映画『娼年』は娼夫となった青年が、セックスを通じて女性が持つ悩みや欲望を知り、誰かと触れあうことの喜びや意味を見出していく物語です。
全編の半分近くを占めるベッドシーンからは、松坂桃李が持つ艶やかな魅力に溢れています。脚本や演出の妙も相まって、数々の女優たちと演じた濡れ場は、単純なポルノ作品では見ることができないヒューマンドラマを描くことに成功しました。
今回はそんな『娼年』の詳しい感想や解説を紹介していきます。なお、物語の核心に触れるネタバレを含んでいるのでご注意ください。
目次
映画『娼年』を観て学んだこと・感じたこと
・言葉としてのセックスで人との交流を見事に描いたドラマ
・松坂桃李の隠しようがない色気にムラムラくる
・ポルノ作品に忌避感がある人にこそ見て欲しい作品
映画『娼年』の作品情報
公開日 | 2018年4月6日 |
監督 | 三浦大輔 |
脚本 | 三浦大輔 |
出演者 | 森中領/リョウ(松坂桃李) 御堂静香(真飛聖) 咲良(冨手麻妙) 平戸東/アズマ(猪塚健太) 白崎恵(桜井ユキ) 田島進也/シンヤ(小柳友) |
映画『娼年』のあらすじ・内容
あらゆる物事に冷めた視線を投げかける青年・リョウ。バイト先のバーで彼は会員制クラブのオーナーである御堂静香と出会います。
女性なんてつまらないといい、セックスを手順の決まった面倒な運動だと切り捨てるリョウに対して、自分を満足させられるセックスを見せて欲しいという静香。彼女はリョウを試すために、娘の咲良を抱くよう依頼します。実は、彼女が経営するクラブは非合法のボーイズクラブだったのです。
静香の出したテストにかろうじて合格したリョウは、女性に体を売る娼夫としてボーイズクラブに従事することになりました。客としてやってくる女性の悩みに触れ、それをセックスで解消することを通じて、リョウは少しずつ女性への見方を変えていくことになります。
映画『娼年』のネタバレ感想
舞台化に続き、映画化された『娼年』
映画『娼年』の原作は、2001年に発刊された同名の小説です。著者は2003年に『4TEEN フォーティーン』で直木賞を受賞したベストセラー作家の石田衣良。デビュー作であり彼の代表作でもある『池袋ウエストゲートパーク』は、2018年時点で計14作を数える一大シリーズになっています。過去には宮藤官九郎の脚本によってドラマ化もされました。
石田衣良のデビューは1997年であり、『娼年』はデビュー後4年が経過したころに書かれたものになります。『娼年』を書き始めたきっかけは、何でも好きなものを書いていいといわれたことに対して、ほぼ全編ベッドシーンの小説を正面から書きたいと思ったことだそうです。2008年には続編となる『逝年』、2018年にはシリーズ完結編となる『爽年』をそれぞれ発表。いずれも娼夫となったリョウのその後の話が描かれています。
『娼年』は映画化の前に、2016年にも舞台化されています。舞台でリョウを演じたのは映画と同じく松坂桃李、また、演出および脚本を担当しているのも映画と同じく三浦大輔です。
R15指定の作品として、舞台上で繰り広げられるリアルに迫った濡れ場や、原作とは少し異なるラストが大いに話題となり、観客からも絶賛されたといいます。それだけに、ある意味で舞台よりも自由に制作できる映画において、『娼年』がいったいどのような作品に変貌するのかを楽しみにしていた人は多かったようです。
濃密なベッドシーンの連続に圧倒される
息が詰まるような濃密なベッドシーンの連続が、映画『娼年』の最大の特徴です。セックスなんてつまらないと切り捨てていた主人公のリョウは、静香の手ほどきを受けて娼夫となり、風俗店にやってくる客や関係者との濡れ場を見せつけていきます。
リョウが相手をするのは静香の娘である咲良、大学の友人である白崎恵のほか、リョウの客であるヒロミにイツキ、名称不明の主婦に資産家の妻である紀子、さらにはなんと70歳になる老女も。リョウは娼夫として、物語に登場するほぼすべての女性たちを抱くことになります。
また、彼と同じ娼夫であるアズマとの濡れ場もあるなど、相手が女性だけではないというのも見逃せないポイントでしょう。こうした数々の相手とのベッドシーンが非常にリアルに迫った描写を伴って、全編の半分近くも映し出されます。
ベッドシーンにそれだけ長い時間をかけていることには、意味があります。リョウと関係を持つ女性たちが持っているのは、一癖も二癖もある悩みや欲望です。それは少なからず性的なものに根ざしているため、言葉や仕草でもって慰めるだけではなく、セックスそのものによって受け止めなければなりません。相手の欲望の大きさを演出するだけではなく、その欲望を正面から受け止める娼夫の存在をはっきりと示すためにも、ベッドシーンを誤魔化すわけにはいかないのです。
