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実写映画『かぐや様は告らせたい』ネタバレ感想・解説!頑張っているキャストもいるが…

橋本環奈と平野紫耀の演技は微妙...。藤原書記役の浅川梨奈はキャラに寄せていた

映画『かぐや様は告らせたい 天才たちの恋愛頭脳戦』は、漫画として人気を博してアニメ化も実施され、今最も勢いのあるラブコメ作品の同名漫画を初めて実写化した映画作品です。

流行りの作品であったため、実写化が発表された際には筆者を含む既存ファンから大いに出来を疑われたものですが、果たしてその実力はどれほどのものなのでしょうか。

今回はそんな『かぐや様は告らせたい 天才たちの恋愛頭脳戦』の感想や解説を、原作ファンの視点から書いていきます!なお、原作やアニメ、および当映画のネタバレには注意してください。

映画『かぐや様は告らせたい 天才たちの恋愛頭脳戦』を観て学んだこと・感じたこと

・キャストも良くはないが、思っていたよりは…
・原作ファンがこの作品を好きになる理由はない
・一つの作品としてまとまりを欠いている

映画『かぐや様は告らせたい 天才たちの恋愛頭脳戦』の基本情報

公開日2019年9月6日
監督河合勇人
脚本徳永友一
出演者四宮かぐや(橋本環奈)
白銀御行(平野紫耀)
藤原千花(浅川梨奈)
石上優(佐野勇斗)
柏木渚(池間夏海)
田沼正造(佐藤二朗)

映画『かぐや様は告らせたい 天才たちの恋愛頭脳戦』のあらすじ・内容

映画『かぐや様は告らせたい 天才たちの恋愛頭脳戦』のあらすじ・内容(C)2019 映画「かぐや様は告らせたい」製作委員会 (C)赤坂アカ/集英社

全国から秀才たちが集う超エリート学校・秀知院学園。この輝かしい学校で生徒会長を務めるのが、頭脳明晰で全国模試でもトップクラスの成績を収める白銀御行という男でした。

一方、副会長を務める四宮かぐやも秀才かつ美しい女性で、二人は周囲からも一目置かれる存在でした。

始めは打ち解けなかった二人もいつしか互いに惹かれるようになり、それとなく好意を見せ始めます。

しかし、秀才ゆえにプライドを持っていた二人は「惚れた方が負け」と考え、やがて「相手を惚れさせ、告らせたい」と思うようになりました。こうして、御行とかぐやによる、周囲の人々を巻き込んだ「恋愛頭脳戦」が開幕していくのです。

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映画『かぐや様は告らせたい 天才たちの恋愛頭脳戦』のネタバレ感想

橋本環奈と平野紫耀の演技は微妙…。藤原書記役の浅川梨奈はキャラに寄せていた

橋本環奈と平野紫耀の演技は微妙...。藤原書記役の浅川梨奈はキャラに寄せていた(C)2019 映画「かぐや様は告らせたい」製作委員会 (C)赤坂アカ/集英社

まず、放送前から最大の懸案として考えていたキャスト陣ですが、結論から言えば「思っていたよりは」悪くなかったです。というのも、放送前の時点で「キャラと俳優のマッチ度が低い」とネット上では噂されており、確かに「白銀会長にしてはイケメンすぎて目が死んでない」「かぐや役の橋本環奈はむしろ藤原書記向きなのでは?」といった印象については同意見ですし、彼ら以外のキャストについてもかなり期待値を下げた状態で鑑賞しにかかりました。

しかし、まあお世辞にも演技はうまくありませんし、主演二人に関しては思っていた通りキャラ相性の悪さが出ていたような気がしますが、個人的には藤原書記役を務めた浅川梨奈については高く評価したいと思います。

その理由として、この作品で「藤原千花」を演じる、つまり「そのキャラクターになり切ろう」という努力が明確に表れていたからです。もともと、原作でもかなりハジケたキャラをしていた彼女をどのように演じるかということについては、上映前から気になっていました。その点に着目すると彼女は頑張って難しいキャラに寄せていこうという演技をしていましたし、その成果もある程度出ていたのではないかと思います。

残念ながら千花のキャラを実写で演じてしまうと、そもそも絵図として非常に厳しいものになるということも、皮肉ながら彼女の好演でハッキリしてしまいました。やはりあのキャラは二次元でやってナンボなのであり、実写ではやや「キツイな…」というのが正直なところでした。とはいえ、その点に関しては彼女の問題というよりもむしろ脚本や演出の責任に帰する部分であり、その演技を責めるのは筋違いでしょう。

 

以上のように、キャストによっては健闘している痕跡も確認できたため、正直に言って一つたりとも褒めるところがないと思っていた期待値は超えてきたという印象です。ただ、言うまでもなくこれは「漫画・アニメの流行物における実写化」という限られた世界での評価であり、例えば彼らが是枝裕和や北野武といった国内外で高い評価を得ている監督の作品に出ても、見劣りしない演技をしているというわけではありません。

