映画『2001年宇宙の旅』はスタンリー・キューブリック監督によるSF作品です。人類の進化は宇宙のどこかにいる超越的な存在によってもたらされたものである……という一応のストーリー解説はできるものの、鑑賞後はそのような解説が何の意味も持たないことを知るはずです。
一義的な解釈を拒絶するかのような作りに対して、ある人は最大級の賞賛を、そしてある人は強烈な非難の感情を抱くことでしょう。
2001年を過ぎた今も、SF映画の金字塔として君臨する『2001年宇宙の旅』。今回はそんな本作の感想や解説を紹介します。なお、公開から既に半世紀以上が経過している本作ですが、一応ネタバレを含むので、鑑賞前に読む場合はご注意下さい。
目次
映画『2001年宇宙の旅』を観て学んだこと・感じたこと
・非常に難解、読むのではなく見て楽しむ
・鬼才スタンリー・キューブリックによる素晴らしい映像美
・こんな映画もあるのだと万人におすすめしたい作品
映画『2001年宇宙の旅』の作品情報
公開日 | 1968年4月11日 |
監督 | スタンリー・キューブリック |
脚本 | スタンリー・キューブリック アーサー・C・クラーク |
出演者 | デヴィッド・ボーマン船長(キア・デュリア) フランク・プール(ゲイリー・ロックウッド) ヘイウッド・R・フロイド博士(ウィリアム・シルベスター) HAL 9000(ダグラス・レイン) |
映画『2001年宇宙の旅』のあらすじ・内容
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人類が地球に出現するよりもはるか昔。ある猿の群れの前に、モノリスと呼ばれる黒い石版が出現します。まるで青天の霹靂であったかのように、モノリスに触れた猿は突然、道具を使用することに目覚めました。ヒトへの進化の第一歩が刻まれた瞬間です。
気の遠くなるような時間を経た未来、シャトルに乗ったヘイウッド博士は月面にあるクラビウス基地へ向かっていました。彼の目的は400万年ぶりに月面で発見されたモノリスの調査です。しかし、基地のスタッフが調査しようとした途端、モノリスから強力な信号が木星へと放たれます。
それから18カ月後、宇宙には木星探査へと向かう宇宙船ディスカバリー号の姿が。船の目的は木星探査です。しかし、その航海は船員たちを思いもよらないところへと誘っていきます。
映画『2001年宇宙の旅』のネタバレ感想
【解説】「読む」のではなく「観て」「聴いて」楽しむ作品
![【解説】「読む」のではなく「観て」「聴いて」楽しむ作品](https://filmest.jp/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
映画『2001年宇宙の旅』について説明するのは、非常に困難だといえるでしょう。最低限の説明のみで構成されたストーリーには具体的なナレーションがほとんどなく、ただ映像と音楽を中心に話の流れを追っていかなくてはなりません。しかも、物語の構成はシンプルである一方、キャラクターの性格や内面の描写もほとんどなければ、喜怒哀楽に直接訴えかけるようなわかりやすい展開が繰り広げられるわけでもありません。誰が見ても面白みのある物語や登場人物の心情の揺れを楽しむことは期待できないでしょう。
また、物語から明確なメッセージを掴むことが難しいのも本作の特徴のひとつです。『2001年宇宙の旅』は、モノリスという存在によって人間が進化したのだという事実を、ただの事実として描いているだけです。モノリスによって猿からヒトへ、さらにヒトそのものを超越した存在に進化するというストーリーから、ヒトではない高次の存在や、神の存在のようなものを感じ取ることはできるでしょう。
しかし、本作が伝えたかったものは何だったのかと聞かれると、答えに窮することになります。ある人は宇宙における未知の存在を示唆する作品なのだと語り、ある人はヒトが自分では進化できない矮小な存在であることを知らしめる作品だと語るでしょう。言葉による説明を極力排した内容は、観客にあらゆる解釈を行うことを容認し、そして求めてくるといえます。
