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『機動警察パトレイバー 2 the Movie』ネタバレ感想・解説・考察!日本の平和に潜んだ欺瞞を暴く、仮想「戦争」

映画『機動警察パトレイバー 2 the Movie』のあらすじ・内容

1993年に公開された映画『機動警察パトレイバー 2 the Movie』は、ある意味で戦争映画と呼べるのかもしれません。

PKO派遣と日本国内で発生した有事を呼び水として、戦後の平和と正義、その欺瞞に対する疑問を投げかける作品です。それはパトレイバーの姿を借りた思想実験でありながらも、これまで所属していた組織との決別をもたらすという点において、きわめてパトレイバーらしい作品といえるのです。

今回はそんな映画『機動警察パトレイバー 2 the Movie』の感想や解説、考察について紹介します。ネタバレを多分に含んでいるので、視聴前の閲覧にはご注意ください。

目次

映画『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を観て学んだこと・感じたこと

・監督・押井守によって著しく姿を変えたパトレイバー
・戦後の日本において、平和と正義とその欺瞞を考えさせられる作品
・後藤と南雲の関係を見ているだけでも十分に楽しめる

映画『機動警察パトレイバー 2 the Movie』の作品情報

公開日1993年8月7日
監督押井守
脚本伊藤和典
出演者後藤喜一(大林隆介)
南雲しのぶ(榊原良子)
荒川茂樹(竹中直人)
柘植行人(根津甚八)
泉野明(冨永みーな)
篠原遊馬(古川登志夫)

映画『機動警察パトレイバー 2 the Movie』のあらすじ・内容

映画『機動警察パトレイバー 2 the Movie』のあらすじ・内容

帆場暎一によるHOSの暴走レイバー事件から数年後。かつての特車二課のメンバーは隊長の後藤喜一と南雲しのぶ、そしてごく一部の隊員を除き、新たな場所でそれぞれの日々を送っていました。

ある日、横浜ベイブリッジの爆破予告による道路封鎖に巻き込まれた南雲。直後、自衛隊の所属と思われる戦闘機が発射したミサイルによって、ベイブリッジが爆破されます。

憶測が飛び交うなか、後藤と南雲に陸幕調査部別室の荒川が接近し、ある人物の捜査を依頼しました。対象の名前は柘植行人。彼の思想と行動は、日本の平和に波紋を呼び起こしていきます。

映画『機動警察パトレイバー 2 the Movie』のネタバレ感想

【解説】後藤喜一と南雲しのぶが主人公を飾る異色作


『機動警察パトレイバー』は、作業用ロボット・レイバーによる犯罪に対向して創設された警視庁特車二課に所属する面々の活躍を描いたシリーズです。シリーズの特徴は、単純なロボットアニメではなく、ジャンルやテーマを限定せずに様々な物語を通じて特車二課の人間ドラマを描いている点。なかでも、特車二課が所有するレイバー・イングラム1号機に乗る泉野明、及びそのバックアップを務める篠原遊馬は、「パトレイバー」シリーズの主人公とも呼べる存在です。

しかし、映画『機動警察パトレイバー 2 the Movie』における主人公は野明と遊馬ではなく、特車二課の隊長・後藤喜一と南雲しのぶです。

後藤喜一の声優を務めるのは大林隆介。『らんま1/2』シリーズの天道早雲役などが有名であり、過去には俳優としても精力的に活動しています。後藤は飄々としてとらえどころのない性格ですが、実は公安出身で、本庁からは「カミソリ後藤」と呼ばれるほど頭のきれる人物。本作では東京を舞台とした仮想戦争の背後にある犯人の意図や動機に対して、カミソリ後藤の思考が遺憾なく発揮されることとなります。

 

南雲しのぶを演じるのは榊原良子。過去に演じた主なキャラクターとしては、『風の谷のナウシカ』のクシャナや、『機動戦士Zガンダム』のハマーン・カーンなどが挙げられるでしょう。女傑とされるような強い女性を演じさせると、右に出る者はいません。

