるスパイスになったのだと思いました。
【解説】音楽隊による演出と絡みは中毒性がある!
もうひとつ、この作品の重要な役割を担っているのが、名もなき「謎の音楽隊」による演出です。
映画冒頭シーンから、ドラムのスネアを弾く音や管楽器が奏でる重低音によるオフビート。「劇伴にしては何だかリアルな音だな…」と思って映画を観ていると、劇伴やサウンドトラックでも何でもなく、なんと劇中に謎の音楽隊が出てきてハットラのすぐ近くで演奏をしているという演出です。
この新鮮かつ斬新な演出にビックリするというよりは「ハズレ映画なのか?」と出鼻をくじかれたように少し心配になってしまいました。
ですがこの音楽隊、ハットラの心境とマッチングしていてBGM効果だけではなく主人公の感情の表現を表しているのです。
環境保護活動に燃え好戦的な感情のシーンではピアノ・ドラム・管楽器による男性バンドによる演奏、母性溢れる優しい感情の時には女性コーラス隊による民族音楽がシーンを盛り上げてくれます。
ちなみに映画鑑賞した人の中には気になった方も多いと思いますが、ピアノやドラム、管楽器を演奏していた役者たちは世界的にも有名な演奏者で、体に巻き付けるように担いで吹く管楽器の名前はスーザフォンと呼ばれる低音管楽器です。
また、コーラス隊の女性陣は花冠を付けたカラフルな服を着ていますが、実はあの衣装、養子として迎え入れるニーカの故郷ウクライナの民族衣装です。
このような前置きや解説もなしに当たり前のように現れて、名前も名乗らず素性も明かさずの”謎の音楽隊”によるコミカルな演出は、慣れてくるとハットラの状況変化があるたびに「このシーンも出てくるんじゃないか?!」と次々探してしまうほどの中毒性があります。
劇中の演出で主人公の感情を表す手法では、北野武監督の『HANA-BI』の”色”で感情を表した手法が個人的には印象的でしたが、『たちあがる女』はそれに似た演出でもあり、さらにそこから”演出と演者を劇中で絡ます”という斜め上を行く手法に、さすが北欧期待の監督ベネディクト・エルリングソンといった感じでしょうか。アイディアやその感性には目を見張るものがありました。
巻き込まれる外国人観光者から見える皮肉
映画の序盤から度々登場している外国人観光者の男性は、ハットラが事件を起こすたびにとばっちりを食らうコミカルな役どころですが、これは作品をユーモラスに描くためだけでなく、見方によっては有色人種差別への皮肉を浮き彫りにした演出のようにも感じ取れます。
肌が浅黒かったから容疑者になってしまったのか、それともただ単にその場に居合わせていたからなのかは鑑賞する側の受け取り方次第とも言えますが、言葉が通じない旅行客の彼に濡れ衣を着させるという脚本から監督の意図が現れているのではないかと勘ぐってしまいました。
さらに、映画を鑑賞した人なら気付いた人もいるかもしれませんが、この誤認逮捕をされ続けた彼が着ていたTシャツはキューバの革命家であるチェゲバラがプリントされたTシャツです。
チェゲバラと言えば、今となってはキューバ革命の立役者として有名な革命家ですが、当時を生きた人々たちにとっては救世主のような「活動家」でもあり、ボリビアで射殺された時は「テロリスト」として扱われたという、見る人によって全然認識が変わる2つの顔を持っていました。
現在のチェゲバラは歴史上の英雄として認識されていたり、有名な顔写真のプリントは反骨精神の象徴としての一面を持っています。このTシャツ衣装やチェゲバラと同じくスペイン語を話す外国人の配役は、さすがに偶然ではなく監督が意図した演出だったのではないでしょうか。
チェゲバラとハットラのような活動家を重ね合わせ、見る人の価値観・時代・その時の政治情勢によって正義と悪の捉え方が変わるという、隠れたヒントだったのではないかと思いました。
【考察】アイスランドだからこそのテーマ性
環境保護はグローバルな問題なので、どこの国にも共通するテーマではありますが、アイスランドが生み出した『たちあがる女』は説教じみた話にも感じず、ただただ環境問題と戦う女性を描いた作品です。
この映画の舞台でもあり、主人公ハットラが愛してやまない大自然が美しいアイスランドは北海道より一回りほどの大きさの国ですが、その国土の5分の4は非居住地となっています。
というのも、アイスランドは最北端が北極圏の真下に位置する島で、国土の12%を占める氷河をはじめ多くのフィヨルドに代表される自然の驚異に満ち溢れた国という背景があるのです。
また、森林伐採などで豊かな森が殆どなくなり砂漠化も進む地域があったり、中国政府の一帯一路構想の影響もあって中国資本が進出している現状があるなど、環境問題やグローバリズムと地元住民の生活が隣り合わせになっている国でもあります。
そんな複雑な問題もあってハットラは熱心に(というよりは過激な)環境保護活動をしていた訳ですが、アイスランドの映画であるからこそ、そのメッセージ性に切迫した危機感があり、世界へ向けて問題提起が発信できたのではないでしょうか。
劇中で何気なく映された洪水被害のテレビニュースや、ラストシーンで洪水の道を歩く様子などがサブリミナルのように無意識のうちに頭に焼き付いてしまいました。