映画そのものが発するメッセージを捉えるのが困難でありながら、観客にさまざまなメッセージや解釈を持つことを許容する作品の作り方は、きわめてキューブリック的であるといえるかもしれません。こうした性質は、1987年に公開された『フルメタル・ジャケット』でも見ることができます。
『フルメタル・ジャケット』では、ベトナム戦争へ志願する青年たちへの過酷なしごきと、地獄のような戦場の様子を描いています。しかし、戦争映画にありがちな反戦的なメッセージを作品から読み取ることは、おそらくできません。作品に映し出されるのは、リアルに表現された非日常と、そこから生まれる狂気です。そして、現実に起こっていた戦争の様子を飾るのは、まるで主戦も反戦もどちらも皮肉るかのような音楽なのです。
スタンリー・キューブリックの作品を、本を読むようにして解釈するのは無理があります。それよりは目の前に繰り広げられる映像を、そして響き渡る音楽を、ただ観て聴くことに集中したほうが良いでしょう。彼の超一流ともいえる映像へのこだわりは、それだけであらゆる解釈をもたらしてくれるといえます。
【解説】監督キューブリックが手がける圧倒的な映像美に酔いしれる
![【解説】監督キューブリックが手がける圧倒的な映像美に酔いしれる](https://filmest.jp/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
古いSF作品にはチープな作りがつきものであり、鑑賞時にはそれがネタになることも多いものです。しかし、映画『2001年宇宙の旅』は1968年に公開されたにも関わらず、本当に1960年代に撮影されたとは思えないような美しい映像でもって観客を魅了します。そこにはチープさが入る余裕は欠片もありません。
むしろ、CGをはじめとする映像技術を持たない時代に、どうすればここまで宇宙をリアルに表現できるのかと舌を巻くことでしょう。それもそのはず、本作の特殊撮影に関しては、後に『エイリアン』や『スーパーマン』での特撮を手がけるスタッフも参加しているなど、特殊撮影における当時のスペシャリストが集結。さらに、SFXを必要とするシーンは1年以上もかけて制作されているなど、非常に力の入った作品であることが伺えます。
公開から半世紀以上が経過しても宇宙の質感が色あせることはなく、むしろSF作品を見慣れた人でもリアルさを感じることでしょう。実際、本作が公開された1968年の末、アポロ8号が月の様子とともに撮影した地球の写真は、『2001年宇宙の旅』における地球の様子と酷似していたといわれています。本作における特撮技術がきわめて高かったことが伺えるエピソードのひとつです。
また、キューブリックの作品は、どのシーンも印象的で記憶に残りやすいのが特徴です。もともと写真家を目指していたキューブリックなだけあって、作中におけるシーンは写真のように美しい構図を持っているものが多数あります。登場人物の立ち位置はもちろん、椅子や机といったセットまで緻密に計算されたかのように配置されており、その人為的な構成に目を引きつけられずにはいられません。実際、物語のラストで再びモノリスが出現するシーンなどは、一時停止してみるとそのまま写真としていつまでも眺めていられるような美しさを持っています。
シーンの美しさを際立たせるものとして、一点透視図法を用いた画面構成が多いのも本作の特徴です。一点透視図法とは絵画などにおける遠近法のひとつであり、あらゆるモノの奥行きを延長していくと、ひとつの消失点に集まるようになっている手法です。一点透視図法を活用することによって、消失点を中心として空間に奥行きが生まれ、画面上で三次元的な表現が可能になります。
特に、キューブリックは一点透視図法における消失点を画面の中央に持ってくることが多いのが特徴です。そのため、画面構成は自然とシンメトリーな配置を見せます。宇宙船における無機質で左右対称な壁に囲まれた廊下を、消失点に向かって進んでいく人物の様子などは、観る人によってはある種の快感や、もしくは不安すら覚えることでしょう。どれだけのシーンにシンメトリーな構図があるかを考えながら見ていくのも、ひとつの楽しみ方だといえます。
【解説】きわめてリアルに近いSF設定
