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映画『レッド・ドラゴン』のネタバレ感想・解説!異常心理を解読するサイコサスペンス

映画「レッド・ドラゴン」のあらすじ・内容

2002年制作のサイコ・サスペンス映画『レッド・ドラゴン』は、アンソニー・ホプキンスが狂気の精神科医を演じて世界的なヒットとなった映画ハンニバル・レクター・シリーズの第3弾です。

トマス・ハリスの原作小説『レッド・ドラゴン』の2度目の映画化であり、原作小説はこれが1作目である事から、『レッド・ドラゴン』がもっとも評価されてきたものと言えますす。僕個人はこのシリーズの中で今作が突出して面白いと思っています。

今回は映画『レッド・ドラゴン』のネタバレを含む個人的な感想、解説や考察を書いていきたいと思います!

目次

映画「レッド・ドラゴン」を観て学んだ事・感じた事

・犯罪者プロファイリングという技術の凄さ
・異常心理の解題がすごい!
・シリアル・キラーの抱える悲哀

映画「レッド・ドラゴン」の作品情報

公開日2002年
監督ブレット・ラトナー
脚本テッド・タリー
原作トマス・ハリス
音楽ダニー・エルフマン
撮影ダンテ・スピノッティ
出演者エドワード・ノートン(ウィル・グレアム)
レイフ・ファインズ(フランシス・ダラハイド)
アンソニー・ホプキンス(ハンニバル・レクター)
フィリップ・シーモア・ホフマン(フレディ・ラウンズ記者)
エミリー・ワトソン(リーバ・マクレーン)
メアリー=ルイーズ・パーカー(モリー・グレアム)

映画「レッド・ドラゴン」のあらすじ・内容

映画「レッド・ドラゴン」のあらすじ・内容

家族が皆殺しにされる事件が2件立て続けに起こります。どちらの事件にも異常な共通点がありました。満月の夜に起こり、犯行現場の鏡は割られ、殺された子供たちの前で母親がレイプされた形跡があります。そして、死体の目には鏡の破片が入れられていました。

数々の事件を解決してきたFBI心理分析官のエドワード・ノートンは、ある事件の捜査にあたって、人肉を喰う狂気の天才精神科医ハンニバル・レクターに殺されかかり、それを機にFBIを退職します。

しかしこの異常な連続一家皆殺し事件の発生によって、FBIから捜査協力を求められます。ノートンはこのあまりに異常な犯人のプロファイリングに、レクター博士に助言を求め…。

映画「レッド・ドラゴン」のネタバレ感想

サイコ・サスペンスとしての謎かけの面白さ

サイコ・サスペンスとしての謎かけの面白さ© 2002 – Universal Studios

映画『レッド・ドラゴン』は、精神に異常をきたした連続殺人犯の捜査をめぐるサイコ・サスペンス映画です。映画では犯人が誰かは伏せられておらず、「いったい誰が犯人なんだろう」というタイプの犯人当てサスペンスではありませんでした。

この映画のサスペンス部分は、一見して理解不能と思われる犯人の異常行動のそれぞれにどのような理由があるのか、そしてそれをどのように推理してFBI捜査官が犯人にたどり着くのかという追跡にあるように感じました。映画として、まずはこの追跡が面白かったですね。

 

理解の範囲をこえた連続猟奇殺人の解決に苦しんだFBIは、卓越した犯罪者プロファイリング技術を発揮して、多くの事件を解決してきた元FBI捜査官のグレアム(エドワード・ノートン)に捜査協力を求めます。そしてグレアムが観た犯罪の特徴は、それだけでは不可解と思われるものばかりでした。

殺人はつねに満月の夜に行われます。ある犠牲家族の家には飼い犬がいたにもかかわらず、近所の住民は誰も犬の吠え声を聞いていません。襲われた家の鏡が割られています。そして、殺された死体の目に割られた鏡の破片がはめ込まれています。こうした一見不可解と思われる行動のすべての理由が、映画の進行とともに明らかになっていくのです。これは目が離せませんでした。