もちろん、シーンそのものを間接的に描くことも可能だったかもしれません。しかし、それでは原作が持っている魅力を損なうだけではなく、よくできたプレイボーイを主人公とする作品と大した違いのないものになっていたでしょう。あくまで主人公はプレイボーイではなく、金で体を買われる青年なのです。
男性が一時の快楽を求めて風俗街へ向かうように、リョウを買う女性たちも、その欲望を慰めてもらうことを目的としています。むしろ、男性が女性を求めるというイメージの強い風俗において、女性が男性を買うという行為には、男性以上に抑圧された女性の欲望が凝縮されているといえるでしょう。女性たちの耐えがたい欲求と、それを一時的に解消するという売春の特徴を両立させるためには、目を背けることなく、けれども目を覆うようなベッドシーンを正面から描くことが不可欠だったのです。
エンターテイメントとしてのポルノ
いくら濃密なベッドシーンがあるからといって、ポルノ映画やアダルトビデオのような興奮を本作に求めても、おそらく肩すかしをくらうことになるでしょう。俳優による熱演でもって繰り広げられるベッドシーンは確かにどれも迫力があります。しかし、アダルトビデオなどによく見られる、近視眼的に視聴者の興奮を煽るような演出はありません。
そうした興奮を煽らずに濃密なベッドシーンを作り上げている点は、本作の魅力のひとつといえるでしょう。本作のベッドシーンはすべて事前に絵コンテやビデオコンテを作成したうえで、出演者が丁寧なリハーサルや打ち合わせを行っています。出来上がったベッドシーンのリアルさは真に迫り、松坂本人も本作だけで7、8年分の濡れ場を経験したような気分だと語るほどです。
また、セックスを単純なポルノではなく、アートのように切り取ることもなく、エンターテイメントとして昇華している部分も本作の特徴です。たとえばリョウの客のひとりであるイツキは、幼少時に放尿してしまったときに感じたエクスタシーが忘れられないため、目の前で漏らすのを見て欲しいと語ります。真剣な顔で語るイツキの様子も相まって、誰も傷つけることのないその秘めた欲望は、どことなく笑いを誘います。
さらに、高齢の資産家である泉川が、リョウが妻を抱く様子をビデオに撮影したいというシーンは、本作の笑いを凝縮したシーンだといえるでしょう。乱暴に犯して欲しいと頼まれたリョウは、チンピラ風の男をわざとらしく装って、泉川の妻である紀子とのセックスに臨みます。
できの悪いアダルトビデオのような様子になりますが、撮影している泉川はだんだん興奮していき、車椅子に座ったまま自慰行為を始めるという展開に。一瞬素に戻ったリョウに対して「森中くん、続けなさい!」と叫ぶ泉川の様子は本作屈指のシーンのひとつです。なお、この泉川を演じているのがあのベテラン俳優、西岡德馬である点は特筆すべきでしょう。
松坂桃李の存在をさらに押し上げた作品
主人公のリョウを演じる松坂桃李は、2009年にスーパー戦隊シリーズ『侍戦隊シンケンジャー』でデビューしました。若手俳優の登竜門と呼ばれて久しい特撮作品において、松坂桃李もまた卓越した演技力と存在感を発揮。その後も数々のドラマや映画、舞台などに出演し、俳優としての実力を着々と伸ばしていきました。
甘いマスクが特徴的な松坂ですが、2017年に公開された『彼女がその名を知らない鳥たち』では、中身も台詞も薄っぺらな最低のクズ男を演じています。また、『娼年』と同じく2018年に公開された『不能犯』では、不気味な笑いが印象的なダークヒーローを演出するなど、多彩な演技力を見せつけました。『娼年』が公開された2018年の時点において、彼がトップクラスの若手俳優のひとりであることは疑いようがありません。
そんな松坂が『娼年』でR15指定の舞台に臨み、さらにはR18指定の映画に主演男優として出演したことは、日本の映画界における事件であったといえるでしょう。濡れ場は俳優の演技力がもっとも試される場面のひとつです。それだけに、生半可な演技力では太刀打ちできません。
また、濡れ場を演じることは、場合によっては俳優としてのイメージを大きく変えることにもつながります。今をときめく若手俳優として今後活躍するであろう松坂が、イメージを壊すリスクを冒してまで『娼年』へ挑戦したことは、大いに賞賛されるべきでしょう。