もちろん、南雲しのぶというキャラクターもまた、気の強い女性です。しかし、シリーズ全体を通してみると可愛らしい部分も多いのが特徴。本作では事件の首謀者である柘植と過去に浅からぬ関係にあったことが明かされ、警官としての矜持と過去との葛藤を抱えながら柘植の行方を追うこととなります。

【解説】「濃縮押井守」と呼ばれるに相応しい思考実験場

本作の物語は、自衛隊の所属と思われるF-16Jのような戦闘機が横浜ベイブリッジにミサイルを発射し、橋を爆破したことに端を発しています。事件と自衛隊に関する憶測が流れるなか、後藤と南雲のもとに現れた陸幕調査部別室の荒川茂樹は、事件にかかわりのある可能性が高い、柘植行人という人物の捜査協力を申し出ます。

柘植行人とは、1999年に東南アジアで国連のPKOに自衛隊として参加していた人物です。発砲許可を得られないままゲリラからの攻撃を受け、部隊を壊滅させてしまったという過去を持っています。そして、妻子がいながら南雲とかつて深い関係にあり、これが原因となって南雲は本庁のキャリアコースを外れ、特車二課に流れてきたのでした。

 

荒川が後藤と南雲に接近していたまさにその時、航空自衛隊の自動警戒管制組織がハッキングされ、青森の航空自衛隊三沢基地から「幻の」航空爆撃機が発進、バーチャルな東京襲撃が演じられます。たとえバーチャルなものとはいえ、それは日本国内での有事を演出し、人々を戦慄させるのに十分なものでした。

警察は権限の強化を進めるという政治的な意図から、三沢基地の司令を拘束します。一方、警察の過剰ともいえる行為に対し、自衛隊は抗議の意思表示として各基地や駐屯地で籠城を決め込むことに。政府は警察への不信感を募らせ、事態の収拾に向けて自衛隊に東京の治安出動命令を発します。

しかし、自衛隊にはすでに柘植の息がかかったメンバーが密かに紛れていました。ある朝、3機の陸上自衛隊攻撃型ヘリ「ヘルハウンド」が飛び立ち、都内の通信施設、主要な橋梁、そして警視庁及び特車二課を攻撃していきます。通信、移動手段を失い、孤立する自衛隊や警察。東京はまさに仮想「戦争」と呼べる状態へ突入することに。

たった一発のミサイルによって、政府、警察、自衛隊の三者が見えない敵に踊らされ、互いを貪りあうという状態を引き起こし、そこへテロが発生するという展開は、少し出来過ぎな感じが否めません。三沢基地での司令拘束という警察の過剰行動がどうも浮いているように見えるため、いささかリアリティが薄く感じられるのでしょう。しかし、パトレイバーの世界における警察の権限も考えると、そう無理のない話でもないのかもしれません。

いずれにしても、フィクションとしてよくできているその展開は、「もし日本国内で戦争やテロが発生したら」という、押井守の思考実験場であるといえます。その思考実験の本流は仮想戦争という舞台を借りて、「平和とは?正義とは?」を問う流れを見せていくのです。

【解説・考察】戦後の日本を無意識に包みこむ、平和と正義


ちょうど映画『機動警察パトレイバー 2 the Movie』が公開された1993年は、「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」が制定された翌年であり、海外でのPKO活動における自衛隊の参加が注目された時期でした。この法律を根拠として、日本はPKO活動や国際機関等が行う人道的な救援活動に対して、自衛隊を派遣するようになります。

その一方、当時は国内で有事が起こった場合の活動についての関心はあまりなかったといえるでしょう。国内でのテロはその数年後、1995年に地下鉄サリン事件という形で発生することとなります。1993年の当時にPKO活動を呼び水として、日本人の平和の無自覚さや国内での有事をテーマに描く押井の先見性は流石のひと言です。

 

