映画「人魚の眠る家」は東野圭吾の小説が原作で、「イニシエーション・ラブ」「十二人の死にたい子どもたち」などで知られる堤幸彦監督が手がけました。
東野圭吾といえばミステリーやサスペンス小説という印象が強かったのですが、今作では「脳死」や「臓器提供・臓器移植」といった難しいテーマがリアルに描かれており、出演者の演技力も相まって感動できる作品でした。
今回は映画「人魚の眠る家」を見た感想や解説、考察を書いていきます。ネタバレを含む内容となっているのでご注意ください。
目次
映画「人魚の眠る家」を観て学んだこと・感じたこと
・臓器移植という難しい現実
・どの登場人物も辛い気持ちを抱えている
・「脳死」や「臓器移植」という問題について考えるきっかけになる
映画「人魚の眠る家」の作品情報
公開日 | 2018年11月16日 |
監督 | 堤幸彦 |
脚本 | 篠崎絵里子 |
原作 | 東野圭吾 |
出演者 | 播磨薫子(篠原涼子) 播磨和昌(西島秀俊) 星野祐也(坂口健太郎) 川嶋真緒(川栄李奈) 播磨瑞穂(稲垣来泉) |
映画「人魚の眠る家」のあらすじ・内容

夫の浮気で薫子と和昌の夫婦は別居状態にあり、二人の子供は薫子と暮らしていました。
娘・瑞穂の私立受験が終わってから離婚するつもりでいた薫子夫婦は、体裁を保つために二人揃って面接試験の練習に参加します。しかし、そこで和昌の元に電話があり、瑞穂がプールで事故にあったことを聞かされます。
病院に急いで駆けつけた二人は、脳死状態にある娘を目撃し、臓器提供をするかどうかの旨を聞かれることになります。
映画「人魚の眠る家」のネタバレ感想
【解説】脳死・臓器提供・臓器移植という難しい問題がテーマ

今作で描かれる脳死・臓器提供・臓器移植というテーマは多くの人にとっては身近なことではありませんが、現実に存在している問題でもあります。フィクションであれば辛いシーンであっても「これは映画の中のことだから」と受け止めることができますが、同じようなことが実際にあるかと思うと、辛くて悲しいものがありました。
ほんの少し前まで家の中で元気に走り回り、いつもと変わらない日常を送っていた娘が突然事故にあってしまい、息はしているがずっと寝たきりというのは本人や残された家族にとって非常に辛いことです。その辛さは想像もできません。
そして、事故の現実を受け入れることができないまま「臓器提供をするかどうか」という決断をしなくてはいけないのも酷でしたね。娘の身体に触れれば暖かく、まるで寝ているような姿を見れば「目を覚ますのではないか」と思ってしまうのも無理はありません。事故にあってすぐにそんな大きな決断をすることは難しいですよね…。
しかし、現実を受け止めきれない状態であっても、脳死判定を受けるか延命措置をするかという決断をしなくてはなりません。延命をしたからと言って意識を取り戻す可能性は低いですし、病院にいればそれなりにお金がかかったり、家でみることになれば時間も手間もかかってしまいます。どちらを選んだとしても辛く、覚悟が必要になる未来はやるせない気持ちになりました。
また、この映画では脳死状態にある瑞穂の他に、臓器移植を受けようとする家族も描かれています。海外で手術を受けるために寄付で2億円のお金を集めようとしていますが、ここにもリアルな問題が描かれています。
国際移植学会は「移植手術が必要な患者はできるだけ自国で救うことを努力しよう」という宣言をだしてはいますが、日本でも数億円の寄付を募り、海外で移植手術をしようとする方を目にすることは稀にあります。
映画の中でも触れられていましたが、これは日本のドナーが圧倒的に少なくいことが理由であり、数億のお金を払うことで、病状の重い患者は海外でドナー待機リストの上位に位置付けられます。我が子の命が助かるのであれば、いくらでもお金を出して救いたいという気持ちも非常に理解できますが、その裏には同じような病気でドナーを待っている患者がいるのです。
悪い言い方をすれば「大金を払って列の前に並ぶ行為」です。命がかかっているので、後ろに追いやられてしまう人は手術までの時間がかかり、命を落としてしまうかもしれません。しかし、この行為を責めることはできませんし、筆者が当事者であることを想像してみると、お金を払うことで自分の家族が助かる可能性があるのであれば、何としてでもお金を集めて手術を受けさせようとするかもしれません。
国内で手術を受けさせることができれば一番それが良いので、海外で手術をすることは止むを得ない…という方が減るという意味でも、臓器提供の意思表示はしっかりしなくてはいけないなと感じました。
自分が当事者だったらどうするだろうか

