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映画『ランボー/怒りの脱出』ネタバレ感想・解説・考察!CGもVFXもなしで過激なスタントが炸裂する!

ラジー賞受賞も人気の証?80年代エンターテイメント映画の代表作のひとつ

ベトナム帰還兵の悲劇を扱い、その素晴らしい完成度から、続編の製作を予期してエンディングを変えたシリーズ第1作『ランボー』。

そして3年後となる1985年、満を持して制作されたシリーズ第2作は、CGやVFXなしでの攻撃ヘリや危険なスタントが満載のアクション映画超大作となりました。特にハインド攻撃ヘリを実際に飛ばす凄さは、80年代こそがハリウッド映画最盛期だったのではないかと思わせる壮観さでした。

今回は、そんな映画『ランボー/怒りの脱出』のネタバレや解説、考察を含む感想を書かせていただこうと思います!

映画「ランボー/怒りの脱出」を観て学んだ事・感じた事

・泥壁が目を開く?!ゲリラ戦の映像表現の見事さ
・VFXもCGもなしでの戦闘シーンやスタントの迫力がすごい!
・意味や内容よりも見た目や分かりやすさが重視される時代の変化を感じた

映画「ランボー/怒りの脱出」の作品情報

公開日1985年
監督ジョージ・P・コスマトス
脚本シルヴェスター・スタローン
ジェームズ・キャメロン
音楽ジェリー・ゴールドスミス
出演者ジョン・ランボー(シルヴェスター・スタローン)
サミュエル・トラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)
コー・バオ(ジュリア・ニクソン)
マードック司令官(チャールズ・ネイピア)
ポドフスキー中佐(スティーヴン・バーコフ)
タイ軍曹(ジョージ・チェン)

映画「ランボー/怒りの脱出」のあらすじ・内容

映画「ランボー/怒りの脱出」のあらすじ・内容

元グリーンベレー隊員のランボーの収容された刑務所に、かつて彼の上官だったトラウトマン大佐が訪れます。要件は、ベトナム戦争で現地に残されたアメリカ人捕虜の調査の依頼で、この任務とひきかえにランボーに特赦を約束します。

任務を引き受けたランボーは単身ベトナムに潜入、現地で連絡員コー・パオと合流し、捕虜収容所を目指します。写真撮影のみという任務を逸脱して捕虜ひとりを救出したランボーは、救出ポイントに向かいます。しかし、ランボーが捕虜を連れているという連絡を受けたアメリカ軍司令官マードックは、ランボーを見殺しにして作戦中止を指令。ランボーの目の前で救出ヘリがひきあげていきます。

ベトナム軍の捕虜になったランボーの前に、ソ連兵たちがあらわれます。彼らはランボーを拷問し、政治的な駆け引きをしようとしますが、コーの助けもあってランボーは拷問部屋から脱出。しかし逃げる途中でコーが殺されます。彼女の死を悲しむランボーは、コーを殺したベトナム兵を倒し、アメリカ人捕虜を救い、自分を見捨てたマードックへの復讐を誓い…。

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映画「ランボー/怒りの脱出」のネタバレ感想

ラジー賞受賞も人気の証?80年代エンターテイメント映画の代表作のひとつ

ラジー賞受賞も人気の証?80年代エンターテイメント映画の代表作のひとつ

タイトルからはイメージしにくいですが、『ランボー/怒りの脱出』は『ランボー』の続編にあたるシリーズ第2弾作品で、どちらもベトナム戦争をテーマにしています。シリーズ2作目となった『ランボー/怒りの脱出』は、1985年の北米興行収入だけでも1億5千万ドルを超える大ヒットとなり(85年で1.5億ドルを超えた映画は2本のみ)、収益でいえば1作目をはるかに凌ぐ作品となりました。

大ヒットしただけに、「ランボー」というとこの作品をイメージする人も少なくないのではないでしょうか。そして、たしかに大ヒットとなっただけのことはある面白さの映画でした。はじめてこの映画を観た時の興奮は今も覚えています。

 

ところが、この映画は「ゴールデンラズベリー賞」(通称ラジー賞)という最低映画賞を受賞した事でも知られています。今からこの映画を観ようとする人にとって、ゴールデンラズベリー賞受賞は、観るのに二の足を踏むマイナスの要素かも知れません。

