『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』は富野由悠季監督によるアニメ映画です。人間の不完全さを思い知らされる、名作の完結編にふさわしい一本です。
今回はそんな『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』の個人的な感想や解説を書いていきます。今回はネタバレ多めです!
目次
映画「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」を観て学んだ事・感じた事
・Ⅰ、Ⅱに比べると非常に作画が良くなり、かなり観やすい
・力のぶつけ合いでは解決しない人間の難しさを思わせる
・これだけでも完結しているが、きっと続編が観たくなる
映画「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」の作品情報
公開日 | 1982年3月13日 |
監督 | 富野喜幸(現: 富野由悠季) |
脚本 | 星山博之ほか |
出演者 | 古谷徹(アムロ・レイ) 池田秀一(シャア・アズナブル) 鈴置洋孝(ブライト・ノア) 鵜飼るみ子(フラウ・ボゥ) |
映画「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」のあらすじ・内容
シャア率いるジオン部隊によるジャブロー攻撃を凌いだアムロたち。宇宙へと戻り、陽動も兼ねて中立地帯のサイド6へと立ち寄ります。
そこでアムロは、謎の少女ララァ、そしてララァを連れた宿敵シャアと話す機会を得ます。
運命的なめぐりあいが三人の行く末を歪める中、連邦・ジオンそれぞれの本軍は主戦場における最終決戦に向け、秘密兵器の準備を進めていました。アムロたちの決着はいかに…。
映画「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」のネタバレ感想
アムロとシャアの因縁、ニュータイプへの覚醒が描かれる完結編
本作は、タイトル通り三部作の完結編にあたる一本です。ここまでで展開された謎が明かされ、戦争は終結へと向かいます。アムロとシャアの因縁、そしてニュータイプへの覚醒が怒涛の勢いで展開していきます。
前作にあたる「機動戦士ガンダム(砂の十字架編)」「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」二本との違いは、ヴィジュアルにあります。元々のTVシリーズでは、この第三部にあたる部分を放映していた際にメインのアニメーターである安彦良和が病気入院していたため、作画が不安定な部分も少なからずありました。しかし、本作製作時には彼が精力的に新規カットを書き下ろしたことで、見違えるほど見栄えが良くなっています。さすがに『逆襲のシャア』や『F91』といった後のガンダム映画には及びませんが、それでも決して見苦しいものではありません。
脚本も「人類の革新=ニュータイプ」や「人間の限界」といった、人類の内面的限界を探るような哲学性を帯びてきます。戦争を表現することは止めず、ヒトの理解というものを超常的に見せてくるところは、これまでとは違う部分と言えるでしょう。アムロがニュータイプだと敵味方問わず認められだした後、彼が何を思うかにも注目です。
以下から『機動戦士ガンダム』全体のネタバレを含みます!
【ネタバレ】シャアが仮面をかぶる理由とは?