![【解説】きわめてリアルに近いSF設定](https://filmest.jp/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
『2001年宇宙の旅』における映像の美しさは、何も映像技術の妙によるものだけではありません。「神は細部に宿る」といわれるように、画面に映る細かいセットの数々にもリアルさが追求されており、どこを切り取ってもいつか訪れる未来の世界にしか見えない魅力を醸し出しているのです。
たとえば、本作には宇宙船内をぐるっと360度取り囲む廊下があり、そこで搭乗者がランニングしているシーンがあります。このシーンひとつで、宇宙空間における無重力の存在が確認できるとともに、運動不足になりがちな宇宙船内での生活を表現することに成功しています。もちろん、廊下は画面の中心にくるように撮影されており、ここでもシンメトリーな構図が印象的であるのは言うまでもありません。
また、作中に出てくる食事も液体状やペースト状のものが中心となっており、日常の食事とはかけ離れた宇宙食であることが一目でわかります。実際、映画で使用されている宇宙食は、当時NASAが映画のために開発し、提供したものです。そのリアルさはお墨付きであるといえるでしょう。宇宙船内のコンピューターの表現に関しても、世界的に有名なコンピューター関連企業であるIBMが協力しており、実際にあると思わせるようなデザインとなっています。
もちろん、こうした設定はキューブリックとともに『2001年宇宙の旅』を制作したSF作家、アーサー・C・クラークの協力やアイデアに依るところが大きいはずです。しかし、そのSF的なアイデアを映画に落とし込むことは容易ではありません。映画はフィクションであるからこそ、現実と見間違うばかりのリアルさが要求されます。
特に、SFはサイエンス・フィクションの名のとおり、フィクションでもって現実にあるかのような物語を構成するジャンルです。つまり、フィクションであることに気がついた瞬間、ジャンルが持つ強みを失ってしまうのがSFだといえるのです。
視聴者に対してフィクションであることを気づかせないためには、細部に至るまで視聴者を欺き、目の前のシーンが現実のものだと錯覚させる必要があるといえます。映像に関しては並々ならぬリアルさを追求するキューブリックです。少し手を抜いた途端にチープさが露呈するSF映画をジャンルとした本作。その細部にまでこだわりが貫かれているのは、彼の性格からすれば必然だったといえるでしょう。
【解説】SF映画としての美しさに花を添えるクラシック音楽
![【解説】SF映画としての美しさに花を添えるクラシック音楽](https://filmest.jp/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
『2001年宇宙の旅』に採用されている音楽は、そのほとんどがクラシックです。SF映画にクラシックが採用されているのは珍しいといえるでしょう。どの音楽も、一度は聴いたことがある名曲ばかりです。たとえば、宇宙船が月へ向かう場面ではヨハン・シュトラウス2世による円舞曲『美しく青きドナウ』が流れます。同曲はエンドクレジットやその後の退場曲にも使用されており、物語の解釈に頭を悩ます観客に対する優しい皮肉のようにも聞こえるかもしれません。
一方、本作のオープニングでは真っ暗な画面とともに、現代音楽家のひとりであったジョルジュ・リゲティの『アトモスフェール』が流れます。数分のあいだ続く真っ暗な画面とともに流れる不協和音混じりの音楽は、冒頭から観る人を不安な気持ちにさせることでしょう。リゲティの不安をあおるような音楽は、主にモノリスの登場やスターゲイトへの突入、ボーマン船長が辿り着いた不可解な白い部屋などで使用されています。まるで人類を超越した存在のイメージを表現しているかのようです。
こうした音楽はSF映画に似つかわしくないように感じられる一方で、一度聴けば宇宙というフィールドを表現するにあたって妙にマッチしているのがわかるでしょう。特に、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』は、本作のイメージが定着した楽曲のひとつだといえます。おそらく本作を観たことがない人でも、あのSF映画に流れていた音楽……と思うはずです。
