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映画『サイコパス SS Case.1 罪と罰』ネタバレ感想・解説・考察!宜野座と霜月の成長を描いた三部作の一作目

脚本が虚淵玄からスピンオフを担当する吉上亮へと変更になっている

映画『PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case1 罪と罰』は、フジテレビで放送された大人気アニメの劇場版第2作に相当し、同時に「Sinners of the System」シリーズ三部作の一作目を飾る作品です。

放送時間が60分程度と短くサブキャラクターを中心にした物語ではありますが、時系列は劇場版第一作の翌年にあたり、正当な続編として位置づけられています。

今回はそんな『サイコパス Sinners of the System Case1 罪と罰』の個人的な感想や考察を書いていきます!なお、本作およびシリーズのネタバレには注意してください。

目次

映画『サイコパス Sinners of the System Case1 罪と罰』を観て学んだこと・感じたこと

・脚本家が変わったことにより、キャラの描写に変化が
・現代日本を風刺した内容に考えさせられた
・出来が悪くなかった分、もう少し長い尺で見てみたかった

映画『サイコパス Sinners of the System Case1 罪と罰』の基本情報

公開日2019年1月25日
監督塩谷直義
脚本吉上亮
出演者宜野座伸元(野島健児)
霜月美佳(佐倉綾音)
夜坂泉(弓場沙織)
久々利武弥(平井祥恵)
辻飼羌香(岡寛恵)
松来ロジオン(小山力也)

映画『サイコパス Sinners of the System Case1 罪と罰』のあらすじ・内容

映画『サイコパス Sinners of the System Case1 罪と罰』のあらすじ・内容

シーアンでの騒動から一年後の2117年。公安局のビルに一台の不審車が突入する事件が発生しました。

その運転手は青森県にある潜在反隔離施設「サンクチュアリ」でカウンセラーを務めている夜坂泉という人物でした。夜坂の不審な様子を受けて公安も取り調べを敢行しようとしますが、突如として彼女の送還命令が発されます。

命令を受けて、夜坂を連れ送還先の青森へと向かった宜野座と霜月。そこで彼らを待ち受けていたのは、「楽園」として称えられた「サンクチュアリ」の恐るべき実態であったのです。

ただならぬ様子に施設の調査を試みる霜月は、実像を暴いていく中でその事実と対峙していくことになります。

映画『サイコパス Sinners of the System Case1 罪と罰』のネタバレ感想

脚本が虚淵玄からスピンオフを担当する吉上亮へと変更になっている

脚本が虚淵玄からスピンオフを担当する吉上亮へと変更になっている(C)サイコパス製作委員会

まず、本作における最大の変更点は、脚本家がこれまで一貫してシリーズの脚本を務めていた虚淵玄ではなく、シリーズのスピンオフ小説を手掛けていた吉上亮になっていることです。ただし、この変更に関しては虚淵の降板を示しているものではなく、本作が根本的にはスピンオフ作品として数えられていることが原因でしょう。まだ3期の脚本家は公表されていませんが、ここでは恐らく虚淵の名前がクレジットされるのだろうと思います。

吉上の描くスピンオフ小説は私を含めたファンの間でも好評を博しており、彼の実力そのものは十分に証明されています。さらに、本作が宜野座や霜月を主役にした物語であることを考えれば、外伝としてサブキャラに焦点を当ててシナリオを作成していた吉上が脚本を務めるのはむしろ最適といえるでしょう。

 

そして、彼の描き出す物語は、サイコパスらしい社会性や陰鬱とした雰囲気を醸し出しながらも、これまでの作品とはやはり多少の変化が見られました。個人的に一番の違いだと感じたのは、根本的なストーリーの展開です。これは60分程度という映画としては異例の短尺であったことが影響しているのかもしれませんが、作品冒頭で大きな謎と黒幕をそれとなく登場させ、作中を通じてそれを追っていく構成は今までよりもミステリーの要素が強く押し出されています。

もちろんこれまでもミステリーの要素は存在していましたが、その部分を描く手法的な部分に変化が生じているという意味です。この原因を調べていくと、脚本の吉上は本業として推理作家に分類されていることがわかりました。そのため、ミステリーのギミックや魅せ方が推理ものらしく描かれており、まるで推理小説の映像化作品のようにも感じられます。

ただし、これが従来のサイコパスらしさを失わせているわけではなく、これにより塩谷監督を始めとしたシリーズおなじみの顔ぶれとの間で、シナリオや世界観がよく擦りあわされているとに気づくことができます。よって、これまでの作品や今後の作品を悪い意味で揺るがすような欠点は存在せず、実質的な外伝として優れた完成度を誇るでしょう。

全体として、これまでのサイコパスからシナリオ展開面の難解さを引いた代わりに、基本に忠実なミステリーの手法がプラスされた作品であるといえます。そのため、これまでの作品と比べても話の展開が分かりやすく構成されており、好みは分かれるかもしれませんが短時間で楽しめるような作品に変化しているのは事実です。