確かにこの映画には、ラジー賞を受賞する要素がないとは言えません。たとえば、ランボー一人でベトナムやソ連の軍隊を殲滅してしまう点などは、その一例です。しかし、私個人は、これはやはり80年代映画の中で群を抜いて面白かった映画のひとつであると思っています。実際に大ヒットしたわけですし、社会的な熱狂も相当なものでした。

ですから、ゴールデンラズベリー賞受賞は、好きの裏返しぐらいに思っておくのが正しい所ではないかと思っています。男の子が、好きな女の子をからかうようなものですね。ゴールデンラズベリー賞受賞だからといって、この80年代を代表する映画のひとつを見逃すのはもったいないことだと思います。そもそもラジー賞自体がある意味でジョークのような賞ですからね。

日本における『ランボー/怒りの脱出』の影響!ゲームも開発された?

日本における『ランボー/怒りの脱出』の影響!ゲームも開発された?

公開当時、この映画がどのくらい大きな反響を呼んだかを、当時を知らない人に伝えるのはなかなか難しいです。でも、それはすごいものでした。劇中でランボーが使ったサバイバル・ナイフが「ランボー・ナイフ」と呼ばれるようになり、筋トレをする若者が続出しました。なかでも、ファミリーコンピューターの誕生でブームとなったビデオゲームの世界への影響は大きく、ランボーに影響を受けたとしか思えないゲームが大量に生まれました。

コナミは「グリーンベレー」という、ランボーの出自そのものであるゲームを制作、攻撃方法はナイフでした。カプコンは「戦場の狼」という、敵の本拠地に単身で潜入して敵を殲滅する、これも『怒りの脱出』そのもののようなゲームを開発しました。

なお、ランボーのコードネームは「ローンウルフ(狼)」です。SNKは「怒」というタイトルまでこの映画とそっくりなゲームを開発しました。恰好は頭に赤い鉢巻をして上半身裸の兵士が敵本拠地に単身で…と、これもこの映画そっくりの内容でした。

こういう波及した2次制作物を観るだけでも、ランボーの第2作が大変な評判を呼んだことが伝わるかと思います。若者がこぞって真似をしたがるような映画のアクションヒーローは、このランボーの第2作以降、久しく登場していないのではないでしょうか。

【解説】パラシュート降下失敗シーンの役割

ランボーの任務はベトナムに残されたアメリカ人捕虜収容所の撮影で、交戦は禁じられています。そんなランボーが単独でベトナムに潜入する方法は、飛行機からのパラシュート降下でした。しかしランボーはダイブ時にベルトをひっかけてしまい、飛行機に宙吊りになり、飛行機の外の風圧を受けながら自力でベルトを切って危機を逃れ、無事ベトナムのジャングルに降下していきます。

このシーン、はじめてこの映画を観た時はランボーの超人的な能力に感銘を受けたのですが、何度か観ていると、もしランボーをヒーローとして描くのなら、ベルトを引っ掛けて失敗するのはあまり格好いいものではないのではないかと思うようになりました。ではなぜこのシーンは必要だったのでしょうか。

このシーン、よく見るとベルトを切った事で、ランボーの携帯品のいくつかが風で飛ばされています。恐らくこの中にカメラがあったのでしょう。カメラを失う事によって、ランボーが捕虜収容所で写真を撮る事が出来なくなり、これでランボーが捕虜を連れて帰る事を正当化できるようになります。捕虜の存在じたいが証拠というわけですね。そういう意味を持たせたシーンではなかったかと思いました。

シリーズ初のヒロイン!女優ジュリア・ニクソンの映画上での役割

シリーズ初のヒロイン!女優ジュリア・ニクソンの映画上での役割

なんとかベトナムのジャングルに降下したランボーは、現地生まれの女性連絡員コー・パオにガイドされて捕虜収容所を目指します。この女性連絡員を演じたのがジュリア・ニクソンでした。

彼女はシリーズ初のヒロイン役であり、この作品が映画デビュー作という大抜擢でした。彼女はこの映画でいくつかの役割を担う事になりますが、それが果たせたのは、ジュリア・ニクソンが魅力的であった点にあったと感じます。

