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『ドラゴンボールZ 復活の「F」』ネタバレ感想・解説・考察!フリーザの描き方は賛否が分かれるかも…

映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』のあらすじ・内容

映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』は、言わずと知れた大人気バトル漫画「ドラゴンボール」シリーズの劇場版作品です。映画としては2013年に放送された「神と神」以来の作品になります。

かねてより同シリーズの作品はたびたび映画化されてきましたが、本作の見どころはなんと言っても「フリーザ」の再登場に他ならないでしょう。敵役でありながら高い人気を誇るキャラクターの登場は、オールドファンを大いに沸かせました。

今回はそんな『ドラゴンボールZ 復活の「F」』の個人的な感想や解説、考察を書いていきます!なお、ネタバレには注意してください。

映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』を観て学んだこと・感じたこと

・悟空とフリーザの戦いに決着がついたのは良かった
・設定や戦闘力の考証がやや雜かも…
・フリーザがなすすべなく敗れる姿には同情を禁じ得ない

映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』の作品情報

公開日2015年4月18日
監督山室直儀
脚本鳥山明
出演者孫悟空(野沢雅子)
ベジータ(堀川りょう)
孫悟飯(野沢雅子)
フリーザ(中尾隆聖)
ピッコロ(古川登志夫)
ブルマ(鶴ひろみ)

映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』のあらすじ・内容

映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』のあらすじ・内容(C)バードスタジオ/集英社 (C)「2015 ドラゴンボールZ」製作委員会

かつてのフリーザ軍残党は、ドラゴンボールでフリーザを蘇らせることに成功。こうして再びこの世に生を受けたフリーザは、超サイヤ人ゴッドとして覚醒した孫悟空に戦いを挑むべく復讐計画を練り始めます。

彼の復讐心は強く、この計画に反対する部下を排除するほどの熱の入れようでした。とはいえ、現状の能力では悟空に勝つことが難しいと悟ったフリーザは、生まれて初めて過酷なトレーニングをしてレベルアップを果たしました。

修行を終えた半年後、フリーザは軍幹部や多くの手勢を連れて地球への再上陸を成し遂げるのです。

しかし、対峙する地球のZ戦士たちの中に、悟空やベジータの姿はありませんでした。果たして、フリーザは復讐を果たすことができるのでしょうか。そして地球の運命は…?

映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』のネタバレ感想

【解説】脚本は鳥山明監修だが、矛盾点も少なくなく…

【解説】脚本は鳥山明監修だが、矛盾点も少なくなく…(C)バードスタジオ/集英社 (C)「2015 ドラゴンボールZ」製作委員会

まず、本作で脚本を務めているのが、言わずと知れた偉大な原作者の鳥山明であることを触れないわけにはいかないでしょう。原作付きの漫画をアニメ化する際に原作者が監督を務めないのはままあることで、実際に前作の「神と神」では正式に単独脚本としてはクレジットされていません。

にもかかわらず、本人が乗り気であったのか周りが担いだのかは分かりませんが、本作でついに脚本を務めるということは、それだけ力の入った作品であることは間違いないでしょう。さらに、原作においても屈指の人気を誇る名悪役フリーザが復活するとあれば、これはファンとして見ない手はありません。

しかし、いざ蓋を開けてみると「あれ、この描写は過去のそれと矛盾してない?」という明らかな問題点も少なくなく、それ以外にも脚本構成上の問題点がいくつも散見されました。

 

例えば、そもそもフリーザが生き返っているのも、「ドラゴンボールは1年以上経過した死者を生き返らせることはできない」という制約に引っかかっています。

もともとドラゴンボールシリーズはこうした矛盾が少なくないのは否めません。実際、あくまで設定の緻密さで人気が出ているというよりは、サイヤ人を中心としたアクション要素が人気の秘訣であり、作者もそれほど設定を大切にはしていないのです。

ただし、個人的に問題点は「今までは面白さで無視できていた矛盾が気になってしまった」ということにあると感じています。どういうことかというと、今までのドラゴンボール作品は「よく考えれば矛盾している」ものの、作品の面白さや迫力に押されて夢中になっているうちにそうした些細なことを無視することができたのです。それが本作では「つい気になってしまう」という事自体が、そもそも作品に没頭することができていなかったことを示しているのではないでしょうか。

なぜイマイチ作品の魅力を感じられなかったについては、後ほど様々な角度から詳しく解説していきますが、端的に言ってしまうと「決して良作とは言い難い出来」にあることは理解を得られると感じています。

とはいえ、これはあくまでシリーズを追いかけ続けてきたファンならではの感想なので、少年少女やシリーズにそれほど深い思い入れのない方であれば、また違った感想が出てくるのではないかとも感じます。

アクションシーンはこだわりを持って作られていたが…

アクションシーンはこだわりを持って作られていたが…(C)バードスタジオ/集英社 (C)「2015 ドラゴンボールZ」製作委員会

先ほど本作の出来が決して手放しで褒められるでないことは触れましたが、それでも見どころがないわけではありません。まず第一に挙げられる長所としては、監督の山室が自信をもって世に送り出したアクションシーンを始めとする作画面でしょう。