そんな本作における、荒川と後藤の長い会話シーンは、日本の平和や正義についての無自覚さに対して、疑問を投げかけるものとなっています。

荒川は後藤に対し、警察官や自衛官として、自分たちが守ろうとしている平和とは何なのかと問います。荒川も後藤も今まで戦争というものを経験したことがありません。しかし、自分たちが享受している平和とは、太平洋戦争の敗北とアメリカの占領政策、政治的・経済的主張から西側諸国と東側諸国に分かれて繰り広げられた冷戦、そして世界各地で生じている内戦や紛争がもたらしたものに過ぎないと言います。

そして、平和を求めて行われる戦争を「正義の戦争」と呼び、自分たちの血を流さず、誰かにその血を流させて得た平和を「不正義の平和」と呼ぶのです。

後藤はそんな不正義の平和でも、正義の戦争よりはマシだと返します。もちろん、荒川もそれは十分に承知しています。正義という大義名分を振りかざす人間が正しかったことはただの一度もなく、その言葉に乗せられた犠牲者を数えればきりが無いからです。

しかし荒川は、正義の戦争と不正義の平和の間に明瞭な差はないと言います。作中でその理由を明言することはありませんが、おそらく前者では戦争無しには正義が成立せず、後者もまた、戦争無しには平和を享受できないという意味でしょう。どちらも戦争を必要としているという点において両者は共通しており、確かに明瞭な差はないのかもしれません。

 

最後に荒川は、単純に戦争状態でないことを平和だというのであれば、今はただ「戦争が起きていない」状態なだけであり、いつか大きなしっぺ返しを食らうことになるのではないかと語ります。この荒川の台詞からは、戦争による犠牲者と平和を享受する者が一致しない状況や、その状況に疑問すら持たない日本の空気に対する静かな憤りが感じられます。

正義の戦争と不正義の平和。それは事件の首謀者である柘植の思想とも重なります。もちろん、それは監督である押井のメッセージともいえるでしょう。荒川や柘植は押井を投影した人物だといえます。

実際に戦後の日本はどん底の状態から、朝鮮戦争による特需を皮切りにしての高度経済成長を成し遂げました。その後も世界各地ではあらゆる内戦や紛争が起こり、間接的に経済的な繁栄をもたらしてきました。今の日本の平和は自ら勝ち取ったものではなく、その代償を他の国に背負わせたものであり、我々はそこから目をそらし続けているといえるでしょう。

実際にそのしっぺ返しがやってくるのかはさておき、いかに欺瞞に満ちた平和であるのかを日本に理解させるために、柘植は仮想の「戦争」を東京に引き起こしました。それは政治的な意図を持ったクーデターではなく、思想をぶつけるテロといえます。

生じたテロに対する、作中での世論の反応は定かではありません。しかし、それは作中における多くの日本人にとって、大きな衝撃だったのではないでしょうか。民族的な衝突も思想的宗教的な対立もなく、憲法を掲げていれば戦争はおろか、内戦や紛争など起こるはずもないと盲目的に考えていたのであればなおさらです。

結局、不正義の平和が良いのか、正義の戦争のほうが良いのかについて、本作で明確な回答が提示されるわけではありません。いち警察官である後藤も南雲も特車二課の面々も、正義の味方でもなければ、政治家や思想家でもありません。彼らがその問いに、正面から答えることはないのです。しかし、それは決して彼らが問いから逃避しているようには映りません。

後藤も南雲も警察官であり、その義務は人々の安全を守ること。その人々が、不正義の平和の上に無自覚なままであったとしても、彼らの義務は変わらないのです。

 

中盤、事態がこじれた状況における後藤の台詞が終盤になって思い出されます。

「今俺たちが何をするべきなのか。それぞれの持ち場で何かしなくちゃ、何かしよう、その結果が状況をここまで悪化させた。そうは思わないか」

いつまでも警察対自衛隊という組織対立に執着し、政治的な事柄だけで動こうとする警察に対して、ついに南雲も、そして後藤も組織を離脱して、独自に動くことを決めます。

彼らの決定は、自身の役目とその矜持が持ち場に縛られることのない、人間として真にやるべきことなのだという発露となっています。それは、警察ものとしてのパトレイバーをある意味で破壊するという展開だといえるでしょう。