欧米人が好みそうなルックスでありつつ東南アジア風であるというのは、なかなか難しい注文ではないかと思うのですが、その要望に応える見事なキャスティングだと思います。

 

映画におけるコーの第1の役割は、ランボーに自分の心情を語らせる役割です。ランボーはベトナム戦争における精神的影響で、無口で心を開かない人物として描かれています。前作では上官であったトラウトマン大佐にだけ心を開いて話しますが、今作ではコーに心を開きます。コーのようにランボーが心を開くキャラクターがいなければ、ランボーの心情の描写は難しかったのではないかと思います。そして、この「心を開く」事が、ランボーに重要なセリフを喋らせる事になります。

第2の役割は、彼女によってランボーが敵兵と戦う選択をした点です。ランボーの任務は調査なので、敵と戦う必要がありませんが、アクション映画としては戦闘シーンが欲しい所で、ましてこの第2作は映画史に残るほどの大規模な戦闘シーンが見せ場となっているほどです。

「どこを向いても死ばかり」というベトナムから逃れたがっているコーは、ランボーにアメリカに連れて行ってほしいと願い、そしてランボーはそれを受け入れます。しかし、ランボーの逃亡を助け、一緒に逃げている途中で彼女は射殺されます。心を開いた女性が殺された事、これがランボーの戦う動機となったのでしょう。ランボーシリーズで唯一と言って良いヒロインらしいヒロインの役割は、悲劇的なものでした。

ランボーの名言「I’m expendable(俺は捨て石だ)」

ランボーの名言「I'm expendable(俺は捨て石だ)」

さて、そんなコーとの会話の中でランボーは自分の事をこう語ります。

「I’m expendable(俺は捨て石だ)」

この映画の中でもっとも心に響いたセリフでした。そして、この言葉によってランボーは、アンチ・ヒーローというアイデンティティを保ったのではないかと思います。

ランボーという映画シリーズを通して保たれている彼のアイデンティティは、社会に見放された人間である点にあるように感じられます。今回の任務をランボーが引き受けた理由は、特赦が受けられる事以上の理由があったように思えます。任務としては救わなくてもいいアメリカ人捕虜を命がけで救った事、また映画のラストでのランボーのセリフなどから、そう感じました。ランボーは、自分が使い捨ての駒として利用されている事を知りながら、自分と同じように見捨てられた人を救うために危険な任務を引き受けたのでしょう。

しかしもし「俺は捨て石だ」のセリフがなかったら、この映画でのランボーはどのように見えるでしょう。捨て石どころか、アメリカ合衆国の英雄そのもののように見えてしまうのではないでしょうか。このセリフがあったからこそ、ランボーという物語は一貫性を保つ事が出来たのではないかと思いました。

 

シリーズ第2作は作風に大きな変化を感じ、中でももっとも変わったと感じたのが、ランボーというヒーロー像の描かれ方でした。

映画『ランボー』における主人公がある種のアウトサイダーのアンチ・ヒーローとして描かれていた事に対して、『ランボー/怒りの脱出』におけるランボーはヒーローに近いです。「俺は捨て石だ」のセリフがなかったら、ヒーローそのものだったかもしれません。

泥壁が目を開く?!スケールアップしたゲリラ戦の描写

泥壁が目を開く?!スケールアップしたゲリラ戦の描写

ゲリラ戦でのランボーの活躍は、この映画の大きな見せ場です。いくつもの見事なシーンがあるのですが、私がもっとも衝撃を受けたのはランボーの擬態シーンでした。

コーを殺されたランボーは、単にベトナムから逃れるだけでなく、敵を殲滅しての脱出を図ります。おびただしい数のベトナム兵やソ連兵がランボーを捜しますが、ランボーは敵を一人ずつ、そして確実に倒していきます。

その追及を逃れた方法のひとつが擬態だったのですが、銃を構えてランボーを捜すソ連兵のうしろの泥壁が目を開きます。ランボーは全身に泥を塗り、泥壁に擬態していたのです。泥が目を開くというシーンのインパクトは強烈で、僕にとってはこの映画一番の見どころはここです。

このシーンがリアルな描写かというと疑問ですが、インパクトは強烈です。1作目ではリアルさが、2作目ではインパクトが重視されたという事ではないでしょうか。これはふたつの映画の根本的な違いのあらわれでもあったように感じます。