もともと彼はドラゴンボールシリーズにかねてより関わり続けてきた熟練のアニメーターであり、本作でも監督と作画監督を兼任しています。そのため、戦闘シーンの作りに関しては良いものがあると感じました。

特に、山室が語っているように彼はもともと少林寺拳法の有段者であり、それを生かす場としてドラゴンボールシリーズに関わり始めたという経緯があります。そのため、本作でも格闘家ならではの魅せ方を採用していると語っていました。これまでの作品では重視されていなかった「リアルな格闘」にも力を入れるため、監督自身が絵コンテを担当しつつ実際に組み手を行なうことで、その部分を補強したそうです。

 

そして、これらの情報を受けて映画を思い出すと、確かに戦闘面の作画そのものに関しては質が高かったのではないかと感じています。決して書き込み不足や手抜き感を覚えることはありませんでしたし、アクションアニメとしては上々の部類に入るでしょう。

しかし、筆者が指摘したいのは、本当に作画「だけ」が良かったというのもまた事実です。確かに絵の精度は高かったものの、残念ながらそもそも「超サイヤ人ゴッドスーパーサイヤ人」に代表されるような「キャラや世界観の設定」に魅力が欠けるところがあり、さらに後述するようなフリーザの惨敗もあって、正直絵の良さはこれらの欠点を補えるほどではなかったと思います。

 

また、やはり過去のバトルと比べるといま一つ印象に残るシーンも少なかったような気がします。確かに、アニメ版の『ドラゴンボールZ』はいたずらに戦闘シーンを引き伸ばすことで有名な作品でもあり、見ていて飽きてしまうことも少なくありませんでした。しかし、その一方で「フリーザのパワーアップと絶望感」「クリリンの死と悟空の覚醒」など、言わずと知れた名シーンがいくつも存在したことは言うまでもありません。

そういった観点から考えていくと、本作は戦闘に倦怠感が漂うことはないものの、一方で特に目立ったシーンがないという、やや無味乾燥気味な内容に終始しているという印象は否めません。監督は作画面にこだわりをもっていたようですが、やはり単純な絵だけではなく脚本や演出とのバランスが重要なのだと実感させられましたね。

ラストで悟空とフリーザの争いに決着がついたのはスッキリした

ラストで悟空とフリーザの争いに決着がついたのはスッキリした(C)バードスタジオ/集英社 (C)「2015 ドラゴンボールZ」製作委員会

脚本的にはどうしても欠点を指摘したくなる本作ではありますが、ラストで悟空とフリーザの戦いに決着がついた点に関しては高く評価するべきでしょう。このシーンは、ドラゴンボールの歴史を鑑みてもそれなりに意義のある光景であると感じています。

特にシリーズのファンでない方からすれば「アクション映画の最後に決着がつくのは当たり前では?」と思われるかもしれません。しかし、これまでのドラゴンボールにおける戦いを振り返っていくと、悟空は基本的に敵に対してとどめを刺していないことがわかります。

例えば、『ドラゴンボールZ』シリーズにおけるフリーザ戦までに悟空が体験した戦いを振り返っていきましょう。まず、悟空は地球に襲来したサイヤ人ラディッツと戦います。この際は自分が相打ちとなる形で相手を拘束し、ピッコロによってラディッツは倒されました。

 

次に、ベジータとともに襲来したナッパと対峙します。慢心を隠さなかったナッパは追い詰められていきますが、最後は味方であるはずのベジータに処刑されてしまいました。そのベジータは悟空に敗れますが、彼は逃げ延びるベジータにとどめを刺さず見逃しています。

そして、肝心のフリーザ戦でも、戦いに敗れ命乞いをするフリーザに元気を分けるほどの同情心を見せています。最終的にサイボーグと化して地球を侵略しにかかったフリーザは、悟空不在の中トランクスの手によって葬り去られました。

これらの背景を整理すると、「悟空は敵にとどめを刺さないため、フリーザとの戦いはまだ決着がついていない」と解釈することも可能です。そのため、先ほど述べた「フリーザにとどめを刺した」というシーンは、アニメから中断されていた悟空とフリーザの因縁に終止符を打つという意味合いも存在したのです。

ファンの中には「悟空の信念とは異なる行動をしている」と批判的に捉える見方もあるようで、筆者が感じているような満足感を覚えているファンばかりではないようです。それでも、未来のトランクスに対し「自分がとどめを刺すべきだった」と後悔の念を口にしていた悟空の「甘さ」を克服するためのイベントとしてはうってつけであり、個人的には道理にかなった成長がみられたことは素直に良かったと思えました。

【解説】フリーザが見てい可哀想なほど終始圧倒される

【解説】フリーザが見てい可哀想なほど終始圧倒される(C)バードスタジオ/集英社 (C)「2015 ドラゴンボールZ」製作委員会

本作の問題点はいくつか触れてきましたが、個人的に最大の問題点だと感じているのは実質的な主役であるフリーザの扱いです。生まれながらに天才であった彼が初めて過酷な修行を行ない、「ゴールデンフリーザ」という特殊なスキルを身に着けて地球へと逆襲を仕掛けたというのが表面上の設定ではあります。