「問題児」キャラであった宜野座と霜月の内面的な変化から、彼らの成長を感じる

「問題児」キャラであった宜野座と霜月の内面的な変化から、彼らの成長を感じる(C)サイコパス製作委員会

本作における主役は、かつて監視官の立場にありながらもサイコパス度数を上昇させてしまい執行官の立場に変化した宜野座と、シビュラシステムを信奉するあまり捜査に支障をきたすことも多かった霜月という二人です。

宜野座に関しては女性ファンこそ多いものの、アニメ一期においては正義感や父への感情が倒錯し、精神的に不安定なキャラとして描かれていました。霜月はさらにたちが悪く、シビュラシステムを盲目的に崇めるあまり数々の捜査に失敗し、視聴しているファンの間でも決して人気が高いとはいえない人物でもあります。

この二人はシビュラシステムにかなり肯定的であるところや潜在犯に強い憎しみを持っているところなど、良くも悪くもシステムに適応した価値観の持ち主であり、そうした共通点から映画ではダブル主役のような形が採用されたのでしょう。さらに、メタ的な視点から話をすると、一期において常森朱に反発し物語のアクセントとなっていたのが宜野座で、二期において同様の役割を果たしたのが霜月と、この観点でも共通した役割を担っています。

 

しかし、本作はこれまで「物語の動かし手」として描かれてきた決して完璧とはいえない二人にとっての「成長物語」という側面もあります。宜野座はアニメ2期の時点である程度父とのわだかまりを解消してはいましたが、本作ではそんな彼が父親らしい姿を見せるようになっています。

執行官という立場のため純粋な子供ではないのですが、実の母が潜在犯となってしまったために育てられなかったという事情から、彼が父親を代行しているような状況です。アニメ1期の彼を思うと、正直とても父親にふさわしいとは思えません。しかし、本作では立派に父親を務めるとともに、潜在犯というかつて憎しみを向けていた対象への心境も変化していました。

さらに、霜月や久々利といった年下の面々にも先輩らしくサポートを欠かさないなど、人間的な魅力が増しています。

 

一方の霜月も、「足手まとい」という印象が強かった2期とは一変し、シビュラシステムを信奉しながらも潜在犯を助けるという行動を見せています。これまでの彼女は、たとえ誰の目にも潜在犯を助けるべきといった状況でもそれを無視するような「マニュアル人間」として描かれていました。

しかし、本作では「あくまでシステムを信じるという点に変化はない」としながらも、状況によっては潜在犯を救うという臨機応変な思考ができるようになっています。本作は、これまでの彼女のような「意志のない人間」に対して疑問を呈しており、そのテーマから考えると彼女もようやく「人間らしさ」を獲得してきたといえるのかもしれません。

【解説】日本の社会問題に深く切り込んでいる

【解説】日本の社会問題に深く切り込んでいる(C)サイコパス製作委員会

これまでも絶えず社会問題への痛烈な問題提起を繰り返してきたサイコパスシリーズ。そして、本作もまたその点は強調して描かれています。

本作で主要なトピックになっていたと思われるのが、「放射性物質の問題」と「同調圧力による思考停止」でしょう。そしてそれは一般に日本の社会問題として取り上げられることが多いものであることから、現実世界と結びつけて考えられます。

 

まず、「放射性物質の問題」については、非常に分かりやすい形で我々のもとに例示されています。地上の楽園とされた「サンクチュアリ」の実態は体のいい放射性物質処理場であり、収容者の生命や健康を全く重要視していないのは作中で描かれていた通りです。

この問題は、残念ながらサイコパスの世界だけでなく、現実の日本でも水面下で進行している可能性が少なからずあります。「放射性物質」と聞けば大半の日本人は福島第一原発の事故を思い浮かべるでしょうが、原発やその周辺における除染・放射性物質運搬の現状について詳しく把握している方はどれくらい存在するでしょうか。メディアなどでの報道量は減少しつつあるように感じますが、放射能の半減期を迎えるまでにはまだ長い年月が必要です。
したがって、今もなお絶えず放射性物質は放出されており、常に放射線のリスクを抱えながら現場作業に準じている人々が存在しています。

しかし、彼らの労働環境をめぐっては時折穏やかでない報道がなされることも。表面上の賃金が悪くないため労働者は集まっているようですが、実際にどの程度放射線汚染の影響が出るかは数十年後になってみないと分からないと言われています。

つまり、本作で言うところの「偽りの楽園」に込められた意味は、我々が人生を謳歌している裏には表に出てこない「ディストピア」が存在する可能性を指摘するのもなのでしょう。

 

さらに、「サンクチュアリ」内部でサイコパス度数が下がっているという点さえも、その実態は思考放棄による副産物であることが分かってきます。この点はシリーズを通して常に問いかけられている「意志」の問題と関連しており、個人的には日本社会を比喩しているようにも感じられました。

