映画「女王陛下のお気に入り」は、2019年アカデミー賞で最多の10部門でのノミネートという圧倒的な記録を叩き出しました。2018年に公開された映画の中でも、話題を集めた作品です。
イギリスの宮廷を舞台に3人の女性が繰り広げるコミカルかつシニカルな愛憎渦巻く人間ドラマは、観た人にさまざまな感情を与えたことでしょう。
3人の女性を演じた豪華な俳優陣を始め、きらびやかな衣装・美術、尖ったセンスによって描かれる宮廷のストーリー。この作品が私たちに訴えかけるものはなんなのか。今回は映画「女王陛下のお気に入り」の個人的な感想やネタバレ解説を書いていきます。
目次
映画「女王陛下のお気に入り」を観て学んだ事・感じた事
・宮廷という高貴な場で繰り広げられる人間くさいドラマが魅力的
・ストーリーや世界観を形成している美術・衣装・カメラに目を奪われる
・3人の女性を演じた俳優陣の演技が素晴らしい
映画「女王陛下のお気に入り」の作品情報
公開日 | 2018年11月23日 |
監督 | ヨルゴス・ランティモス |
脚本 | デボラ・デイヴィス トニー・マクナマラ |
出演者 | アン女王(オリヴィア・コールマン) アビゲイル(エマ・ストーン) サラ(レイチェル・ワイズ) ハーレー(ニコラス・ホルト) |
映画「女王陛下のお気に入り」のあらすじ・内容
舞台は18世紀初頭のイギリス。この国はフランスとの植民地争いで戦争状態に陥っていました。
宮廷ではアン女王を始め、戦争とは無縁な優雅な暮らしに明け暮れていました。アン女王は持病の痛風のため、政治的な意思決定が思うようにできず、側近のサラに代行させている状態にありました。
そんな中、宮廷に現れたのがアビゲイル。アビゲイルは没落貴族でもあり、幼少時代ひどい境遇にあったのですが、サラの従姉妹ということもあり宮廷に姿を現します。最初は下っ端として働いていたアビゲイルでしたが、次第にアン女王に取り入り寵愛を受けていきます。
精神的に不安定でわがままなアン女王、そして、アン女王をコントロールしようとするサラ、狡猾さと包容力によって女王の信頼を得ていくアビゲイル、この3人の人間模様が描かれている映画となっています。
アン女王のお気に入りをかけて争う2人の女性。そして、その先に待つ結末は…。イギリスの宮廷を舞台に、繰り広げられる高貴な貴族の人間くさいドラマとなっています。
映画「女王陛下のお気に入り」のネタバレ感想
「女王陛下のお気に入り」の感想をさまざまな角度から書いていきます。やはりこの映画は色々な魅力に満ち溢れている映画であり、アカデミー賞で10部門にノミネートされたのも頷ける作品です。
アメリカの業界紙「バラエティ」の評論家はこの作品を「完璧にカットされたダイヤモンドのような作品」と評しているように、ストーリー、演者、衣装、美術、カメラに至るまで、輝きを放っています。
今回は「女王陛下のお気に入り」の魅力、そしてそれを踏まえた感想を1つ1つピックアップしていきながら書いていきます。
物語の中心となる3人の女性に注目
まず、「女王陛下のお気に入り」のストーリーの中心となるのが、宮廷を舞台にした3人の女性です。流産や死産などによって17人の子供を失い、その代わりとして17羽のうさぎを宮中で飼っているアン女王。アン女王はこのような背景から精神的にも不安定で、情緒不安定な一面を度々垣間見せています。女王という立場を利用した暴虐的な振る舞いに加えて、持病の痛風を抱えています。
見た目だけで言えば、おおよそ女王と名のつく人物には見えない醜態を晒すこともしばしば。プライドは高いがそれを支える要素がほとんどないという境遇にいます。
そのアン女王の側近を務めているのが、サラです。サラは女王の幼馴染でもあり、立場的には明確な上下があるのですが、女王に対して思ったことを正直にいうことができるただ一人の人物でもあります。精神状態や健康状態が思わしくない女王に代わって、政治的な意思決定をすることもしばしばあります。
そして印象的なのは、サラの女王に対する態度です。女王に仕えている身でもありながら、女王相手にも強気の態度をとり、自分の意のままに操っており、アン女王もサラに対してだけは、弱々しくなってしまいます。
そして、この映画の物語を大きく動かすのがアビゲイルです。アビゲイルは没落貴族でもあったのですが、サラの従姉妹という立場を利用して、宮廷に戻ってくることができました。幼少時代は賭けの対象として身売りされ悲惨な生活を送っていましたが、なんとか宮廷に返り咲き、最初は料理や洗濯など侍女として働き始めます。
痛風で苦しむアン女王の痛みを和らげるために薬草を塗ってあげたことをきっかけに、女王の近くで働くことになります。冷淡で強気なサラに対して、アビゲイルは優しく包み込むように女王を扱うため、次第にアビゲイルは女王の好意を獲得していくことになります。
さまざまなバックボーンを抱えた3人。そして、その3人が繰りなす愛憎と権力、欲望渦巻くストーリーとなっています。
ここでは、この3人の登場人物1人1人を深く掘り下げていきましょう。