一方、この作品の脚本に魅せられハリウッドでのリメイクが決定したようで、ジョディ・フォスターが監督・主演のアメリカ版『たちあがる女』の制作も決まったようですが、同じ脚本であったとしてもメッセージが中立的な立場で伝わるのかというと疑問があります。
また、移民や難民の受け入れが文化として根付き始めているアイスランドの状況や国内の養子縁組の現状と、ハットラがウクライナの内戦孤児を養子に迎え入れるという社会性も見事に表現できていました。
見慣れない北欧ののどかな雰囲気に聞き慣れない言語で進んでいくストーリー、色眼鏡で見る心配もない見知らぬ俳優たちだったからこそ、ハットラの行動の良い悪いは別にして、純粋に映画を楽しむことができるのではないでしょうか。
アイスランドの政治事情や環境破壊に打撃を受けている背景があってこその作品ともいえるので、ハリウッドリメイク版は「原作には敵わないのでは?」とも思う反面、どのような作品になるのか少し楽しみでもありますね。
【ネタバレ】ハットラとアウサの何とも言えない家族愛
環境保護の観点は確かに素晴らしいと思いますが、ハットラの活動行為自体は犯罪には変わりありません。
この映画のクライマックスとして、見事な逃亡劇を繰り広げてきたハットラはDNA鑑定による双子の姉アウサの逮捕を知り、その後は自身が逮捕されてしまいます。ウクライナの紛争孤児ニーカを迎えに行こうとする矢先の出来事だったので、彼女にとっては絶望的な気持ちだったでしょう。
手錠を掛けられるハットラが草原に頬を付けたときのシーンは、これまで彼女が大地を感じるために頬を付けていた心地良さそうな映像とは対照的で印象に強く残ります。ここで一度は母親になるという夢が破れてしまったわけですが、アウサが面会に訪れた時に勘のいい人なら”替え玉”を予想した人も多いかもしれませんね。
ですが面会室には監視モニターが設置されており、「一体どうやって替え玉するのか?」とハラハラしていましたが、ここでキーパーソンになったのは従弟もどきのスヴェインビヨルンです。
なんとハットラが高圧電線をショートさせリオ・ティント社のアルミニウム工場の電源を遮断していたように、彼もまた刑務所の停電を行うべくあの送電塔にいたのでした。
ハットラの双子の姉アウサとスヴェインビヨルンは劇中では一度しかあったことは無かったものの、”計画的な替え玉作戦”はハットラに味方した2人が協力して成し得たものだったのです。
アウサは「ゆっくり瞑想ができる場所」としてインドへの渡航を夢見ていましたが、刑務所でも瞑想はできるという彼女の犠牲心に、観ている人の意見も分かれるのではないでしょうか。
正しい事・間違っている事という客観的な判断はともかく、アウサの家族愛やスヴェインビヨルンとの友情は、ハットラの人生にとって大きな革命を起こしました。
再び母親になるチャンスを貰ったハットラは無事にニーカを迎えラストシーンへと続いたのですが、そこにも音楽隊とコーラス隊がいたところを見ると、彼女はこれからも別の形で闘い続けるのではないでしょうか。
アウサの犠牲を考えると、もう同じ過ちを繰り返さないようにと願うばかりですね。
【ネタバレ考察】なぜ彼女は「たちあがった」のか?
原作のタイトルは「Woman At War」、直訳すると「戦火の女」と言ったところであう。彼女は逮捕されるまでテロとも呼べる犯罪行為を繰り広げていたわけですが、一体なぜそこまでして戦い続けたのでしょうか。
一度は官僚のバルドヴィンから警告を受けて活動熱が治まったものの、見事「たちあがる」きっかけにもなるのはニーカの存在が大きかったのではないかと思います。
ニーカ本人は劇中での登場シーンが少なかったものの、ハットラにとっては養子縁組の書類の中にあったニーカの写真が強く印象に残り衝撃を与えることになりました。色のない荒地をバックに綺麗な花を持った可愛らしいニーカの顔には笑顔がなく、観ている私たちにとっても胸を打たれるような印象的な写真です。
ハットラもこの写真を見た時に、母親として「工業化による環境破壊から子どもの未来を守ってあげたい」という強い信念が芽生え、結果的に声明文を撒き送電塔の破壊行為をさせたように感じました。
また、ニーカの故郷でもあるウクライナという国は紛争で不安定な環境にあるだけでなく、チェルノブイリ原子力発電所事故があった場所でもあります。
最近ではシリア難民がアイスランドに移住し、アイスランド政府も迎え入れの制度を導入しているので、ストーリー設定としてはシリアの孤児のほうがアイスランドの人たちにはリアルな印象を与えるはずです。
ですが監督は敢えてウクライナの孤児という設定にし、養子縁組・環境保護・反グローバリゼーションの観点から作品を描いたのではないでしょうか。
映画鑑賞者のイデオロギーの違いからラストの着地点には賛否両論ありそうな作品でしたが、アイスランドのお国柄とベネディクト・エルリングソン監督だからできた秀逸な映画だった気がします。
演出・映像・脚本とバランスが良かったので、アート映画好きだけでなく誰が観ても楽しめる外国映画でした。