アカデミー賞6部門にノミネートされ、ゴールデングローブ賞脚本賞を受賞した「マイレージ、マイライフ」は、2009年公開のアメリが映画です。
ジャンルはコメディドラマとなりますが、人生においての普遍的なテーマを投げかけてくれる良作でもあります。ここでは「マイレージ、マイライフ」の感想や考察をラストのネタバレまで含んで書いていきたいと思います。
目次
映画『マイレージ、マイライフ』を観て学んだこと・感じたこと
・一人の男の価値観が変わっていく様が興味深い
・アナの小生意気な若造的演技が秀逸
・ストレートで普遍的なテーマをまっすぐ投げかけてくる気持ちのいい映画
映画「マイレージ、マイライフ」の作品情報
公開日 | 2009年 |
監督 | ジェイソン・ライトマン |
脚本 | ジェイソン・ライトマン シェルドン・ターナー |
出演者 | ライアン・ビンガム(ジョージ・クルーニー) ナタリー・キーナー(アナ・ケンドリック) アレックス・ゴーラン(ヴェラ・ファーミガ) |
映画「マイレージ、マイライフ」のあらすじ・内容
人事コンサルティング会社で働くライアンは、出張で年間数万マイルを飛び、各地で企業の解雇通達を代行する仕事をしています。
彼にとって航空会社のステータスは何より重要で、マイルのたまらない金は使わないと豪語するほど。彼は家族も恋人も持たない身軽な暮らしをポリシーとしています。
そして、同じような価値観を持つアレックスに出会い、ワンナイトの恋を繰り返して楽しんでいましたが、そこへデキる新入社員のナタリーがやってきて、経費削減のため出張する必要のないネット解雇通達制度を導入しようとします…。
映画「マイレージ、マイライフ」のネタバレ感想
「マイレージ、マイライフ」はコメディ・ドラマに分類される作品ではありますが、その実、見進めるうちに登場人物の心境の変化や、人生に対する哲学的な問いかけなど、なかなか深みのある興味深い作品でした。
ここからは「マイレージ、マイライフ」の解説・考察を最後のネタバレを含めて書いていきたいと思います。作品を見進めるうちに主人公ライアンの心理的な変化を感じ取っていただきたい作品なので、一度映画をご覧になってからお読みになることをおすすめします。
生きるために必要なものはすべて持っているライアン。でも滑稽に見えるのはなぜ?
大不況下のアメリカで「リストラ宣告人」としてアメリカ全土を飛び回るライアンの私生活はとっても充実しているように見えます。ライアンは仕事の傍ら「バックパックの中味は?」という講演活動も行い、面倒な人間関係や家族、家さえも持たない身軽な暮らしがいかに素晴らしいかという講演会まで開催し、しかも毎回満員の大盛況。人生のしがらみをバックパックに詰まった荷物になぞらえて、重たい荷物を引きずって歩く生き方はナンセンスであるという熱弁をふるっています。
現にライアンの私生活はとても充実したスマートなものにも思えます。手際よく必要最低限の荷物をキャリーケースに詰め込んで、年間322日も出張で各地を飛び回り、航空会社のマイルはもうじきレジェンド並みの1000万マイルを達成できる勢いです。アメリカン航空の上級会員の会員特典を思うがままに享受し、エグゼクティブな暮らしぶりを心から気に入っている様子です。
そんな折、似たような境遇で各地を飛び回る女性アレックスに出会って意気投合し、気楽なワンナイトラブを楽しむライアン。出張の合間の都合の合う時だけを条件に再会を約束します。
映画を観る人のほとんどは、私を含め「バックパックに背負いきれない荷物をしょっている人々」ですから、ライアンの生き方に多少なりとも憧れる人もいるのではないでしょうか。自分の重荷(家族や友人、仕事などを含めた生活のしがらみ)を改めて感じて、できることならライアンのように暮らしてみたいと思う人もいるかと思います。
なぜならライアンは、その根無し草的生活でも必要なものはすべて持っているように思えるんですよね。いつも清潔な環境で眠れるホテル、出張費で賄える豪華な食事、上級会員ならではの厚待遇で十分満たせる虚栄心、時間のある時だけ遊べる気楽な女性、あとは最低限の衣服だけあれば十分生きていけます。状況を聞いた限りではうらやましいといえる生活です。
しかし、この映画はコメディ映画ですから、恐らく前半部分では「滑稽さ」を感じさせることを意図しているのでしょう。しがらみの中にも幸せを感じ人生を謳歌している人にとってはライアンの生き方に「滑稽さ」を感じ、人生を不自由で退屈なものと感じている人にとっては多少なりとも「憧れ」のような感情を持たせるのではないでしょうか。
実際には、私はライアンとアレックスの会話や関係に「滑稽さ」しか感じませんでした。自分とかけ離れた2人の境遇も理由の一つですし、価値観の違いも理由でしょう。2人が貯まったマイルの話をするシーンや、航空会社の上級会員カードの自慢話をしているシーンも、正直「この会話のどこがおもしろいんだ?」という感じ。全く心に触れない上っ面の言葉を並べただけの薄っぺらい会話なのです。
この会話でお互い満足しているのだとすれば、バックパックに何も詰めない生活って、すべてが偽物の「張りぼて」って感じで、まるで観客のいない舞台のセットで自己満足の演技をしているような、そんな印象を持ちました。
映画前半の「滑稽さ」は、コメディ俳優が空の客席に向かって大げさな演技をして悦に入っている、そんな滑稽さと共通するものがあるのではないかと思います。
ライアンとナタリーの価値観は正反対なのが見所。キャストの凸凹コンビも◎!
