映画「最強のふたり(原題:Intouchable)」は実話をもとに製作された2011年のフランスの映画です。
貧困層の青年と企業家で大富豪の男性が織りなす人間ドラマをユーモアたっぷりに描いている同作品は、フランスの歴代観客動員数第三位となり数々の映画賞を受賞しました。
ここでは映画「最強のふたり」の感想を軽いネタバレを含みながら書いていきます。
目次
映画「最強のふたり」を観て学んだこと・感じたこと
・全く違う価値観の融合が美しい
・障がいとは何なのか考えさせられる
・不謹慎なジョークでも率直さがあるから笑える
映画「最強のふたり」の作品情報
公開日 | 2012年 |
監督 | エリック・トレダノ |
脚本 | オリビエ・ナカシュ |
出演者 | フィリップ/フランソワ・クリュゼ ドリス/オマール・シー イヴォンヌ/アンヌ・ル・ニ マガリー/オドレイ・フルーロ |
映画「最強のふたり」のあらすじ・内容
![映画「最強のふたり」のあらすじ・内容](https://filmest.jp/wp-content/uploads/2018/12/unto.jpg)
パラグライダーの事故によって脊椎損傷し、首から下に完全な麻痺を負った富豪フィリップは、住み込みの介護人を探すべく面接を行いました。
応募者の中には失業手当をもらうために不採用通知をもらうことを目的に面接会場に来たドリスの姿もありますが、ドリスの受答えを面白がったフィリップは彼を介護人として採用することにしたのです。
スラム街出身のドリスと大富豪フィリップは次第に友情をはぐくみ、互いに唯一無二の存在になっていきますが、やがて友情で結ばれた二人の間に転機が訪れ、フィリップはドリスを家族のもとへ返す決心をしたのですが・・・。
映画「最強のふたり」のネタバレ感想
![映画「最強のふたり」のネタバレ感想](https://filmest.jp/wp-content/uploads/2018/12/in10.jpg)
全編コメディタッチで描かれたこの作品は、大きな展開や事件もなく、フィリップとドリスの友情がメインテーマの物語です。
ここから映画の感想を書いていきますが、ストーリーを知っていても十分に楽しめる映画だと思います。ただし、ネタバレを含みますのでストーリー展開を知りたくない方は映画鑑賞後の閲覧をおすすめします。
視聴者の興味を引く冒頭シーン
夜の街を走る黒いマセラティには、アフリカ系の男とひげをたくわえた男が乗っています。どことなく具合に悪そうなひげの男に、時々視線を投げかけるアフリカ系の男。一瞬何かの犯罪が行われている…?と思った矢先、車は前の車を追い越し猛スピードで道路を疾走していきます。顔を見合わせニヤリと笑う車中の2人。
やがて、後ろからパトカーが近づいてきます。「”逃げ切る”に100ユーロ」アフリカ系の男が言うと、ひげの男も「乗った」と調子を合わせます。どうやら犯罪の線は薄いようです。
パトカーに追いつかれた二人はうまく示し合わせて、ひげの男の体が不自由なのを利用し発作を起こしたふりをして乗り切ります。ここでやっと二人の関係性に気づかされます。これが、この映画の主人公アフリカ系移民のドリスと大富豪のフィリップなのです。
冒頭では緊迫したカーチェイスのシーンかと思いきや、最後は二人でシャレにならないネタで警察をだますことでシリアスなシーンではないと判断できます。でも映画を最後まで見ると、このシーンは二人のさまざまな思いを感じる重要なシーンであることが分かってくるのです。
2つの価値観の融合が美しいハーモニーを奏でる
![2つの価値観の融合が美しいハーモニーを奏でる](https://filmest.jp/wp-content/uploads/2018/12/in9.jpg)
大富豪のフィリップとスラム街に住むアフリカ系移民のドリスは、育った環境も価値観も対極のような存在です。そもそも、介護者を決める面接会場にドリスが足を運んだのは、職を得るためではありません。ドリスは就職活動をした証明をもらいに来ただけなのです。どうやら3件の証明書を手に入れて失業手当をもらうことが目的で、最初から不採用になるつもりでやってきたのでした。