『機動戦士ガンダム』ダイジェストの劇場めぐりあい宇宙しか観ておりませんが絵は大変魅力的でした。 pic.twitter.com/mKmhJkJ29b
— 齋藤浩信 (@OsatoSoh12) August 10, 2019
シャアとセイラが再会して話していた内容を、図らずもブライトが内部通信で知ったことから、ブライトの中でセイラに対する疑惑が生まれます。その後真実を問われると、彼女がシャアの妹であることをあっさり自白します。問題はそれ以上に、シャアがジオン・ズム・ダイクンの嫡男、セイラが庶子だったことにありました。非常に単純な言い方をすれば、二人は敵国の王子と王女だったのです。
ジオン・ズム・ダイクンの人物像は、劇中ではさほど詳しく描かれません。劇場三部作だけだと、ニュータイプ論を提唱したことと、すでに亡くなっていることくらいしかわからなくなっています。ジオン公国の名前から生前の権力を連想することはできるとはいえ、宇宙世紀0079地点での実質的権力者はザビ家であることもあって、初めて『ガンダム』に触れた方なら少し混乱してもおかしくないでしょう。
このあたりは『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の方が詳しいですが、軽く解説をするとジオン・ダイクンはかつて、サイド3で絶大な支持を集めた政治家でした。コロニー独立を掲げ、一時は首相にまで上り詰めるほどの人気を博していました。
しかしある日、ほとんど突発的に死亡します。これは過労によるものだったかもしれませんが、あまりに急だったために暗殺説も浮上します。結局真偽は不明なのですが、彼の側近だったジンバ・ラル(ランバ・ラルの父)は暗殺説を強く主張し続けました。シャアはジンバの説に強く影響された一方、セイラは暗殺説はあくまでウワサと捉えていたんですね。また、親同士の繋がりがあったためにセイラ、シャア、ランバには面識があったということでもあります。
そしてジオン・ズム・ダイクン暗殺の疑いがかけられていたのが、ザビ家の人間でした。物的証拠はないながら、ジオンが死ぬことで結果的に最も得をしたからです。言い換えれば、暗殺説が正しいとした場合、ザビ家の人間はシャアにとって父親の仇ということになります。
ザビ家に復讐しようとすると、ジオン・ダイクンという素性のままでは命を狙われますし、かといって一般人に紛れても手を下すチャンスが回ってきません。そのため正体不明の軍人として出世することで、ザビ家に近づこうとしたんですね。仮面はダイクンの子どもであることを隠すために必要だったというわけです。
ララァがもたらしたシャアとアムロの確執
上記のように、シャアの真の目的はザビ家への復讐にあります。出世することで近づくチャンスを得ようとしていただけで、何も地球連邦が憎くて仕方ないわけではありませんでした。ジオン公国が戦勝を得ることにさえ、さほど興味はなかったかもしれません。それゆえに、アムロに対する個人的な確執は一切持ってはいませんでした。
アムロもアムロで、シャアに対する恨みは持っていません。男として超えたい男である、というようなことを『砂の十字架編』で発言していましたが、おそらく殺してしまいたいとまでは思っていなかったでしょう。そのため、ここまで何度も死闘を演じてきながら、二人の間には刺し違えてまで殺し合うような理由はなかったのです。
その淡泊な関係を書き換えたのが、ララァという少女でした。ニュータイプ研究専門の「フラナガン機関」の優等生だった彼女は、ジオンの兵力不足及び劣勢から、戦況を打開することを期待されてモビルスーツパイロットとして戦場に投入されます。シャアを慕っていた彼女は、卓越したニュータイプ能力を用いて瞬く間に戦果を上げますが、アムロの接近を許します。そのわずかな間で二人はニュータイプ能力によって通じ合い、互いを理解し合いながらも、敵同士として戦わざるを得ない宿命を悲しみます。そこにシャアが割って入ってアムロを妨害しますが、すでにモビルスーツ乗りとしてアムロは最強と化していました。返り討ちにあい、トドメを刺されかけたところをララァが庇い、爆散してしまいます。
アムロの覚醒速度は宇宙世紀全体を通しても随一で、少なくともパイロット能力に関してはこの地点で全人類のトップにいたと考えられます。そのためシャアはもうアムロに及ばなかったと見るのが自然です。ゲルググの性能はガンダムと互角だとされていますからね。この後、明らかに高い性能をもつジオングに乗ってようやく引き分けることからも、アムロの強さがわかります。
ただ、ララァの件についてはこの強さが仇となってしまいました。これにより、アムロとシャアは「ただの敵兵同士」から「大切な女性を殺した・戦場へ連れ出した敵同士」へと変化します。これが単なる仇であればまだシンプルだったのですが、「ララァがそこまで苦にしていなかったこと」「アムロとシャアの思考は実はかなり似ていること」もあって、とても複雑化します。折り合いのつけかたさえわからなくなった二人は、本作では戦闘の末に生き別れるものの、続編の『Ζ』そして『逆襲のシャア』において、因縁を清算していくことになります。
【解説】一年戦争の結末は?
