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映画『LION ライオン 25年目のただいま』のネタバレ感想・解説!インドの実話が原作の作品

映画「LION ライオン 25年目のただいま」の内容・あらすじ

映画「LION ライオン 25年目のただいま」はアカデミー賞作品賞他、6つ部門にノミネートされたノンフィクションの話題作です。

原作は実話をもとに書かれたサルー・ブライアリーの「25年目のただいま(サルー・ブライアリー)」です。

インドの問題点の1つである貧困、ストリートチルドレンなど暗い側面を描きながらも、強い家族の絆をテーマとしている同作品の感想をネタバレを含みながら徹底解説します。

目次

映画「LION ライオン 25年目のただいま」を観て学んだこと、感じたこと

・先進国とそれ以外の国の格差
・家族とは、血のつながりとは何なのかを考えさせられる
・自分も壮大な旅をしたような気分になれる!

映画「LION ライオン 25年目のただいま」の作品情報

公開日2016年
監督ガース・デイヴィス
脚本ルーク・デイヴィス
原作サルー・ブライアリー
出演者サルー(少年時代)/サニー・パワール
サルー(成人)/デヴ・パテル
スー/ニコール・キッドマン
ジョン/デイヴィッド・ウェンハム
ルーシー/ルーニー・マーラ
グドゥ/アビシェーク・バラト
カミラ/プリヤンカ・ボセ

映画「LION ライオン 25年目のただいま」の内容・あらすじ

映画「LION ライオン 25年目のただいま」の内容・あらすじ

インドの貧しい地方で母や兄弟たちと暮らす5歳のサルー。暮らしは貧しく、母は女手一つで重労働をこなしながら子どもたちを育てています。

そんなある日、兄と外出したサルーは夜の駅で迷子になり回送電車に乗り込んでしまいます。電車はサルーを乗せて遠く1600キロも離れたカルカッタへ。

家族と生き別れになり、ストリートチルドレンや孤児収容所など過酷な状況を生きていたサルーですが、運よくタスマニアに住む富裕層の夫婦の養子となることができました。

 

何不自由ない暮らしで幼いころの記憶をなくしたサルーは大人になったある日、ふとしたことから自分が迷子の子どもであったことを思い出します。

そこからGoogleEarthを使った1万㎞に及ぶ家族探し、自分探しの長い旅が始まったのですが・・・。

映画「LION ライオン 25年目のただいま」の感想

映画「LION ライオン 25年目のただいま」の感想(C)2016 Long Way Home Holdings Pty Ltd and Screen Australia

ここからは「LION ライオン 25年目のただいま」の感想と見どころを書いていきます。

「ネタバレ」をたくさん含みますので、これから同作品を鑑賞する方はどうか自己責任でお読みください。

1.貧しさと家族の愛を美しい映像で見せる冒頭

映画の冒頭は荒涼としたインドの乾いた大地を上空から映した風景で始まります。

5歳のサルーと兄のグドゥは走る汽車に飛び乗って石炭を盗み、得た小銭でわずかな牛乳を買って家族のお土産にします。小さなビニール袋に入った2つの牛乳を分け合いながら飲む貧しい暮らしぶり。サルーの家族や暮らしの様子が描かれている部分です。

貧困や子供たちの置かれた過酷な状況という深刻な問題を美化することはできません。それでも私はさほど悲壮感を感じませんでした。

 

理由の一つは映像が計算されつくした美しさを持っていること。冒頭でサルーが蝶と戯れるシーンがありますが、かわいらしく無垢なサルーの姿と蝶の群れが神々しくもあり、見る者が引き込まれるシーンです。

また、家族が暮らすカンドワ地方の風景を上空から大きく映すシーンでは、インドの大自然、簡単に言うと「何もなさ」を象徴しているような荒涼とした大地に、人間の貧富などとは関係のない雄大な美しさを感じます。

(この上空からの映像アングルは作中にたびたび登場していて、その後の映画のカギとなるGoogleEarthというツールを意識した演出となっています。)

 

