映画『ラブライブ! The School Idol Movie(ラブライブ ザ・スクールアイドルムービー)』は、アイドルアニメとして異例の大ヒットを果たした「ラブライブ」シリーズの劇場版であり、同時に完結篇にもあたる作品です。
アニメ二期で「この代限りでの解散」を公表したμ’sは、その言葉通り本作の出演が最後の表舞台になると推測されていました。そのため、紅白歌合戦にまで出場した「スクールアイドル」の勇姿を見届けるべく、ファンの間では非常に注目されていた作品でもあります。
今回はそんな『ラブライブ! The School Idol Movie』の個人的な感想や考察を書いていきます!なお、ネタバレには注意してください。
目次
映画『ラブライブ! The School Idol Movie』を観て学んだこと・感じたこと
・最後は明るく締めるのがμ’sらしい
・キッチリと終着点を定めた潔さを評価したいが、やはり寂しさは否めない
・楽曲やライブパフォーマンスは「お見事」と褒めるほかなし
映画『ラブライブ! The School Idol Movie』の基本情報
公開日 | 2015年6月13日 |
監督 | 京極尚彦 |
脚本 | 花田十輝 |
出演者 | 高坂穂乃果(新田恵海) 絢瀬絵里(南条愛乃) 南ことり(内田彩) 園田海未(三森すずこ) 星空凛(飯田里穂) 西木野真姫(Pile) |
映画『ラブライブ! The School Idol Movie』のあらすじ・内容
第二回「ラブライブ!」で見事優勝を果たし、有終の美を飾ったμ’s。3年生の旅立ちを見送ったメンバーは、彼女たちの卒業をもってμ’sとしての活動を終えたかに思えました。
しかし、卒業式の直後に第三回「ラブライブ!」の開催が発表され、場所を確保するためのプロモーション活動としてμ’sに海外でのライブ話が舞い込みます。
こうして旅行がてらライブ会場を検討した一行でしたが、あまりいい場所を見つけることができませんでした。
そこで、彼女たちは「ある場所」を会場として準備することを考え始めるのです。
海外での旅を終え、日本へと帰国したμ’s。果たして、彼女たちの行く末は解散なのか、それとも…。
映画『ラブライブ! The School Idol Movie』のネタバレ感想
【解説】μ’sの最終章として、ファンに向けられた物語
本作は、すでにご存知の方も多いように「μ’sの最終章」として制作された物語です。これは厳密にいうと公開前に明かされていた内容ではないのですが、2019年現在から考えると結果的にはそうなっていたということが分かります。
内容を見てみても、いったんは解散を決めたμ’sが海外ライブや「ラブライブ」の開催条件を踏まえその結論を再考するものの、最終的にはかつての決断を尊重するという設計になっています。これは、「結論を変えるつもりはない」という製作陣からの強いメッセージであり、その意味は少なくとも現時点で変わることはないのだと感じました。
実際、言うまでもないことですが当時はμ’sの人気絶頂期であり、アニメ内の「μ’s」および声優ユニットとしての「μ’s」は、紛れもなくアイドルアニメ界の頂点に君臨していたでしょう。それゆえに、あのまま活動を続けていても数年間は間違いなく人気を維持することができたはずです。
しかし、その「目先の利益」を捨ててでも人気絶頂期に活動を休止し、後進ユニットである「Aqours」にバトンを渡しました。この交代劇はアニメの歴史を考えても非常に重要なものであり、アニメおよび声優ユニットの新しい形を示しているといえるでしょう。
そして、この未来は当然ながらアニメ二期の構想段階で想定されていたものであるはずです。それゆえに二期では「卒業と解散」がメインテーマに据えられており、我々も納得してその決断を受け入れることができたのです。
とはいえ、ファン目線からすると「まさか解散するとは」という驚きも少なくはありませんでした。もちろんキチンと筋道を通り、道理に叶った形で解散までの話が進められていったのは事実ですし、そのラストがあったからこそ今の「ラブライブ」が存在するわけです。それでも、やはり喪失感が拭えないのはまた事実であり、その点に関しては何かしらのアフターストーリーが欲しいとは思っていました。
筆者はシリーズのライトなファンであるゆえに、熱狂的なラブライバーの気持ちまでは分かりません。しかしながら、この私でさえ寂しさを感じ得ないということは、そうした人々の気落ちがどれほどのものであったかを想像することは容易です。
上記の点を整理すると、本作の立ち位置は「ファンに向けられたμ’sのお別れ会」と言い表すことができるのではないでしょうか。確かに結論は変わらないけれど、最後は「未来」を感じさせるような明るい雰囲気で作品を締めくくりたい。そうした製作陣の心意気が反映されているような気がしますし、作中の至るところに「未来」を感じさせるシーンがあったのも好印象でした。