さらに言えば、主演の二人やオリジナルキャラクターを演じた佐藤二朗の演技に関しては、あまり褒められる部分がありませんでした。彼らに共通していることは、見た目や設定だけが作中のキャラクターにもかかわらず、その演技から感じる印象が「橋本環奈」というように、演者本人に見出すような印象と何一つ変わらないということです。これでは、もはや役を演じていると言っていいのかさえ怪しいものです。

前半部は原作をツギハギしたものの、まとまりが不足

前半部は原作をツギハギしたものの、まとまりが不足(C)2019 映画「かぐや様は告らせたい」製作委員会 (C)赤坂アカ/集英社

さて、ここからは映画の中身を解説していきます。ただし、先ほど「比較的キャストは頑張っていた」と語りましたが、演出や脚本といった映画の出来については、褒めるところを探す方が難しいといった有様です。そのため、基本的には批判的な内容が中心になります。

まず、作品前半部については基本的に原作のエピソードをいくつも繋げていくというアレンジなされており、おおまかな展開については原作のそれを強く意識していることが分かります。そのため、エピソード単位で見ていけば原作の良さが再現されている箇所もなくはありません。

しかし、最大の問題点としては、原作・アニメでは一話完結の体をとって同じ作品ながらも、別個のエピソードとして独立しているエピソードをまとめて一つの流れの中に放り込んでしまったため、映画として話がとっちらかってしまっていたのがかなり気になりました。なぜそう感じたのかというと、基本的に一話完結で映えるように設計された演出を、悪い意味で原作再現してしまったためでしょう。

そもそも、本作は一話で落とすことを原則としており、エピソード単位で起承転結が完結しひと笑いできるような構成になっています。分かりやすく要素を紐解いていくと、「かぐやor白銀があらぬ勘違いをして、そこで煩悶した結果どちらかが動揺して負けてしまう」というような展開が多めです。そのため、これをただいたずらに接続しただけの本作は、いちいち起承転結が用意されていて非常にクドい上に、物語の大きな軸を見失ってしまっているような印象が否めませんでした。

 

加えて、当然ながら原作の内容全てを映像化できているわけではなく、エピソードをいくつか取捨選択して映画に落とし込んでいます。それ自体は全く問題ないと思うのですが、気になったのは「原作では説明済みの伏線や設定」を無視してしまっているために、突然ひどく違和感のあるシーンが生まれていたことです。

分かりやすく例を出すと、本作では秀才設定のかぐやが突然ガラケーを使用し始めます。しかし、舞台設定は恐らく現代なので、これほどの女子高生がガラケーを使っているのは明らかな違和感があるハズです。これにはもちろん理由があって、原作ではかぐやが機械音痴であり、それを生かしたエピソード(SNSを使いこなせない)などが登場しているため読者もこれを受け入れやすいのです。ところが、本作ではこうした説明を一切せずに突然ガラケーを使い始めてしまうので、初見の方は「んん?」となってしまったかもしれません。

ぶっちゃけた話をしてしまうと、本作のようなタイプの実写映画は「原作ファンよりもキャスト目当ての一見さん」をメインターゲットと考えているでしょう。であれば、こうした初見の方にとって不可解な演出は、我々のような既存ファンが思う以上に大きな問題点かもしれません。

後半部のオリジナル展開はかなりお粗末

後半部のオリジナル展開はかなりお粗末(C)2019 映画「かぐや様は告らせたい」製作委員会 (C)赤坂アカ/集英社

さて、ここまで映画前半部に存在した問題点を解説してきました。上記の時点でもかなり批判的な解説が多めになってしまいましたが、残念ながら映画後半部はそれ以上に問題の多い内容をしていたと思います。

確かに前半もまとまりを欠いた原作の劣化版であることは否めないのですが、一方で「あくまで原作に基づいている」という点において最低限の水準を保っていました。そのため、個別のエピソード自体はそれなりに面白く、キャラクターについても説明不足ながら原作の設定を大きく逸脱することはなかったです。

ところが、後半は原作の一エピソードを大幅に改造し、実質的にほぼオリジナルの展開を採用したことで欠点が浮き彫りになってしまいました。元になったのは原作における生徒会選挙戦のくだりで、ここでは会長再選を狙う白銀と真面目一筋で知られる後輩の伊井野ミコが対決することになります。

しかし、会長として実績を重ねてきた白銀に対し、ミコは真面目一辺倒すぎるあまり自滅を繰り返したため、選挙では勝負にならないかと思われました。そこで対戦相手の白銀自身が彼女をアシストし、結果としてあわや負けかけるということで話が落ちています。

 

こうした話を、本作では対戦相手としてミコではなくかぐやを用意するという改変によって処理しようとしました。ただ、対決に関する過程や落とし方がお粗末という他なく、さらに後述するような佐藤二朗の存在が絶妙に苛立ちを促進してきます。加えてキャラ崩壊も深刻で、「かぐやの隣に立つために、かぐやにだけは負けたくない」と考えているはずの白銀が見せた戦いぶりには違和感しかありませんでした。