そんなドリスを面白がり、どうせ2週間持たないだろうと使用期間を設けながらも介護者として雇うことにしたフィリップ。腫れ物に触るような扱いを受けたり、最初から同情ありきで接してこられることにうんざりしていた彼の気まぐれだったのかもしれません。
介護とは無縁の生活を送ってきたドリスですから苦戦を強いられながらもなんとか介護者としてスタートします。フィリップに着圧ストッキングを履かせることを断固拒否したり、感覚のないフィリップの脚に熱いお茶をかけて本当に何も感じないか実験したり、かなりいい加減で”不謹慎”な介護者です。
そんなある日、フィリップを車いすごと荷台に乗せる「障がい者仕様」の自動車に驚くドリスは「イヤだね!馬みたいに荷台に乗せろと?」と言い張ります。そして、隣でシートを被ったマセラティを指さして「こいつで出かけよう!」と言います。「実用的でない」と断るフィリップでしたが、いつの間にか助手席に乗せられてすっかりドリスのペースにはまるフィリップ。ドリスにとってフィリップは助手席に乗るべき人間で、車いすごと乗降する便利さには価値を感じていません。フィリップの方もマセラティの助手席に乗って久しぶりにエンジンの快音を聞き、自然と笑みがこみ上げてきます。障がい者使用の車しか乗れないという価値観が崩れた瞬間でした。
その後も、ことあるごとに2人の価値観の違いは顕著になっていきます。その価値観の違いから生じるドリスの驚きや、やり取りがとってもおもしろく、思わずドリスにつられて笑ってしまいます。オペラ鑑賞に行けば樹木が歌い出した瞬間に吹き出し、画廊に行けば落書きのような「芸術」に大金を払うフィリップを本気で止めます。「落書きを買うのか?俺が書いてやるからやめろよ!」と。
ここで注目したいのは、フィリップの価値観がだんだんドリスの価値観を許容していくことです。フィリップは抱えて乗せれば助手席に乗ってドライブを楽しむこともできますし、樹木がいきなりドイツ語で歌いだすなんてシュールですよね。それに、絵の具の飛沫をつけただけの「落書き」に4万5千ユーロも出すなんて庶民からすれば狂気の沙汰です。
そんなドリスに怒り出すこともせずに「そうかもしれない」と思い始めるフィリップは、ドリスが書いた落書きをお金持ちの親戚に高い値段で売りつけることまでします。
一方、もっぱらフィリップに影響を与えていたドリスですが、ある出来事がきっかけでフィリップとともにパラグライダーを体験します。もともと支配者になれと教育されたフィリップは下界を見下ろすパラグライダーが大好きで、その事故がもとで体に障害を負ってしまった経緯があります。ドリスはどうやら高いところが苦手のようですが、それでもしぶしぶフィリップに付き合い、大空散歩の時間を共有します。ドリスはこの時、広い視野で物事を見るということを肌で感じたのかもしれません。
そんな風に、二人の価値観が溶け合って、やがて二人だけの個性的な価値観を作り出す過程がなんとも自然につづられています。ストーリーが進むにつれ二人の価値観のズレに大笑いしながらも、いつの間にか2つの価値観が溶け合って、何とも心地いいハーモニーを奏でるのを感じることができるからこそ、時には障害のある人を揶揄するようなドギツイ冗談にも自然と笑うことができるのです。
障害とは何なのか、考えさせられる
![障害とは何なのか、考えさせられる](https://filmest.jp/wp-content/uploads/2018/12/in2.jpg)
本作はコメディでありながら「障がい者」や「格差社会」「人種差別」などの重いテーマを内包しています。とりわけ障がい者については非常にデリケートな問題で、他の2つのテーマに比べて映画の題材になることも少ないような気がします。
そのデリケートな部分を、ドリスは徹底的に茶化します。フィリップの体が動かないことをストレートにからかい、マリファナを吸わせ、文通で満足していたフィリップの恋を進展させようとおせっかいを焼きます。楽しい時にはフィリップの動かない体を抱えてダンスを踊り「全身の感覚がないならアッチの方はどうするんだ!?」と下世話な質問も平気です。
でもドリスはフィリップをバカにしているわけではありません。友人同志であれば普通に行うことや気になることを聞いているだけなのです。障がい者の壁はそこにはありません。同情や哀れみもなく、同じ目線で人生を楽しむ姿がそこにあります。