皆さんの中には、周囲に合わせて思考をしていた結果、いざ自分の意志が問われた際に選択の方法が分からなくなった、という経験がある方もいらっしゃるかもしれません。本作が問いかけているのはまさにそういった点であり、思考を止めてしまう事の「楽さ」と「危険性」を描き出しています。

【考察】当然ながらドストエフスキーとも関連している

【解説】当然ながらドストエフスキーとも関連している(C)サイコパス製作委員会

本作のサブタイトルともなっている「罪と罰」という言葉。この言葉が意味するところは小説好きには自明であり、ロシアの歴史的大作家・ドストエフスキーの名作『罪と罰』から採用されているでしょう。「罪」および「罰」という単語自体は常用されるため、同作を意識していない可能性は否定できないものの、これまでも作中でたびたび古典文学からの引用を披露してきたことを踏まえると、これは明らかに意図的であると考えるべきです。

同作は、貧困にあえぐ主人公の青年・ラスリーニコフが老婆を殺害し、金品を奪ったことから繰り広げられるドラマ小説です。この行為に対し、ラスリーニコフは「些細な悪であれば巨大な善で帳消しになる」というように、老婆の悪質さや自身の将来性などから殺人を正当化。しかし、執拗な捜査や娼婦の精神に感化され、最終的には自首を申し出ます。

この物語は、「罪」や「罰」という概念を問いかけるという観念的な内容で構成されており、当時のロシアから現代にいたるまで同作が打ち出した問題提起は議論の的になっています。

 

そして、この『罪と罰』による影響は、確実に本作の中にも息づいているでしょう。個人的にその要素を一番感じるのは、「サンクチュアリ」という施設に潜在犯を押し込み、そこで人命を軽視した労働を強いている一連の部分です。これは、潜在犯であるという「罪」に対し、厳しい条件での労働という「罰」が課せられていることを意味し、図式化していくとラスリーニコフのそれと通じる部分があります。

無論、その方便として「人類のためになる」という題目を掲げているところもそっくりです。小説ではラスリーニコフが罪悪感に苛まれるのに対し、黒幕のシビュラシステムはそうした点を合理的に割り切って思考しています。

つまり、本作は「罪と罰」の世界を模倣しながらも、その担い手が本当の意味での「サイコパス」であり、かつ強力な存在である場合を想定しているのではないでしょうか。その点では同作の世界観をさらに発展させた内容で描いており、この「罪と罰」という問題が一個人だけでなく社会全体に、時代や背景を超えて適用できることを打ち出しています。

基本的に佳作だが敵役の魅力や尺不足感は否めない

基本的に佳作だが敵役の魅力や尺不足感は否めない(C)サイコパス製作委員会

ここまで全体の内容をまとめていくと、60分という時間の中でミステリー的な仕掛けや人間の成長という要素が盛り込まれ、さらにその裏で社会への問題提起が行なわれていました。内容的には盛りだくさんですが、とっちらかっているということもなく、まとまっているという印象を受け、サイコパス作品の中でも上々の完成度を誇っていました。そのため、宜野座や霜月といった登場人物に強い思い入れがあれば秀作で、そうでなければ佳作に分類される作品かと思います。

ただ、本作に欠点がないわけではありません。まずは何度も言及しているように与えられている尺が非常に短く、シリーズの世界観をベースにしているとはいえ新要素も多かったことから、やや駆け足気味な点は否めません。物語として破綻こそしていないものの、作品の設定に馴染んだころにはもう物語が終わってしまったような印象を受けました。

 

さらに、前作同じく私がレビューした「劇場版サイコパス」の記事でも書いた「敵役の魅力」という点は、本作もいま一つという感じがしました。本作の黒幕は辻飼であり、彼女の裏側ではシビュラシステムが手を引いているという構造になっていますが、このあたりは正直前作と大差ない仕掛けになってしまっています。

作品を通じてシビュラシステムという巨大な社会システムと対峙していくという大きな枠組みは理解できるのですが、二作続けて同じ仕掛けを披露されてしまうと「なんだ、またシステムが黒幕か」と食傷気味になってしまうのも事実。また、そうした背景を見せられる以前から単純なキャラクターとしての魅力も弱いところがあり、「小物感」がどうしても否めませんでした。

やはり、魅力的な悪役を演出することは至難の業なのでしょう。加えて本作は尺も短く、どうしても主役の側に終始視点を合わせなければならないのは、やむを得ないのかもしれません。そうした事情は理解できるのですが、視聴者としてはどうしても彼らと一期で作品を盛り上げた槙島を比較してしまうところがあり、そこからは一段落ちると感じてしまいます。

 

ただ、作品全体で見れば槙島の存在こそが紛れもない「イレギュラー」そのもので、彼のような存在を何人も量産させること自体に構造的な問題が生じるのは事実でしょう。

実際、本作の辻飼はシステムの傀儡であり、その人物にカリスマ性を持たせろというのも酷です。したがって、今後放送が予定されている三期では、システムではなく再び人間との対決が見たいところです。ファンには怒られるかもしれませんが、ひそかに狡噛との対立が楽しみだったり…。

(Written by とーじん)

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