実際、キューブリックは作品における選曲に関しても優れたセンスを発揮しています。たとえば、『フルメタル・ジャケット』では戦争映画であるにも関わらず、感動や悲惨さをあおるような楽曲は一切使われていません。アメリカ兵が帰還するシーンでは戦場に場違いなミッキーマウスマーチが流れ、戦争を美化したり、反戦を促したりすることをシニカルに打ちのめすような雰囲気を演出します。
また、エンディングではローリング・ストーンズの『Paint It, Black』が採用されており、観客の目の前に起こった現実を黒く塗りつぶしてなお、どのように感じたかを問うような空気を生み出すのです。一度聴くとどうしても作品のイメージと楽曲をつなぎ合わせてしまうことからも、彼の選曲におけるセンスの高さが伺えます。
【解説】HAL9000はAIを扱ったあらゆる作品の元ネタ
![【解説】HAL9000はAIを扱ったあらゆる作品の元ネタ](https://filmest.jp/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
『2001年宇宙の旅』の後半では、木星へ向かう宇宙船ディスカバリー号の様子が映し出されます。ディスカバリー号に乗船しているのは船長のボーマンと船員のプールのほかに、人口冬眠中の船員3名です。そして、6人目の乗船員として船に搭載された人工知能・HAL9000がいます。このHAL9000は、ある意味で本作におけるもっとも印象深い存在であるといえるでしょう。HAL9000はAIの反乱という、SF映画におけるお決まりの設定を構築しました。つまり、AIに対してある種の忌避感を覚える心情に影響を及ぼしたといえるのです。
作中ではHAL9000が絶対にミスをしない人工知能として船の管理を任されています。しかし、ヒューマンエラーのようなミスを犯したことがきっかけとなり、ボーマン船長やプールの不審を買った彼は、船から切り離されそうになります。これを未然に察知したHAL9000は、自分が消えることに不安を感じ取り、逆に乗組員を排除することを画策しました。その結果、彼はプールを事故に見せかけて殺害。さらには人口冬眠における生命維持装置に干渉して、3人の船員を殺してしまいます。たったひとり生き残ったボーマン船長はかろうじてHAL9000の管理室に乗り込み、これを停止させることに成功します。
自分さえ無事であれば木星探査という目的を遂行できるという考えを持ち、しかも自分が消されそうになるときには恐怖を訴えるなど、HAL9000の挙動は非常に人間くさいといえます。赤いランプはまるで乗船員を監視するかのように見えるため、彼の人間じみた様子も相まって不気味に感じられるでしょう。特に、ボーマン船長がHAL9000を停止させようとするシーンでは、消えることが怖いと彼にくりかえし訴えるとともに、次第にその声が重く低くなっていく様子が、生物としての死を連想させます。
本作以降、HAL9000のようにAIが人間に対して反乱を起こす作品は多数制作されており、それこそ数え上げるとキリがないでしょう。少しマニアックかつ、ゲーム好きにとって有名な作品として、『ファイナルファンタジー』シリーズで有名なスクウェアが1994年に発表したスーパーファミコン用ソフト『ライブ・ア・ライブ』があります。この作品では7つの異なる時代を舞台とした物語が展開され、そのひとつであるSF編に本作のオマージュが随所に見られます。
たとえば、船の通信アンテナが故障し、その修理に向かうクルーが原因不明の事故に遭って命を落とす展開は、プールが死亡したときの様子と酷似しているといえるでしょう。さらに、通信アンテナの故障は船の人工知能であるOD-10によって引き起こされたものであり、この人工知能はまるでHAL9000のように宇宙船の人間をすべて抹殺しようと画策するのです。今もトラウマになったゲームのひとつに挙げられることの多い本作のSF編は、明らかに『2001年宇宙の旅』が元ネタになっています。