例えば、私たちがパラリンピックを見て競技者をかわいそうとは思いませんよね。記録や演技を見て素直にすごいと尊敬しますし、ミスをすれば「まったくなにやってんの~!」くらいは思いますよね。
でも、それが一般の障がい者に対してならどうでしょうか。必要以上に献身的になったり、会話に気を使ったり、健常者の友人と一緒にいる時とは違う心持ちになる人が多いのではないでしょうか。するとその瞬間に「障がい者」は「障害」を抱える人になってしまいます。しかし、本来は「障害に向き合って生きている人」が障がい者なのだとこの映画を観て強く思います。そして障害と向き合って生きるには、それを理解し、できないところを助け、それ以外ではきちんと感情や気持ちをぶつけていく真の友人や家族が切に必要なのだと感じました。
世の中で誰一人本音で向き合ってくれる人がいなかったらどうでしょうか。障がい者であっても健常者であっても、同様に寂しく孤独で味気ない人生になるに決まっています。そこには障害の有無は全く関係ありません。でもそんな風に孤独で味気ない思いを、もしかしたら大勢の人が抱えているのかもしれないと考えさせられました。
フランスが抱える根強い人種差別
![フランスが抱える根強い人種差別](https://filmest.jp/wp-content/uploads/2018/12/in3.jpg)
この映画に内包されているテーマの一つに人種差別の問題があります。映画の中のドリスはアフリカ系移民の設定ですが、実際のドリスはアラブ系の移民です。
実はフランスの「人種差別」の問題は根強く、人々の間には歴然たる差別意識があるといわれています。フランス人は、非フランス人である白人を差別し、白人はアラブ系移民を差別し、アラブ系はアジア人やアフリカ系移民を差別する。テロなどの頻発でフランスの移民政策が問題になっている昨今は、ムスリムに対する差別が最もひどく、フランスの人権委員会は「ムスリムは最も歓迎されないマイノリティ」という報告書まで出したというのだから驚きです。
映画の中には、フランスの根強い差別意識を感じる箇所がいくつかあります。まずは一番最初の面接シーンでも、面接を受けに来ているのはドリス以外は全員白人です。このことからもドリスは確実に不採用になって就職活動証明書をもらうつもりで面接に来ていることがうかがえます。
さらに、介護人としてドリスを雇うことに決めたあと、フィリップのお節介な親戚が「怪しいものは近づけるな。」とわざわざ忠告しに来ますし(フィリップは後にこの親戚にドリスが描いた「落書き」を高い値段で売りつけます)、お互いの居住区の風景からも人種によって住み分けられていることが見て取れます。
他にも、ドリスが部屋に女性を呼んで、セクシーな女性にマッサージサービスを受けるシーンがあります。同じようなシーンが2回ありますが、どちらもマッサージに従事しているのはアジア人の女性です。そしてフィリップの養女も最初からドリスを見下す態度をとり「字は読めるの?」などと失礼なことを平気で言います。
フランスでは人種や階級によって住み分けがなされ、庶民の意識にも「区別するのが当然」という価値感が普通に存在するという話を聞いたことがあります。この映画は居住区や職業により交わらないはずの2人が交わうことの摩擦、そして摩擦から融合したのち美しいハーモニーになるまでを描いていて、フランスの不文律に小さな石を投げ入れた形になったのではないかと思いました。
そして、問題提起という重い形でなく、コメディというベールに包みながらも「フランスってこうだよね」程度の小さな小石であったことが、フランスの一般大衆にも素直に受け入れられた理由なのではないでしょうか。
もう一つ、冒頭シーンでアフリカ系であるドリスと白人のフィリップが車で疾走するシーンで「何かの犯罪シーンなのでは・・・?」と思ってしまった私自身の中にも、無意識的に人種差別の心があるわけです。自分では非常にリベラルな人間だと思っていたとしてもこの有様ですから、フランスからだけでなく世界中から人種による差別をなくすのは遠くて困難な道のりなんだと改めて実感してしまいました。