実際、ベッドシーンそのものに対する賛否はあるものの、濡れ場における松坂の演技は観る人をぐいぐいと引きつけます。序盤の独りよがりで単調なセックスはもちろんのこと、後半では自分を買う客の想いを受け入れながら、共に登り詰めようとする様子がうまく表現されています。これまで松坂に潜んでいた官能性が、水を得た魚のように生き生きと目を覚ましていくのがわかります。
本作を通じて、松坂はこれまでの特撮出身というイメージから脱却し、いくつもの異なるキャラクターを演じきった先で、さらに濡れ場を巧みに表現する俳優へと成長したのです。『娼年』はまさに、彼の新たな代表作になったといっても過言ではありません。
【解説】性風俗産業の汚い部分が見えない
『娼年』の内容で少し引っかかりを覚える部分があるとするならば、おそらく性風俗産業におけるダーティな部分がいまいち見えてこない点でしょう。リョウ自身は女性の素晴らしさに触れていき、セックスを通じてコミュニケーションを行う娼夫の仕事に喜びを覚えていきます。
他方、体を売ることへの葛藤や、自身の仕事に対しての疑問などについては、深く描かれることはありません。この点をもう少し掘り下げると、リョウの普通な部分がより際だったのではないかと感じられます。作中で娼夫の仕事を真正面から汚いと切って捨てるのは、リョウの友人である恵くらいです。
また、リョウが忌避したくなるような客がいなかったのも気になります。なぜか変態的な性癖はすべてアズマが抱えることになってしまっており、リョウだけが汚れていない位置で振る舞っているように見えるのです。性風俗産業のごく綺麗な部分だけを切り取り、それ以外の部分を捨てている点はどうにもフィクションめいていました。
【解説】リョウの成長がバランスよく描かれている
とりわけベッドシーンの多さが強調される本作のもうひとつの魅力は、主人公であるリョウの成長です。当初、リョウは女性やセックスをつまらないと感じているだけではなく、通っている大学にも意味を見出せずにいました。冒頭、ひとりで東京を歩く彼の姿には、意味を見出すことを諦めているかのような、寂寞とした雰囲気が漂います。
そんなリョウは、自分を買う女性が決してつまらない人間などではなく、自分だけの悩みや欲望を持った存在であることを知ります。夫や気のおける友人にも理解されない悩みを、お金で買ったリョウに対してだけ打ち明けてくれるのです。女性が持つさまざまな内面を知ったリョウは、セックスを通じて彼女たちの悩みに触れていきます。
そして、自分がいままでしてきたセックスがいかに相手を慮ることのない、独りよがりな運動であったことを知るのです。他者を理解し始めたリョウは、娼夫の仕事の楽しさを知り、さらに多くの人たちに触れていきます。
一方、リョウもまた、あるコンプレックスを抱えていたことが作中で少しずつ明らかになります。それは、幼いころに死別した母親の存在です。リョウの母親は幼いリョウに対して、すぐに帰ってくるから待っているようにと告げ、そのまま帰ってくることなく亡くなっています。
母親と最後の約束をしたときの光景を何度も夢に見るリョウ。彼の様子からは、死別した母親のことが心の奥底にずっと引っかかっているのがわかります。また、自分を買う女性に年上が多いことが気にならないのは、おそらくそのせいだともいうのです。
女性たちがリョウへ密やかな悩みを打ち明けるように、リョウもまた、静香と咲良にそのことを打ち明け、理解してもらえたことに安堵する様子を見せます。そうしてリョウは、母親が生きていれば同じくらいの年齢である静香へ、次第に好意を寄せることに。
しかし、静香にはある重大な秘密があり、リョウの気持ちを受け入れることができません。リョウは燻った気持ちを抱えることになります。それはリョウにとって昇華されないマザーコンプレックスの変容といえるものであり、一般的な成長とは異なるものです。
最終的にリョウが自分の気持ちにひとつのけじめをつけるのが、ラストシーンで静香に見守られながら、咲良と2回目のセックスを行うシーンでしょう。リョウの好意を拒絶する静香に対して、自分がまだ娼夫として未熟であると勘違いした彼は、初めてクラブのテストを受けたときと同じように、咲良とのセックスを見て欲しいと懇願します。彼に好意にも似た信頼を寄せる咲良もまた、リョウの提案に同意しました。
三者三様の思いが交錯するなかで繰り広げられるセックスからは、いつしか直接に参加していない静香も巻き込んで共に達してゆく様子が見られます。リョウにとっては静香への好意が別の形で解消されたようにも見えますが、作中で彼の真意が語られることはありません。