また、2016年に公開された『月に囚われた男』では、月面基地でただひとり暮らす男サムの世話をする人工知能ガーティの存在が描かれています。基地に固定されているAIであり、サムに対して物語の真相を隠しているような様子が、HAL9000を彷彿とさせます。ただし、類似している部分が多いにもかかわらず、ガーティはある意味でHAL9000とは似ても似つかないAIとなっているので、比べてみるのも面白いでしょう。
なお、コンピューター関連における表現に協力したIBMは、本作の内容にAIの反乱が含まれていることを知るや否や、協力を撤回したといいます。また、HALという名前はIBMを1文字ずつずらしたというのも有名な噂のひとつです。このように、HAL9000の存在はある意味で『2001年宇宙の旅』をもっとも印象づける存在であるといえるでしょう。
【解説】結局モノリスとは?ラストシーンの意味は?難解なストーリーに賛否両論
![【解説】結局モノリスとは?ラストシーンの意味は?難解なストーリーに賛否両論](https://filmest.jp/wp-content/plugins/lazy-load/images/1x1.trans.gif)
本作の物語は、モノリスに触れた猿が道具を使うことを覚えるシーンから始まります。シーンが切り替わった先は未来の月面における調査員の様子が描かれており、400万年ぶりに発見されたモノリスが調査員に囲まれながら、木星に向かって強力な電波を照射。さらに18カ月後、宇宙船ディスカバリー号が木星探査に向かう途中でHAL9000の反乱に遭い、唯一生き残ったボーマンがこれを停止させることになります。
その後、ひとりで調査を行っていたボーマンは木星の衛星軌道上でモノリスに遭遇し、スターゲイトという次元の扉をくぐった先で、フランスの洋館じみた部屋へ入ることに。ボーマンは部屋の中で年老いていき、最終的に人類を超越した存在であるスターチャイルドに進化したところで、物語は幕を下ろします。
鑑賞後、おそらくこのようなストーリーの流れを説明はできても、本作そのものに対して理解不能な感想を抱くことでしょう。結局、モノリスの正体が作中で明らかになることはありません。最後に登場するスターチャイルドの存在についても説明が圧倒的に不足しているため、映画を観ただけではボーマンが進化した姿だと気がつくのは難しいものです。
確かに、人類は宇宙のどこかにいる超越的な存在によって進化させられたのだとして、本作のストーリーを理解することはできます。しかし、たったそれだけの表面的な理解を持つことに何の意味があるというのでしょうか。ナレーションや台詞、登場人物の心情やバックボーンすら徹底的に排除し、映像と音楽を中心として視覚と聴覚から訴えようとするキューブリックの手法は、観客に優しくありません。
だからこそ、本作は「読む」のではなく、「見て」理解することが求められます。多くの言葉はそれ自体が意味を持つものです。そのため、解説や台詞が入った途端に意味は一元的になり、観客の解釈を固定します。しかし、映画は言葉だけではなく、映像や音楽も駆使して作品を表現するメディアです。言葉を主体として説明することは、小説で表現することと大した違いはなく、むしろ映画で表現することの意味を失わせてしまうといえるのではないでしょうか。
キューブリックの作品、特に『2001年宇宙の旅』は、映画ならではの表現を過剰なまでに突き詰めた作品であるといえます。そのため、観る人によってさまざまな解釈が成り立ち、シンプルでありながら意味を掴みづらいストーリーは未だ賛否両論があります。
しかし、その前衛的かつ秀逸な表現から、SF映画だけではなく映画史上の傑作として、半世紀以上も評価されてきた作品であるのです。
もちろん、映画の本質はエンターテイメントであることから、必ずしも難解な構成を前もって深く考える必要はありません。真正面からこの映画を観て、ただ感じたことに思いを馳せてみるのが良いでしょう。むしろ、型通りの映画しか観たことがないというような人にこそ、こんな映画もあるのだとおすすめしたい作品です。
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