共同親権によって父親との面会を余儀なくされた息子のジュリアンが、母親を守るために必死に嘘をつくというサスペンス映画「ジュリアン」。
映画としても、映画の指し示すメッセージとしても優れた作品でした。
今回は映画「ジュリアン」の個人的な感想やネタバレ解説、考察などを書いていきます。
目次
映画「ジュリアン」を観て学んだ事・感じた事
・離婚後の親権を巡る制度に関する批判的な視点
・登場人物それぞれの視点が示す、この映画が伝えたい本質的な議題
・DVと法的な平等、そして子供の人権を巡る制度のあり方
映画「ジュリアン」の作品情報
公開日 | 2019年1月25日 |
監督 | グザヴィエ・ルグラン |
脚本 | グザヴィエ・ルグラン |
出演者 | ミリアム・ベッソン(レア・ドリュッケール) ジュリアン・ベッソン(トーマス・ジオリア) アントワーヌ・ベッソン(ドゥニ・メノーシュ) ジョセフィーヌ・ベッソン(マティルド・オネヴ) |
映画「ジュリアン」のあらすじ・内容
ミリアムとアントワーヌは離婚し、2人の子供は妻のミリアムが引き取ることになりました。しかし、親権を巡る離婚調停の中で、夫のアントワーヌはジュリアンの共同親権を主張します。
両者の主張が行われた結果、裁判所はジュリアンの共同親権を認め、月に2度の週末には、ジュリアンとアントワーヌは面会をしなければならないのですが、ジュリアンは乗り気ではありません。
ミリアムは徹底的に夫を拒絶し、電話番号や新居の住所も教えようとしませんでした。実はアントワーヌにはDV癖があり、そのことに対しての行動だったのですが、アントワーヌはジュリアンから母親の居場所を聞き出そうとします。
ジュリアンも嘘をつきながら、父親を母親から遠ざけようとしたのですが、ついに居場所が判明してしまいます。徹底的に夫を拒絶していった結果、アントワーヌの怒りが爆発し、ついには銃を持ったアントワーヌが家に乗り込んできます。
映画「ジュリアン」のネタバレ感想
この映画は離婚後の子供の親権を巡る制度と、それが元に発展した事件を描いた映画になっています。日本とはあまり馴染みのない制度でもあるので、その辺を理解しておくと、この映画が描く社会的なメッセージもすんなりと入ってくると思います。
また、制度や社会に対する批判的なメッセージも盛り込みながら、サスペンス映画としても非常に娯楽性の高い映画と言えます。特に、クライマックスのアントワーヌが家に乗り込んでくる際の緊張感は、息をつかせないほどでした。
そんな社会に対する問いを投げかけ、映画としても面白いこの作品はヴェネツィア国際映画賞では銀獅子賞を受賞し、セザール賞でも栄冠に輝きました。
ここでは、映画「ジュリアン」の個人的な感想や解説・考察をいくつかの項目に分けて描いていきます。
【解説】共同親権が招く事件から見る制度的な欠点
この映画の大筋としては、DV癖のある父親のアントワーヌが原因で離婚をしたのですが、ジュリアンの共同親権が認められた結果、アントワーヌがミリアムに付きまとうような行動をし、最終的に事件に発展するというストーリーです。
この映画においてストレートな題材としては、この部分に対する問いかけにあります。共同親権制度によって、夫婦関係を解消した後でも顔を合わせざるを得ないという状況が生まれ、どちらか一方がストーカー化してしまうというトラブルが生じてしまいます。
この共同親権については、日本ではあまり馴染みのない制度かと思います。確かに日本でも離婚後、親権を持っていない方の親が定期的に面会をするといったことはありますが、それはあくまで権利ではなく、両者の合意によって面会をすることが可能になります。
この映画はフランスで製作された映画なのでフランスの制度が題材になっていますが、フランスの他、多くの国では映画のような共同親権が認められています。
共同親権が認められる場合、子供を預かっていない方の親は定期的に子供と面会し、時間を共にすることが権利として認められます。これは裁判所が決定し、どれだけ片方の親が認めなくても覆すことはできません。
このような制度があったために、映画のような事件に発展したというのが、この映画における基本的なメッセージでもあります。
この映画に登場するアントワーヌのような問題のある親は少数であることは明らかですが、共同親権を認めるがあまり被害に遭ってしまうケースもあることが示唆されています。
しかし、共同親権というのは平等の精神に則った制度であることは間違いありません。日本の場合、離婚後の親権に関しては、母親側がかなり有利になるような設計がなされています。
もちろんこれにも様々な背景があるとは思いますが、平等的な観点からはずれているという印象です。
一方で共同親権の場合、どちらかに明確な非が認められない限りは共同親権が認められ、子供との面会が可能になるといえます。
映画の中でも離婚調停中、アントワーヌに問題があったことをミリアムが主張していましたが、客観的な証拠にかけるため棄却されてしまいました。