プロファイリングによる心理を推理する面白さ

プロファイリングによる心理を推理する面白さ© 2002 – Universal Studios

犯人の残したこうした不可解な形跡を手掛かりとして、捜査陣が犯人像を推理していく事を犯罪者プロファイリングというそうです。この映画でプロファイリングをもとに犯罪者に迫っていくのは、元FBIのグレアムだけでなく、以前は卓越した犯罪心理学者としてFBIの捜査に協力し、しかし現在は猟奇殺人犯として終身刑となっているハンニバル・レクター博士(アンソニー・ホプキンス)です。レクター博士を逮捕した張本人であるグレアムは、レクター博士の卓越した犯罪者プロファイリング能力を頼り博士に助言を求めます。

アンソニー・ホプキンスが演じた天才であり狂人でもあるレクター博士は、この映画シリーズの看板キャラクターです。映画では『羊たちの沈黙』『ハンニバル』『レッド・ドラゴン』『ハンニバル・ライジング』の全4作すべてに登場するキャラクターは、レクター博士だけで、それほどレクター博士の天才性には惹きつけられるものがあります。

レクター博士のプロファイリングの見事さは、FBI屈指のプロファイラーだったグレアムとの比較でも表現されています。なぜ死体の目に鏡を入れるのかという、もっとも奇異な犯人の行動に対する両者の分析には、差があります。

なぜ死体の目に鏡を入れるのか

なぜ死体の目に鏡を入れるのか© 2002 – Universal Studios

現場検証から予想するに、犯人は子どもの死体を母親の所まで連れて行き、目に鏡をはめ込んでから母親をレイプしています。その理由をFBIきってのプロファイラーだったグレアムは、「目に鏡を入れると、死体に精気が与えられ」そうする事によって「死体を観客に見立てた」と推理します。その推理は外れではありません。

しかし、レクター博士の推理はさらに先に踏み込んでいます。「鏡を目に入れるのは自分を見るためだ」。犯罪者プロファイリングに関しては、レクター博士の方が優れているのです。そして、犯人が他人から見て自分がどう見えるのかを非常に気にしているという、レクター博士の着目点は、この猟奇殺人の核心なのです。

死体の目に鏡を入れるという行動を、このように解釈するというのはまったく驚きで、とても興味を惹かれました。普通の感覚で言えば、死体の目に鏡を入れる理由なんて、まったく想像できないと思いませんか?映画ハンニバル・レクター・シリーズは、こうした精神疾患を抱えた異常犯罪者の心理の解題部分が大きな見どころのひとつだと感じますが、『レッド・ドラゴン』で行われる数々のプロファイリングは、シリーズ屈指の見事さと思います。

 

ちなみに、『Xファイル』やこの映画シリーズに出てくるFBI心理分析官には、実際のモデルがいます。ロバート・K・レスラーという元FBI捜査官で、彼は実際のサイコパスによる殺人事件の犯罪者プロファイリングを担当していました。

レスラーは『FBI心理分析官』という本を残していますので、興味ある方は是非どうぞ!創作ではなく実話なのでものすごく面白いです。

シリアル・キラーの実像

シリアル・キラーの実像© 2002 – Universal Studios

このように、『レッド・ドラゴン』の面白さのひとつは、プロファイリングの見事さと解題を追っていくドキドキでした。でも、それだけであったら推理サスペンスのひとつに終わっていた気がします。そこに終わらなかった理由は、殺人者の心理学的な解釈だけでなく、シリアル・キラー(連続殺人者)の犯行動機や犯人像、そしてその描写がリアルであったからだと感じました。

恨みがあるわけでもない相手を次々に殺す連続殺人自体が、普通は理解不能な事なので、その犯人の動機などに納得が出来ないと、たんに映画の面白さのためだけに突飛な殺人が配置されているように感じてしまうのですよね。僕の印象では、大ヒットしたこの映画シリーズの第1作『羊たちの沈黙』は、犯人の掘り下げがレッド・ドラゴンより浅いので、犯人に対して「自分とはまったく別の世界に生きている、頭のおかしい殺人鬼」としか感じる事が出来ませんでした。映画を観終わっても、なぜそのような犯罪を犯すのかを理解できた気になれなかったのです。