しかしながら、実際のところは彼の能力が悟空やベジータにほとんど通用しておらず、正直に言って終始フリーザが「やられっぱなし」という印象だけが残りました。

確かに、いくらフリーザが修行したとは言ってもこと地球人やサイヤ人側の戦闘能力向上はすさまじいものがあり、作中でも「フリーザ程度なら一撃で倒せる」というセリフがあったように記憶しています。これらを踏まえればいくら修行したところでフリーザが悟空らに勝てないのは一見納得できそうですが、そこは「修行の成果」ということでもう少し健闘させてもよかったのではないでしょうか。筆者はフリーザのファンというほどではないものの、仮に思い入れの強いファンが本作を視聴すれば失望するのは目に見えています。そのくらい見せ場らしい見せ場がないのです。

 

さらに、フリーザの強さに関して設定を踏襲したのかと思えば、今度は全く別の局面で戦闘力に関する矛盾が発生しています。その被害者はピッコロで、作中では地球でも屈指の戦士に成長していたにも関わらず、フリーザの配下にかなり苦戦していました。同じく苦戦していた悟飯に関しては「修行をサボっていたから」というもっともらしい理由付けがなされていたのに対し、ピッコロにはそうしたフォローが一切なかったのも不可解です。この点は先ほど触れた作中キャラの成長と完全に矛盾してしまいますし、明らかに設定上のミスと言わざるを得ません。

では、このような数々の矛盾や問題点はなぜ発生してしまったのでしょうか。個人的な推理ですが、恐らく脚本が「プロットありき」で書かれたためではないかと思います。つまり、鳥山明の考えとしては「フリーザが復活する」→「地球側が苦戦する」→「悟空がフリーザを倒す」という流れを重視したのでしょうが、そのためにいくつかの矛盾点を放置してしまったか、あるいは意識していなかったかのどちらかでしょう。

そして、恐らく周囲のスタッフ間では、こうした致命的な問題点に思い当たる節がある人物もいなかったとは思えないのです。ここからは完全に想像ですが、原作者である鳥山明が不味い脚本を書いてしまっても、それを指摘することが難しい制作環境にあったのではないでしょうか。原作者に盾突くというのがどれほど困難なことかは容易に想像がつきますし、逆にそうでなければこの脚本に賛同したスタッフ陣には問題があるでしょう。

原作者によって「思い出が破壊されている」ような気がしてならない

原作者によって「思い出が破壊されている」ような気がしてならない(C)バードスタジオ/集英社 (C)「2015 ドラゴンボールZ」製作委員会

ここまで本作を解説してきましたが、正直批判的な内容のほうが多くなってしまったことは事実です。ただ、筆者がアンチドラゴンボールではないことは明記しておきますし、むしろかねてからのファンだからこそこういった見方になってしまったのかもしれません。

昨年公開された『ドラゴンボール超 ブロリー』の映画もそうですが、最近は鳥山明主導で過去の名作や名物キャラを復刻しようという動きがあります。しかし、本作および『ドラゴンボール超 ブロリー』がかねてからのファンにとって称賛できる内容でないことも恐らくある程度客観的な評価であり、個人的にこの流れは歓迎できるものではありません。

もっとも、決して復刻系の作品が気に食わないとか、そういった観点からの批判ではないこともお断りしておきます。復刻をすることが問題なのではなく、やはりわざわざ旧作を引っ張り出してくるからには旧作の問題点や課題を解決するような内容であってほしく、その上でしっかりと作品の魅力や設定を踏襲した作品を生み出してほしいと思っているのです。

本作においても、「ゴールデンフリーザ」や「超サイヤ人ゴッド超サイヤ人」という追加要素がありますが、名前や外観、設定など何から何まで「ダサい」と思ってしまいます。もともとネーミングが安直なのは事実ですが、それを差し引いてもあまり魅力的には思えません。

 

正直、このような問題提起を原作者相手にするのは心苦しく、同時に厚かましいことも自覚はしているのですが、やはりたとえ原作者であっても「いち脚本家として合格点のラインに乗っていない」という感想が変わることはなく、もっと自分の作品を大切にしていただきたいとさえ思います。

ただし、本作および『ブロリー』を始めとする「ドラゴンボール超」シリーズは売り上げ的に絶好調といっても過言ではなく、正直作れば作るほど儲かるという構図が出来上がっています。したがって、今後も引き続き続編がつくられていくのでしょう。

この現状を踏まえると、鳥山明としては配給側の意向が全面に出ており、不本意ながら脚本を担当しているのかもしれません。そうだとすれば同情の余地はありますが、それでも自分自身の作品で脚本を担当する以上、丁寧な作品作りを心掛けてほしいと願ってやみません。

(Written by とーじん)

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