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映画『スリー・ビルボード』のネタバレ感想・解説・考察!母の怒り、警察との複雑な関係を描くヒューマンドラマ

映画『スリー・ビルボード』のあらすじ・内容

映画『スリー・ビルボード』は、娘を殺した犯人がいつまでも逮捕されないことに苛立ちを覚える母親と、捜査を続ける警察との複雑な関係を描いたドラマです。

強烈な感情の機微と共に描かれる復讐劇は、意外な展開でもって見る人の心をぐいぐい引きつけます。ストーリーを通じて差別問題や宗教問題すらも昇華させた本作は、第90回アカデミー賞でも主演女優賞と助演男優賞のダブル受賞を達成しました。

今回は『スリー・ビルボード』の感想や詳しい解説、考察を紹介していきます。なお、物語の核心に触れるネタバレを含んでいるのでご注意ください。

目次

映画『スリー・ビルボード』観て学んだこと・感じたこと

・警察と復讐に駆られた母親の関係を描いたヒューマンドラマ
・登場人物の複雑な感情を辿っていくだけでも十分に楽しめる
・随所にちりばめられた差別問題、キリスト教的宗教観が考察好きを唸らせる

映画『スリー・ビルボード』の作品情報

公開日2018年2月1日
監督マーティン・マクドナー
脚本マーティン・マクドナー
出演者ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)
ビル・ウィロビー(ウディ・ハレルソン)
ジェイソン・ディクソン(サム・ロックウェル)
アン・ウィロビー(アビー・コーニッシュ)
ジェームズ(ピーター・ディンクレイジ)
レッド・ウェルビー(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)

映画『スリー・ビルボード』のあらすじ・内容

映画『スリー・ビルボード』のあらすじ・内容© 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation All Rights Reserved

ミズーリ州の小さな街エビング。この街では約7カ月前に、10代の少女が性的暴行を受けた末に、全身を焼かれて殺されるという凄惨な事件が起こっていました。

少女の母親であるミルドレッドはいつまでも犯人が逮捕されないことに苛立ち、街外れにある3枚の看板を使って警察へ抗議します。

「RAPED WHILE DYING(レイプされて死亡)」
「AND STILL NO ARRESTS?(犯人逮捕はまだ?)」
「HOW COME, CHIEF WILLOUGHBY?(なぜ?ウィロビー署長)」

警察署長のウィロビーはミルドレッドに対して、手がかりが少なく捜査が行き詰まっていることを説明しますが、彼女は聞く耳を持ちません。

ミルドレッドの行動に、ウィロビーを崇拝するディクソン巡査は猛反発。実は、ミルドレッドもウィロビーも、それぞれ事件に対して複雑な思いを持っていることが明かされていきます。

映画『スリー・ビルボード』のネタバレ感想

物語が進むにつれて明かされる、表と裏のギャップが面白い

物語が進むにつれて明かされる、表と裏のギャップが面白い© 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation All Rights Reserved

『スリー・ビルボード』のもっとも面白いポイントは、やはり主人公たちが持っている、表と裏の顔のギャップです。裏といってもそれは別人格のようなものではなく、人間誰もが持っている、本音のような感情のことを指します。

主人公のミルドレッド・ヘイズは、娘のアンジェラが殺され、犯人がまだ捕まっていないことについて激しい怒りを抱いています。頭にバンダナを巻き、青いツナギに赤いシャツを着て立ち回る姿は、アクション映画に出てくるような荒々しい女性のイメージそのものです。

犯人を突き止めることに執念を燃やすミルドレッドは、自分に反対する人には容赦しません。相手を口汚く罵り、時には暴力で訴えることも。彼女は3枚の看板を使って警察とウィロビー署長への抗議を行い、もっと真剣に捜査しろと焚きつけていきます。

 

怒りに駆られた強い女性というイメージが強いミルドレッドですが、物語が進むにつれて少しずつ、別の一面を見せていきます。その中でも最も印象深いのは、やはりアンジェラとの最後の会話です。事件当日、ミルドレッドは車を貸して欲しいとねだるアンジェラと口論になり、アンジェラは徒歩で家を出ていたのでした。そのため、ミルドレッドは自分が原因でアンジェラを死なせてしまったと強く後悔しているのです。

