主演のクリスチャン・ベールはゴールデングローブ主演男優賞を受賞し、アカデミー賞では8部門にノミネートされ、メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞するなど、輝かしい成績を収めた映画「バイス」。
この映画はそんな輝かしい成績とは裏腹に、権力を取り巻くドス黒い人物像を炙り出しています。容赦のない批判的な風刺が盛り込まれながらも、観客である私たちにすら訴えかけるような視点は、コメディタッチながらも笑えない現実を浮き彫りにしています。
今回はそんな映画「バイス」のネタバレ解説や考察、個人的な感想をまとめていきます。
目次
映画「バイス」を観て学んだ事・感じた事
・ディック・チェイニーという史上最悪の副大統領の政治手腕
・権力が集中していく中で暗躍するチェイニーの恐ろしさ
・この映画を観た人に問いかける批評性
映画「バイス」の作品情報
公開日 | 2019年4月5日(日本) |
監督 | アダム・マッケイ |
脚本 | アダム・マッケイ |
出演者 | ディック・チェイニー(クリスチャン・ベール) リン・チェイニー(エイミー・アダムス) ドナルド・ラムズフェルド(スティーヴ・カレル) ジョージ・W・ブッシュ(サム・ロックウェル) ナレーター:ジェシー・プレモンス |
映画「バイス」のあらすじ・内容
ディック・チェイニーは名門大学に在籍しながらも酒癖が悪く、後に妻となる恋人のリンに叱責されたことをきっかけに政界の道に進んでいきます。
ラムズフェルトとの出会いをきっかけに政治手腕を磨いていき、大統領首席補佐官や国務長官を歴任するなど、充実のキャリアを築いていきます。
一旦は政界から離れ、民間企業のCEOを務めるのですが、ジョージ・ブッシュ政権で副大統領に就任します。大統領の権限を拡大させ、自らにも権力を集中させるチェイニーは、大統領よりも強大な権力を握っていきます。
2001年9月11日に同時多発テロ事件が発生し、チェイニーらによって操られたアメリカはイラク戦争へと進んでいきます。アメリカ全体を手中に収めた史上最悪の副大統領の半生を描いた作品です。
映画「バイス」のネタバレ感想
衝撃的な問題作でもある映画「バイス」。何より驚きなのが映画「バイス」に登場するディック・チェイニーが実在の人物であり、人物描写などに細かい違いはあるにしても、物語の中で起きることの全てが事実であるという点です。
ディック・チェイニーという人物がアメリカという世界一強大な国家を手中に収め、イラク戦争へと導いていく様は権力の恐ろしさを感じると同時に、それをなし得てしまう政治手腕に脱帽してしまいます。
そして、徹底的にディック・チェイニーという人物を批評的に描き、これまで知られてこなかったアメリカの負の部分を浮き彫りにしたという点でも、この映画の価値が伺えます。ここでは、映画「バイス」の感想を1つ1つの項目に分けて書いていきます。
【解説】笑えるけど笑えない社会派風刺映画
この映画の魅力的な点としては、ディック・チェイニーという人物を風刺的に描きながらも、全体的にはコメディのタッチを貫いているという点です。
例えば、チェイニーとリンがベットで会話をするシーン。本来であれば、こういった個人的な会話のシーンは取材でもしない限り描くことはできません。映画でも触れられていますが、ディック・チェイニーという人物は極端な秘密主義であったことも触れられているので、このような人物の心情を表現するようなシーンを描くのには無理が生じます。
そんな中で、この映画では「このような心理描写はやらなくてもいいよね?シェイクスピア映画でもあるまいし(笑)」と堂々と言ってのけてしまいます。
しかもその次に「でも、面白そうだからやってみよう!」と言って、チェイニーとリンが詩的なセリフで自らの心情を語り合うようなシーンを挿入してみせています。
他にも色々ありますが、アメリカの権力を手中に収めたブッシュ政権時代のチェイニーたちが法律の解釈を捻じ曲げながら好き勝手にやっていくシーンを、レストランでメニューを選ぶ光景になぞらえて表現しています。
このように映画「バイス」では、全体的に「これはコメディ映画である」という色をはっきりと表しています。しかし、だからこそこの映画が笑えない映画であることを表しています。
面白おかしく表現している一方で、映画の中で描かれていることは全て実際に起きたことでもあります。特に、同時多発テロ事件からイラク戦争に至る中では、多くの人が血を流しています。
そんな惨状の中でホワイトハウスでは、権力者たちが自分の思うままに権力を振りかざしているという現実を目の当たりにして、背筋が凍るような体験をしてしまいます。