もう一つの理由は、貧しくても家族の愛や温かさを十分に伝えていることです。

ビニール袋の牛乳を子どもたちに与え、自分では口にしない母親。小さな揚げ菓子をサルーにねだられて「いつか店ごと買ってやる」とは言いつつ、幼い弟を不憫に思う兄グドゥ。帰りにサルーをおぶって帰るのは、そんな弟を少しでも甘やかしたかった兄の想いからなのかもしれません。貧しくても十分に温かく、愛に満ちた暮らしがそこにあります。

物語の根底に流れるのはこの「家族の愛」。それは本当の家族と育ての家族二つの大きな愛なのです。これが作品に一貫したテーマを与えています。

2.インドの問題点を浮き彫りにしたサルーの路上生活

2.インドの問題点を浮き彫りにしたサルーの路上生活(C)2016 Long Way Home Holdings Pty Ltd and Screen Australia

この映画の主題の一つとして、インドの不運な子供たちの現状があります。

子どもが盗みを働いて食べ物を得なくてはならないサルー一家の状況はもちろんですが、インドの都市部に集中するストリートチルドレンの状況も浮き彫りにされています。

 

迷子になったサルーは、カルカッタで数か月の路上生活を余儀なくされますが、街中にはたくさんのストリートチルドレンがいます。

同じような境遇で強く生きる子どもたちの姿をみてさみしさを紛らわせるサルー。しかし、夜中に見知らぬ大人がやってきて、路上で眠る子どもの一団を連れ去っていきます。泣いて逃げ惑う子どもたちに紛れて何とか逃げ延びるサルー。

一人ぼっちのサルーは、同じ境遇の子どもに分けてもらった段ボールを抱えて放浪します。

 

近年では、主に発展途上国の都市部でストリートチルドレンの問題が大きくなっています。

インド全体では推定50万人、カルカッタだけでもおよそ10万人のストリートチルドレンがいるといわれ、そのような子ども達が人身売買や臓器売買、幼い子どもの買春などの犯罪に巻き込まれている現実があります。

夜中にやってきて子どもたちを連れ去る大人は何者なのか描かれてはいませんが、その後の生活で放浪中にサルーが出会う女性も実際にサルーを値踏みする男性に引き渡そうとするなど、インドの路上で暮らす子どもたちの現実をリアルに浮き彫りにしています。

 

また、わずか5歳の子どもがごった返した駅で家族を探して大声を上げていても、誰一人見向きもしないこともインドの現状をうかがい知る材料となります。サルーがカルカッタの駅の切符売り場の窓口で故郷の地名「ガネストレイ!」と叫んでも、周りの大人に邪険に追い払われてしまうばかり。

日本のみならず先進国であれば、警察官や駅の係員、または周辺にいる大人が幼い子供を放ってはおかないでしょうし、何らかの公的機関に速やかに引き渡されるのが当然という価値観を私たち日本人は持っています。

でもインドや世界の発展途上の国々では、路上で生活する子どもたちはごく日常の風景として描かれ、道行く人はサルーを気にも留めません。

 

道路の脇には、休んでいるのかそこに暮らしているのか、地べたに横になる大人や子どもでいっぱいなのです。

日本なら深刻な状況であるはずのサルーですが、映画の中では都市の一つの風景に過ぎない、そこにインドの抱える問題点が凝縮されているのかもしれません。

とはいえ、ヒンドゥー教の修行者が集まる礼拝所にたくさんのお供えがあり、サルーがそれらを食べて食いつなぐシーンなどは、インドの「すべてを包み込む無限の包容力」といった側面も垣間見られたような気が気します。このあたりに「インドとは」などと一口で語れない、この国の奥深さを感じることができます。

 

ちなみに、同じインド国内であるにもかかわらず、カルカッタでのサルーは言葉が通じません。なんと1961年のインドの国勢調査では、細分化した言語を含めると実に1652種もの言語が存在したとか。

その後、独立してから公用語として14種類の言語を採用しましたが、現在でも地方によって全く異なる言語を話し、お札には14種すべての公用語で金額が表記されているんだそう。1600㎞もの旅をしたサルーの言葉が全く通じなかったのも頷けるというわけです。

3.自傷行為に見るインドの子どもたちの心の傷

作中には自傷行為をする子どもが2人登場します。一人は収容された孤児院にいた男の子。この子は授業中に自傷行為をし先生に追い出されますが、夜、子どもたちが眠りにつく時間に職員がこの男の子を男性に引き渡し「朝までには返せよ。」というシーンがあります。