この映画を見て「自分だったらどういう決断をするだろうか」と考えた方もいるかと思います。
もし、筆者が事故にあい脳死状態になったとすれば臓器提供をして構わないのですが、家族が脳死状態になり、臓器提供をするかどうかを決めなくてはいけないと考えると、すぐに臓器提供をすると答えることは難しいだろうなと思いました。
まさに映画の中で描かれていた薫子家族と同じ状態です。そう言った意味でも「自分には縁がないこと」だと思わずに、家族全員で臓器提供について話し合うことが大切だなとも思いました。事前に話し合って決めていれば、「本人はどの選択をして欲しかっただろう」と思うこともないですし、後悔することも多少はなくなることでしょう。
登場人物はみんな悪くない。みんなに共感できる

不慮の事故なので誰に責任があるというわけではないのですが、プールに一緒に行っていた千鶴子(おばあちゃん)が責任を感じてしまうのは理解できますし、申し訳なさそうにしている姿をみると胸が痛みました。
千鶴子は瑞穂に嫌われて当然と思っていますし、私がちゃんと見ていればという後悔をずっと抱えています。薫子から見れば自分の母なので、薫子自身も責任を感じ続けている母を見るのはつらいですし、なんとも言えない気持ちになります。
瑞穂のいとこである若葉も、自分がつけていた指輪をプールの中で落としてしまい、それを拾ってくれた瑞穂が脳死になってしまったことはかなりのショックだったと思います。子供には重すぎるショックです。
若葉もまた「自分のせいでこうなってしまった」と思っていますし、誰にも打ち明けることができずに、申し訳ない気持ちを抱え続けたことは辛かったと思います。たびたび瑞穂の元へ訪れていましたが、会う度に事故の記憶を思い出してしまい心苦しかったでしょう。
そして、弟である生人の気持ちも理解できます。家族が一番優先するのは身体を動かすことができない瑞穂であり、小学生という親に甘えたい時期でもあると思いますが、生人は日々我慢をしながら生活していることが考えられます。
そんな中、母が車イスの瑞穂を入学式に連れて行ったことで、友達から君悪がられてしまいます。子供は正直なので見て思ったことをそのまま発言してしまうのは無理もなく、生人も友達に合わせるために「妹は死んだ」と言ってしまいます。学校という閉鎖された環境の中で、自分を守るためにそう言った発言をしてしまうのは悲しいことではありますが、仕方ないですよね。
また、母の薫子が何が何でも娘を助けたいという思いで、不確かな最先端治療を取り入れようとする気持ちもよく理解できます。電気を流すことで意識のない瑞穂の身体は動きますが、これが人体実験をしているようで、急に少しホラーというかサスペンスぽい展開になりましたね。
薫子は一日中付きっ切りで介抱しているので、精神的におかしくなってしまうのも無理がありません。瑞穂を連れてたまに散歩をするくらいであれば問題ないと思いますが、入学式に連れて行くのはちょっとな…と思いました。
「人は二度は死なない」。終盤の演技がスゴイ!特に子役