映画「バイス」の監督アダム・マッケイは、「マネーショート 華麗なる大逆転」でも、金融業界の闇をコミカルに表現しながら、笑えない現実を突きつけてきました。このような「笑えるけど笑えない」作品というのが、アダム・マッケイ監督の真骨頂といえます。
そして、映画「バイス」のラストシーンでは、観ている私たちに笑えない現実が突きつけられてきます。実際に当時の出来事を体験したアメリカ人たちは、この映画をどう受け取ったのか聞いてみたくもなりました。
【解説】演じたキャスト陣のなりきりぶりが見事
この映画の見事な点としては、ディック・チェイニーを演じたクリスチャン・ベールをはじめとするキャスト陣のなりきり具合です。クリスチャン・ベールは、この役を演じるために18kgにも及ぶ増量に取り組んだともいわれています。
ブッシュ大統領を覗くと、おそらく日本だとあまり馴染みのない人物かもしれませんが、実物と比較しても、まったく遜色のないほどの出来栄えとなっています。ブッシュ大統領を演じたサム・ロックウェルもそっくりで、バカ息子さ加減も見事ですが、1つ1つの表情や醸し出している雰囲気までどれをとっても素晴らしいです。
こうしたキャスト陣の確かな実力が、この映画の魅力を最大限にまで引き上げていることは間違いありません。
主演のクリスチャン・ベールはゴールデングローブ賞主演男優賞、アカデミー賞では主演男優賞にノミネートされました。他にもサム・ロックウェルは助演男優賞、エイミー・アダムス助演女優賞にノミネートされています。
そして、メイクアップ&ヘアスタイリングを受賞を果たすなど、この映画におけるキャスト陣の評価の高さは、これらの賞に現れています。
【解説】ディック・チェイニーは普通の青年だった
物語はディック・チェイニーという人物の半生を中心に描かれています。冒頭では、青年時代のディック・チェイニーが登場します。
当時のチェイニーは、名門大学に在籍していながらも、酒癖の悪さから問題ばかりを起こし、大学から退学処分を受けています。そんな中、当時交際していたリンに叱責され、立ち直り、政界の道へ進んでいきます。
ここまでのチェイニーを見れば、ある程度の問題は抱えているものの、いたって普通の人間であることがわかります。特別な才能を持っていたわけでも、人間的な残虐性をもっていたわけでもありません。その辺にいるダメな人間ぐらいの人物でした。
しかし、そんな人物が政界へと進み、ラムズフェルドとの出会いなどから、政治の表と裏を吸収していきます。
政治家としてのキャリア築いていくチェイニーは、大統領首席補佐官や国防長官を歴任していきます。
ここまではしたたかにステップアップをしていく人物としてチェイニーは見えています。そして、娘がレズビアンであることが判明し、同性婚に反対する共和党だったチェイニーは板挟みの状態になってしまいます。
その中でチェイニーが下した決断は、娘のために政界を離れるというものでした。この映画の中で、唯一といっていい愛情を感じさせるシーンでもあります。
その後、チェイニーは後民間の石油会社のCEOを歴任し、家族と幸せに過ごします。ここで突飛な演出でもあるのですが、映画が一旦終わってエンドクレジットが流れ始めます。
時間的にまだ1時間ぐらいしか経っていないので、終わるはずはないのですが、エンドクレジットが流れていきます。まるでチェイニーは幸せに暮らしましたとさ…と言っているかのような演出です。
当然これは演出の一部であり、物語は次の展開に進んでいきます。アダム・マッケイらしい演出とでもいえます。もしくは「このまま終わっていれば良かったのに・・・」という批判を込めての演出だったのかもしれません。
確かに、ここまでの話は普通の青年が更生を果たし、政界とビジネス界の両方で成功をおさめるという流れでした。しかし、物語はここからえげつない方向へと進んでいきます。
【解説】ブッシュ大統領の副大統領に就任したチェイニー
この映画とアメリカが急展開を迎えるのはここからです。家族と静かに暮らしていたチェイニーに1本の電話が舞い込んできます。
電話の相手は次期大統領に立候補していたジョージ・ブッシュでした。要件は副大統領になってほしいというものでした。チェイニー自身副大統領を形だけの職務と捉えており、あまり乗り気ではありませんでしたが、いくつかの条件をブッシュに提示します。
それは「副大統領に大統領並みの権限をよこしてほしい」ということでした。これがうまくいけばチェイニーはあらゆる権力を手中におさめることができます。
それに対してブッシュは「いいね」と軽く同意します。アメリカでも大統領になるような器ではないという悪名高かったブッシュの人間性が非常に良く現れています。