その男性は男の子に「俺だよ。」などと親し気に話しかけます。どこに連れていかれるかはわかりませんが、おそらくは男性に性的虐待を受けているのではないかと想像させるシーンです。

 

もう一人は、サルーより少し遅れてジョンとスーのもとに養子縁組したマントッシュ。夫妻のもとにやってきたその日、マントッシュは激しく自分を殴る自傷行為をします。

このマントッシュは大人になっても自傷行為が止まず、精神的に不安定な人物として描かれていますが、先の男の子にしてもマントッシュにしても、子ども時代に深い心の傷を負っていることを示唆しているようです。

現在でも、過酷な境遇にあり心に傷を負いながら、いったいどれほどの子ども達が生きているのだろうと想像せざるを得ません。

4.作品の醍醐味はとっても魅力的なキャスト!

4.作品の醍醐味はとっても魅力的なキャスト!(C)2016 Long Way Home Holdings Pty Ltd and Screen Australia

この作品の一番の魅力は、なんといっても印象的なキャスティングでしょう!まず少年時代のサルー役であるサニー・パワール。大きく澄んだ瞳と無垢な笑顔がとってもとってもかわいらしいのです!

華奢な体で必死に兄ちゃんや母ちゃんの役に立とうと奮闘する姿にはほろりとさせられますし、迷子になって叫ぶ姿は「本当に迷子になってしまったのでは?」という心配すらしてしまうほど。なんとこの子、演技は初めてなんだとか。監督のガース・デイヴィスはサニーを「1週間経つ頃にはプロの演技者になっていた」と絶賛しています。

 

また「兄ちゃん」ことグドゥを演じたアビシェーク・バラトもこの作品で俳優デビュー。

幼いサルーをどれほど愛しく思っているか、画面から痛いほど伝わってくるのが印象的です。特に、仕事に向かう列車の中で眠ってしまったサルーの頭を自分の肩に引き寄せ、いとおしそうに頬を寄せ頭をなでるシーン。悲しいシーンではないのになぜか泣けてくるほど愛情が伝わってきました。大きな瞳と太い眉、イケメンぶりも必見です。

 

そしてなんといっても成長したサルー役のデヴ・パテル。スラムドッグ・ミリオネアで一躍有名になった彼ですが、ひたむきで情熱的な瞳は健在。家族探しに怖いほど一途にのめりこみ、だんだんと苦悩を深め殻に閉じこもっていく難しい役どころを見事に演じています。

時々見せるチャーミングな表情や悲しみをたたえた魅力たっぷりな瞳にファンも急増したのではないでしょうか。

デヴ自身はロンドン郊外で生まれ、インド系移民を両親に持つ根っからのイギリス育ち。オーストラリアの富裕層の夫婦(ジョンとスー)の下で育った青年の、どことなく優雅な身のこなしが完璧にはまり役。彼はこの役でゴールデングローブ賞にノミネートされています。

 

また、サルーを引き取るオーストラリアの夫婦、ジョン役のデイヴィッド・ウェンハム、スー役のニコール・キッドマンなど豪華なベテラン俳優陣も大注目です。

特に、スーがサルーに「ママに本当の子供がいれば・・・。」と言われたシーン。実生活でも2人の養子を迎えた経験を持つニコールが「子どもを産んで世界は良くなる?最初から2人の養子をもらうと決めていた。私が生きる道はこれしかなかった。」と告白するシーンでは、覚悟を決めた女性の強い強い信念を感じます。

養子である2人の息子を心から愛し信じる母親と、息子の帰りを信じて25年もひたすら待ち続ける母親。この二つの大きな愛がこの物語の核心といえるでしょう。

 

他にも、若いころの母親と老いた母親を見事に演じ分けたカミラ役のプリヤンカ・ボセは25年の歳月を経て再会した母親の感情がほとばしるような演技が秀逸です。

大げさに駆け寄って抱き合う、などの過剰な演出も一切なく、サルーを一目見た時の「もしや・・・」という気持ちから、近づいて確信に変わりサルーを抱きしめる場面などは本当に自然で、年老いた母親の辛く長い年月が報われた瞬間を感性豊かに演じていてさすがの一言です。

