映画「HELLO WORLD(ハロー・ワールド)」は「劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-」などで知られる伊藤智彦監督が手がけました。
2027年の京都を舞台に、10年後の世界からやってきた自分自身に指南されながら、恋人の死を回避する物語です。序盤から終盤にかけて、まるで別の映画になったかのように展開が変わり、ラストの展開は「……ん?」となった方も多いのではないでしょうか。
今回は映画「HELLO WORLD」のネタバレ感想や解説、ラストの展開の個人的な考察を書いていきます。
目次
映画「HELLO WORLD(ハロー・ワールド)」を観て学んだこと・感じたこと
・序盤は淡々とした恋愛ストーリーが描かれ、終盤にかけて展開が面白くなる
・現実はどこに存在しているのだろうか?
・ラスト1秒で思考が停止
映画「HELLO WORLD(ハロー・ワールド)」の作品情報
公開日 | 2019年9月20日 |
監督 | 伊藤智彦 |
脚本 | 野崎まど |
出演者 | 堅書 直実(北村匠海) カタガキナオミ/先生(松坂桃李) 一行 瑠璃(浜辺美波) 勘解由小路 三鈴(福原遥) 千古 恒久(子安武人) カラス(寿美菜子) |
映画「HELLO WORLD(ハロー・ワールド)」のあらすじ・内容

2027年の京都に平凡な高校生・堅書直実(かたがき なおみ)は、10年後の未来から来た青年と出会います。
その青年(先生と呼ぶ)は10年後の自分自身であり、先生によると直実が今いる世界は、歴史の保存を目的とした「アルタラ」に記憶された仮想世界の一部であることを告げられます。
そして、3ヶ月後にはクラスメイトの一行瑠璃と恋人関係になるも、初デートで落ちて来た雷によって彼女を失ってしまうため、死の運命を回避してほしいと頼まれます。直実は未来を変えるために奔走します。
映画「HELLO WORLD(ハロー・ワールド)」のネタバレ感想
前半の淡々とした恋物語から、バトル要素満載の後半へ展開が変わる

物語の前半では主体性がなく、消極的で平凡な主人公が描かれます。10年後の未来から来た先生は過去を知っているので、一行瑠璃と恋人関係になれるようにあらゆる指示をしてくるんですね。
性格も真反対、会話をするような仲でもない二人が徐々に近づき、お互いのことを少しずつ好きになっていく様子はまさに恋愛ストーリーでした。個人的にはもっとSF要素を期待していたので、前半の展開は少し退屈に感じてしまいましたが、このお互いが好きになるプロセスは後半の展開にも重要になってくるのでしっかり描く必要があったのでしょう。
ちなみに、2027年の世界が舞台の作品ではありますが、世界観的には2019年現在とそれほど変わっていません。アルタラに京都の街並みを保存するためにドローンが上空を飛んでいるくらいで、高校生たちのやり取りを見てみれば、現代のLINEのようなメッセンジャーアプリで連絡先を交換していました。
そして、先生が言っていた天災によって瑠璃が死んでしまう当日。初めてのデートの最中に雷に打たれて瑠璃が死んでしまうということだったので、デートの予定を立てることもなく瑠璃は自宅にいます。
念のため直実と先生は自宅付近で待機をしていますが、この世界はアルタラに保存されている過去の京都なので「瑠璃が雷に打たれて死ぬ」という事象は起きなくてはないことです。それを阻止しようとする直実たちに対し、アルタラの自動修復システム・狐面が攻撃を仕掛けてきます。
前半の静かで淡々とした恋愛ストーリーとは異なり、ここからSF要素満載のバトル展開が多くなっていきます。前半部分もよかったのですが、個人的には後半の激しい展開の方が好みでしたね。
【ネタバレ解説】先生の裏切り。一行瑠璃を愛してるゆえの行動

瑠璃を守るためアルタラの自動修復システムと戦う直実たちですが、先生は直実を裏切ります。
実は2037年の世界では瑠璃は脳死状態にあり、脳死状態にある肉体に2027年の瑠璃の精神を上書きして蘇生させるのが目的でした。
「瑠璃を連れ帰りたいのであれば、過去に来てすぐに連れて帰ればいいんじゃ?」と思われるかもしれませんが、2037年の瑠璃と当時の状況が同じである必要があり、「直実と恋人関係にある瑠璃(直実のことが好きな瑠璃)」という状態にある必要があったのですね。なので当時の状況を作る必要がありました。
そして、先生は瑠璃を連れ帰り未来に戻り、直実は2027年の世界に取り残されてしまいます。
未来に帰った先生は脳死状態から目を覚ました瑠璃と再会しますが、自動修復システムの狐面が瑠璃の命を狙いに来ます。狐面がこの時代にもやってきたということは、先生がいる時代もアルタラに記憶された過去であることがわかります。自分が現実の世界を生きていると思ったら、記憶された世界の中だったと思うとゾッとしますね。
先生はその事実に絶望し、2037年の世界にやってきた直実を手助けして自分が犠牲となり、直実と瑠璃を元の世界に帰すことにします。
先生が直実を裏切った時には「とんだクズ野郎だな!」なんて思いましたが、先生が10年前の自分自身を裏切ってまで瑠璃を未来に連れ帰ろうとしたのは「とにかく瑠璃が大好きだった」というだけの理由なんですよね。
過去に戻る方法を何度も試し、身体がボロボロになっても瑠璃を助けたいと思う気持ちは、心の底から愛していたんだろうなと。2027年の世界に来た先生は、瑠璃の姿を目にして涙を流していましたが、脳死状態でずっと寝たきりだった彼女が動く姿をみれば感極まってしまうのも理解できます。
瑠璃を連れ帰ってしまうという行動は身勝手な部分もありますが、愛してるが故の行動だと思うと、先生の行動を全否定することはできませんね。
グッドデザインの能力でブラックホールを作るのは無理ない?

