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映画『スパルタカス (1960年)』のネタバレ感想!ローマ帝国に対する反乱を描いた作品

映画「スパルタカス」のあらすじ・内容

映画『スパルタカス』は、カーク・ダグラスが主演と製作総指揮をとり、巨匠スタンリー・キューブリックの出世作ともなった映画です。

「スパルタクスの乱」として知られる、紀元前73年にローマ帝国で起きた第三次奴隷戦争を題材としており、アカデミー賞4部門を独占するなど、歴史スペクタクル超大作として映画史に名を刻んだ大名作です。

今回は、映画『スパルタカス』の、ネタバレを含む個人的な感想を書いていきたいと思います!

映画「スパルタカス」を観て学んだ事・感じた事

・仲間を救うための自己犠牲
・現代まで続くおろかな人類のごう慢と理想の対比
・人類の課題に挑戦するカーク・ダグラスのすばらしさ

映画「スパルタカス」の作品情報

公開日1960年
監督スタンリー・キューブリック
脚本ダルトン・トランボ
原作ハワード・ファスト
音楽アレックス・ノース
出演者カーク・ダグラス(スパルタカス)
ジーン・シモンズ(バリニア)
ローレンス・オリヴィエ(クラサス)
チャールズ・ロートン(グラッカス)
ジョン・ギャヴィン(ジュリアス・シーザー)
ピーター・ユスティノフ(バタイアタス)

映画「スパルタカス」のあらすじ・内容

映画「スパルタカス」のあらすじ・内容

紀元前1世紀。帝政ローマが始まる前の共和制ローマで、奴隷階級であったスパルタカスは剣闘士養成所に売り飛ばされ、剣闘士として生きる事を余儀なくされました。

共和制ローマの保守政治勢力の大物であったクラサスは、剣闘士同士の命をかけた真剣勝負を望み、スパルタカスは試合に駆り出されます。試合に敗れ、スパルタカスがいざ殺されるその瞬間に相手の剣闘士ドラバは戦いを止め、高みから殺し合いを見物して楽しんでいるクラサスに襲い掛かります。しかし、ドラバは取り押さえられ殺されます。

人を奴隷として扱うローマ帝国に怒りを覚えたスパルタカスは反乱を起こし、その規模は多くの奴隷階級の民衆を巻き込んで大規模化していきます…。

映画「スパルタカス」のネタバレ感想

持たざる者の革命戦争のルーツ

映画「スパルタカス 」持たざる者の革命戦争のルーツ

今年2018年の11月後半から、フランスのパリで「黄色いベスト運動」というデモ運動が激化したのを覚えていらっしゃいますでしょうか。ガソリン税増税などの不公平税制に対する、市民の不満に端を発したデモ運動です。さらに、マクロン大統領が環境問題対策という名目のもと、ルノーという一企業を優遇する政策を取ったためにデモ運動が激化し、市民の怒りの矛先がマクロン大統領に向きました。

エスカレートしたデモ隊は、マクドナルドやスターバックスの店舗ばかりを破壊したそうです。なぜそういう店だけが破壊されたのかというと、スターバックスなどの国際企業は、タックスヘブンに本社を置く事によって、フランスにはまったく税金を納めていなかったからです。苦しむ市民に色々とそれらしい名目をつけて次々に課税するのに、あまるほどお金を儲けている企業は優遇する。そうした有産階級優遇への怒りが爆発したんですね。

 

「スパルタカス」は、古代ローマで実際に起きた奴隷反乱事件「第三次奴隷戦争」を扱った映画です。この奴隷による反乱は、当初の予想を裏切って世界最強を誇ったローマ正規軍をいく度も破り、マルクスはスパルタカスを「古代プロレタリアートの真の代表者」と呼びました。

ヨーロッパで2000年以上も続いている、ブルジョアの搾取に対する革命運動のルーツの一つが、スパルタカスの反乱です。

涙を流して感動した最良のドラマのひとつ

「スパルタカス」は、1960年製作とかなり古い映画です。若い頃、古い映画に苦手意識があったのですが、この映画を観て大感動し、エンターテイメント映画より古い名画の奥の深さに惹きつけられるようになりました。