【解説・考察】特車二課、最後の戦い


後藤と南雲が独自に柘植を逮捕すると決めたとき、特車二課の面々もこれに賛同していきます。もちろん、それは野明たちにとっても、警察と袂を分かつことを意味しました。ここでようやく、パトレイバーとしてのロボットものの側面が顔を出します。

本作の感想によく見られるもののひとつに、「最後のロボットバトルはおまけ」というものがあります。しかし、決してそうとも言い切れないのではないでしょうか。

本作がパトレイバーの作品として成立しているのは、単純に作品の舞台や設定を借りているからではありません。きちんと結末に、特車二課の存在が含まれているからでしょう。仮に特車二課のメンバーが協力しなかったとしても、後藤も南雲も事をなそうとしたに違いありません。しかし、それでは本当にただ「パトレイバー」の名前を借りただけの映画になってしまいます。

 

また、本作は前作『機動警察パトレイバー the Movie』の終了後、特に何の説明もなく各々が特車二課を離れて数年が経過した時代になっています。そして、OPでは野明や遊馬、太田や進士のその後が描かれています。

もし、ただ押井の思想的なテーマを顕現させるのであれば、彼らの姿を描く必要はなかったでしょう。しかし、そうはせずに彼らの姿をきちんと描いたのは、特車二課の存在が――そこにいた野明たちの姿や成長がなければ、本作がパトレイバーと呼べないからではないでしょうか。

これまで所属していた組織が自身の理想とは遠いものであったことを知り、野明たちもまた、自分の信条を貫き通すために、組織を蹴って動こうとします。

特車二課の集結に際し、進士と野明のそれぞれの台詞が、胸を打ちます。

進士幹泰
「(出て行くのを止める家族に対して)ごめんね。でもいかなきゃ、仕事より大事なものを失う」

泉野明
「(本当に特車二課へ合流するのかと問う遊馬に対して)私、いつまでもレイバーが好きなだけの女の子でいたくない。レイバーが好きな自分に甘えていたくないの」

これまで様々なテーマや物語でもって描かれた人間ドラマが、個々人の成長に帰結していく様子が感じられます。

【考察】後藤と南雲の関係について


OVAやTVアニメ、漫画において、これまで熟年夫婦のような関係であった後藤と南雲。ふたりの関係が何よりも好きだというパトレイバーのファンも多いでしょう。本作はその関係に、ひとつの結末をあたえる作品でもあります。

後藤と南雲の間に、恋愛感情があったかどうかは定かではありません。けれども、ふたりの間には、信頼や絆といった言葉だけでは説明できない関係が感じられます。

そこに、柘植という過去に南雲と関係のあった人物が現れることで、小さなさざ波が生まれます。

柘植の存在に南雲が台詞でもって動揺を示すことはありませんが、わずかな表情の機微や、ラストシーンでの柘植の逮捕の様子から、彼女が柘植に対して何か消化しきれぬ感情を抱いていたことがどうしようもなく伝わってきます。

南雲の感情は単純に名前を付けられるものではなく、過去にあった未練や懐古、後悔など、あらゆるものが複雑に入り混じったものであるように感じられます。

 

一方の後藤もまた、柘植の名前を聞いたときにわずかな表情の変化を見せます。後藤の感情も単純な恋愛感情や柘植への嫉妬ではなく、形容しがたい複雑なものになっているように思えてなりません。

そんな後藤と南雲、そして柘植の関係を単純な三角関係と呼ぶのは、どうにも腑に落ちません。そこには単一の感情だけでは説明の難しいモノが浮かんでいるように思えるのです。

おそらくこの先、後藤と南雲の間に明らかな恋愛感情を結ぶことはないのでしょう。後藤と南雲が主人公である意味は、まさにその点にあるのではないでしょうか。ふたりのどこか切ないセンチメンタリズムな雰囲気もまた、本作の魅力を押し上げています。

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