『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』は湯山邦彦監督が手がけた作品で、劇場版シリーズの20作目にあたります。サトシとピカチュウの出会いや成長を描いています。
今回はそんな『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』の個人的な感想やネタバレ解説を書いていきます!
目次
「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」を観て学んだ事・感じた事
・世代を超えたポケモン映画!
・ファンも納得の小ネタが満載
・すべてのポケモントレーナーを満足させることはできない
「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」の作品情報
公開日 | 2017年7月15日 |
監督 | 湯山邦彦 |
脚本 | 米村正二 首藤剛志 |
出演者 | サトシ(松本梨香) ピカチュウ(大谷育江) ソウジ(本郷奏多) マコト(佐藤栞里) クロス(逢坂良太) |
「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」のあらすじ・内容

マサラタウンに住むサトシは10歳の誕生日に、ポケモンを連れて旅に出ることになっていました。
ひと悶着あったのち、彼のパートナーとして差し出されたのは生意気なポケモン・ピカチュウでした。
マイペースなピカチュウとトラブルの末に打ち解け、絆が芽生えたとき、彼らの上に伝説のポケモン・ホウオウが現れます。サトシたちはホウオウに挑むべく、旅を再開していきます。
「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」のネタバレ感想
【解説】ポケモン映画復権の転換点!

(C)Pokemon (C)2017 ピカチュウプロジェクト
いま巷では、『名探偵ピカチュウ』が話題になっています。今までにない現実味溢れるポケモンのデザイン、アニメとは一味違う生物的なポケモンの動き、細かいところまで散りばめられた小ネタなどで、世代を超えて評価を受けている映画です。筆者も鑑賞して、新しいポケモンの世界に胸を躍らせました。
それはさておき、実は『名探偵ピカチュウ』の前にも、大人になったトレーナーが観るべきポケモン映画があったのをご存知でしょうか?それが今回ご紹介する、『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』です。
本作は、ポケモン劇場版シリーズ20作目という節目に作られた作品です。ここ十作超で通例となっていた「新しい幻のポケモン+ほぼ最新のサトシ一行」という構成から脱却しており、最近のポケモン事情を知らなくても観れるものとなっています。
そうなったのには、アニバーサリーとしての意味合いの他に、もう一つの思惑があると考えられます。実は本作以前のポケモン映画(特にXY&Z期)は、国内興行収入がかなり落ち込んでいたのです。
ルビー・サファイア期からブラック・ホワイト一作目ごろまではおおよそ40億円超で推移・安定していたのですが、15作目の『キュレムVS聖剣士 ケルディオ』から5連続で40億を割り、18・19作目『光輪の超魔神 フーパ』『ボルケニオンと機巧のマギアナ』では連続で最低記録を更新するという状態になっていました。日本の映画業界全体が冷え込んでいるとは言っても、憂慮すべき事態にあったのは確かです。このままでは20億すら割るのは目に見えていました。
そこを打破するべく、20作目の『キミにきめた!』には、かつてのトレーナーを呼び戻そうという意図があったのでしょう。結果的に本作は35.5億を稼ぎだし、窮地を脱した感があります。21作目『みんなの物語』は2作目と同じルギアが軸となっており、今夏公開の22作目は1作目の『ミュウツーの逆襲』のリメイクであることからも、20代・30代にアピールしていこうという魂胆が見え隠れしています。
大人の事情の話が長くなりましたが、『キミにきめた!』はポケモン映画の命運を分けた一本として、『名ピカ』を期にぜひ観たい作品なんです!
サトシとピカチュウの出会いや成長を再構築

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本作は、1997年に放映開始したアニメ『ポケットモンスター』を再解釈した、パラレルワールドとしての位置づけになっています。リメイクという表現が一般的かと思いますが、アニメ版に対する『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』のように、リビルド(再構築)と言った方がより的確でしょう。『ヱヴァ: 序』がアニメ版の第壱話から第六話をほぼなぞる形で進行しながら、『破』から徐々にズレだし、『Q』でまったく別の話が展開されたように、本作も最終的にはまったく違う物語になっていきます。
転換点になっているのは、序盤に現れる伝説のポケモン・エンテイです。エンテイは設定上ホウオウと縁の深い存在ですが、ゲームに登場したのは1999年発売の金・銀からであり、97年地点では創作または公開されてはいませんでした。そんなポケモンが現れることが、アニメ版との違いを決定づけています。
本作の舞台はカントー地方であり、金・銀のジョウト地方とは別であることが矛盾しそうなものですが、カントーとジョウトはセキエイ高原やシロガネ山を挟んで陸続きになっているうえ、エンテイ・ライコウは単体であちこちに移動する性質を持っていたため、違和感はありません。ファイアレッド・リーフグリーンでは、スイクン共々カントー地方を逃げ回っていたこともありましたしね。
これをきっかけに、オリジナルキャラクターとの交流も生まれます。余談ですが、仲間となるソウジやマコトの演技に聞き苦しい部分がないのはありがたいです(個人的には『水の都の護神 ラティアスとラティオス』の敵役だった二人の演技が素人丸出しだったのが記憶に残っているので……)。逆にタケシ、カスミ、シゲルといったお馴染みの人物は、本作では喋りません。
また、一見昔ながらのサトシも、集中するとどこか違うことがおわかりになるでしょう。見た目は2017年当時そこそこ話題になったのですが、よく聞くと声まで違うんです!担当しているのはおなじみ松本梨香ですが、本作のサトシはTV版と比べてどこか垢抜けず、幼い印象があります。
まだまだ旅の経験が浅く、年相応の(スーパーマサラ人などと揶揄されることもない)少年なのだということを示しているのでしょう。ぜひ、大人の厳な審美眼をもって、記憶の中のサトシと比べてみてください。ベテランの演技幅に驚くとともに、「このサトシはまだまだウブなサトシなんだ」と納得させられるはずです。
新しい設定をうまく取り込んでいる