それ以来、何度も何度もこの映画を観て、最初は登場人物や物語への感動だったものが、古代ローマや人類の歴史という背景にまで心を動かされるようになっていったのですが、とにかく最初の感動は、自己犠牲や勇気への感動でした。

この最初の感動が、この映画で感じた一番大きな感動で、それは映画の最初のクライマックスにありました。

 

映画「スパルタカス」は奴隷の反乱を描いており、その首謀者は、奴隷剣闘士であったスパルタカスです。最初は数十人ほどの小さな反乱が、最終的にはイタリア半島の12万人の奴隷が興起する大反乱にまで膨れ上がります。世界最強とうたわれたローマ正規軍をも打ち破りますが、最終的にはローマ最高司令官クラサス(ローレンス・オリヴィエ)の率いるローマ正規軍8個師団、それに増援として加わったポンペイウス軍、さらにルクッルス軍にまで囲まれ、ローマ世界脱出目前にしてスパルタカス軍は破れます。

ローマ正規軍を率いたクラサスは、奴隷軍に「首謀者であるスパルタカスを引き渡せば、命は保証する」と伝えます。そこでスパルタカスは立ち上がり、「俺がスパルタカスだ」と言おうとします。自分を犠牲にする事で、他の奴隷の命を助けようとするのです。ここは胸に迫るものがありました。

人を救おうとする自己犠牲、さらにそれを救おうとする自己犠牲

人を救おうとする自己犠牲、さらにそれを救おうとする自己犠牲

しかし、スパルタカスの隣にいた奴隷が、スパルタカスにその言葉を言わせません。「俺がスパルタカスだ」。さらに、他の奴隷が立ち上がって叫びます、「俺がスパルタカスだ」。奴隷たちは次々に立ち上がり、皆が、自分こそスパルタカスだと主張し、奴隷の自由のために闘ってきたスパルタカスを庇います。彼らもスパルタカスのために自分を犠牲にするのです。涙が止まらないシーンでした。たくさんの映画を観てきましたが、これは映画を観て胸をうたれた経験の中でも、最上のものの一つでした。

結局、スパルタカスを含む生き残った奴隷たち全員が、アッピア街道沿いに生きたまま十字架に磔(はりつけ)にされます。その数は6000人で、ローマ市の城門から地平線の先まで十字架が続きます。

忘れてはいけないのは、奴隷軍がアッピア街道沿いに磔にされたのは、映画の中だけでのフィクションではない事です。映画「スパルタカス」は、ハリウッド映画にしては脚色が少なく、史実にのっとって描かれた、数少ない映画のひとつです。それがかなりの精度で歴史書に忠実である事は、スパルタクスの反乱を扱った本(『スパルタクスの蜂起』土井正興、『ローマ帝国衰亡史』ギボン、など)を読むと、よく分かります。

奴隷を人間と見なしていない傲慢な貴族への怒り

自分が死んでも支配者に屈せず、世界最強の師団に立ち向かい、仲間をかばって死ぬ。こうした行動はどこから出てくるのでしょうか。理由のひとつは、人を人とも思わず、弱いものに働かせて搾取する有産階級への怒りのように感じました。

剣闘士養成所に売られたスパルタカスたち奴隷は、養成所の所有者であるバタイアタス(ピーター・ユスティノフ)に、「修業した者の半数は5〜10年ぐらい生きられる」と、剣闘士の運命を知らされます。逆にいうと、貴族の前で見せ物の決闘をさせられる剣闘士たちは、半数が5年以内に死に、生き残るもう半数も5〜10年しか生きる事が出来ないという事です。奴隷の命は、持ち主が自由にしていいものであって、現代のペット以下の軽さなのです。

 

剣闘士奴隷の運命は、はやくも序盤にあからさまになります。ローマの将軍クラサス一行が、軍人グラブラスの結婚を祝って、剣闘士養成所に遊びに来ます。クラサスとグラブラスの連れの女ふたりは好奇心いっぱいで、剣闘士同士による殺し合いの決闘を見たがります。そして決闘させられたある剣闘士は、殺し合いの相手であるスパルタカスを倒した後に、とどめを刺す事に躊躇します。すると、見物していた貴族の女が親指を下に向けて、こう言い放ちます。「殺すのよ。」