しかし『レッド・ドラゴン』は違いました。それどころか、観ていてもっとも感情移入できる人物が、僕の場合は犯人であったほどに、犯人の掘り下げが深いのです。

一家みな殺しを続ける犯人は、ビデオ機材の管理技士であるダラハイド(レイフ・ファインズ)です。彼は口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ:上唇が割けてしまう先天性の異常)で、その事もあってか祖母から虐待を受けて育ち、トラウマを抱えて生きています。自分を虐待し続けた祖母による精神的な支配は、祖母が亡くなった後も続きます。彼はトラウマに苦しめられ、コンプレックスに押しつぶされそうになりながら、ひっそりと生きる一市民なのです。

「自分には理解できない異常な他人」ではなく「いくらでも周りにいそうな、自分と同じように生きている人」なのです。

レッド・ドラゴンと、実在した2人の連続殺人者

レッド・ドラゴンと、実在した2人の連続殺人者© 2002 – Universal Studios

ダラハイド技師が虐待を受けて育ち、コンプレックスを抱えて生きていたから異常殺人者になったと言われても、僕はピンとこなかったんじゃないかと思います。虐待された子供もコンプレックスを持っている人も、いくらでもいそうだからです。

でも、僕にはダラハイドが異様にリアルなシリアル・キラーに見えました。この映画シリーズの中で、唯一の創作ではない生身の人間に思えたほどです。そう感じた理由は、ダラハイド技師にそっくりな実際のシリアル・キラーを僕が知っているからでした。

 

まず、ひとり目です。ダラハイドは支配的で毒舌で高圧的な祖母に育てられ、性格を著しく捻じ曲げられ、そして精神疾患に陥ったシリアル・キラーに見えます。これとそっくりな実在のシリアル・キラーがいます。ヒッチコックの映画『サイコ』のモデルともなった、エド・ゲインです。

20世紀のアメリカにいたシリアル・キラーの代名詞的存在であるエド・ゲインの奇行は有名です。警察が彼の家に踏み入ると人の皮を張られた椅子があり、ベッドの四隅の柱には人骨がかぶせてあり、人の肉で作った靴下があり、台所では人の死体がさばかれていました。ゲインは支配的で独善的な母親に育てられました。そして、ゲインが殺した女性たちは、ゲインの母親と同じ特徴を持っていました。殺人の動機のひとつは、母親に対する復讐であったという説があります。

支配的な母親が生み出す狂気

支配的な母親が生み出す狂気© 2002 – Universal Studios

ダラハイドに似た特徴を持つもう一人の実在するシリアル・キラーは、1948年にアメリカ合衆国のカリフォルニア州に生まれたエド・ケンパーです。

ケンパーは母親から抑圧されて生きました。つねに否定され、軽蔑されて生きたそうです。ケンパーは内向的だったそうですが、あまりに強い親にどやされ続けると、子供が口をきけなくなり、いずれ抵抗すらしなくなりますが、それがそのまま内向型の性格になってしまったのかもしれません。

 

ある時、女教師に恋したケンパーは彼女にキスしたいが、そのためには殺さなければならないと思ったそうです。そして成人し女性をレイプして殺すシリアル・キラーになりました。その時にはすでに大人になっていたというのに、ケンパーは女親の抑圧を感じたままの状態でもがいていたのです。そして、最後に母親を殺して抑圧を超越しようとします。

性格、育ての女親からの過度の抑圧、シリアル・キラーとなっていく過程や苦悩の原因。ふたりの実在するシリアル・キラーの特徴は、すべてダラハイド技師と一致します。

エド・ゲインやエド・ケンパーがレッド・ドラゴンのモデルとなったかどうかは分かりません。ただ、特徴が共通しており、こうした実在のシリアル・キラーがいる事から、僕にはレッド・ドラゴンが架空の異常者には感じられなかったのでした。リアルなのです。

なぜ犯すだけでなく殺す必要があったのか

大人になってすでに親の抑圧から解放されているのだから、その抑圧になぜいつまでも拘るのだろうか…というのは、抑圧を受けて精神疾患にまで至ってない僕みたいな人の意見なのでしょう。

ダラハイドの祖母は彼を人間以下の存在のように罵倒しつづけ、失禁すればペニスを切断すると脅していました。そして、祖母が死んでも、ダラハイドが成人しても、彼にはいまだに祖母の叱咤がきこえ続け、同時に祖母の評価は絶対であり続けています。この経験が第三者からの評価を異常に気にする人格を作り上げます。ダラハイド技師は、自分の評判に異常に執着します。「想像していたのと違いました」という美術館の女性に「どういう人物だと思っていたのか」と食い下がり、自分を悪く描いた新聞記者は拉致して「俺を敬え」と言って食います。