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1996年には150種だったポケモンも、20年を経て今では807(本作公開時は802)種にまで膨れ上がりました。ポケモンシリーズは基本、新作のたびに新たな土地へ行き、そこで発見された種を新たなポケモンとして追加しています。その過程で追加されていったさまざまな設定が、本作の随所で採用されています。
たとえばルビー・サファイアからは、ポケモンごとに持っている特殊な能力として「とくせい」が追加されました。これが本作では適用されている節があります。中盤から現れるライバル・クロスのガオガエンは、攻撃を受ければ受ける程技の威力を増していました。実際、ゲームにおけるガオガエンも、体力が三分の一以下に減るとほのおタイプの技の威力が上がります。
また、地方ごとの特色も表しています。舞台となったカントー地方には各地を徘徊するエンテイ・ライコウ・スイクンを除いて、赤・緑で出現したポケモンしか生息していないように描かれています。
一方で人間はそうではなく、別の地方からの来訪者もおり、そういった人物が持つポケモンもまた別の地方にしかいない種類になっています。ソウジとマコトの出身地はシンオウ地方であり、彼らに縁のあるポケモンもダイヤモンド・パールで登場したポッチャマ・ルカリオ・レントラーらになっています。クロスはルガルガンとガオガエンを持っているため、おそらくアローラ地方(サン・ムーン)の出身なのでしょう。この辺の徹底ぶりは、『名探偵ピカチュウ』に勝っていると言えるかもしれません(ライムシティには非常に雑多なポケモンが入り乱れており、イッシュ地方なのかカロス地方なのかよくわからなかったため)。
他にも、バタフリーの羽根の模様がオスとメスで描き分けられていたり、エンディングでクロスのガオガエンが食べているのは能力が下がる代わりになつき度が上がるアイテム・マトマの実だったりと、細かな設定を見事に活かしています。そうした丁寧さには深く感心させられます。
ゲームの「あの曲」が流れる!

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もう一つ、本作を語る上で欠かせないものがあります。劇伴(音楽)です。アニメやゲームで印象深い曲がアレンジされ、映画の随所で使われているのです。カントー地方の物語ということで赤・緑期の曲が多いですが、随所随所でそれ以外のものも利用してくるあたりが、非常に良いアクセントになっています。
野生ポケモンと遭遇した際の曲、一番道路の曲、なみのりをしているときの曲、ポケモン映画で毎度使われるタイトルテーマ等々、一度でもポケモントレーナーになった人なら絶対に聞いたことのある音楽が、効果的に使われています。
さらには、映画三作目(結晶塔の帝王 ENTEI)の曲、ルビー・サファイアで使用されたあの曲も、意外な場面で流れます。どれがどこで流れるかはネタバレとなるため言及しませんが、気がつけば驚くこと間違いなしです。
【ネタバレ解説】感動シーンがてんこ盛り