人を人とも思わないブルジョワの態度が、スパルタカスたちに「死んでもあいつらを倒して自由を勝ち取る」と決意させたのではないかと思いました。革命は、えてして搾取する人々の傲慢に対する怒りとして起きるのだなと感じました。

ブルジョワの傲慢に噛みつくスパルタカスの怒り

ブルジョワの傲慢に噛みつくスパルタカスの怒り

自分が死ぬと分かりながら仲間をかばい合った奴隷たちの決意には、もう一つ理由があったように感じました。それは、彼らの死生観です。

スパルタカスら奴隷軍は、ローマ軍と正面からぶつかる山越えルートを断念し、イタリア半島を横断して港湾都市ブリンディジに抜け、アドリア海を船で渡る事を画策します。そこで、船を用意する商人に、なぜ負けると分かって戦うのかと聞かれスパルタカスはこう答えます。

「死ねばすべて失うが、奴隷と自由人は違う。自由人は楽しみを失うが、奴隷は苦痛をまぬがれる。奴隷が味わえる自由とは死だから、死を恐れん。」

 

死生観というものは、人間が生きる上でもっとも重要となる指針だと思います。

自分が死んでも仲間を守ろうとしたスパルタカスや、スパルタカスを守ろうとして自分の死を賭した奴隷たちは、生のうちで死よりも優先して守りたいものを見出していたのだと思います。ブルジョワの傲慢に比べて、社会倫理がはるかに上を行っていると思いました。

奴隷スパルタカスが持つに至る人間観

奴隷スパルタカスが持つに至る人間観

仲間をかばい、そして過酷な奴隷への仕打ちという社会に絶望しているスパルタカスが望んだ理想世界は、心に訴えるものがありました。

それが、人類が長年望んでいる世界に思えたからです。スパルタカスの思い描いた人間観は、ローマ人のそれよりも人類愛に富むもので、またその人間観から構想された理想の社会は、現代ですら実現できていないように感じました。

 

まず、奴隷を人間とすら思っておらず、獣のように扱うローマ人に対して、スパルタカスが持つ事になる人間観について、物語の序盤、奴隷主バタイアタスと教官に辱めを受けたスパルタカスは怒りのあまり叫びます。「獣ではないぞ!獣ではない…」。その叫びを聞いた奴隷女のバリニア(ジーン・シモンズ)も、スパルタカスに「私もよ。」と言います。その言葉をきいたスパルタカスは、バリニアを抱かないまま彼女に服を渡します。

これは、彼女を自分の意志で生きるひとりの人間として認めたという描写ではなかったでしょうか。個人の意思を認め、自分と相手は等価存在であるというこの人間観は、すでにローマ人が持っていた人間観を上回っていると感じました。

スパルタカスの思い描いた理想社会

この人間観は、スパルタカスら奴隷剣闘士たちが反乱を起こし、もう後戻りできなくなったところで、さらに明確になります。ローマ人や支配者層への憎悪から、剣闘士たちは自分たちが殺し合いをさせられた格闘場でローマ貴族たちを死闘させ、憂さを晴らします。

しかし、そこにスパルタカスが割って入ります。「俺は自分に誓った。もしここを出たら、命にかけて決闘を禁じようと。」

 

スパルタカスは、ローマに対抗するために、各地の奴隷を解放ながらイタリア半島を移動し、徐々に巨大な軍隊を作り上げていきます。しかしそれは、ローマを倒して自らが有産者になる事を望んだのではありません。ローマに自由の邪魔をさせないためです。スパルタカス軍を征伐にやってきたグラブラス率いる6個中隊を返り討ちにした後、スパルタカスはグラブラスを殺さず、元老院へ伝言を託して彼をローマに帰らせます。「俺は何も望まん。望むのは自由だけだと言え。」彼らは修羅の世界の頂点に取って代わるのではなく、違う社会を構想したのです。

奴隷を解放し、皆でイタリア半島を移動し、キャンプをして生きる人たちの生活は、幸福感に満ちあふれて見えました。赤ん坊も老人も、男も女も、皆で協力して生きています。昼間はみなで分担して仕事をし、夜はみなでキャンプファイアーを囲んでくつろぎます。本当の豊かさは富とか利益とかではなく、こうした素朴さの中にあるのかもしれないと見ていて感じました。