そんな忙しい毎日を送るライアンですが、ある日、ライアンの気ままな生活を揺るがすような出来事が起こります。新人社員のナタリーが考案した経費削減の秘策、ネットで解雇システムにより社員の出張が無くなり、画面上で各リストラ対象者に解雇通達を行う新システムが導入されることになったのです。
猛反対するライアンに、すまし顔でネット解雇は経費削減の秘策であると語るナタリー。おりしもアメリカは空前の不況下でライアンの人事コンサル会社も例外ではありません。高すぎる燃料費なども会社の財政を圧迫しています。
結局、ライアンの主張に折れた上司は、しばらくライアンの出張にナタリーを同行させる「研修」という形で様子を見ることにします。
このナタリーは非常に若く、仕事に対して合理主義です。定型文で解雇を言い渡し、パンフレットをわたし、対象者との問答手順をフローチャートにして誰でも画面上で解雇が行えるようにシステム化することを提案しています。また、小生意気で自分は頭がいいと思い込んでいるやり手の新人役にアナ・ケンドリックがぴったりはまっています。身長の小さいアナが一生懸命虚勢を張っている様子がほほえましいとすら感じられますね。
こんな生意気で合理主義に見えるナタリーですが、私生活では大学を首席で卒業したにもかかわらず、恋人を追ってサンフランシスコの就職を蹴り、オマハの人事コンサル会社に就職。社会的ステイタスがあり、良いルックスを持つ男性との結婚を夢見る女の子です。絵にかいたような幸せを何の根拠もなく信じているような、若さゆえの浅はかさも持っています。
一方ライアンは、非常に合理的な私生活とは反対に、対象者に画面上で解雇通告することを良しとしません。「解雇者の苦痛を和らげ、傷付いた魂を希望が見えるところまで船で運んでやる」事を第一としているからこそ、画一的な解雇手順に反対しているのです。身長180㎝と、決して特別大柄ではないジョージ・クルーニーですが、悠々と構えた堂々たる身のこなしはアナと好対照にもなっています。
仕事と私生活、この2つの事柄に対してそれぞれ全く正反対である2人が「リストラ宣告人」としての業務を通して、また「人との出会い」を通してどう変わっていくのか、という点がこの映画の一番の観どころではないでしょうか。
【考察】大人の女性アレックスが本心を見せるのは1シーンのみ
ライアンが恋に落ちる女性アレックスは、美人で愛嬌があり色っぽさを兼ね備えた完璧な女性です。割り切った関係を続けられるドライな部分もライアンには好ましく感じられます。
しかし、ライアンはアレックスの中に何かを感じ、だんだん本気で惹かれていく様子が見てとれます。ライアンの妹の結婚式というベタな家族行事に2人一緒に参加したことも無関係ではないでしょう。自分の母校を訪ねて昔の思い出を語るあたり、ライアンはアレックスに相当気を許しちゃってる感じです。
そんなアレックスもまんざらではない様子をしきりに見せています。この辺りまでは2人の恋愛は順調に見えますし、アレックスもライアンの親族に対して優しく感じのいい大人の対応で「ライアンもとうとう年貢の納め時か!」と誰もが思うほどです。
しかもアレックスは、その前のシーンで、就職を蹴ってまで追いかけた彼にあっさりメールで振られたナタリーに対して恋愛観を語り「子供と遊ぶ体力のある人がいい」と言っています。恐らくライアンはこのセリフによって「アレックスは結婚願望を持つ女性である」と刷り込まれちゃうんですよね。
ところが、このアレックスがまたとんでもなく徹底したドライな女なわけですね。終盤近くライアンが住所を頼りにアレックスの家を訪ねると既婚者でおまけに子持ちであることが判明して失意の底に落とされます。まあ、「どん底」ってわけではなさそうですけど。ライアンにすればようやくはじめた本気の恋愛の手習いのようなもんだったでしょうから。
とにかく、がっくり落ち込むライアンにアレックスは電話でこう言います。
「困るのよ、あれが私の本物の人生なの」
「お互い合意のはずよ」