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ゲームやアニメ出典のネタに限らず、脚本・演出もまたアラサーを狙っている節があります。歳を取り、子どもの頃よりはるかに脆くなった涙腺を何度も何度も攻撃してくるのです。通常の映画なら、関連商品を売るためにも「伝説・幻のポケモンがかっこいい!」と子どもたちに思わせるために泣けるシーンはそう多く挟まれることはないと思いますが、本作はそれが一度や二度ではないんです。
まず冒頭十分ほどから、サトシとピカチュウが大量のオニスズメに襲われます。アニメ版では数十羽と現実的な数字だったのが、本作では1000羽とかに増えてます。20倍とかバカじゃないのって気もするのですが、実際映像で観るとぎょっとします。序盤の、大して強くもないポケモンながら、群れになると怖い!と思わされるんです。この群れに対し、サトシが身をていしてピカチュウを守ろうとするあたりに、早くも感動作らしさが出てもいます。
中盤にも、サトシがバトルに負けたことを受け入れられずに孤立するシーンが挟まれます。このとき、幻のポケモン・マーシャドーによって、サトシはポケモンのいない現実世界の幻覚を見せられます。その結果サトシは自分の非を認めるのですが、これも中々心に響くシーンだったりします。
さらに、ソウジが幼い頃家にいたレントラーが、自分を犠牲にしてソウジを守ったエピソードもぐっときます。加えてTV版を引き継いだバイバイバタフリーも差し込んでくるのですから、完全に泣かせる気でやってます。ゼニガメやフシギダネを出さずにキャタピーを捕まえていたところから薄々予想はしていても、やはり涙腺に来ます。
そして終盤、ホウオウが現れるというテンセイ山で、クロスの妨害を受けた結果サトシ一行がマーシャドーと戦闘することになります。あまりに強力なマーシャドーの攻撃に激しく負傷した末、サトシとピカチュウが互いに互いをかばい合おうとします。その中でピカチュウが「いつも一緒にいたいから」と喋る瞬間は、本作でも最も泣けるシーンとして名高いです。とどめを刺されたサトシが消滅し、それをピカチュウが受け入れられない姿、ホウオウの力(?)によってサトシが復活する流れまで含めると、「あらゆるポケモン映画の中でも一番泣けた」という声まであります。その後サトシはホウオウとバトルし、また旅を続けるのでした。
結果的に言えば、本作初登場のポケモンであり、それまでの売り口からすると関連商品の顔となってもおかしくなかったマーシャドーが悪役のような見せ方になっています。そうしてまで、『キミにきめた!』では感動を呼び起こそうとしているのは興味深いですし、だからこそ大人に観て欲しい作品になっています。逆に、この映画を観て「マーシャドーかっこいい!」とは一切ならないのは、なんだか面白くもあります。
【考察】ポケモンの世界は大きくなりすぎた

(C)Pokemon (C)2017 ピカチュウプロジェクト
以上、ここまで高く評価してきましたが、それでも筆者は本作を「あらゆるトレーナーが満足する映画」だとは思っていません。なぜなら、ポケモンの世界は20年余りでトレーナーの数だけ拡大してしまったからです。そのすべての世界を埋める映画を作ることは、どれだけ予算をかけ、才能を集めても、絶対に不可能でしょう。
例えば、トレーナーによって思い入れのあるポケモンはまったく違います。アニメ版に限ったとしても、ピカチュウ・バタフリー・リザードンよりもゼニガメやフシギダネが好きだった人はいるでしょう。ゲームボーイの赤・緑にまで話を広げればもっと多様化します。逆にカントー地方に一切馴染みのないトレーナーもたくさんいるはずです。そうした人にも本作が鮮やかに映るのかはわかりません。
また、人間のキャラクターに対する気持ちにも温度差があるのは明らかです。一本の映画としてフラットに見れば、本作オリジナルキャラクターに不満が出ることはあまりないと思います。本来のターゲットである子どもたちからすれば、その方が話がわかりやすくもあるでしょう。しかし、だからといって大人たちが「それ以前の問題がある」という意見を出したとして、それを否定することはできません。ポケモンのカントー編といえばカスミとタケシがいなければダメだ!さみしい!と感じる方もいるかもしれません。
そんなわけで、本作には「思い出の世界に手を加える」という行為そのもののために、手放しでは評価できない宿命を背負っています。「ここはこうした方が良かった」という声が、トレーナーの数だけ出てくるのは必然です。
ごく個人的な話をするならば、サトシがホウオウとバトルするときの曲は、「ハートゴールド」でのホウオウ戦の曲(たしか『戦闘!ホウオウ』という名前だったはず)が流れて欲しかったと思ってしまいました。他にもテンセイ山はタウンマップ的にはどこだろうとか、ガオガエンには専用技のDDラリアットを使って欲しかったとか、気になる所は複数ありました。人によってこれらは些細なことだったり、あるいはまったく違う部分で意見が出たりすることでしょう。過去のポケモンに手を加えるというのは、そういうことなんですよね。
【評価】単体のリメイク作品としてなら素晴らしい出来

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『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』は、積み重ねられた20年の歴史を見事に活用した、記念作にふさわしい一本です。子ども向けのものとして甘いつくりにはなっておらず、ポケモンをほとんど知らない人にも、かつて好きだった人にも、ハマり続けている人にも勧められます。
ただし、リメイク作品の宿命として、懐古主義にさらされてしまうことは避けられません。その点で、すべての鑑賞者が満足することは不可能と言わざるを得ないでしょう。それでも、ポケモンの奥深さを突いて『名探偵ピカチュウ』が話題となっている今、もっと評価されるべき映画なのは間違いありません。
(Written by 石田ライガ)