![映画「15時17分、パリ行き」のあらすじ・内容](https://filmest.jp/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
ドリスがフィリップの世界にあけたハッピーな3つの風穴
風穴①:ちょっと笑えるドリスの恋と率直さが開けた風穴
![風穴①:ちょっと笑えるドリスの恋と率直さが開けた風穴](https://filmest.jp/wp-content/uploads/2018/12/mm.jpg)
才色兼備のフィリップの秘書、マガリーのことを好きになったドリス。あの手この手で彼女を誘いますが、いつも振られてばかりいます。フィリップの生活全般を統括しているイヴォンヌはそんなドリスをからかい、脈があるなどといっておだてたりしますが、実はマガリーの恋愛対象は女性で、イヴォンヌはそれを知りつつドリスをからかっているわけです。
想像ですが、このお屋敷内で色恋といえばフィリップが文通相手とかわすひそやかな手紙だけで、その手紙もフィリップの色恋も、口にするのはタブーだったのではないでしょうか。ドリスが来るまで、フィリップの養女は勝手にボーイフレンドを連れ込みいちゃつき放題、フィリップは文通相手に長ったらしくて難解な詩を贈るようなやり取りをひそやかに続けるだけで、それぞれが孤立していてマガリーやイヴォンヌなどの使用人も干渉するようなことはなかったと思います。
しかし、ドリスがやってきてマガリーのことを気に入ったと公言し、包み隠さずに誘ったり振られたりすることで周囲の人間がドリスとマガリーの関係を面白おかしく見守る雰囲気ができました。
そして、ドリスは皆が腫れ物に触るように接していた(というか、放っておかれていた?)わがままな養女のことも「口の利き方や態度をきちんとしつけろ!」と苦言を呈します。ドリスの育ってきた環境では家族の行動に口を出すのは当たり前のことだからこそではないでしょうか。イヴォンヌはドリスの言葉に、よくぞ言ってくれたという具合にうなずきます。
ドリスの開けたそんな風穴が、固い雰囲気の屋敷の風通しをだんだんと良くしていく過程が気持ちいいです。欲を言えば、このお屋敷の空気が変わっていく過程をもう少し掘り下げたらより楽しめたのかもしれません。
ドリス役を演じたオマール・シーはフランスの有名なコメディ俳優で、すらりとした長身とたくましくセクシーな体に茶目っ気のある表情がなんとも言えずキュートです。そんなオマールの憎めない外見も、ドリスが風穴を開けていく痛快さに一役買っていることは間違いなさそうです。
風穴②:イヴォンヌと庭師のおじさんのかわいらしい恋
![風穴②:イヴォンヌと庭師のおじさんのかわいらしい恋](https://filmest.jp/wp-content/uploads/2018/12/ann.jpg)
屋敷の統括をしているイヴォンヌは60歳代と思しき女性です。最初イヴォンヌはドリスを乱暴者を評しており、ドリスの採用に当たっては懐疑的のようです。でも時が経つにつれてだんだんと打ち解けて来る様子が描かれています。
そんなある日、ドリスと世間話をする中でイヴォンヌは「庭師のアルベールは君に熱い視線を送ってる。」と言われ「バカバカしい」と反論しますが、その時からイヴォンヌはアルベールを意識し始めたのかもしれません。この二人は最終的にデートに出かける描写があります。イヴォンヌの表情がだんだん明るくなって笑顔が増えていくのも見どころの一つではないでしょうか。
風穴③:フィリップの恋愛事情に開けた大きな風穴
![風穴③:フィリップの恋愛事情に開けた大きな風穴](https://filmest.jp/wp-content/uploads/2018/12/in91.jpg)
フィリップには思いを寄せている文通相手がいます。難解な愛の詩や回りくどい愛情表現の文面だけで成り立ってきた恋ですが、フィリップはそれで満足しているのです。文通相手には自分に障がいがあることも明かさず、もちろん会うつもりもありません。