「μ’sの物語は一区切りとなるが、ラブライブは終わらない」そうした強いメッセージを感じる内容は、「解散」をテーマにした作品とは思えないほど快活に彩られていました。個人的には、凡庸な「お涙頂戴」の展開よりも、この展開であったからこそ感動出来たように思えます。
圧巻のライブシーンと新規楽曲のクオリティ
μ’sの最終章を締めくくる物語として、これまでも本作の人気を牽引し続けてきた「楽曲」および「ライブシーン」についても、以前と同等ないしはそれ以上に充実した作りになっていました。
まず、新規で登場した楽曲について解説していきます。新規の挿入歌は全部で5曲存在し、「Angelic Angel」および「SUNNY DAY SONG」についてはμ’sの全体曲として作中で使用されました。これらの楽曲は作品のテーマに合わせた明るい曲調であり、同曲をA面としたシングルは「ラブライブ」シリーズだけでなく、アニメソングとしてもオリコンの記録を塗り替えるほどの売り上げを記録しました。
次に、本作では今まで待ち望まれていた「学年曲」が3曲盛り込まれています。3年生の絵里・希・にこが歌う「?←HEARTBEAT」、2年生の穂乃果・ことり・海未が歌う「Future Style」、1年生の真姫・凛・花陽が歌う「Hello, 星を数えて」の三曲は、ファン待望の組み合わせを披露してくれたこともあり完成度も高かったです。
そして最後に、物語を締めくくる事実上の主題歌として「僕たちはひとつの光」という楽曲が流されました。同曲にはなんと言っても歌詞に各キャラクターの名前がちりばめられており、クライマックスにこの楽曲を持ってくるのは正直言って卑怯です。加えて、歌詞には「今が最高」「さよならはいらない、涙はいらない」とあくまで未来を見る彼女たちのあり方が表現されており、かえってその健気さに泣かされてしまいました。
このように、作品を通しで見てきたファンにとっては多少あざとくても心に残る楽曲が非常に多いという特徴が本作にはあります。そして、もちろんライブシーンの演出や魅せ方も「劇場版仕様」になっており、それを表現するためにTVアニメとは比較にならないほどの時間や手間がかけられていることは容易に推測できます。
本作は公開劇場数を絞ったにもかかわらずヒットしアニメ作品としては異例のロングラン上映となりましたが、やはり多少分かりやすくてもファン心理を上手にくすぐる作風がその結果につながったのかもしれません。
【解説】相変わらず「ご都合主義」的な脚本は健在だが…
ここまで本作を称賛してきましたが、もちろん欠点がないわけではありません。特筆するべき点としては、アニメ一期や二期でも見られた「ご都合主義的」な脚本の不自然さでしょう。この部分については、本作でもあまり改善された様子はありませんでした。
実際に例を出して解説すると、一期ではμ’sのライブが成立しない危機をもたらしたのは大雨でした。それだけならまだいいものの、リーダーの穂乃果が肝心な時に体調を崩すというオマケ付き。また、二期では「ラブライブ」の予選会に限って大雪で交通機関がマヒし、メンバーが会場にたどり着けなくなりかけるというハプニングに見舞われていました。
これらの出来事は一つ一つを見ればありえないこともないのでしょうが、こうも何度も同じようなアクシデントを見せられると、どうしても製作上の都合が見え隠れしてしまうように思えてなりません。
上記に関連して本作で筆者が感じた点としては、そもそも「海外」へ向かう動機がやや唐突かつ弱く、「海外のシーンを使いたかったから無理矢理動機を後づけしたのでは?」という疑問です。作中の描写を整理すると、ラブライブを10倍近い規模で開催したい大会側が、音ノ木坂の理事長であることりの母に協力を打診し、その内容が「海外でスクールアイドルを紹介したいというオファーがあるから、μ’sに出てほしい」というものです。さらに、彼女たちはライブ会場の提案という大仕事まで任されることになります。
確かに、上記のような展開が現実で全くないとはいえませんが、「μ’sが海外へ行くこと」があまりにもトントン拍子で決まっており、文字で説明する以上の違和感が拭えません。これらの点から、やはり「海外を舞台にする」という結論ありきの展開に縛られており、加えてその部分を隠しきれていないという点において、脚本の出来がいいとはいえないでしょう。
とはいえ、そもそも本作の脚本における「自然さ」という点に関して言うならば、上記でも触れたように一期の時点ですでに不自然です。にもかかわらずファンの支持を集め続けていることを考えると、そもそも緻密なストーリーが本作に求められていないことがよくわかりますし、それを欠点として指摘することに大きな意味はないのかもしれません。
さらに、物語の導入こそお世辞にもうまいとは言えないものの、肝心のライブシーンや「解散」に至る経緯などはしっかりと共感できる形で描写されており、上記の欠点は「気になる人は気になる」程度の違和感に収まっているのもまた事実です。
【考察】「アイドルマスター」に対する明確な決別の意味もあるのでは