攻撃ヘリコプター、M60、ナイフ…ミリタリー・マニア垂涎の兵器の数々

攻撃ヘリコプター、M60、ナイフ…ミリタリー・マニア垂涎の兵器の数々

追手から逃れ、敵のヘリコプターUH-1を奪って捕虜を救出したランボーでしたが、最後にソ連のポドフスキー中佐が操るミル24ハインドという攻撃ヘリに追われます。ランボーは墜落したと見せかけ、敵がこちらの生死を確認しに機体を近づけてきたところでM72ロケット弾をハインドに撃ち込み粉砕、無事にアメリカ基地へと生還します。

はじめてこの映画を観た時は、攻撃ヘリが登場して空中戦を展開している事に驚きました。映画『復活の日』で潜水艦の水中撮影シーンを観たとき以来の衝撃で、映画でここまでやってしまうのかと驚きでしたね。

その後、ハリウッド映画のアクションシーンがもっと凄くなっていったかというとそうではなく、こうしたシーンはCGで表現するようになってしまい、リアルでヘリが墜落したり、ハインドが実際に飛行したりする事はなくなってしまいました。

『怒りの脱出』の見どころのひとつは、CGもVFXもなしでの、命がけのリアルなスタントアクションを見る事が出来る事と、またそこにリアルさに拘った数々の兵器が登場した点にもあるのではないでしょうか。CGやVFXの登場で失われてしまったものは少なくないと感じます。

【考察】ヒーロー像の転換と、80年代の社会風潮の関係

1作目と2作目の変化は、ゲリラ戦やヘリ戦闘シーン以外にも随所に見られましたが、それをもっとも分かりやすく象徴したのは、スタローンの肉体の誇示であったように感じます。

例えば、映画ポスターです。ランボーの1作目と2作目のポスターの違いは、スタローンが裸であるかどうかの差ぐらいのもので、あとは表情からポージングまでそっくりです。そして『怒りの脱出』におけるスタローンの肉体は明らかに筋肉量が増していて、映画の売りとして、マッチョな肉体を見せているとすら思えるほどです。

映画『ロッキー』や『ランボー』の時はここまでの筋肉量ではなかったので、もしかするとステロイドを使ったのかも知れません。

 

こうした肉体の誇示は、シリーズにおけるヒーロー像やストーリー性の転換や、80年代中盤という時代と無関係とは思えませんでした。主演のスタローンがアメリカにおけるヒーロー像の転換になったとすら言えるかも知れないほどです。

アメリカのタフガイというヒーロー像であっても、70年代アクション映画のヒーローは、たたずまいが違います。『ダーティーハリー』のクリント・イーストウッドも、『ゲッタウェイ』のスティーブ・マックイーンも、マッチョなヒーローではありません。70年代のヒーローは無頼漢であるとか、独特の男性哲学を持っているとか、そういう人間の内面にスポットが当てられていたように思うのです。

しかし、『ロッキー3』あたりから、アメリカのアクション映画のヒーローは筋肉を誇示するようになり、『怒りの脱出』とアーノルド・シュワルツェネッガー主演『コマンドー』でピークを迎えたように感じます。同時期、アメリカのプロレスもステロイドを使うようになり、この映画でのランボーのような筋肉を持つプロレスラーが大量に出現しました。『ロッキー3』でスタローンと共演したハルク・ホーガンはそのいい例でしょう。

 

映画の中だけではない、アメリカ全体のこうした現象は色々な見方が出来そうですが、内面より外見、つまり分かりやすさが重視されるようになった時代を反映したものだったかもしれません。

80年代のアメリカ大統領はロナルド・レーガンで、彼はもともとハリウッド映画俳優でした。合衆国自体が、政治学を修めた人よりも、人気がある人を大統領に選ぶような国になっていました。意味や内容よりも分かりやすさやイメージを優先するようになっていたわけです。

これ以降のアメリカは、「Yes, we can」など、何をやるかは一切言っておらず、言葉の響きだけを強調する人を大統領に選ぶなど、こうした傾向を加速させていき、そしてリーマンショックで大打撃を受けることになりました。ランボーの1作目と2作目の間で、アメリカ合衆国は大きな転換点を迎えていたのかも知れません。この映画の行間には、そういったものも記録されているように感じます。

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