古代ローマの歴史

古代ローマの歴史

反乱を起こして奴隷階級から脱し、故郷に帰る事を構想するスパルタカスですが、ローマはそれを許さず、スパルタカスたちの前に立ちはだかります。ここから先は、歴史的な知識があるとないとでは、映画を観た感想が大きく異なってくると思います。何の予備知識がないままで観ても感動する映画ではありますが、後半は古代ローマ史の政争まで描かれるので、古代ローマ史について、すこし触れておきますね。

まず、古代ローマ史を簡単にまとめてみます。古代ローマは王政ローマ、共和制ローマ、帝政ローマ、東西分裂という4つの時期に分ける事が出来ます。スパルタカスの反乱がおきたのは共和制ローマの末期で、紀元前1世紀の事です。共和制ローマは、ローマが小さな都市国家から地中海全域を支配する巨大国家へと変化していった時期で、その巨大化の背景には、ポエニ戦争とマケドニア戦争という2つの戦争が関係しています。

2つの戦争の勝利はローマが地中海沿岸の覇権を確立すると同時に、征服地から流入した穀物や奴隷によって、ローマの農民を没落させました。穀物は税として征服した国から入ってきますし、労働力は奴隷に取って代わられるからです。

 

ちなみに、3度に渡るマケドニア戦争の敵国には、マケドニアとシリアが含まれています。

スパルタカスはマケドニアのあったバルカン半島のギリシャに生まれ、奴隷としてシリアの鉱山に売られた人物なので、まさにマケドニア戦争が生み出した悲劇の存在と言えるかも知れません。

共和制ローマの政治腐敗

ローマ農民の没落は、共和制ローマに政治腐敗をもたらします。政治腐敗自体は映画でも描かれていましたが、その理由が描かれておらず、主要人物グラッカスの自殺の理由が分かりにくいかと思いますので、補足しておきますね。

ローマは貴族と平民から成り、その下で国外から連れてこられた奴隷が働いています。農地の労働力が奴隷に取って代わられ、職を失った中小農民ですが、それでもローマ市民なので選挙権を持っています。政治家はこの職を失った市民に食料を与えたり競技を催したりして保護し、その見返りとして選挙票を集め、自分が高官になる事を目論みます。いわゆる「パンとサーカス」です。いってみれば、金で票を買っているわけで、こうして共和制ローマの政治が腐敗していきます。

この政治腐敗を修正しようとしたのが、映画に登場した第3の主人公・グラッカスです。

共和制ローマの主要人物の相関図

共和制ローマの主要人物の相関図

映画「スパルタカス」で描かれたローマ人貴族は、どの立場をとるかはともかく、全員がこうした政治背景を持っています。映画では日本語字幕の関係で、人物名が日本の教科書などと違う表記になっていて混乱しやすいと思います。クラサス、クラッスス、グラッカス、グラッススですからね。そこで、人物の相関図を少し整理しておきます。

まず、スパルタカスに立ちはだかり、スパルタカスが反乱を起こすきっかけを作った仇敵でもある、ローマの最高司令官クラサスです。彼は、僕が勉強した世界史の教科書だと、大富豪である「クラッスス」と書かれています。ネットを見ても、クラッススと記される事が多いようです。クラッススは元老院派で、スパルタクスの反乱を鎮圧した後、共和制ローマ末期の三頭政治の一角を占めることになります。

 

三頭政治のもう一角は、ジュリアス・シーザー(ジョン・ギャヴィン)です。これは説明するまでもないですね、「ブルータス、お前もか!」のあの人です。映画の中では、聡明で実直な軍人という描かれ方をしているのが印象的でした。ちなみに、三頭政治の最後の一角であるポンペイウスは、映画の後半でスパルタカス軍の鎮圧に駆けつけた2つの師団の片方の長です。スパルタカスの反乱の鎮圧した手柄で、三頭政治の一角に食い込みました。

元老院派であるクラサスと対立する知謀に富む元老院の大物・グラッカスは、平民派です。彼は、教科書では「グラックス兄弟」と書かれている事が多いです。正確にいうと、弟の方のガイウス・グラックスですね。映画では、知略を張りめぐらす悪の政治家のような描かれ方をしていますが、実際には腐敗するローマ政治をなんとか食い止めようと働いた政治家だったようです。映画の最後では自殺する描写がなされますが、これは史実通りのようです。

