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映画『セッション』ネタバレ感想・解説・考察!音楽映画のガワを被った狂気の映画

音楽家の「狂気」を存分に演じきったキャスト陣

映画『セッション』はジャズをテーマにした音楽ドラマ映画です。音楽映画ということもあり華やかな舞台を想像しがちですが、その内容は「狂気」とも呼べる病的な音へのこだわりが濃縮された作品でした。

音楽経験のある方も、そうでない方も様々な点から鑑賞できる映画ではありますが、あまりの迫力に引いてしまう方とのめり込む方の双方に分かれる映画かもしれません。

今回はそんな『セッション』の個人的な感想や解説、考察を書いていきます!なお、ネタバレには注意してください。

映画『セッション』を観て学んだこと・感じたこと

・究極の「音」を追い求めるという狂気
・空恐ろしささえ感じさせるような迫真の演技が素晴らしい
・これまでのうっ憤を晴らすようなラストシーンは圧巻

映画『セッション』の基本情報

公開日2015年4月17日(日本)
監督デミアン・チャゼル
脚本デミアン・チャゼル
出演者アンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)
テレンス・フレッチャー(J・Kシモンズ)
ジム・ニーマン(ポール・ライザー)
ニコル(メリッサ・ブノワ)
ライアン・コノリー(オースティン・ストーウェル)

映画『セッション』のあらすじ・内容

映画『セッション』のあらすじ・内容

偉大なジャズドラマーを目指し、アメリカでも屈指のシェイファー音楽院で研鑽を重ねるアンドリュー。

この時点ではどこにでもいる普通の夢見る青年であった彼は、ふとしたキッカケで学院トップクラスの指導者フレッチャーに見定められたことで運命を大きく変えていくことになりました。

アンドリューはフレッチャーの手で学院最高峰のクラスに演奏場所を移すことになるのですが、そこでフレッチャーはバンドメンバーに聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせていきます。当然ながらアンドリューもその対象となり、彼に対しても暴言や暴力が絶えませんでした。

しかし、フレッチャーが学院最高の指導者であることもまた事実であり、彼は悔しさをバネに猛練習を行なうようになっていくのです。

こうしてジャズドラムに没頭していくアンドリューは、文字通り血のにじむような日々を過ごし病的なまでの演奏を見せるようになっていきました。

映画『セッション』のネタバレ感想

【解説】ジャズやドラムの知識は必須ではないが、知っているとより映画を楽しめる

【解説】ジャズやドラムの知識は必須ではないが、知っているとより映画を楽しめる© 2014 – Sony Pictures Classics

本作はテーマとしてジャズやドラムを扱っており、一見すると音楽映画の側面が強いことは事実です。しかしながら、映画を見てみるとそれはあくまで表面上の「舞台装置」に過ぎず、その実態は後述するように「狂気」の伝播であると考えられます。

本作を楽しむにあたって音楽的な知識は必須ではないといえますが、そうは言ってもある程度の予備知識はあったほうが見方も変わってくるかとは思いますので、ここではそのあたりを少し解説していきます。

まず、アンドリューが憧れる偉大なジャズドラマーであるバディ・リッチについてです。彼は1917年にアメリカで誕生すると、先天的に際立ったリズム感を持っていることに着目した父の手で、1歳よりドラムスティックを握ったという伝説があります。1歳半ですでに演奏を始めたというバディは、音楽的な教養が一切ないにもかかわらず11歳でバンドリーダーを務め、世界的なドラマーへと変貌していきました。

彼が参加したアルバムがキッカケで、我々が一番よく耳にするジャズのジャンル「ビバップ」を生み出し、死後もなお現代にいたるまでミュージックシーンに多大な影響をもたらしています。

 

次に、そもそも音楽に詳しくない方が疑問に思うであろう「ドラムって音楽院で勉強する者なの?」という点を補足しておきます。上記のバディやマイルス・デイヴィスなどのように、ジャズシーンの「天才」たちは、一切の専門的な音楽の教養を有していないことも珍しいことではありません。そうしたエピソードや、ジャズやロックに付きまとう「アウトロー感」に影響され、これらのジャンルを音楽院で勉強するという事自体に違和感を覚える方も少なくないと思われます。

しかし、現実の問題として彼らが教養なしに歴史に名を残せているのは「天才」であるためで、普通の人間は練習だけでなく音楽理論も一変通りは抑えなければとてもではありませんが良いアーティストにはなれません。そしてそれはもちろんジャズやロック界も例外ではなく、皆さんがよく聞いている歌手も調べていくと音楽の勉強を専門的にしていた、あるいは音楽一家で生まれつき教養をはぐくむ環境にあった、という例は珍しくないと思います。

音楽家の「狂気」を存分に演じきったキャスト陣

音楽家の「狂気」を存分に演じきったキャスト陣© 2014 – Sony Pictures Classics

前の項で「本作は音楽映画ではない」という点について触れてきました。そう書いた主な理由は、本作において描かれている「狂気」と人間のあり方が主題になっているように感じられ、単純な音楽映画とは言い難い面が多いためです。