それを知ったドリスは全く理解することができません。「ブスだったらどうする!」「せめて手紙の最後で”ところで体重は?”と聞け!」などとうるさく世話を焼きます。全く取り合わないフィリップでしたが、ドリスは半ば強引に文通相手に電話をかけて無理やりフィリップにしゃべらせます。夢の中のような儚い恋愛で満足していたフィリップは、向き合いたくない生々しい現実をもって相手の女性に対峙せざるを得なくなってしまうのですが・・・。
お互いの写真を送るという提案をしたドリスは、車いすに座ったありのままのフィリップの写真を送れと言います。一時はその気になって自分の写真を送る決意をしたフィリップでしたが、手紙を出す直前になって健常者の頃の写真と入れ替えるようにイヴォンヌに命じてしまいます。フィリップの自分の体へのコンプレックスの深さを物語るシーンです。
そして、体のことを隠してしまったがために、実際に会う段になったら怖くなって、相手が現れる前に待ち合わせ場所から逃げるように去ってしまうフィリップなのでした。
そんなフィリップをドリスは何も言わずに黙って受け入れます。いつも容赦なくフィリップにハッパをかけるドリスですが、この映画を通して相手の弱さに関してはとても寛容で忍耐強く接しているのが印象的です。普段は乱暴に見えても、フィリップの容態が悪い時や心が弱っているときは寄り添うことがとっても上手です。それは、ドリスが生まれ育った環境が影響していて仲間同士、家族同士、許しあいながら助け合いながら生きてきた下地があるからではないでしょうか。
いずれにせよ、この二人の恋の行方はラストに明らかになります。いずれにしてもこの状況から一歩前進しようと決断したフィリップがいて、実際に行動に移した(結局逃げてしまいましたが)ことが、フィリップの生活に大きな風穴を開けたことは間違いなさそうです。
映画と実際の人物の相違点
![映画と実際の人物の相違点](https://filmest.jp/wp-content/uploads/2018/12/in6.jpg)
冒頭でも書いた通り、この映画は実在の人物がモデルとなっています。ストーリーは脚色を加えたり、創作したりした部分があるものの、本当にあったエピソードをふんだんに盛り込んだ物語です。
映画ではアフリカ系移民となっていましたが、実際のドリスは、アルジェリア出身の24歳のアブデルというイスラム系の青年です。また、すでに亡くなっている設定のフィリップの奥さんはアブデルが来てから4年後に、がんで亡くなりました。
作中ではストーリーが速いテンポで進み、アブデルとの雇用関係を解消するまでに数か月しか経っていないように感じますが、実際には10年間にわたりフィリップの介護人を務めたそうです。フィリップの病気療養のため二人でモロッコに移住した際、アブデルが現地の女性と恋人関係になったので、アブデルの将来を考えてフィリップの方から雇用関係を解消しました。
気になる!2人の現在
![気になる!2人の現在](https://filmest.jp/wp-content/uploads/2018/12/in.jpg)
アブデルは現在もモロッコに住んでいて、結婚し3人の子宝に恵まれて良き父親になっています。そしてなんと、ある企業の社長となって、出自からするととんでもない出世をしているようです。
一方フィリップの方も新しい伴侶に出会い、2人の子どもがいます。2人は雇用関係がなくなっても連絡を取り合い、良い友情関係が続いています。
出自も人種も価値観も超えて、二人を引き付けるものは何だったのでしょうか?友情という言葉では少し物足りない気もします。障がい者や人種などの色眼鏡を取り払った後に残るのはただの人間です。いざ肩書をなくしてみると、自分に足りない物を持っている相手には素直に敬意を払えますし、相手ができないことは自分が補って当たり前という気持ちが自然とわいてきます。
この映画を観て、自分自身がどれほど人間の本質以外の肩書に左右されているか、改めて感じることができました。フィリップとドリスは足りないところを補いあったからこそ、一つの完全体になれたのであり、最強の2人になれたのです。どんな人も一人で生きていくのは難しく、また不可能なこと。そんな基本的であたりまえなことを考えさせられる映画でした。
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