直実は先生から能力「神の手(グッドデザイン)」を授かります。グッドデザインは触れているものの物質を変化させる能力で、鉄をつくったりものを巨大化して攻撃したりすることができます。漫画「鋼の錬金術師」に出てくる錬金術的なやつですね。
2027年に瑠璃が雷で打たれてしまう際に、直実はグッドデザインで小さなブラックホールを作り、雷をブラックホールで吸収しますが、あれはさすがに無理がありません?
小さなブラックホールといっても雷は吸収しているわけですし、瑠璃含めて周囲は強い重力がかかってしまうんじゃ…と感じてしまいました。
【考察】ラスト1秒で思考停止。瑠璃が直実を助ける夢オチ的な結末なのか?

この映画には「この物語(セカイ)は、ラスト1秒でひっくり返る――」というキャッチフレーズがあるそうで、映画を見に行った時はこのキャッチフレーズを知りませんでした。
このキャッチフレーズを知っていれば映画のラストまで「何が起こるんだ?」と身構えて見ることが出来るのでしょうが、知らなかった筆者はラストの展開が唐突すぎて思考停止でしたね。まぁラスト1秒というのは言い過ぎで、10秒くらいはあった気がしますが。
映画をみていない方に簡単に説明すると、ベッドに横たわる青年の直実が目を覚まし、そこには瑠璃の姿が。脳死状態にあったのは瑠璃ではなく直実であり、瑠璃がアルタラをシュミレートして直実を救おうとしていたということが分かります。
そして、画面が引きの絵になると奥には地球が見え、月にある研究基地でアルタラのシミュレートが行われていた…という結末を迎えます。映画の中ではここがどの時代にあたるのか詳しく描かれていませんでしたが、スピンオフ小説「勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をする」によると、2047年の現実世界であるようです。先生がいた2037年の世界よりも10年後の世界ということになりますね。
このラストには賛否両論あると思いますが、個人的には蛇足感が拭えなかったんですよね。
序盤の恋愛ストーリーから先生の裏切り、直実が未来に行って瑠璃を助け、過去に戻って恋人同士に戻る…というわりと綺麗な終わり方だったと思うのですが、あのラストによって作品としてのレベルが一つ上がるというよりは、夢オチ的なラストはマイナスに映ってしまいました。
こういった「実は立場が逆だった」的な展開はままあることで(映画「フォー・ハンズ」など)、映画や漫画で目にしたことがある方もいるかと思います。他の作品で描かれる「実は立場が逆でした」展開は、そのどんでん返し部分に映画としてのゴールが設定されることが多く、「どう?驚いたでしょ?」というラストは悪くないです。
ただ、この作品はどちらかというと一つ前の「直実と瑠璃は無事に過去に戻り、恋人として幸せになりましたとさ」というラストが物語としてのゴール設定であり、ラストの「実は瑠璃が直実を救おうとしてました」は取ってつけた感があるというか、奇をてらった感があって一気に冷めてしまったんですよね…。
また、「どんでん返しに部分にゴールが設定された映画」は物語の随所に伏線があり、ラストのオチを見た後に「あれはそういうことだったのか」と理解出来ることが多いのですが、この映画では直実が2027年から2037年に行く時にカラス(たぶん瑠璃?)が手助けをしてくれたというくらいで、他に伏線は無かったと思うんですよね。何か見逃してたのかな。
【考察】直実を脳死状態から目覚めさせるのに今までの展開が必要だったのか?映画タイトルの意味とは