その内容についてはまた後ほど詳しく解説していきますが、まずはその表現にあたってアンドリューやフレッチャー役を務めたキャストの演技について感想をまとめていきます。

アンドリュー役を務めたのは、まだキャリアが浅いながらも助演で実力の片りんを見せていたマイルズ・テラーです。彼が演じたアンドリューは、しだいにフレッチャーの言葉に染まっていき、音楽以外のものをかなぐり捨てていく様子を見事に表現していました。アンドリューという普通の青年は練習と忍耐力で優れた実力を身に着けていき、その一方で若者らしい心の不安定さもハッキリと伝わります。

当然ながらマイルズはフレッチャーによる地獄のしごきに付き合っていたわけではないのですが、ともすれば撮影現場で映画と同じような思いをしていたのではないかと錯覚するほど鬼気迫る演技を見せていたのは確かです。

 

次に、恐らく本作の演技で最も高い評価を受けている、フレッチャー役を務めたJKシモンズについて触れていきます。シモンズはこれまでも映画やテレビ作品で助演として物語を盛り上げてきた、脇役のスペシャリストです。そんな彼は、本作の演技で一躍脚光を浴びることになりました。

まず、フレッチャーという人物の人格を手放しで称賛する鑑賞者の方は、恐らくいないのではないでしょうか。アンドリューだけでなく、他のバンドマンにも向けられる耐え難い暴行や暴言などの悪行の数々に、あまつさえアンドリューをハメようとする底意地の悪さも見せつけています。このあたりの彼による振舞いが耐え難いものであることは誰の目にも明らかで、読者の中には不快で仕方がなかったという方もいるでしょう。

しかし、その一方でフレッチャーがただの「パワハラ野郎」に成り下がらないように見えたのは、やはりシモンズの演技力によるものかもしれません。アンドリューの才覚を見抜き、あまりにも苛烈な特訓を強いたとはいえ彼を一流のドラマーに育て上げたのは事実ですし、「偉大なミュージシャンを育てるため」という彼の主張も、まったく理解できないわけではありません。

基本的に終始一貫して共感することが難しいキャラクターとして仕上げられている両主役ですが、その一方で「リアリティがないかといえば、むしろある」というように日常の文脈で彼らの「狂気」が表現されているあたり、演技や脚本の妙を感じます。

【考察】ラストシーンは「フレッチャーの再誕」を意味している

【考察】ラストシーンは「フレッチャーの再誕」を意味している© 2014 – Sony Pictures Classics

本作を視聴するにあたって、恐らく一番強烈な印象を残すであろうシーンは、ラスト約9分間のアンドリューによる演奏でしょう。フレッチャーにはめられ、不本意な演奏に終始してしまったアンドリュー。しかし、彼は再度ステージに登ると一人で怒涛のドラミングを開始します。

ステージ上の人物や観客だけでなく、スクリーンを飛び越えて我々視聴者をも困惑させるアンドリューの振舞いは、やがて周囲の人々に実力を認められ、ここに一流のドラマーが誕生するのです。少なくとも表面的にはこうして描かれており、我々は普通に考えればハッピーエンドと解釈するべきなのでしょう。

しかし、個人的にこのラストシーンはハッピーエンドとは程遠く、その実態は「フレッチャーの再誕」であると考えました。これはどういうことかというと、徐々にフレッチャーの考えに影響されていったアンドリューが、その精神を完全にフレッチャーと同化させてしまったということです。

 

そもそも、映画内でもアンドリューは確実に「異常者」へ近づきつつありました。恋人や家族との時間を捨て全てをドラムに注ぐと、彼にとってはもはや自身の健康や痛覚は意に介さないものになっていたのです。そして、この究極の鍛錬が実を結び、フレッチャーに認められて「しまった」のです。こうしてアンドリューは、人として欠かせないものをいくつも犠牲にして「成功」を勝ち得ました。

これはアンドリューが今後も、この成功体験を忘れられないことを意味しているように思われ、彼の生涯は幸せなものにはならないのではないかと感じます。極限まで自分を追い込むことでしか成功を知らない彼は、恐らく今後もこのスタンスを変えることはないでしょう。そのため、劇中でも遭遇した交通事故にいつ再び襲われるか分からないというような、何かにとりつかれたような生涯を送ることになるのではないでしょうか。

そして、仮に彼が指導者になったとすれば、きっとフレッチャーと同じような手法で教育を行うのでしょう。現代でも問題になっている「パワハラ」や「教員の暴力」は、結局その加害者自身が過去に体験し、その体験が影響して(少なくとも、加害者自身はそう解釈して)良かれと思って行われているものが大半と聞きます。そう考えれば、彼もまた一流のドラム技術と引き換えに「人間的な良心」を失ったとも解釈でき、描かれてこそいませんがフレッチャーもまた過去にそうした経験があったのではないかと思うのです。