ルーシー役の演技派女優ルーニー・マーラも、憂いのある知的な美人で、サルーを想いながらも、自分の寂しさもわかってほしいという揺れる女心を淡々と演じています。

初々しくフレッシュな演技を見せてくれる若手俳優陣と、さすがともいうべきベテラン俳優陣の凄みある演技。この2つが同作品をさらに魅力的なものとしているのは間違いありません。

5.観るものを物語に引き込むフラッシュバックシーン

物語は幼いサルーが迷子になり、孤児院から外国の夫婦のもとに養子にもらわれて、本当の家族を探し出すまでを描いています。119分の作中、過酷な状況を生きる幼いサルーを描いた前半部分はともかく、大人になってからのサルーが自分の出自に気づき家族を探し当てるまではストーリーに大きな展開はありません。

それでも全く単調さを感じず、家族探しにのめりこんでいくサルーにどんどん引き込まれていくのは、現実と過去の思い出が錯綜し、サルーの日常にふいに割り込んでくる人や風景のフラッシュバックシーンの効果ではないでしょうか。

そもそも、自分をカルカッタ生まれだと思っていたサルーが、最初に自分の出自を思い出すきっかけとなったのは友人同士のパーティ。インド出身のクラスメイトが故郷の料理をふるまおうと用意した揚げ菓子が、遠い昔「兄ちゃん」にねだった揚げ菓子の記憶を呼び覚まします。何げない日常の中に強烈な映像となって浮かぶ兄の顔。「(出身は)カルカッタじゃない。僕は迷子だ。」不意に、何の心構えもない時、心が無防備な時に強烈な印象を伴って心に差し込んでくる映像です。

 

その後、家族が住んでいた地域をGoogleEarthで探し始めるサルーですが、探している過程で家族の幻影や故郷の風景などはどんどん強まっていきます。

その混乱と焦りのようなな感情が観ているこちらにも伝わって、知らず知らずにどっぷり感情移入させられているのです。

現実を生きてほしいと願う恋人のルーシー、殻に閉じこもったサルーを見守り続ける育ての両親、そして、何かに突き動かされるように家族を探すサルー。現実を生きる人々とは別に、もう一つの過去の物語が並行しているような、そんな気持ちにさせられる見事な映像と演出です。

6.最先端のツールを使った話題性

6.最先端のツールを使った話題性

この作品のカギとなるのが、ご存じGoogleEarth。サルーはホテル経営を学ぶ大学のクラスメイトにこのツールを家族探しに活用してみるよう勧められ、不可能だと思えた家族探しが一気に現実味を帯びてきます。ここから5年間にわたるサルーの故郷探し(むしろ自分探し)が始まっていくのです。

今や世界中に浸透しているこのGoogleEarthが大活躍するわけですが、このツールを活用することが、いかにも現代の若い世代らしく現実的で、よりサルーに親近感を持たせる結果にもつながっています。この方法以外で(例えば故郷を訪ねて捜し歩くなど)家族を見つけたとしたら、どこか遠い国のお話として現実味が薄かったかもしれません。もしかしたら「へ~、すごいね。」という感想に終わっていたかも。身近なツールで奇跡を起こす物語であったことが、若い世代にも共感を持って受け入れられた大きな理由ではないでしょうか。

 

実際にサルーは、幼いころに親しんだ地形を頼りにGoogleEarthでこれは!と思う地域を拡大して故郷への確信を深めていきます。水浴びをした川べりやグドゥと歩いた線路、家へ向かう道、グドゥとはぐれた駅の給水塔まではっきりと確認することができたからこそ、故郷を見つけられるのです。

この映画でGoogleEarthユーザー以外の世代もこのツールの存在感をアピールしたはず。ちなみに、実際の家族探しではSNSも相当駆使したそうですが作中には描かれていません。「LION 25年目のただいま」は、まさに現代を象徴するツールが生んだ奇跡なのですね!

作中で注目してほしいポイントや描かれなかったことの考察!

ルーシーとサルーが踊りだしそう!?インド映画のニュアンスはここだけ!