狡猾さと優しさを武器に女王に取り入るアビゲイル
エマ・ストーン演じるアビゲイルは持ち前の頭の良さを武器に女王に取り入ろうとしています。女王に対して、冷淡な態度を示すサラとは逆に、女王の飼っているウサギを可愛がったり、精神的に不安定な女王を優しく包み込むような態度で接することで女王の信頼を勝ち取っていきます。
そんな中、決定的な出来事が起きます。元々、女王に性的な奉仕をしていたサラでしたが、その役目をアビゲイルに奪われてしまうのです。しかも、女王はアビゲイルの奉仕を大変気に入ったようで、それが決定打となり、女王とアビゲイルの距離は急接近します。
自分の立場が危ぶまれたサラはアビゲイルに対して攻撃的な態度を示します。それに対してアビゲイルは自分の考え方の甘さを痛感し、生き残るためには道徳に反することでもすると宮廷での生き残りに闘志を燃やします。
サラの旦那は戦争推進派で戦争のために税金を2倍にするという政策を支持していました。一方でアビゲイルは、フランスとの講和条約を進め平和的に解決する派閥の重要人物に取り入ります。
そして、サラの飲む紅茶に毒を盛り、宮廷からサラを締め出してしまいます。邪魔者がいなくなったアビゲイルは女王と信頼を勝ち取り、侍女という立場にもかかわらず、身分の異なる政治家との結婚を女王の権限で成し遂げます。さらには、政治的にも自らが支持する政策を実現し、サラを宮廷から完全に追放します。
没落貴族から一気に高みに上り詰めたアビゲイルは、女王の信頼と高貴な生活を手に入れるのです。
ここまで書けば、この映画においていわゆる「お気に入り」になったのはアビゲイルで、サラとの勝負に勝利したという見え方がします。しかし、そんなサクセスストーリーで終わるほどこの映画は甘くありません。
地位も名誉も手に入れたアビゲイル、一見すると幸せな生活を送っているように見えていますが、この映画のラストシーンでは、実はそうではないことが示されています。
ラストシーンでは、女王がアビゲイルに「足を揉め」という命令を出します。「足を揉む」というのは、痛風で痛む足をマッサージすることでもありますが、この映画の中では、その延長線上に性的な奉仕が含まれています。
アビゲイルは元々没落貴族で身売りされた境遇でもありました。売られた先では、小汚い男性に性的奉仕を求められていた過去もあります。そんな境遇から這い上がり、宮廷内での争いに勝利を収めた彼女に待っていたのは、終わりのない女王への奉仕でした。このようなシニカルな結末を迎えているのがmアビゲイルという人物でもあります。果たしてそんな彼女の結末は勝利と呼ぶにふさわしいのでしょうか。
強気に女王をコントロールするサラ
サラはアン女王の幼馴染という関係性の中で、女王に唯一物を言える立場でもあります。わがままな女王を一喝することもあれば、ズバッと本音をいうことだってできます。この時代の階級制を考えてみればかなり異質な関係性といえます。また、サラは自身の政治的な思惑を立場を利用して叶えようともしています。国家に忠誠を誓ってはいるものの、女王を思うようにコントロールして、権力欲を満たしているようにも見えています。
ただ、サラがここまで女王に対して冷淡かつ強気に打って出ることができるのは、何も幼馴染だからという理由だけではありません。サラは女王の側近として夜の相手も強めていました。その姿は、女王を従えるかのようで、どちらが上なのかわからなくなるほどでもあります。
そんなサラですが、アビゲイルの登場によって、自身の立場が危ぶまれることになります
女王を優しく包み込むアビゲイルに心惹かれていく女王。以前までは、自分こそが女王陛下のお気に入りであっただけに、アビゲイルに対して闘志を燃やしていきます。
しかし、最終的には狡猾なアビゲイルによって、宮廷を追放されるという結末を迎えてしまいます。全てを失ったサラでしたが、アビゲイルとは対象的に、ある意味女王の横暴から解放されたという見え方すらできてしまいます。確かに、アビゲイルとの権力闘争に敗れ、国を追われる羽目になったサラですが、本来であればしたくもない女王の世話を続けてきたわけです。それは何よりも女王のためではなく、自身の権力欲を満たすために他なりません。
女王を精神的に支配することによって、自身の立場をより高めていくという彼女の姿。それとは対象的に、追放された後に行った「この国にはうんざりだわ」という言葉には、散々尽くしてきた国家に裏切られたという悲しさと、女王から解放されたという感情が入り乱れているようにも見えてきます。
ラストシーンでのアビゲイルの表情を見れば見るほど、対象的なサラの立場への想像が膨らんできます。権力は失ってしまいましたが、その反面サラはこれまで以上の自由を獲得したのではないでしょうか。
そう考えると表面的な結末とそれに含まれる内情が入り乱れて、非常にシニカルな結末であるといえます。
2人の側近の間にいるアン女王
「女王陛下のお気に入り」は、サラとアビゲイルという2人の側近の権力闘争というのが物語の中心となっていますが、その寵愛を受けるべきアン女王もこの映画には欠かせない人物です。