あらゆる価値を高圧的に押しつけてくる女親によって、自分で判断する事が出来なくなり、正しいかどうかは第三者にゆだねるしかなくなっていた事も、ダラハイドが「鏡を目に入れた死体という観客」を必要とした理由のひとつでしょう。

 

そして、殺さないと女性と肉体的なコミュニケーションを図る事が出来ない点も、似たような理由と感じました。口唇口蓋裂というコンプレックスだけでなく、女親という女性から常に卑下され否定され続けたために、女性に認めてもらえるとは思えない事が原因ではないでしょうか。エド・ケンパーが「女教師とキスするためには彼女を殺さないといけない」と考えた事と同じ理屈です。

しかし、殺人にはそれ以上の意味も付加されていたように感じます。「レッド・ドラゴン」の存在です。

レッド・ドラゴンとは何か

レッド・ドラゴンとは何か© 2002 – Universal Studios

ダラハイド技師は、「偉大なるレッド・ドラゴンと太陽の衣をまとった女」という絵に魅了されます。ところで、レッド・ドラゴンとは何でしょうか。

レッド・ドラゴンは、18世紀から19世紀に生きたイギリスのロマン派詩人/銅版画職人であったウィリアム・ブレイクが描いた絵画であり、詩です。絵画と詩はどちらも映画に登場します。この映画でレッド・ドラゴンがどこまで掘り下げられた意味を持つのかは微妙なところですが、ウィリアム・ブレイクが特別なヴォジョンを持った人物であり、また精神に異常をきたしていたという説も残っている事は、知っておいてよい事かと思います。

詩でも銅版画でも絵画でも、ウィリアム・ブレイクが創作したものは宗教を題材としたものがほとんどです。そして、彼が描き出したものは美術研究家のアンソニー・ブライトによると、「崇高なるもの」(『ウィリアム・ブレイクの芸術』岡崎康一訳、晶文社、25ページ)という事です。西洋思想史における「崇高なるもの」の定義はなかなか哲学的で、一言では言えないものがありますが、この映画に近いところで表現すれば、「すべてを超克した所にあるところのもの」あたりでしょうか。

 

映画の中にも、ブレイクの描いた絵画「偉大なるレッド・ドラゴンと太陽の衣をまとった女」が出てきますが、その竜は筋骨隆々とした半人半獣のようです。ダラハイドはブレイクの描き出した、すべてを超越した先にある崇高なるものに魅せられ、「偉大なる」超越的な存在に自分を重ね合せて抑圧から超越したいと感じています。

さらに深い意味も考える事が出来ると思いますが、自己超克の記号としてのレッド・ドラゴンだけでも、その異様な容姿は説得力があるものでした。女性支配的なレイプ殺人は、第三者評価でしか自分の価値を確認できない、コンプレックスから女性に認められるとは当的考えられないと言った理由のほかに、そうした自分を超克し、過去を超克し、怨念のように付きまとうトラウマを食い殺す強さという意味もあったのではないでしょうか。

レッド・ドラゴンの苦悩

レッド・ドラゴンの苦悩© 2002 – Universal Studios

そんなダラハイドが思いを寄せ、また寄せられる女性が出現します。ダラハイドと同じ会社に勤めている、写真の暗室で働く女性・リーバ・マクレーン(エミリー・ワトソン)で、彼女は視覚障碍者です。つまり、口唇口蓋裂というダラハイドの容姿のコンプレックスを問題にしない人物です。

彼女もまた視覚障害というハンデキャップを背負い、社会から冷たく見られていると感じている事から、ダラハイドに共感を覚え、またダラハイドに「容姿なんて気にする事ない」といって、ダラハイドの苦悩を根本から取り除く役割を果たします。ダラハイドにとって、リーバは精神的に成長するチャンスでした。彼女をめぐる葛藤が、この映画を単なるサスペンス映画ではなく、人間ドラマにまで昇華されたように思います。

 