【解説】監督の体験した実話をもとにした伝記映画の側面も

【解説】監督の体験した実話をもとにした伝記映画の側面も© 2014 – Sony Pictures Classics

本作の物語は、完全に実話ベースとは言えないものの、監督・脚本であるデミアン・チャゼルが高校時代にジャズドラムに打ち込んだ際のエピソードをもとにした内容です。チャゼルは、この際の指導役が厳格なことで知られる音楽教師であり、その苛烈な指導が本作に反映されているとコメントしています。ちなみに、チャゼルは一時的にプロのミュージシャンを志していたものの、この際に「自分の才能でプロになることはできないと理解した」とも語っており、この言葉通り彼はハーバードに進学後は映画監督を目指して修行を重ねていきます。

チャゼルはハーバードで学問として映画製作を学び、卒業制作が映画監督としてのデビュー作という、いわば理論派の監督です。このあたりの経歴は、先ほど述べた「サブカルチャーを学問として学ぶ」というジャズの音楽院と共通する性質があり、彼もまたアンドリューと似たアプローチから芸術に触れあったといえるでしょう。

その後は「雇われ脚本家」として仕事をするうち本作の脚本構想が「ブラックリスト」という優れた脚本をまとめたサイトに掲載されたことで出資者の目に留まり、短編から製作して好評を勝ち得ていきました。こうして製作された実質的なメジャーデビュー作の本作は、たちまち世界中で注目を浴び、彼の名声に大きく貢献しました。そして、2016年には日本でも大ヒットしたミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』で監督としての地位を確立するなど、若手ながらハリウッドを代表する監督に成長しています。

 

こうした経歴を考えていくと、やはり本作は実に現代的な視点から製作されていることがヒットの要因であることが理解できます。特に、学校でジャズを学ぶという現代的な切り口や、密告によって指導者の立場を追われる下りなどは、やはり若手監督ならではの「今」を意識した描き方が上手く取り入れられています。

また、このように現代で育った監督だからこそ、フレッチャーのような旧来の指導者を中心に描いたのかもしれません。現代的な文脈の中に現れる唐突な「時代遅れ」の振舞いは対比として異彩を放っていると同時に、社会的には否定される彼の行いによって優れたジャズドラマーが誕生したという矛盾は、社会問題としても十分に考える価値のあるものです。

【解説】音楽映画ではあるが、その実態は歴代の「サイコ映画」に相当

【解説】音楽映画ではあるが、その実態は歴代の「サイコ映画」に相当© 2014 – Sony Pictures Classics

さて、ここまで本作についてさまざまな角度から解説や考察を重ねてきました。まず、映画については傑作と呼ぶにふさわしい内容に仕上がっていると思います。確かにアンドリューの行動やフレッチャーの悪行にはあまり共感できませんし、サクセスストーリーというにはあまりにも暗い物語であることは否めません。しかし、普通の人間が「音楽」という魔物に魅せられて、しだいに狂気を発現させていく映画という側面から考えていくと、彼らの振舞いは観客を釘付けにし、ほのかな恐怖心と共に映画を楽しむことができると思います。

そして、筆者は本作の鑑賞後、これは「サイコ映画」であり、過去に同じような評価をされてきた歴史的な名作に比肩すると感じました。歴史的名作と言えば、『サイコ』『タクシードライバー』『ファイトクラブ』『羊たちの沈黙』などで、ここで挙げた作品を鑑賞した際に感じた「映画的な満足感と、その裏に潜む狂気への恐ろしさ」というある種のスリリングな面白さと同じようなものを見出すことができたのです。

本作はいわゆる音楽映画とは一線を画し、上記で挙げたような作品と同じ、狂気の映画であるという評価が適当だと感じました。それゆえに、鑑賞者によっては「気味が悪い」「全く共感できない」という評価が下されるのも仕方ない気がします。

 

もっとも、個人的にはアンドリューやフレッチャーに共感できないのは道理であり、むしろ彼らに対して大いに共感してしまう視聴者は、「狂気」に片足を突っ込んでしまっているように思えます。特にフレッチャーの振舞いに至っては、こと現代的な価値観においては絶対に容認されるものではありません。しかし、そう分かっていても彼の思いについ理解を示しそうになってしまう自分を客観的に考えて、ハッとさせられることもしばしばでした。

そう考えていくと、本作は今後指導者になる、あるいはなりたいと思っている方は必見の映画かもしれません。フレッチャーが学校を追われていることからも理解できるように、少なくとも現代において彼の指導が絶対に受け入れられることはありません。しかし、彼自身にとっては恐らく生徒のためを思ってやっている愛の鞭であり、そのギャップからは主観というものの恐ろしさを考えさせられます。

あくまでフレッチャーの指導は「現代の価値観でいえば悪いこと」とされているだけであり、それが正解とは限りません。実際にアンドリューが一流のアーティストになっていることからも、彼の悪行を完全に否定できないという、実に議論しがいのある映画でもあるのです。

(Written by とーじん)

映画「セッション」の動画が観れる動画配信サービス一覧

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※2019年7月現在の情報です。

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