インドがメインとなるお話ですが、制作はオーストラリア、アメリカ、イギリス合作の映画です。なので、いわゆるインド映画のような脈絡もなく踊りだすという演出はなし。ですが、作中の1シーンでどことなくインド映画の風味が香る場面があります。

それは、サルーがホテル経営を学ぶ大学の、クラスメート主催のホームパーティーに向かうシーン。手土産をぶらさげ歩道を歩くサルー。ふと目をやると道を挟んだ反対側の歩道に、気になる存在のルーシーが歩いています。

お互い片手を上げ軽くあいさつした後、おもむろにインド音楽が流れだします。道を挟んで歩調を合わせ歩く二人。音楽のリズムに合わせてスキップしたり、くるっと一回転したり。このままインド映画のように急なダンスシーンに突入か!?とわくわくしたところで友人の家に到着し音楽も終了。ほっとしたような、不完全燃焼したような気持になるシーンです。

サルーの生家は貧しい地域の中でもさらに貧しい家だった!

サルーが故郷の家を探し当て、家族に会いに行くシーン。幼い頃の鮮明な記憶の通りに家に向かう路地を進んでいくサルー。集落全体にさびれた雰囲気があり、建物や家々も質素なものです。とうとう、昔住んでいた家の入口に立つサルーですが、なんと家の中にはヤギが・・・!昔の家は家畜小屋になっていたのです。

サルーは小屋に入ってみますが、トタンで覆った屋根は半分無くなってヤギ小屋としても決して広くないスペース。おそらく建物と建物の間にあったスペースを家としたものと思われます。要するに屋内の壁は隣家の外壁というわけです。同じ集落の中でもヤギ小屋として活用するほど狭く、粗末な建物(?)だったということですね。

サルーはヤギ小屋の中に入って壁を蹴って悔しがりますが、あまりに粗末な建物のため「壊れちゃう・・・!」とちょっとドキドキします。

クドゥのその後は・・・?※盛大なネタバレ注意!

この映画の副題に「25年目のただいま」とあるため、家族に再開する話だなというのは最初からある程度わかると思います。気になるのはクドゥのその後、サルーと感動の再会を果たせるのか?というところ。

映画の最後の部分で明らかになりますが、なんとクドゥはすでに亡くなっています。しかもサルーが迷子になったその晩に、違う列車にひかれて亡くなったという悲しい現実を知らされてしまいます。

そこでふと疑問に思うのは、サルーが駅のベンチで目を覚まし、クドゥの名を呼んだあの時、すでにクドゥは列車にひかれて帰らぬ人となっていた?だからサルーのもとに帰ってこれなかったのでしょうか。だとすれば、サルーが空の列車に乗らずにベンチで待ち続けていたとしてもクドゥには二度と会えなかったことになります。切ないですよね。

その部分についてははっきりとした描写がないので想像ですが、クドゥが、駅のベンチで眠っているはずのサルーがいないことに気づき、夜の駅でサルーの名を呼んで探す描写があります。これが事実なのか、サルーの想像なのかはわかりませんが、事実だとすればクドゥは夜の駅で線路に降りてサルーを探しているうちに、侵入してきた列車にひかれて亡くなったのではないでしょうか。これはこれでさらに切ない現実ですね。

鑑賞後は自分もサルーと一緒に旅をした気分になれる!

鑑賞後は自分もサルーと一緒に旅をした気分になれる!(C)2016 Long Way Home Holdings Pty Ltd and Screen Australia

最初はサルーが養子に出された事実を知らずに育ち、ある日ひょんなことから実は自分が養子だったことがわかり、本当の家族を探すまでの心の葛藤を描いた映画と思っていました。

しかし実際は、美しく叙情的な映像で、インドの貧しいけれど愛のある家族と、裕福だけどあえて実子を持たず、強い覚悟で家族を愛しぬいた2つの家族愛を描いた壮大なスケールの物語でした。

貧困などの社会問題を描きながらも、根底に流れる不変の愛情のようなものを感じさせてくれるのは、これが真実の物語だからでしょう。

 

サルーが人生で迷った距離は1万㎞、探した時間は25年間。とてつもない距離と時間を超えて、どんな時もありつづけた家族の愛。観終わった後は自分も壮大な旅を終えたような気持にさせてくれる映画です。

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