また、劇中でのミルドレッドは、息子や友人、そして怒りを覚えているはずのウィロビーに対してさえ、優しさを向けられる女性であることがわかります。この優しさのギャップが、彼女の魅力であるといえるでしょう。

 

一方、本作の主要な登場人物のひとりであるウィロビーは、街の住民に慕われる署長として、また家族から愛されるよき父親として描かれます。ミルドレッドにも捜査状況を懇切丁寧に説明し、自ら現場へ赴いて捜査の見落としがないかを確認するなど、優れた人格者であることは疑いようがありません。しかし、実はウィロビーはすい臓ガンに罹患しており、余命幾ばくも無い状況に立たされているのでした。この人格者的な描かれ方に対して、彼の病気を知りつつもミルドレッドは苛立ちをぶつけていくことになります。

そして、ウィロビーに絶大な信頼を寄せているディクソンこそ、本作で最も表と裏の顔が激しい人物だといえるでしょう。レイシストとして人種差別的な発言が多く、暴れると手の付けようがないディクソンは、絵に描いたように横暴な人物です。いい年をしながらも母親の言動にほぼ盲従するなど、見ていて不快な気持ちになるキャラクターかもしれません。

しかし、ディクソンはやがてウィロビーの言葉をきっかけとして、ミルドレッドに協力していくことになります。後半の彼の姿には、もはや前半の横暴さは見られません。ディクソンのギャップは、演じるサム・ロックウェルの好演によってみずみずしく描かれており、アカデミー賞の助演男優賞を受賞するなど多くの人の心を引きつけました。

どんでん返しではないものの、オチを読むのが難しい

どんでん返しではないものの、オチを読むのが難しい© 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation All Rights Reserved

よくある映画宣伝のひとつに、「ラスト数分での大どんでん返し」といったようなキャッチコピーがあります。『スリー・ビルボード』はこうした類いのどんでん返しを期待する映画ではありませんが、話を予測するのがとても難しい映画です。

『スリー・ビルボード』の概要を見た人は、ミルドレッドが警察と和解し、やがて犯人を突き止めていくストーリーを想像するかもしれません。しかし、本作はクライムサスペンスではなく、あくまでヒューマンドラマです。痛ましい犯罪は登場人物の行動における動機づけとして機能しますが、物語が進むにつれて、犯罪そのものがストーリーの主軸からほんの少しずつ離れていくことになります。実際に、本作で犯人が明かされることはありません。そのため、ミルドレッドが抱いていた復讐は決して達成されることがないのです。

 

本作のオチを読むのが難しい理由のひとつは、物語の中盤で署長ウィロビーが自殺する点にあるといえるでしょう。主要人物のひとりである彼が突然退場することによって、警察に苛立っていたミルドレッドも、ウィロビーを崇拝していたディクソンも、行き場のない感情を持て余すことになります。その感情はやがて、物語を取り巻くサブキャラクターをも巻き込んで波乱を呼び起こすことに。

しかし、決して物語が破綻しているわけではありません。むしろ、ウィロビーの自殺の理由をはじめ、ミルドレッドやディクソンの行動は、彼らの抱えている問題に裏付けられたものとして非常に説得力があり、展開をドラマチックで面白みに溢れたものにしています。考察や解説が加えられることの多い本作ですが、単純に物語の展開を追っていくだけでも十分に楽しめることができるはずです。

【解説】作中に見られる黒人差別とミズーリ州の関係について

【解説】作中に見られる黒人差別とミズーリ州の関係について© 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation All Rights Reserved

洋画が日本で公開されるとき、原題がそのまま流用されることはほとんどなく、たいていは邦題が別につけられるものです。『スリー・ビルボード』も原題は『Three Billboards Outside Ebbing, Missouri』であり、直訳すると、「ミズーリ州エビング郊外にある3枚の看板」となります。エビングは架空の街ですが、ミズーリ州とはもちろん、アメリカ合衆国の中西部にある、実在する内陸の州のことです。