ラストは夢オチぽい終わりでしたが、現実世界の瑠璃が直実を脳死状態から助け出すには、2027年の直実の元に2037年の先生を向かわせる→先生が瑠璃を連れ去る→カラス(現実世界の瑠璃)の助けで直実が2037年へ→先生と共闘し瑠璃を2027年に帰す、先生は犠牲になる→暴走したアルタラを止めるため電源を止める(?)
という流れが必要だったんでしょうかね?それもよく分かりませんでした。
千古教授がアルタラの暴走を止める時に「開闢(かいびゃく)」という言葉を使っていましたが、開闢には「天地のはじまり。世の中のはじまり」という意味があるので、映画タイトルの「HELLO WORLD」に繋がるような気もします。直実の目を覚ますには開闢が必要だった可能性はありますね。
2037年の先生が瑠璃を連れ去った時は、精神状態を当時と同じにしてから連れ去りましたが、現実世界で直実の脳死状態を助け出す時にも精神状態を同じする必要があり、この展開が必要だったんでしょうか?
しかし、現実世界の瑠璃は脳死状態の直実に、過去の直実の精神を上書きしている様子も無かったので、それは違うと思うんですよね…。こうやって考えると的確な答えが全然見つからないです。
まぁ難しいことは考えずに、直実が瑠璃を助けているのではなく、実は瑠璃が直実を助けていたということは、瑠璃も直実のことを心の底から愛していたということになるので、深く考えずその事実だけを楽しめばいいのかもしれません。
ちなみに、プログラミングを学んだことがある方であればわかると思いますが、プログラミングの参考書や入門書で初めに学ぶプログラムとして、必ずと言って良いほど登場するのが「Hello,World!」という言葉です。まず「Hello,World!」という文字を入力して、画面に表示させてみましょうという参考書が多いんですね。
なぜ「Hello,World!」というプログラムを初めに学ぶ参考書が多いかというと、プログラミング言語の一つである「C言語」の研究や開発に多大な貢献をしてきた、デニス・リッチーとケン・トンプソンが、C言語の入門書として「プログラミング言語C」を出版しました。
そこで一番初めに学ぶ例題が「Hello,World!」というプログラムでした。これが定番のようになり、他の参考書でも初めに学ぶプログラムとして、「Hello,World!」が使われることが当たり前のようになったんですね。
私たちが普段使っているサイトやアプリ、TwitterやFacebook、Instagram、スマホゲームなどなど、元を辿っていけば意味のある文字列をプログラムしたものです。ネットのサービスやアプリの元をたどると、文字列のやり取りでしかないと考えると少し不思議ですよね。
そして、「Hello,World!」という文字を入力して、パソコンの画面に表示(出力)させるということは当たり前で簡単のことのように思えますが、入力した文字を相手の画面に表示することができるということは、プログラムの組み方や作り方次第で「何でもできるようになった」ことを意味します。
今作はネットの世界を描いたものではありませんでしたが、技術が進んだ世界を描いたSF映画ということで、個人的にはプログラミング言語で最初に学ぶ「Hello,World!」とこの映画がリンクして映りました。
アルタラだったり過去に戻れるのに脳死状態は治せないのか…

この映画は3DCGだったり光や木漏れ日、京都の街並みといった映像描写はキレイですし、良いところもたくさんあります。ヒゲダンの主題歌「イエスタデイ」も良かったですし。
ただ、突っ込みたい部分もたくさんあって、2027年には京都の街並みを無限に記憶できるアルタラがあったり、2037年から10年前の世界にやって来たりするのに、脳死状態は治せないものなのかとは思いましたね。
脳死状態の人を目覚めさせるというのは現代の医療・科学技術では不可能ですが、京都の街並みや人の動きを全て記録できるアルタラを発明してしまうくらいですから、2037年にはそういった医療技術が無いものなのかと思いましたし、2047年に瑠璃が直実を助けた際にも、医療というよりはアルタラを使って直実を助けていました。
京都の街並みや人の動き、自然や天気など全てを記録するアルタラは、現実では考えられない程凄いものですよね。どれくらいの容量があるのか想像も付きませんが、それを全て記録してしまうわけです。
アルタラの設定が壮大すぎるので、アルタラがある世界であれば他の技術も高く、脳死状態の人を回復させることも出来そうと思ってしまいましたが、こういったSF系作品の設定を現実的に考えてしまうことは映画を見る上でナンセンスなので、やめておきましょう…。
ラストは人によって捉え方が変わるかも!

個人的にラストのどんでん返しは蛇足に感じてしまいましたが、人によっては良い意味で裏切られた!と感じると思うので、ここら辺は好みによって評価が変わりそうです。
また、物語もただの恋愛ストーリーやSFアニメというわけではなく、それぞれの要素が入り混じり、ジェットコースターのように後半にかけて盛り上がりを見せる展開は良かったと思います。
アニメの描写もキレイで、直実と瑠璃が少しずつ近づき、恋仲になっていく様子と淡い映像が合っていましたし、瑠璃の顔や直実の顔など、人の顔がアップになるシーンではその映像の鮮明さがより感じられたので、映像的には序盤の恋愛ストーリーが楽しめるかと思います。
様々な展開が楽しめる3DCGアニメを見たい方におすすめの作品となっています。