リーバと一夜を共にした朝、ダラハイドは祖母の肖像画とレッドドラゴンの絵に向かって必死に抵抗します。

「彼女は渡さないぞ」
「お願いだ、少しでいい 彼女をおれのものに…」
「やめろ 勘弁してくれ」

祖母なのかレッド・ドラゴンなのか、あるいはその両方なのかは判然としませんが、ダラハイドは幻聴か幻視に必死にあらがいます。ダラハイドも本当なら女たちを殺したくないのです。そしてダラハイドはリーバを殺さないで済むよう、自分の口の中にショットガンを突っ込みます。しかし、その引き金を引く事が出来ません。

犯罪者プロファイリングの見事さを軸に展開するサスペンス映画としての面白さがこの映画の前半部分なら、後半部分はトラウマや幻に悩まされ続ける精神疾患者の苦悩を描いた人間ドラマでした。この後半部分には胸をうたれました。

自分を変えられない人間のもろさと悲しさ

ダラハイドの苦悩は続きます。自分を殺す事の出来ないダラハイドは、レッド・ドラゴンの原画がある美術館に行き、その絵を喰ってドラゴンを退治する事でリーバの殺害を防ごうとします。ダラハイドの推理にある通り、「もう止めようとしているのかも」というわけです。しかし、リーバが他の男性と食事をして帰ってきた現場を目撃し、ダラハイドは自分を抑えられなくなります。デート相手の男を殺し、リーバをさらって自宅に連れ帰ります。

「彼は2階にいる 君を欲しがっている 去ったはずが戻った」
「君を信用したかった」

ダラハイドはリーバを殺そうとしますが、最後の良心が彼女の殺害を思いとどまらせます。そして、ショットガンの発射音とともに、彼女の顔面に血しぶきが飛び、顔面を吹き飛ばされた男の死体が彼女の足元に転がります。

 

この映画は2段落ちですが、最初のクライマックスである、このダラハイドの自害シーンは、胸をうたれるものがありました。必死にリーバを守ろうとしてから、ダラハイドが自害するまでの後半シーンはダラハイドも犠牲者であるという描写であったと思うのですが、これが、加害者を簡単に「犯罪者」という括りにして済ませずに、彼らもまた自分たちと同じように生き、同じように苦悩している人間だと考えさせられました。

レッド・ドラゴンがシリーズ最高傑作と僕が感じる理由は、このシリアル・キラーの内面を丁寧に描いた点につきます。謎解きやサスペンスだけに終わらないのです。

分かっていても、やられた気になる2段落ち!

分かっていても、やられた気になる2段落ち!© 2002 – Universal Studios

敵が死んだと思ってホッとして、これで映画も大団円、めでたしめでたし…という所で実は敵が生きていた!という2段落ちを、僕が映画で初めて経験したのは『エイリアン2』でした。その後も『リング』などなど、同じ手に何度もひっかかったというのに、2段落ちは分かっていても面白いですね。全部書いてしまうのもどうかと思いますが、ここはネタバレ上等のサイトなので、「レッド・ドラゴンも2段落ちで、これがまた面白い」とだけ書いておきますね。

ついでに、最後の締めくくりも、シリーズものならではのシャレたものでした。この事件が終結した後で、シリーズ第1作の『羊たちの沈黙』につながるエピソードが挟み込まれるのですが、これでシリーズの時系列がはっきりするし、余韻も残るし、また羊を見直したくなるしで、さすがに良く出来た映画だなあと感心しました。

サスペンスだけでない人間ドラマへと昇華された、レクター・シリーズ最高傑作!

サスペンスだけでない人間ドラマへと昇華された、レクター・シリーズ最高傑作!© 2002 – Universal Studios

映画のハンニバル・レクター・シリーズでは、僕は『羊たちの沈黙』と『レッド・ドラゴン』のふたつが面白いと思っています。どちらも面白いですが、人間ドラマとしての深さで評価するなら、『レッド・ドラゴン』の方が圧倒的に深みのある映画だと思います。

『羊たちの沈黙』を良いと思っている方で、『レッド・ドラゴン』を観ていない人は結構いると思いますが、それはもったいないです!個人的には、羊は見なくても竜は見ろと言いたいほどの名作。大推薦です!

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