過去にリンカーンの伝記を読んだ人であれば、ミズーリ州の名前を聞いたことがあるかもしれません。ミズーリ州はかつてアメリカの奴隷州として奴隷制度を肯定していた州です。もちろん、現在はそのような差別はないとされています。しかし、2014年にはミズーリ州ファーガソンにおいて、白人警察官が口論になった黒人の青年を拳銃で射殺した「マイケル・ブラウン射殺事件」が発生。街全体を巻き込んだ暴動に発展しました。

 

また、ミズーリ州は2004年に憲法を改正し、同性結婚を認めない最初の州となるなど、保守的なイメージの強い州であるといえます。一方、アメリカ政党を二分する共和党と保守党の勢力が拮抗している州のひとつでもあり、大統領選挙の際には選挙の行方を占う州としてつねに注目され続けているのです。

ミズーリ州のイメージは、登場人物の言動や行動にも強く表れているといえるでしょう。たとえば物語の冒頭、ミルドレッドは地元テレビ局のインタビューに対して、地元警察は黒人の虐待に忙しいとコメントしています。一方、レイシストな言動が目立つディクソンは、どことなく「マイケル・ブラウン射殺事件」の加害者である白人警察官のイメージが拭えません。実際、看板屋や雑貨屋の黒人を不当に逮捕しようとするなど、作中のディクソンには差別的な言動や発言が目立ちます。

また、ウィロビーの後任としてやって来た黒人の署長に対して、所内の警官はどこか胡散臭いものを見るような視線を投げつけます。ディクソンだけではなく、彼の母親や警察署ですら少なからずレイシストの一面を持ち合わせているという点からは、差別における街全体の雰囲気が垣間見えるといえるでしょう。その雰囲気は、実際に起きた事件によって再び黒人差別が問題になったミズーリ州を思い起こさずにはいられないのです。

【解説・考察】キリスト教的宗教観の肯定?否定?

【解説・考察】キリスト教的宗教観の肯定?否定?© 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation All Rights Reserved

『スリー・ビルボード』には、キリスト教的なイメージを彷彿とさせるアイコンがいくつも見られます。アイコンがひとつであれば偶然だとすることも可能ですが、いくつものアイコンが特徴的な使われ方をしているため、監督であるマーティン・マクドナーが意識的に作っているのではないかと思わずにはいられません。どのあたりにアイコンが見られるのかを探してみるのも、本作の楽しみ方のひとつといえるでしょう。

たとえば物語の中盤から後半にかけては、3枚の看板や警察署が燃やされるシーンがあります。生々しい火の描写から、火あぶりを連想するのは容易でしょう。それぞれ、看板を設置したミルドレッドや、警察署内で唯一火事の被害にあったディクソンに対しての受難を連想させます。

 

一方、ディクソンが警察署で火事に巻き込まれたのは、ウィロビーが生前に彼へ宛てた手紙をひとり署内で読んでいたためです。ウィロビーの手紙で特徴的なのが、愛を説いているという点。憎しみは邪魔であり、愛こそが大切なのだと語るウィロビーの手紙は、コリントの信徒への手紙第13章、アガペーと呼ばれる愛の賛歌とよく似ています。

では、マーティン・マクドナーは本作を通じてキリスト教を賞賛したかったのでしょうか。単純にそうとはいえない部分があります。作中に登場するアイコンには、解釈が複雑なものも少なからず見受けられるのです。

そのひとつが、看板の下で花の世話をするミルドレッドのもとに現れた子鹿です。鹿はキリスト教的には悪魔の象徴とされていますが、作中ではそのようなイメージは出てきません。むしろ、ミルドレッドはその子鹿に対して、娘の生まれ変わりのつもりかとたずねます。実は、マーティン・マクドナーの出身地であるアイルランドでは、かつて住んでいたケルト民族によって、鹿が復活の象徴であると考えられていました。そのため、登場してきた鹿にはキリスト教的な意味よりも、ケルト民族的な意味のほうがより強く混じり合っているようにみえます。

ミルドレッドはさらに子鹿を見つめながら、犯人が逮捕されないのは神がいないし世の中が荒んでいるからかと自問したうえで、そうは思いたくないと答えています。また、娘の生まれ変わりのようにして出てきた鹿に対して、あなたは娘ではないと否定してもいるのです。言葉をそのまま捉えるならば、ミルドレッドは現実主義的な部分を持ち合わせつつも、キリスト教的に神の存在を信じる者の一人であるといえるでしょう。

