映画『ARIA The Avvenire』は、実在の都ヴェネツィアを舞台にしたSF日常漫画『ARIA』シリーズのOVA作品であり、劇場でも公開された映画です。
本作は原作完結後のサブストーリーを描いており、一人前のウンディーネとなった主役級三人娘の後輩たちに焦点を当てた物語です。
作品の性質上、時系列を考えれば原作ないしはアニメを視聴したうえで鑑賞されることをオススメします。どちらも傑作と名高い筆者イチ押しの作品なので、鑑賞して損をすることはないでしょう。
今回はそんな『ARIA The Avvenire』の個人的な感想や考察を書いていきます!なお、ネタバレには注意してください。
目次
映画『ARIA The Avvenire』を観て学んだこと・感じたこと
・ARIAのアフターストーリーが存在するだけで満足
・後輩たちの活躍をもっと眺めていたい
・故人への格別なリスペクトが感じられる
映画『ARIA The Avvenire』の作品情報
公開日 | 2015年9月26日 |
監督 | 佐藤順一 |
脚本 | 吉田玲子 |
出演者 | 水無灯里(葉月絵理乃) 藍華(斎藤千和) アリス(広橋涼) アリシア(大原さやか) アリア社長(西村ちなみ) アテナ(川上とも子) |
映画『ARIA The Avvenire』のあらすじ・内容
かつては半人前だった灯里たちも、すっかり成長して一人前になった時期のこと。練習中はずっと一緒にいた彼女たちも多忙によりそれぞれの人生を歩み始め、そこには新たな後輩たちも誕生していました。
お互いに会いたい気持ちはあるものの、日々の忙しさに忙殺されていると、偶然にも彼女たちは再会する機会を得たのです。
その出来事から、灯里は後輩のアイにかつて彼女と同じような「先輩」という立場にあったアリシアの思い出話を告げるのでした。
映画『ARIA The Avvenire』のネタバレ感想
「続編はない」と諦めていたが、ファンにとって最高のサプライズ
まず、映画の評価に際して「筆者がARIAシリーズの熱心なファンである」ということを公言しておかなければ不公平でしょう。作品そのものの素晴らしさはアニメファンには浸透しているように感じますが、その中でも筆者はかなりの熱を挙げている部類に入るかもしれません。そのため、ある意味「この作品が気に入らない」という方にとっては実に偏った意見に見えるかもしれません。そこはご了承ください。
そんなファンの筆者は、当然ながら原作およびTVアニメ全三期の放送終了後、「続編はないのだろうか」と思っていました。しかし、作品をめぐる外部環境や、これまで続編が制作されてきたアニメと比較すると、どうにも不利な点があるのは否めないところでした。
まず、何よりの根拠は「作品がこれ以上ないほどに綺麗な形で完結している」ということです。灯里・藍華・アリスの三人が揃ってプリマになり、みなそれぞれの道へと羽ばたいていきました。彼女たちの成長を描く作品という側面もあったことから、作品のラストはファンにとって感慨深いものとなっていたのです。この作品にアフターストーリーをつけるのは簡単ではなく、一応アイちゃんの存在を続編の取っ掛かりくらいには思っていたかもしれませんが、それでもファンとしては続編を疑ってしまいました。
また、こうしたストーリー上の展開だけでなく、リアルな世界における問題も山積していました。その一点目が、制作会社であるハルフィルムメーカーが形式上消滅し、後継会社としてTYOアニメーションという体制に変更された点です。もちろん同じ系列の会社であるため大きな体制の変更はなかったのですが、運営方針が変わっているという点は内情に詳しくない我々が続編を疑ってしまったのもやむを得ないのかもしれません。
さらに、恐らく一番の問題は「キャストやスタッフに数名故人が存在する」という点ではなかったでしょうか。例えば、本作でアテナ役を務める声優の川上とも子さん、同じくアテナ役で「カンツォーネ」という歌唱を担当した河井英里さんがそれぞれ亡くなってしまっており、彼女の配役をどうするのかという点が指摘できました。もちろん声優を交代して続編を作るというのが常道なのかもしれませんが、それではファンの反発があるのも明らかです。
こうした様々な事情から続編は難しいのではないかと個人的に考えていたので、本作の制作が発表された時には本当にうれしかったのをよく覚えています。加えて、詳しくは後ほど説明しますが、「アテナ」をめぐる問題もファンが納得できるように工夫が凝らされており、故人へのリスペクトはファン泣かせな演出でした。
アイちゃんを始めとした後輩たちと、先輩になった旧キャラの絡みもgood
この作品の主役は、これまでメインで描かれてきた灯里ら三人ではなく、彼女の後輩たちでした。構成自体はこれまでと全く同一なもので、アリアカンパニーが1人・姫屋が1人・オレンジプラネットが1人となっており、ここの伝統に関しては引き継がれていくことになります。