本作におけるμ’sの動向を見ていると、筆者としては同じくアイドルアニメとして一世を風靡している「アイドルマスター」シリーズとの違いが明確に見えてくるように感じます。なお、あらかじめ誤解の内容に断っておくと、筆者はライトな「ラブライバー」であり、同時に「プロデューサー」でもあります。したがって、そもそも両作を比較すること自体が難しい問題ではありますが、どちらかの作品に対して一方的な肩入れはしません。
話を戻しまして、アイドルアニメとして非常に人気の両作品には多くの共通点があります。どちらもアイドルを題材にしていること、アニメやゲームなど多方面に展開されている作品であること、リアルライブが非常に盛り上がる作品であることなど…。それゆえに、心ないファンの間からは「ラブライブはアイマスのパクリだ」と言われている光景も見かけたことがあります。
ただし、本作におけるμ’sの動向は、そうした風潮に対する明確な答えを打ち出しているように感じました。「アイドルマスター」シリーズは、事実上の後進タイトルである「シンデレラガールズ」「ミリオンライブ」「シャイニーカラーズ」をリリースしている一方で、作品の始祖である「765プロ」の面々も併存する形で活動が進行しています。
この点は「ラブライブ」と大きく異なるところであり、実際にμ’sのメンバーは後進のAqoursが登場して以降事実上の活動休止状態になり、並行してシリーズが展開するということはありませんでした。この点だけを鑑みても、少なくとも「アイマス」シリーズの完全な後追い作品でないことはよく理解できるでしょう。
もっとも、この両者の決断については、どちらが正解というものでもないと思います。決断が分かれた理由は制作側のスタンスや市場分析の結果でしかなく、それが作品全体についての優劣を決定づけるものではないでしょう。一方のファンからすればどうしても白黒をはっきりさせたいという思いはあるでしょうが、個人的にはどちらも好きな作品なので「みんなちがって、みんないい」の精神で両作品を眺めています。
【考察】μ’sの「再始動」によって来年はシリーズの転換点となるか
本作が公開された翌年に開催されたファイナルライブをもって活動休止状態に入ったμs。しかし、メンバーは「解散ではない」という発言を繰り返しており、ファンも「いつかは再び活動を見ることができるのかも」と期待をもっていました。
そして、2019年5月30日の「シリーズ9周年発表会」において、告知された「ラブライブ!フェス」におけるμ’sの出演が正式に発表されました。これはユニットの再始動を意味するものと推測され、実に4年の時を経て彼女たちのライブが実現することになりそうです。
この4年間の間には、μ’sの後釜としてAqoursが完全に定着したという感覚があり、実際に同ユニットを主役に据えた『ラブライブ!サンシャイン!!』はアニメや劇場版だけでなくリアルライブでも好評を博しました。それゆえに、世代交代については順調に推移しているという見方もできるでしょう。
ただし、シリーズ全体のことを考えた時に懸念点がないわけではありません。確かにAqoursは先代に負けず劣らずな展開を見せているとは思いますが、一方でそれは「μ’sに勝っているわけではない」ということを意味しています。
やはり初代組が残したインパクトは鮮烈なものがあり、Aqoursに関しては良くも悪くも「堅実」だと思います。それゆえに、リアルライブを中心とした声優ユニットとしては高い人気を誇るものの、爆発的なヒットを記録するには至っていないというのが現実でしょう。
加えて、2017年にシリーズのゲーム「スクールアイドルフェスティバル」内で発表された「PERFECT Dream Project(通称PDP)」が事実上の「ラブライブ三代目」に相当するのではないかという憶測もあり、このプロジェクトを中心とした新ゲームが本年秋ごろにリリースされる予定であると明かされています。
2019年末から2020年までは「ラブライブ」にとっての転換期になることが予想でき、そこには当然ながらμ’sの復活も大きなファクターとして作用することでしょう。また、新作で新たなユニットが結成されることはすでに発表済みであり、μ’sとAqoursがハッキリした形で代替わりをしたのと同様の措置が取られるのか、はたまた「アイマス」のようにシリーズが並行していく措置が取られるのか、ライバーにとっては公式の情報から目が離せません。
もっとも、あくまで個人的な予想をするならば「各ユニットが並行して活動をしていく」という形が採用されるのではないかと踏んでいます。やはり「フェス」を開催するくらいであれば多くのユニットが必要ですし、声優ユニットとして安定した活動を見せているAqoursを手放すのは戦略上賢くはないと思うからです。
ただし、恐らく高確率で次の「ラブライブ」における映像作品はPDPの面々が中心として描かれるでしょう。μ’sおよびAqoursともにアニメでできることはやりつくした感がありますし、PDP普及のためにもアニメ化は必須になってくると思います。
(Written by とーじん)