 

そして、キリスト教を必ずしも賞賛しているわけではないということを最もよく示すシーンが、ウィロビーの自殺です。もちろん、自殺はキリスト教における最大のタブーのひとつ。しかも、彼はキリストの生誕場所である馬小屋でそのタブーを犯しているのです。

物語の途中におけるウィロビーの退場は、アイコンを崩す働きも持っています。本作では、3という数字が印象的に使われています。タイトルのとおり看板は3枚であり、主要な登場人物はミルドレッド、ウィロビー、ディクソンの3人です。

キリスト教では3が重要な数字のひとつであり、父、子、霊の三つが一体であり唯一神であるという、三位一体という考え方を持っています。しかし、ウィロビーの退場によって、少なくとも登場人物における3の数字は崩れることに。一方で3枚の看板は焼失後、もう一度張り直されるという展開を迎えます。一義的な解釈ではなく、絶えず視聴者に考える余地を残しているのが、本作の大きな魅力といえるのです。

【考察】ウィロビーが自殺した理由とは?

【考察】ウィロビーが自殺した理由とは?© 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation All Rights Reserved

作中におけるミルドレッドの台詞をそのまま引き取れば、彼女はつらい現実のなかでも神を否定したくない様子が伺えます。一方、ディクソンはウィロビーの手紙から隣人愛に目覚め、結果としてミルドレッドへ協力していくことになりました。ウィロビー亡き後、ふたりはキリスト教的宗教観を携えた人として現実に立ち向かう、という解釈もできるかもしれません。

では、ウィロビーは本当にキリスト教へのタブーを表現するだけのために、自殺したのでしょうか。作中で彼が自殺したことの意味を推し量るためには、やはり自殺の理由を考えなくてはなりません。

 

『スリー・ビルボード』のなかで、ウィロビーは妻に遺書を書いています。遺書のなかでウィロビーは、自分の看病に付き合うことを最後の記憶にして欲しくないと書いています。病を押して家族との思い出を作る彼の様子からも、それは彼の嘘偽りのない本音だといえるでしょう。

一方、ウィロビーの自殺は決して最適なやり方とはいえないものの、意気消沈していたディクソンを変革させ、さらにはミルドレッドの行動を後押しします。つまり、彼女たちを鼓舞し、状況を少しでも打破するために自ら禁忌を冒したのだと解釈することもできるのです。

市民に慕われ、家族に愛され、人間として良くできたウィロビー。病で余命幾ばくもない彼が取るべきたったひとつの良き道とは、おそらく自殺することにしか繋がっていなかったのかもしれません。嫌な言い方をすれば、ウィロビーにとってミルドレッドがもたらした状況やディクソンのあり方は、彼にとって自殺することの免罪符になったのではないでしょうか。つまり、ミルドレッドとディクソン、そして事件を前に進めることを理由として、自分は家族の前から消えるのだと考えていたように思えてくるのです。

キリスト教からすれば、いかなる理由があったとしても自殺は認められるものではありません。しかし、ウィロビーが自殺したことによって、敬虔なキリスト教信者であると思われるミルドレッドの行動を後押しし、さらにはディクソンを真の愛に目覚めさせたのだとしたら……。もしこの考察が正しいのだとすれば、本作はウィロビーの禁忌を通じてキリスト教的精神を救ったのだという、キリスト教に対する痛烈な皮肉を行っているとも取れるのです。

【考察】ディクソンはゲイだったのか?