新キャラに焦点を当てていくと、まず注目できるのはアリアカンパニーのアイでしょう。彼女については幼少期の頃から本作にたびたび登場してきたアニメオリジナルキャラクターで、非常に好評な存在だったため終盤にはアニメから原作に逆輸入された「アニオリの成功例」としても有名です。
したがってファンはすでに彼女のことを知っている状態にあったわけですが、成長したアイがスクリーンで動き回る姿を見るだけでファンとしては親心のようなものを感じてしまいます。幼少のころに比べるとやはり多少大人になり、性格面も可愛らしいものになっています。
そして、前作と同様に彼女はあずさという姫屋のウンディーネ、つまり前作で言うところの藍華に出会うわけです。晃と藍華を見て育ったためか、彼女もまた自信家でファンとしては彼女たちとの共通点に笑みを浮かべながら作品を鑑賞したことでしょう。
また、アリスのポジションに相当するアーニャは彼女と少し異なった「おっとり系天然少女」という感じで、彼女の存在が三人の「ゆるふわ感」を増大させているように感じました。この役割面だけを考えれば、アリスというよりもむしろ灯里に近いような感じがします。
このように新キャラたちも物語を盛り上げていくのですが、個人的に一番見ごたえがあったのは「後輩たちを指導する先輩としてのウンディーネ達」でした。これまでの作品では灯里たちがいつも一番の「下っ端」であり、先輩たちから指導を受けつつ成長していくというのがストーリーの根幹を占めていました。しかし、本作ではまだまだ未熟であった彼女たちが立派に成長し、それぞれのスタイルで指導役として頑張っているのです。
彼女たちの成長や、変わらない個性を見ているとそれだけで涙が出てきてしまうほどです。そして、直接の先輩という立場から一歩引いたところで彼女たちを眺めるアリシアら先輩ウンディーネの存在もまた作品に刺激を与え、変わっているようで変わらない日常の姿に我々は安堵することになります。
新キャラを投入しつつも前作の良さをそのまま踏襲し、さらにキャラたちの新たな側面を描き出した物語には文句のつけようもなく、アフターストーリーとして理想的な作品に仕上がっているでしょう。
「あの頃は楽しかった」ではなく「あの頃も楽しかった」を象徴するストーリー
原作の名言として、一人前になって予定が合わなくなることを悲観した二人に、灯里が「あの頃は楽しかった、ではなく、あの頃も楽しかった、と言えるように」と告げたものがあります。もちろんこの言葉単体でも感動するには十分すぎる思い入れがあるのですが、本作はその灯里の言葉を象徴するような作品であったと思います。
作品をよく見ていくと、確かに灯里たち三人が会う時間は明らかに減っています。プリマになるまでは毎日のように朝から晩まで行動を共にし、時には練習を、時には遊びをしていた彼女たちを見ている我々には、それがよくわかります。
しかし、その「会えない」ということは確かに寂しいことである一方、彼女たちはそれぞれが一流のウンディーネとして、また指導者として自分らしく生を謳歌しています。その結果として、三人で会える数少ない時間がとても貴重なものとして描かれ、実にあたたかい気持ちになるのです。
こうした一連のシーンは、我々にもよく心当たりがあるのではないでしょうか。例えば、高校の部活でお盆と正月以外は苦楽を共にする仲間がいたとしましょう。その時分は日々を生きることに精一杯で、その価値には気づかないかもしれません。しかし、部活を引退して高校を卒業し、大学生になった時、あるいはもっと大人になった時。ふと青春時代に思いを巡らすと、そこには仲間達とのかけがえのない日々が記憶されているのです。
とはいえ、そのことに気づいたからといって前のように毎日顔を合わせる機会というものは、もう二度と帰ってくることはないでしょう。それでも卒業してすぐは年に何度か、結びつきが強ければいくつになっても年に1度は再会する機会があるかもしれません。
この作品で発信されているメッセージとは、「過去を懐かしみつつ、現在を楽しむ」ということなのではないでしょうか。その二つはどちらが欠けても成立しませんし、人生を充実させるためには必要な要素であることでしょう。
もちろん、現実はARIAのようにはいかないかもしれません。かつての旧友が落ちぶれてしまっていることもあるでしょうし、あるいは知人同士が社会的ステータスの優劣を比較してしまうこともあるかもしれません。言ってしまえば現実とは残酷なものです。
だからこそ、アニメの世界では彼女たちが織り成す「癒しの空間」で非日常を体感し、そこに喜びを見出すこともまた人生なのではないでしょうか。
最大の懸念であった「アテナ」の声優を見事な手法で補った