楽しくなるはずの誕生日会から息を飲む展開になります。生人は誕生日会に友達を呼ぶ予定でしたが、意識の無い姉に会わせるのが嫌で友達を呼んでいませんでした。そして、姉が原因でいじめられそうになった生人は「姉はもう死んだ」と友達に言ったことを告げます。
そこで薫子は激怒し生人に手を挙げます。薫子の中で張り詰めた糸がプツンと切れたかのように、包丁を取り出して瑞穂を殺そうとします。このシーンの出演者全員の迫真の演技がものすごいです。
篠原涼子の演技はもちろんなのですが、自分が指輪を落としたことが事故の原因だと告げた若葉(荒川梨杏)と生人(斎藤汰鷹)の泣きの演技にこちらも涙してしまいます。
また、このシーンでは「生きてる死体にしておけない」「人は二度は死なない」という考えさせられるセリフも登場します。確かに、医学や法律的に見れば脳死状態にある瑞穂は死んでいるわけです。(脳死判定はまだしていませんが。)
しかし、心臓は動いていて身体は温かく、息をしている命を奪った時に殺人罪になるのかというのは難しい問題です。警察の言うように脳死判定を受けていないので、まだ脳死と判断されていない状態で殺人を犯せば罪に問われてしまうかと思いますが、仮に脳死判定をして脳死状態が確認された後に命を奪ったらどうなるのか?というのは難しく、今の法律では答えを出すことは出来ないのかもしれません。
そして、瑞穂に包丁を突きつける薫子の姿を見て、一番辛い気持ちを背負って面倒をみてきたのは薫子だったということを全員が気付かされ、脳死状態にあったとしてもそこに命があることに気付かされます。
夢の中で瑞穂との別れ。人は何をもって死ぬのだろうか

夢の中で瑞穂が目を開けて薫子と会話をするシーンは切ないものがありました。
目を覚ますことはないと思っていたので、このシーンは夢の中の出来事だろうなという想像はついてしまいましたが、最後に瑞穂が愛する母に夢の中で会いに来たのでしょうね。夢の中であったとしても、最後に会話ができたことは救いでした。
そして、容体が悪化してしまった瑞穂を延命することはやめて、臓器提供をすることを決めます。薫子たちは脳死判定を受けた日ではなく、夢の中で瑞穂が別れを告げた日を没日にしています。
これは瑞穂が別れを告げた日でもあり、薫子が娘の死を受け入れた日でもあります。脳死判定を受けて「死んでいることが判定された日」を没日とするのか、和昌のように心臓が止まった時が死であると解釈するのかは人によって違い、どれも正解なのだと思います。
【考察】ラストの更地のシーンはどういう意味?

映画の冒頭にも登場した少年は車イスで眠る瑞穂を目にします。初めは物語に関係ないのかな?とも思いましたが、ラストで再び登場し、臓器移植手術を受けて元気に動けるようになったことがわかります。
実際に臓器移植をする前とした後で好きな食べ物が変わったり、趣味・嗜好に変化がある例などもあるので、瑞穂の心臓が移植されたことで自分の家を訪れようと無意識のうちに感じ、あの場所に行ったのでしょう。
日本では臓器提供をした家族と臓器移植手術をした家族の情報を個人情報保護の観点から教えることができず、お互いに会うことができませんが、本人同士が望むのであれば会ってもいいと思うんですよね。
臓器提供をした側は、自分の子供の心臓が他の子の中で生き続けていることを実感できますし、臓器移植手術を受けた側は命を救ってくれた人でもあるので、会って一言感謝の言葉を伝えたいという気持ちがあると思うのです。お互いが了承した場合に限り、会うことができるという制度があればいいのになと思いました。
健康に生きられることに感謝できる作品

世の中には重い病気で1歳に満たない年齢で亡くなってしまったり、不運な事故で寝たきりになってしまったり、命を落としたりなど、歳若くして生涯を終える命があります。
この映画では脳死や臓器提供というテーマを描きながら、命の大切さを訴えかけてくる作品でもありました。そして、健康的に毎日を送ることができている日常がとてもありがたいことなんだと感じさせてくれる作品です。
現実的な問題なので考えさせられ、感動・号泣できる作品なのでぜひ見てみてください。
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※2019年7月現在の情報です。