当然ながら、結構生活中に起きた出来事について客観的に証明することは困難ではあるのですが、調停を行う上では客観性を最重要視しなければならないため、このような裁定が下ることもあるでしょう。
このような観点から映画「ジュリアン」を見てみると、理念的な平等精神と現実的な欠陥が衝突しているという現象が見て取れます。権利を認める制度やそれを裁定する手続き、映画「ジュリアン」の中で描かれているのは、理念的な平等性を確保するために必要なことだと思います。
しかし、現実としてミリアムやジュリアンは、アントワーヌに襲われるという被害に遭ってもいます。
こういった理想と現実の衝突は、現代社会でもよく見られる現象でもあります。平等性を実現しようとするあまり現実的な衝突や軋轢が生まれてしまい、さらなる分断を招くといったことは世界中で起きている現象でもあります。
これはDVと親権に関する制度を描いた作品ではありますが、このようなある意味システムの中で生まれるバグのような現象に対して、私たちはどのように向き合うべきなのかを考えさせてくれる映画ともいえます。
そういった意味では、この映画は単なるサスペンス映画でもなく、親権や子供を描くだけのものでもなく、もっと射程を広げて考えることができる映画なのかもしれません。
【考察】映画「ビリーブ 未来への大逆転」を一緒にみるとより良い
映画「ジュリアン」は、単なる社会問題の1ケースを浮かび上がらせる映画としてだけではなく、もっと示唆に富んだ映画だと思いました。
そこで、少し前に公開された映画「ビリーブ 未来への大逆転」を併せて見てみると、より深く考察できるのではないかと思いました。映画「ビリーブ 未来への大逆転」という映画は、男女差別が残っているアメリカ社会の中で、女性の権利のために立ち上がった女性弁護士・キンズバーグの半生を描いた映画でもあります。
この映画の中で、主人公の女性弁護士が男女の平等を主張するために、訴訟に挙げたのが「法の下による男性差別」でした。介護費用の所得控除に関する当時の法律では、女性のみが受けられるような制度になっており、それを男性にも権利を付与することを求めた裁判を提起しました。
その裁判の結果、のちに法の下で行われてきた男女差別が次々と撤回されていく世の中になっていくというのが、この映画の内容となります。
映画「ジュリアン」の制度をめぐる解釈を見てみると、映画「ビリーブ 未来への大逆転」の中で力強く訴えられていた内容は、皮肉な結果として見えてしまいます。
共同親権は性別関係なく親権を行使できるという平等精神に則った制度でもあります。母親に有利な親権制度は、見方によっては「法による男性差別」でもあります。そのような差別を撤廃するために、ギンズバーグは戦ってきたわけですが、平等にした結果、余計なトラブルが起きてしまうということもあるわけです。
ただ、これはあくまで一面的な見方にすぎず、重要なのは理想と現実の折り合いをどのようにつけるのかという点にあります。「ビリーブ 未来への大逆転」と「ジュリアン」という2本の映画からは、私たちの社会が抱える問題を解決する道のりは、途方もないことであるともいえます。
そして、安易に平等にするだけでは問題を増やすだけになってしまうこと、問題を解決するために差別をしてしまうことのバランスについて深く考えさせれてしまいます。
【解説】夫アントワーヌの視点からこの映画を解釈
アントワーヌが離婚を突きつけられた理由としては、彼のDV癖が原因となっていました。
離婚調停では、ボーフレンドと遊んで夜遅くに帰宅した姉のジョセフィーヌに対して、暴力をふるって怪我をさせたという主張がミリアムからなされました。
見た目も雰囲気も体格も、どこからどう見ても悪そうな印象を観客に抱かせてしまいます。それ自体は偏見であり、そういった目で見てはいけないのですが、そうなってしまうことに最初は罪悪感を抱いてしまいます。
この映画の冒頭は離婚調停のシーンからはじまるのですが、妻の証言とは裏腹にアントワーヌは一見良い人そうな態度で自分の主張を繰り返します。そして、娘に対しての暴行についても、教育的な躾で怪我をさせるほどではないと主張しました。
客観性が問われる離婚調停のような場において、こういった状況では、共同親権を認めなければなりません。いくら男性が大柄で目の奥が暗くて、何をするかわからないような見た目であっても、それだけの理由で裁定を下すことはできないのです。
そして、映画が進んでいくごとに彼の人間性が明らかになっていきます。最初はサスペンス映画として見ていたので、実は妻の方が悪役で…みたいな展開を予想してはいたのですが、ストーリーとしては割とストレートな展開で、結局アントワーヌが悪者として描かれています。
しかし、暴力的な姿をかいまみせる一方で安定した部分も持ち合わせていました。精神的な不安定さを抱えており、それが原因で暴力に走ってしまったとも解釈できます。