副大統領に就任したチェイニーは、法律の解釈を拡大させる中で大統領の権限を肥大化させていき、自らに権力が集中するように操作していきます。
時には世論操作を行い、自らの政策が通りやすいような環境さえ整えていきます。それが全て表舞台になかなか現れない副大統領が中心となって行なっていたわけですから、国民はまるで気がつかなかったことでしょう。
そして、アメリカの歴史を揺るがした同時多発テロ事件が発生します。この時、ホワイトハウスにいなかったブッシュ大統領に変わって、執務を担当していたチェイニーは、自らの判断であらゆる決定をしていきます。
このシーンに全てが現れているともいえます。アメリカを完全に手中に収めることに成功しています。
このテロ事件からイラク戦争に発展していくのですが、このときもチェイニーが暗躍します。大量破壊兵器をイラクが保有しているという明確な証拠がないままに、軍事攻撃を始めるなどやりたい放題です。
それでも巧みな情報操作を駆使しながら、世論を誘導していきます。記憶にある人もいるかもしれませんが、当時のアメリカのブッシュ政権に対する支持はとてつもなく高く、今すぐにでもイラクに攻撃すべきという声がほとんどでした。
ホワイトハウスだけではなく、アメリカ全体を思うままに操作し、その中で多くの人が犠牲になっていきます。そんな中でも、チェイニーたちは自らの判断が法を犯しているかどうかを基準に政策を進めていきます。時には法の解釈を捻じ曲げて無理を通してもいきます。
それでも世論は味方についていたのですから、当時のアメリカ社会の異常さが伺えます。気がつかないうちに権力が一人の人物に集中し、思うままに操られていたという事実が如実に突きつけられます。
【考察】この映画は観客に向けた批判でもある
この映画の本題はディック・チェイニーという人物が権力を手中に収め、アメリカを無茶苦茶にした歴史が描かれています。しかも、イラク戦争のおかげでチェイニーがCEOを務めていた石油会社の株価が500%上昇するなどやりたい放題です。
普通の映画であれば、このような人物は非業の死を遂げるなど、勧善懲悪的な展開が見ている人にとってもスッキリする終わり方でもあるのですが、この映画はそんなオチで許してくれるほど甘くはありません。
チェイニーは心臓病を患っており、一時は生死をさまようほどの重体だったのですが、心臓の移植によって命を取り止めます。これは演出の一部でもあるのですが、現実のディック・チェイニーもまだまだ存命中です。
ここまでアメリカをめちゃくちゃにした人物にもかからわず、のうのうと生きているという、なんともモヤモヤする終演です。
そして、極め付けはラストのチェイニーが観客に語りかけるように話した言葉です。
「私は国民によって選ばれ、国に仕えてきただけだ」という言葉を残します。
さらには劇中でも度々登場したPR会社のシーンに戻り、被験者たちがこの映画を見た感想を述べ合います。その中には「リベラル臭がする」と批判するものもいれば、それに応戦する者もいます。
そして、そんな話には関心がなく「次のワイルドスピードが楽しみ」と能天気なことを言う人もいました。このシーンだけで現代社会を如実に表していると言ってもいいぐらいです。
権力が集中していることに何1つ疑いを持たない私たち自身が、ディック・チェイニーのような人物を生み出してしまっており、現在までのアメリカで起きた惨状はある意味私たちの自業自得だよねと痛烈に批判しているのです。
悪い権力者を批判する映画だと思って見ていたら、最終的に批判されていたのが私たち自身だったというインパクトのある終わり方をしています。
とことんまで救いようがなく、笑えない、病理に蝕まれている社会に置かれている私たちの姿を浮き彫りにした映画といえます。アダム・マッケイの全方位攻撃型の映画でした。
同時期に公開されている「記者たち」もおすすめ
日本で公開中の「バイス」ですが、この映画と合わせて「記者たち」という映画をみてみるといいでしょう。
この映画はイラク戦争に発展する要因となった、イラクの大量破壊兵器の存在に疑問を持った記者たちの姿を描いたドラマになっています。
同時期のアメリカを違った角度から描いた作品となっているので、「バイス」を見た人は、「記者たち」もあわせて見ることで、当時のアメリカ社会のどうしようもなさを感じることができます。
アダム・マッケイ監督のエッジの効いた風刺映画「バイス」。コメディタッチの軽快な演出と笑えない事実のギャップに目を奪われてしまうことでしょう。
この映画を作ったアダム・マッケイ自身も「権力を疑え」というメッセージを発していますが、その言葉の重要な意味がこの映画をみることで理解できます。