先ほど少し語ってきましたが、本作における最大の懸案は「アテナというキャラクターの扱い」でした。彼女はアリスの直接の先輩であり、続編の製作にあたって出番を完全にゼロにするということは難しかったと思われます。しかし、当然ながら声優も歌い手も亡くなっていては、新規の演技を撮影するわけにはいきません。
そこで、本作では「アテナの存在を消さないように努めつつ、既存のデータを使って対応する」という策が練られていました。具体的にどのような対処がなされたかというと、例えば1つ目のエピソードで3大妖精が顔を合わせるシーンでは、彼女に台詞を与えるのではなくカンツォーネを歌わせることで再会を演出していました。
さらに、ラストではかつて収録していた川上とも子さんの演技を上手く転用し、自然なシーンを作成するように努められていました。もちろん、全くもって自然なシーンであったかといえば、そうではありません。実際、アリシアと晃が揃っているにもかかわらずアテナがいないというシーンは当然存在し、気にしよう思えば気にすることは出来るでしょう。
しかし、これまで作品を愛し続けてきたファンとしては、まず代役を立てず故人をリスペクトした製作方針に敬服したいところです。やはり、川上さんの演技・河井さんの歌があってのARIAだと思いますし、そこは代えの利かない部分であるという判断は正しかったと思います。
また、不幸の結果としてもう二度と揃わないと思われていた水の三大妖精が疑似的であっても集結し、我々の前にその姿を見せてくれたことだけで個人的には本作を見た甲斐があったと感じるほどです。
確かに作品としては綺麗にまとまっていましたし、もしかしたら本作の存在を「蛇足」と思ってしまう方がいらっしゃるのかもしれません。しかし、一貫して人の成長や人間ドラマを描いてきたこの作品が、最後にしっかりと全員集合した形で決着をつけてくれたことを、本当にうれしく思います。
応援していた作品が終盤で失速し、バタバタと慌てて打ち切られたかのような終わり方をしてしまう作品も少なくない中で、これだけしっかりと作品を描き切ってくれると、まさしくファン冥利に尽きるといったところです。我々ファンだけでなく、原作者や製作陣全てがこの作品を本当に愛していたということを、作品の出来が示しているでしょう。
文句のつけようがない続編であり、さらに欲が出てしまう
ここまでの文章からも分かるように、この作品は我々ファンにとって100点を与えられるような傑作に仕上がっています。上記では指摘できませんでしたが、単なる続編としての良さだけでなく、前作のエピソードを補完する形で描かれている物語も多く、まさしく「完全版ARIA」がここに成立したといえるでしょう。
特に、原作では描かれていたもののアニメでは描かれることがなかった「ケットシーとの最後の出会い」が映像化されていたことは、筆者の願いをかなえてくれたような気持ちになりました。
実際、本作のTVアニメは原作を尊重しつつアニオリ要素も素晴らしかったため、筆者だけでなくアニメファンから非常に高い評価を得ています。しかし、中には上記のような原作の人気エピソードを拾えていないところもあったため、筆者は本作の公開が決まる前にブログで「唯一の欠点はケットシーの出番をカットしたこと」と指摘するほどでした。
この意見は、製作陣も当然分かっていたのでしょう。本作では「灯里の回想」という形で該当する場面が映像化され、文字通りファンの願いを叶えてくれる作品になっていたのです。ここには、製作陣の作品に対する「愛」をひしひしと感じましたし、言うまでもなく本作の高評価へと繋がっています。
ただ、唯一本作に不満があるとすれば、「蛇足になるかもしれない続編が見たくなってしまう」という点でしょうか。本作のラストを見てみると、全キャラが集結したこれ以上ないグランドフィナーレという雰囲気を感じることができます。このエピソードの元ネタ自体はファンブックで明かされていたもので、ある意味ではその映像化ともいえるわけです。
そのため、作者としても「これが最後のARIA」という意図で制作された作品と言えそうにも思えます。実際、原作者の天野こずえ先生は現在海女さんをテーマにした新作『あまんちゅ!』を連載中であり、すでに次の作品を作り上げているのです。
そう考えていくと、我々もずっとARIAという作品を愛して続編を待ち望むだけではなく、前向きな形でこれ以上の続編を望まないという考え方をするほうが、作品そのものの価値を高めることになるのではないかと感じました。
とはいえ、やはり人間というのはどこまでも欲深いもの。筆者自身も「これ以上の続編は蛇足だろう」と言いつつも、いざ続編の製作が発表されれば恐らく喜んでしまうでしょう。裏を返せばそれだけ人をひきつけてやまない作品であるとも言えそうですが、同時に「魔性の女」というような、惚れたら最後でどこまでも欲をぶつけてしまう恐ろしい作品なのかもしれません。
(Written by とーじん)