挙句の果てに「結局かぐやは恋の病でした、ちゃんちゃん」という呆れてしまうようなオチが用意されており、これも何ともかぐやらしくないというか、原作を知っていると一言モノ申さずにはいられない結末だったように思えます。

やはりこの作品は原作ファンの感情を逆なでするようなところがあるので、基本的にキャスト目当ての方を除いては「見てはいけないタイプ」の実写化作品となります。個人的に単なる原作の劣化ではないオリジナル展開に挑戦したこと自体は評価したいですが、これほどお粗末なものしか作れないのであれば、黙って原作を追いかけていた方がよかったと思ってしまったほどです。

【解説】お寒いギャグの数々は、銀魂を意識しすぎたか

【解説】お寒いギャグの数々は、銀魂を意識しすぎたか(C)2019 映画「かぐや様は告らせたい」製作委員会 (C)赤坂アカ/集英社

映画には前後半それぞれに別個の問題があるということはすでに指摘してきましたが、それ以上に映画全体で致命的になってしまっている大きな問題点があります。それは、なんといっても「ギャグが滑り倒している」ということです。もともとこの作品自体がギャグ強めのラブコメなので、作風がネタ寄りになっていることは問題ありません。しかし、肝心のギャグがひたすら滑り倒していては、それを見ていて悲しくなってしまいました。

ギャグを解説して「どうして滑っているか」ということを指摘するのは難しいですが、本作の場合は安易なパロディや下ネタといった軽率なギャグが多かったことに原因があるでしょう。さらに、こうしたものを突き詰めて採用しているという訳ではなく、ブラックなネタや権利的に怪しいネタにはいっさい触れないという弱気な姿勢も目立っていたように思えます。

 

加えて、映画後半部で存在感を増していた佐藤二朗の滑り方は目も当てられません。どこかで見たようなお馴染みのしゃべりや動きで笑いを生み出そうとしているのですが、いかんせん既視感しかないために、世界観からは浮くわ、演出としてくどさを感じざるを得ないわと、決して多くない出番の中で強烈な悪印象を植え付けていったのはある意味で鮮烈でした。

このあまりに過剰な演技を演者の一存で採用しているとは思われないので、当然ながら製作陣が指示を出していることになります。では、なぜこれほど過剰な演技や中途半端なパロディを採用したのか。

この答えとして浮かんだのが、キャストで共通する点の多い実写版『銀魂』の内容を意識しすぎたことだと思います。この作品も本作と同じく実写化された漫画作品なのですが、非難が集中することの多い同ジャンルにおいて商業的な成功を収めました。それゆえに、製作陣は「銀魂の後追いでヒットを目指そう」という目標を掲げたのではないでしょうか。

しかし、当たり前のことですが『銀魂』と『かぐや様』は違う作品なので、同じような手法を採用するだけでは上手くいっていなかったですし、さらに特段のオリジナリティもない単なる後追いでは元ネタを超えられるハズもありません。この浅はかな狙いが見え透いた製作スタイルには大変腹が立ちましたし、せっかく終盤でオリジナル展開に挑戦したことが台無しになってしまいます。

【評価】実写版流行りものの中ではマシな部類だが、そもそも比較対象が…

ここまで散々こき下ろしてきたことからも分かるように、本作に関する評価は決して高いものではありません。仮に私が「かぐや様気になってるんだけど、出来はどう?」と聞かれたら、「できればワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドを見てほしいな」と返すでしょう。

ただし、そもそも映画として破滅的な作品が多い実写化作品の中では、「まだ観れる部類」であることも事実です。基本的に破綻していることが多いキャスティングに対して、本作は主演の二人を除いて、基本的に原作に近づけようという努力の形跡が確認できます。

本当に低い争いであることは承知していますが、こうして明確な褒められる点があるだけでまだマシな作品であることは否めません。他にもいくつか褒めるべき点はあり、『実写版 鋼の錬金術師』などに比べればずいぶんと見られる映画に仕上がっています。やはり、演技が破綻していないことは重要なのです。

 

まあ、そもそも論として実写化する必要があるのかと問われれば、別にその必要はないと思います。ただし、残念ながら「あの俳優が出ているから映画を見に行く」「とりあえず話題作だから観に行く」という層がいる限り、こうした出来の悪い実写映画が量産されてしまうのは市場原理として防ぎようがないのです。本当に視聴者がいなければ、そのジャンルは自然と淘汰されていきますから。

実写化という事実を叩いたとしても、それが実に無意味な行いであることは承知しているため、もはやそこで本作を攻撃しても仕方がありません。むしろそうした制約がある中でつまらないながらも最低限の内容にまとめ上げ、かつ原作の名前を汚さなかっただけで良しとしなければならないでしょう。

原作ファンの私としては本作がきっかけで原作の名前やコミックス売り上げが上がれば万々歳ですし、映画鑑賞料金を無駄にした価値はあるというものです。

(Written by とーじん)

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