また、男女間の恋愛や家族愛としての解消とも異なり、明確な言葉を当てはめるのが難しいといえるでしょう。しかし、静香が最後にリョウへ送った、「またいつの日か、三人で過ごした日々が戻ってくることを願っています」という言葉から、リョウ、静香、咲良の間には不思議な調和が生まれているように感じられます。それは他人をつまらないと感じていたリョウにとって、初めてできた絆のようでもあり、成長の証でもあるといえるでしょう。
【解説】性風俗産業で重宝される「普通」の人
娼夫であるリョウは、いつしか静香のボーイズクラブにおいてアズマと並ぶVIPクラスに昇格します。リョウが女性たちから絶賛されるのは、年上の女性に対して自然体な様子で接することができる点のほかに、もうひとつの理由があります。それは、性風俗産業においてリョウがアブノーマルではなく「普通」だからです。作中でアズマは、リョウが普通だからこそ絶対に売れるといいます。
作中の女性たちは、静香の娘である咲良や大学生の恵を除けば主に四十代あたりです。もちろん、四十代にも特有の性的な魅力はあるものの、より若い女性を好む男性が多いのも事実。初老とも呼ばれる彼女たちにとって、セックスがしたいという欲望をストレートに吐露することには抵抗があり、拒絶されるかもしれないという恐怖があります。そして作中では実際に、夫に性交渉を拒否されたという苦しみを打ち明ける女性もいました。
中年女性の性的な欲望を自然体で受け止めるリョウは、裏の世界にいるようなアブノーマルなキャラクターではなく、普通の青年です。年上に抵抗がないという特徴を持っているとはいえ、彼がいわゆる年上の女性に対してのみ、突出したフェティシズムを持ち合わせているわけではありません。彼女たちは、ただ自分とセックスしたいだけの男ではなく、どこにでもいるような青年が自分を受け止めてくれることに喜びを見出しているのです。
彼女たちにとって、自分の悩みを理解できない夫や友人知人は求める相手になり得ません。長くつながってきた相手であるからこそ、互いの関係には愛情や信頼だけではなく、清濁さまざまなものが積み重なっています。関係に時間をかければかけるほど、互いが求めるものが少しずつすれ違うこともあるのです。彼女たちが立っているのは、すれ違った先の行き止まりだといえます。
一方、リョウはフィクションのような存在であるからこそ、彼女たちの悩みを受け止めることができます。彼女たちにとって、リョウは望むものを与えてくれる存在ではあっても、彼女たちに対して何かを求めてくる存在ではありません。片側だけの欲求を聞いてくれるだけで常に成り立ち、一夜が過ぎればリセットされる関係。その関係は深く掘り下げられることがないものの、決して破たんすることもないのです。
現実の生活を続けていかなくてはならない彼女たちにとって、リョウとのインスタントな関係は非常に都合のよいものであるといえるでしょう。逆説的ではあるものの、彼女たちが求める相手は一夜限りの娼夫というアブノーマルな存在でなければならず、けれども普通の男性であって欲しいという歪んだ欲望に彩られています。
また、リョウの普通な部分が強調されるシーンとして見逃せないのが、アズマの告白です。痛みを快感として捉えるマゾヒストのアズマは、体に入った無数の切り傷を見せながら、自分を買う客は金持ちでアブノーマルの変態ばかりだとリョウに打ち明けます。そして、居酒屋でわいわい騒ぎながら、自分の性癖を何の抵抗もなく話してみたいと告げるのです。変態的な性癖をリョウが受け入れてくれたことに対して、アズマは喜びに包まれます。
アズマは、自分の性癖がマイノリティで変態的なものであり、普通の人には晒しがたいものであることを自覚しているようでした。リョウに理解されたときのアズマの喜びからは、同じマイノリティだけではなく、普通の人にも理解されたいという願望や切なさが滲み出ているように感じられます。まさに、リョウが普通であることが求められるのはこの点にあります。アブノーマルがアブノーマルを理解することは容易です。しかし、アブノーマルを理解できる普通の人を探すのは、非常に難しいといえるのです。
もちろん、娼夫という仕事を抵抗なく受け入れたリョウもまた、アブノーマルの領域に片脚を踏み入れているといえるでしょう。ノーマルとアブノーマルの境界は、実はごく近くて反転し易いものだといえるのかもしれません。
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