このアン女王ですが、一言で言えば「女王であることにしか価値がない人物」といえます。この時代では、国家の意思決定には政治家の存在がありましたが、最終的な意思決定者は女王でした。しかし、このアン女王の人物像として描かれているのは、権力者としての説得力に欠けている姿です。
明晰な頭脳があるわけでも、惹きつける美貌があるわけでもありません。政治力があるわけでもなく、ただただ女王という権力を持っているだけで人を従えている人物でもあります。人物としての魅力ではなく、権力を行使することでしか愛情や人望を得ることができない人物です。
ただ、そのことについてはアン女王も自認しているようにもみえます。醜く太っている容姿、痛風で腫れ上がった足、そして政治的に重要な場面で決断を下すことができない様、どれをとっても女王らしい品格は見当たりません。この映画で描かれているアン女王は、いわば滑稽でみじめな権力者でもあります。
それでもアン女王は自らの権力にしたがってくれるサラやアビゲイルを寵愛しています。そして、2人が自らの寵愛をかけて争う様を楽しんで見ています。自分を取り合うサラとアビゲイル、火花を散らす2人を見て、求められることの快感を味わっているのです。
わがままで暴虐、かつ情緒不安定、女王としての「権力」だけが彼女を支えている唯一のものでもあります。一般的な女王が持つ、高貴で優雅な姿からはかけ離れた姿を持つアン女王は、滑稽さを持ちつつも、権力者への痛烈な風刺にもなっているのかもしれません。
「女王陛下のお気に入り」では、このように三者三様の登場人物がドラマを生み出していきます。そして、これらを演じるオリヴィア・コールマン、エマ・ストーン、レイチェル・ワイズが名演を見せており、3人がアカデミー賞にノミネートされる所以も納得できます。
コメディとシリアス、高貴と下品、さまざまな要素がシニカルに描かれており、その中で、この3人の俳優が歪な世界観を見事に表現しています。
映画の世界観を形成する美術や衣装、カメラにも注目
「女王陛下のお気に入り」は、ストーリーや演者の魅力ではなく、細部にまでこだわられた衣装や美術、カメラワークなどにも注目してみるべきです。宮廷という高貴な世界観を作り出すために作られた美術の数々、登場人物たちが着こなすドレスの数々には目を奪われてしまいます。
さらに、特殊なカメラワークもこの映画の魅力を作り出しています。広角レンズや魚眼レンズを使い宮廷内を全体的に映し出すシーンが印象に残った人も多いと思います。このような手法を取るのは珍しいと思うのですが、ここには、宮廷という世間一般からはかけ離れた世界の閉鎖的な空間であったり、国民とは隔絶された世界が表現されているような印象を受けました。映画の中では、さまざまなドラマが起きているのですが、全ては宮廷内の狭い世界で起きていることでもあります。
宮廷の外ではフランスとの戦争で血を流す国民もいれば、重い税金に苦しむ人々もいることでしょう。そういった部分はまったく描かれていないのですが、この特殊な撮影手法によって、世間とは隔絶された宮廷という狭い世界、そして、登場人物たちにとっても、宮廷の中こそが自分たちの世界であるかのような思い違いにも見えてきます。
アカデミー賞では10部門にノミネートされている作品ではありますが、それが頷けるほど、細部にまでこだわられて作られている映画でした。
権力闘争の中で、重要な決定が下される
「女王陛下のお気に入り」は18世紀のイギリスを舞台に描かれている映画ではありますが、内容はかなり風刺が盛り込まれています。映画の中ではさほど重要な場面として描かれておらず、宮廷内ではフランスとの戦争を「続行」するか「講和」を結ぶかで意見が対立していました。
国民にとっては自分たちの生活を左右するような重要なことでもあったのですが、結局宮廷内で決め手となっていたのは、サラとアビゲイルの権力闘争でもありました。
異なる派閥に繋がりを持っているサラとアビゲイルの闘争の結果、アビゲイルが生き残り、最終的には講和を結ぶという結果に落ち着き、国民にとっては一安心なのですが、はたから見れば、「そんなこと」で政治的な決定がなされていたという怖さも描いていると思います。
このような権力に対する風刺的な表現は、最近の風潮としては非常にタイムリーな内容でもありました。映画としてももちろん素晴らしく、このような時代だからこそ、みるべき映画とも言えます。
18世紀を舞台にした映画ながら現代社会にも通じる風刺
「女王陛下のお気に入り」は18世紀を舞台にした物語ではありますが、現代社会にも通じるような風刺ともなっており、ただのコメディ作品として終わっていないところが非常に評価されているともいえます。
全てにおいて完璧に構築されたヨルゴス・ランティモス監督のシニカルな世界観、そして、宮廷の中で繰り広げられる下衆な人間模様のコントラストが非常に魅力的な映画となっています。
2019年のアカデミー賞でも最注目の映画でもあるので、ぜひ劇場に観に行ってみてください。