映画化への背景

これら貴族の内部対立や、中小農民の没落や奴隷問題などの内政問題を抱えた共和制ローマですが、正義ではなく暴力で奴隷軍を抑え込みにかかります。不思議に思うのは、なぜ有産階級であるハリウッド映画産業が、こうした内容の映画を史実にのっとった形で映画化したのかという事です。

この映画の題材となった「スパルタクスの反乱」は、帝国主義的な視点から見ると、とても危険な事件です。権力を持つものが得をし、持たないものから搾取するという社会構造の中で、持たないものが一斉蜂起して、しかも権力側を次々に打ち破った歴史上の事実なのですからね。実際に、この映画の原作であるハワード・ファストの小説『スパルタカス』は、この内容のために出版拒否の憂き目にあっています。

 

また、この映画の脚本を書いたダルトン・トランポも、きわどい背景を持った人です。この映画の作られた1960年は、第2次世界大戦が終わり、資本主義陣営と共産主義陣営に分かれた冷戦まっただ中という時代でした。

第2次世界大戦でひとり勝ちと言ってもいい状態となり、資本主義陣営の中心となったアメリカ合衆国では、「赤狩り」と呼ばれる共産主義者の締め出しが行われていました。ハリウッド映画産業界からも10人の締め出しが行われ、これは「ハリウッド・テン」と呼ばれています。ダルトン・トランポもその一人なのです。

キャストの筆頭カーク・ダグラスの背景

赤狩りによってハリウッド映画産業界を追われた脚本家を起用し、出版拒否を喰らった本を映画化し、しかも史実をすり替えずにそのまま映画化した背景には、カーク・ダグラスの強い意志があったのではないかと思います。

この映画におけるカーク・ダグラスは主演であり、制作総指揮であるという、いわば全権を持った存在です。すでにハリウッドでは押しも押されもせぬトップスターだったカーク・ダグラスは、大金を所持して制作者側に回る事が出来るようになった映画プロデューサーでもあります。ダグラスは、第2次世界大戦後、自分で映画を作れるようになったところで、自分がもっとも世界に訴えたい事を映画にしたかったのではないでしょうか。

 

ダグラスの両親は、帝政ロシアからの移民で、幼い頃のダグラスは大変な苦労をしています。親がロシア革命に至る帝政ロシアのごう慢な搾取を体験しており、ダグラス自身が、移民後の資本主義の搾取を肌身で味わった人間なのです。

さらに、ダグラスは徴兵されて海軍の兵士として第2次世界大戦に参戦しています。こうした背景を持つダグラスが、スパルタカスが達した人間観と理想世界に同調したとしても、不思議ではないのではないでしょうか。こうして、ハリウッドの歴史映画に特異点が生まれたのかも知れません。

圧政に苦しむヨーロッパに誕生した、キリスト以前の英雄

圧政に苦しむヨーロッパに誕生した、キリスト以前の英雄

「黄色いベスト運動」が示すように、スパルタカスが苦しめられたブルジョワの搾取や帝国主義的な傲慢は、現代も形を変えてそのまま続いているように思えます。もしスパルタカスたちの思い描いた社会が実現できていたら、人類はどれだけ無益な血を流さずに済んだでしょう。その社会を実現するには、人間観から僕たちは変えないといけないのではないかと思いました。

スパルタカスを愛し、またグラサスに愛されたバリニアは映画の最後で、グラサスに「ローマが築いた神聖なものの敵だ。そんな男をなぜ愛した」と問われ、「あなたには分かりません」と答えるシーンがあります。グラサスも自分の正義に従って生きる人間ですが、その考えは傲慢で、ローマ人の平和しか考えておらず、スパルタカスが至った人間観や社会観には届きません。ローマの正義までしか見えないグラサスに分からないのは、スパルタカスが人類の正義を見据えていた事ではないでしょうか。

 

物語として感動したというだけでなく、2000年以上前から人類が抱え続け、いつか超えない事には同じ悲劇が無限に繰り返されるこの問題の根幹に触れたという意味で、「スパルタカス」は、万人が観るに値するすばらしい映画だと思います。