【考察】ディクソンはゲイだったのか?© 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation All Rights Reserved

主要人物のひとりであるディクソン。『スリー・ビルボード』では彼がおそらくゲイであることが示唆されています。実際に彼がそうであることを直接裏付けるようなものは何もありません。しかし、作中におけるいくつかの情報は、彼がゲイであることをそれとなく感じさせます。

ディクソンがゲイであると推測される理由のひとつとして、ウィロビーが死後に彼へ宛てた手紙が見逃せません。手紙では愛の重要性を説くだけではなく、父親の死後にディクソンが苦労してきたことを気遣い、落ち着いて職務を遂行すれば優れた警官として活躍できると伝えています。その様子は、まるで実の父親の代わりに彼へアドバイスをしているようにも感じられるでしょう。

 

そして、ウィロビーはさらにディクソンへ、冷静に職務を遂行する一例として「もしゲイだと言われたら同性愛差別で逮捕しろ」と言い、これまでは不遇だったが状況は変わるだろうと伝えているのです。

ディクソンが父親の死後に経験した苦労や不遇というのは、おそらくディクソンが6年かけて警察学校を卒業したことや、昇進試験にいつも落選していることだと考えられます。そのため、手紙の内容から彼がゲイであることが明らかになるわけではありません。しかし、なぜウィロビーは職務の遂行において、このような例を出したのでしょうか。

あるいは、作中ではミルドレッドの広告を出したレッドに対して、ディクソンがいきなりキューバのホモに関する話題を振ります。キューバのホモとは、キューバは同性愛に厳しい国であり、そこにいるホモは殺されるぞ、という意味です。もちろん、現在のキューバはそのようなことはありません。ディクソンはウィロビーを侮辱するかのような看板を出したレッドに殴りかかろうとしていたので、もしレッドがゲイでここがキューバならお前は死んでいるんだぞ、とも解釈できるでしょう。しかし、なぜディクソンは、わざわざそのような例を自ら出したのでしょうか。

 

また、作中でディクソンが聴いている音楽として、ABBAの『チキチータ』が流れる場面があります。ABBAは世界的にヒットしたスウェーデンのポップユニットであり、『ダンシング・クイーン』や『マンマ・ミーア』などが有名です。オーストラリアではこうした曲がゲイ・アンセムとしてゲイに好まれる歌であることから、ABBAがゲイに愛されていると見られることもあります。一方、ABBAというユニット名はメンバー4人のイニシャルをとったものですが、イエスが神へ呼びかけるときの言葉としても知られています。アッバとはアラム語で「神の父よ」という意味です。

ディクソンがABBAを聴いていたシーンは、ちょうどウィロビーが自殺し、ディクソンがその事実を聞かされる直前です。その後、ウィロビーの死を聞かされたディクソンはこれ以上ないほどに取り乱し、泣きに泣きます。ディクソンのウィロビーに対する信頼は崇拝に近いものがあるといえるでしょう。

穿った見方かもしれませんが、ディクソンが他の署員以上にウィロビーを慕っていたのは、自分がゲイであることを知りながらもそれを認めてくれた、いわゆる第二の良き父親として見ていたのではないでしょうか。そう考えると、ウィロビーの死を聞かされる直前にディクソンがABBAを聴いていたのも、その後ウィロビーがディクソンへ父親めいたアドバイスを送って鼓舞し、さらにはゲイにまつわる例を出すのも理解できるように思えるのです。

実際、激高するとすぐに周りが見えなくなるディクソンのことを一番よく見ており、また理解していたのはウィロビーです。もちろん、作中では他の署員も仲間である彼をそれなりに理解していた様子が伺えます。しかし、ウィロビーの死後、新たな署長にクビを言い渡されると、誰も彼を庇おうとはしませんでした。そんなディクソンに対して、ウィロビーは署員のなかで唯一、彼だけに手紙を書いています。作中でウィロビーが書いた手紙の宛先が明らかになっているのは、妻とミルドレッドの他には、ディクソンだけです。

 

キューバのゲイに関する発言を含め、本作でゲイを示唆する情報はいずれもディクソンの行動や発言などにつながっています。その真偽は定かではありません。しかし、もしディクソンがゲイだとするならば、それは本作の舞台であり、同性結婚を認めない最初の州となったミズーリ州への強烈な批判を含んでいるといえるでしょう。

そして、先に示したウィロビーが自殺という禁忌を冒して救ったのは、キリスト教のタブーである同性愛者だったという、二重の皮肉になるといえるのではないでしょうか。考察がつきることはありませんが、そこには監督マーティン・マクドナーの複雑なメッセージが含まれているように感じられます。

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