【#今日は何の日?】1982年の本日、『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』が公開される。劇場版『機動戦士ガンダム』がついに完結! https://t.co/0bVG7cM5Tq pic.twitter.com/I2FSoJ8O7K
— ガンダムファンクラブ【公式】 (@Gundam_FanC) March 12, 2017
宇宙移民の独立を叫んだのはジオン・ズム・ダイクンでしたが、戦争を引き起こしたのはザビ家、特にギレン・ザビでした。序盤にジオンが宇宙での有利を確立したものの、地球にはうまく攻め込むことができませんでした。
膠着している間に連邦がガンダム、次いで量産機のジムを開発・生産したことで、連邦が反撃しだします。オデッサ作戦、ジャブロー防衛に成功したことから地球での連邦有利が決定的となり、戦場は再び宇宙へと戻ります。
連邦はジオンの宇宙要塞ソロモンを攻略目標に定め(チェンバロ作戦)、12月に攻め入ります。ドズル・ザビ操るビグ・ザムの抵抗こそ激しかったものの、連邦はソーラ・システムの活用によりソロモンを陥落させます。連邦は立て続けに別の要塞ア・バオア・クーからジオン本国に攻め入る星一号作戦を敢行するものの、直前になってジオンがソーラ・レイを使用し、レビル将軍と地球連邦軍艦隊の3分の1を失います。
これによって戦況は再び五分に戻りましたが、父殺しの恨みからギレンが妹のキシリアに殺されたために指揮が乱れ、連邦が押し込みます。キシリアもシャアが殺害したため、指揮を取れるザビ家の人間がいなくなり、ジオンは終戦を申し出るのでした。
このように戦争の趨勢が二転三転しているため、ややわかりづらいところです。ただ、それを知らなくてもアムロたちの活躍は楽しめますし、全体を捉えるとそれはそれで面白いのが『機動戦士ガンダム』のいいところですね。
なお、終戦にあたって「ジオンの共和国としての独立」「双方の戦争責任の免責」「特定の兵器の使用禁止」をうたったグラナダ条約が結ばれています。この内容が『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』で問題視され、『機動戦士Ζガンダム』での新たな抗争へと発展していきます。
【解説】この後観るべきガンダム作品は?
めぐりあい宇宙編のアバオアクー攻防戦はこれぞ総力戦って感じで最高(*´ω`*)作画も凄いしw pic.twitter.com/8P00lGkCOq
— Takakiyo お絵かきプラモデラー (@Takakiyo1109) March 7, 2017
『機動戦士ガンダム』は本作でしっかりと完結し、これといって未消化な部分は残っていません。ファンからの絶大な支持によって数多の続編・外伝が作られていったとはいえ、ひとつの物語としては十分形が整っています。必ずしも、他の作品まで手を出さなければいけないということはありません。
ファンの間では、こんな話が有名です。『機動戦士ガンダム』の大ヒットを受け、続編にあたる『機動戦士Ζガンダム』の製作が決まった際、主人公カミーユ・ビダン役の声優を決めるオーディションが行われました。その際、飛田展男が「あんな綺麗な終わり方をしたのに、続編なんて作らないほうがいい」と発言したそうです。面白いのは、その生意気さがかえって富野監督に気に入られ、飛田が抜擢されていることにあります。四十年のヒットを記録した今はともかく、当時の製作側も、もしかしたら同じようなことを考えていたのかも……と邪推させるエピソードですね。
それはともかく、本作直系の続編は『機動戦士Ζガンダム』です。本作から劇中で7年が経過した、宇宙世紀0087における地球連邦内の内部抗争を発端とした戦争を描いています。生き残ったホワイトベース乗組員のその後も、ほぼ全員描かれています(ある人物だけセリフがないのですが……)。
最大の問題は全五十話のアニメであるため、手を出しにくいことでしょう。一応『機動戦士Ζガンダム A New Translation』という劇場三部作もあるのですが、「80年代とゼロ年代の作画が交互に映されるため。視認負荷がやたら高い」「結末がTV版とまったく違う」といった点で賛否両論を受けています。