また、印象的だったのが、ミリアムへの執着心の一方でジュリアンに対する無関心さです。ジュリアンと面会をするときでも、ミリアムの電話番号や住所などを効き出すときは積極的にコミュニケーションをとるのですが、それ以外の場面ではジュリアンから話しかけたときでも無視をするなど、子供への無関心さが見て取れます。
彼が結婚当初、妻を愛していたことは事実だと思いますし、愛し合ったいたことは容易に想像できます。しかし、幸せそうに過ごしていた夫婦でも、このように崩壊してしまうこともあるでしょう。
そして、ミリアムはアントワーヌに対して、徹底的な拒絶の意思を示します。また、アントワーヌは自分の両親からも拒絶されてしまい、孤独感も抱えていました。
もともと不安定な精神状態で気性が荒く、手が出てしまうタイプだと伺えるアントワーヌが周囲からの拒絶によって孤独を抱え、最終的に破滅的な行動に出てしまったと解釈できます。
アントワーヌはこの映画においては悪者として描かれていますが、もしかしたらいずれかの段階で彼を救うことは可能だったのではないかと考えさせられてしまいます。であれば、最後に起こす凶行に至ることはなかったのではないでしょうか。
また、映画としてもアントワーヌの人間性は非常にサスペンスを引き立てています。基本的に無表情で怒っているとき以外は感情の起伏が少ない人物で、ともすれば優しそうな雰囲気も感じ取れます。
ただ、そういった人物だからこそ、怒りに身を任せた時に、何をしでかすかわからないという恐怖があります。最後のシーンで、アントワーヌがミリアムの家に乗り込んだ時の恐怖感は、彼のようなキャラクターが持つ怖さと合わさって、緊張感を作り出していました。
【解説】ジュリアンの視点からこの映画を解釈
映画「ジュリアン」において重要な人物となるのが息子のジュリアンです。年齢が幼いため共同親権の対象となり、定期的にアントワーヌと面会しなければなりません。
その際に、ミリアムの情報を聞き出そうとするアントワーヌに嘘をつきながら、母親を守っていきます。
ジュリアンからしてみれば、共同親権という制度における被害者の一人でもあります。恐怖感を抱える父親と一定時間を過ごさなければならないというのは、子供にとっても非常につらいことでしょう。
また、母親側で生活を送るジュリアンの証言は、離婚調停において「ジュリアンが本音として発言した証言」とは認めづらい状況にもなっていました。面会中もアントワーヌはジュリアンに対して愛情を注ぐのではなく、あくまでミリアムに会うための口実として面会を行なっています。
ジュリアンにとって全く有益ではない時間を過ごしており、この制度が一体誰のための制度なのかと考えさせられてしまいます。
そして、被害を被るジュリアンの痛々しさはもちろんですが、弱くも勇気を持って、母親をアントワーヌから守ろうと努める姿は魅力的でした。
【解説】ジョセフィーヌの視点からこの映画を解釈
ジョセフィーヌはアントワーヌとミリアムの娘で、ジュリアンの姉に当たります。18歳を超えており、親権の対象からは外れているため、ジュリアンのように共同親権によってアントワーヌに会う必要はありませんでした。
物語全体には大きく関わってこない人物なのですが、ジュリアンと対比的にジョセフィーヌを見てみると、この映画に対する重要な視点を投げかけてくれます。
彼女はアントワーヌが襲ってきた時も家にいませんでした。さらに中盤では、恋人との関係を母親からも咎められるシーンや、トイレで妊娠検査薬を使っていたことを示唆するシーンもありました。
そして、誕生パーティのあと、恋人と2人で姿を消してしまいます。これは映画では触れられていませんが、おそらく恋人との間にできた子供を妊娠してしまい、それがきっかけで家出をしたのではないかということが考えられます。
18歳を迎え、ある意味親から自由になったジョセフィーヌ、自由になったことでジュリアンのような被害に遭うことは免れました。
しかし、このような若い愛し合っている2人であっても、アントワーヌとミリアムみたいな関係にならない保証はどこにもありません。むしろどんな夫婦であっても、最初は愛し合っているもので、徐々に関係性が変化してくものです。
ジョセフィーヌの恋人は優しそうで常識的な性格をしている人物に見えましたが、彼女の家族に起きた出来事と対比して、2人の将来に影を落とすような解釈ができます。
こういった部分から物語には大きく関わりませんが、姉のジョセフィーヌも注目すべき人物と言えます。
映画「ジュリアン」は離婚制度に対する批判だけではない作品
映画「ジュリアン」は、ストレートなDVという社会問題を扱うだけの映画ではないことが伺えます。さまざま側面から示唆を与える作品でもあり、見た後に深く考え込んでしまう映画でした。
また、サスペンス映画としてもクライマックスの緊張感は特筆すべき点でしたので、映画「ジュリアン」ぜひご覧になってみてください。