『Z』と『ΖΖ』を挟んだ後には映画『逆襲のシャア』が続きます。アムロとシャアの戦いの真の決着はこちらで展開されます。作中の社会思想がそれなりに『Ζ』全体に掛かっているため、シャアの目的を理解するためには注意が必要です。ただ、それさえ頭に入れておけば観れない話ではありません。80年代の本気が知れるメカデザイン、当時珍しかったCGを取り入れた作画もあって、今も人気が高い一本です。
お台場に主役機・ユニコーンガンダムが設置されたことでおなじみの『ガンダムUC』は『逆シャア』の三年後を描いたものです。こちらはボーイ・ミーツ・ガールと戦争を組み合わせたものとして単体でも楽しめますが、その真価は『逆シャア』からさらに30年後の『F91』、60年後の『V』への橋渡しをしたことにあります。そんなことを気にしなくてもいい作品とはいえ、出来る限りの宇宙世紀シリーズを網羅しておくと、発見があること請け合いです。なお、『ガンダムNT』は『UC』のすぐ後が舞台になっています。
一方、『機動戦士ガンダム』と同時期(連邦がMSを開発した一年戦争終盤)の、ホワイトベースとは別の戦域を描いた作品は非常に多く、筆者もすべては把握しきれていません。代表的なものは『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』で、分かり合えない人間と戦争の悲しみを端的に描いています。熱心なファンにとってはクリスマスに観るのが定番の一本になっています。
その他映像では、『MS IGLOO』『サンダーボルト』などなど……。『第08MS小隊』というものもあるのですが、途中で監督が死去する事態となったため、人間ドラマとしてのガンダムを期待すると拍子抜けするかもしれません。
一年戦争の前半、特にシャアが赤い彗星と呼ばれるまでを描いた『機動戦士ガンダム THE ORIGIN(OVA版)』は、シャアやラルといったジオン側に肩入れした方にはもってこいの一本です。このころは連邦がMSを持っていないためアクション描写がやや淡泊ですが、キャラクターを補完する作品としてはこの上ないと言えます。逆に一年戦争終結から『Ζ』までの間を描いた『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』もありますが、こちらにはホワイトベース乗組員は登場しません。
あるいは、あえてTVアニメ版の『機動戦士ガンダム』も観てみるというのも手でしょう。リュウやセイラ、ハヤトらの発言も多い分ホワイトベースの一体感が感じられますし、他の軍人らの思惑もより深く描かれています。劇場版ではただの司令官だったマ・クベとギャンの戦闘、「あれは、いい物だ!」のシーンも、こちらでしか観られません。ただし作画崩壊は劇場版よりさらに酷いことは覚悟する必要があります。特に15話『ククルス・ドアンの島』などは、もう全てがひどいということで、ある種伝説と化しています。
ガンダム世界にはまだまだ他にも作品がありますが、『機動戦士ガンダム』に直接関わる宇宙世紀シリーズはこんなところです。ガンダムの名を冠した人気作には『新機動戦記ガンダムW』『機動戦士ガンダムSEED』などもありますが、これらは通称「アナザーガンダム」と呼ばれる、まったく別の独立した作品群です。
そのため前提知識を気にせずに視聴可能できる一方で玩具的な事情から、やや外連味を重視したスーパーロボット感が強く出ています。ただし、『鉄血のオルフェンズ』はビーム兵器を廃することで、一転して『機動戦士ガンダム』に勝るとも劣らない無骨さを表現しています。
さらにいくらでも解説することは出来るのですが(筆者の好きなシリーズは『∀ガンダム』ですし)、終わりが見えないのでこの辺にしておきましょう……。
【評価】きっとこれからも語り継がれる名作
本作は、歴史や人間関係、あるいは哲学への洞察までも感じられる作品です。どこまでも深く味わうことができる、途方もなく大きな物語を世に示したという点で、これからの歴史にも残る映画と言えるでしょう。
それでいて、パイロットとして最強の主人公が戦勝をもたらすという活劇的にも捉えられるところが、多層的な楽しみを与えてくれます。これからさらに五十年、六十年と愛され続けても不思議ではない名作と言って間違いないと思います。
(Written by 石田ライガ)