「割り切った関係よ。あなたは逃避の相手、息抜きなの」
そして極めつけはこのセリフです。
「私は大人の女よ・・・。だから・・。また会いたかったら電話して。」
これは完全にノックアウトですね。家族に紹介までしたのにそりゃないよって感じでしょう。ライアンが一番聞きたくなかったセリフですよね。しかし、あの感じのいい大人の女性からでてくる言葉とは信じられないんですよ。息抜きだからこそ、いくらでも感じのいい女性を演じられたということでしょうか。心は痛まなかったんですかね。
でも、このアレックスの心が一瞬だけぐらりと揺れたシーンがありました。ライアンの妹の結婚式に参列した後、空港まで見送ったライアンに「また会える?」とアレックスが聞きます。新システム導入で出張がなくなってしまったライアンにアレックスは「変わらないでよ。」と念を押します。するとライアンは「変わらないよ、家は一つ。」と何の気なしに言うのですが、その時のアレックスの瞳は一瞬揺れるんですね。まるでショックなことを耳にしたみたいに。すぐにまた笑顔に戻って明るく去りますが、彼女の心の内が垣間見えるのは、このたった1シーンだけです。
この時彼女は何を思ったのでしょう。推察ですが、この時アレックスが思ったのは、彼女の本物の人生にいる家族のことでしょうね。どんなに楽しくても息抜きは息抜きであり、そこに本物の愛はなく所詮むなしいものです。どんなに演じてもアレックスの帰る家は1つで、不意なライアンの言葉で急に現実に引き戻された瞬間だったのだと思います。
【考察】2人の女性との出会いを通して価値観が変わった男、ライアンの変化が見て取れるシーン3つ
合理的で身軽に生きていくことこそ最上と思っていたライアンは、ある日「バックパックの中身は?」の講演の最中に突然壇上を降り、自分のポリシーを捨ててアレックスの家へと向かいます。ライアンの心境をここまで変化させたのはどんな出来事だったんでしょう。
最初は恐らく妹の結婚にまつわるエピソードです。妹と新郎のチープなパネルを入れた風景写真を各地で撮影するよう姉のカーラに頼まれていたライアンは、家族の義務としてこの俗物的な依頼をしぶしぶ遂行していきます。しかし、各地で撮影した写真を持参して妹の結婚式に参加した際、2人の写真が貼り切れないほどたくさんあり、大勢の人が撮影してくれていたことを知ったライアンは一瞬面食らったような表情を見せます。
きっとライアンは、妹夫婦が大勢の人に慕われて、たくさんの人々とつながって生きているということを目の当たりにしたのでしょう。そしてそのことがあまりにも大きな力を生むことに圧倒された風に見えます。同時に自分の生き方が初めてちっぽけなものなのかもしれないという疑念の「芽」が生まれたのかもしれません。
2つ目は、結婚式当日になって急に不安になった新郎のジムを説得するシーン。「子供ができて巣立って、僕は太ってハゲてやがて死ぬ。こんな人生に何の意味が?」というジムに「確かに無意味だ」と同意しつつも、何とか説得せねばと思い口をついて出たセリフです。「君の人生で幸せだった時、一人だったか?」「夕べ一人のベッドで結婚に不安を感じた時、寂しかったか?誰かにいてほしい、副機長にね」何か言わなきゃ!と思って考え付いたセリフなのでしょうが、自分の放った言葉に自分がやられちゃったように感じます。
この時、視聴者も考えますよね。幸せを感じた瞬間はいつも誰かと一緒だったなと。ここは映画のテーマを端的にあらわしたような、言いたいことが凝縮されているセリフだと思います。
3つ目はセリフではなく状況ですが、その後の結婚パーティで妹夫婦、家族、友人達に囲まれて過ごす幸せな時間。そこにはライアンが今まで避けてきた家族のうっとおしくもあたたかい愛情に満ちた空間があり、その場にアレックスとともにいるという事。認めたくはなかった絆やつながりといったものが、殻に閉じこもった(ように見える)ライアンの心にじわじわしみてくる様子が見て取れます。
この3つのシーンに加え、会社の新体制による出張の廃止、そして自身の加齢もあったでしょう。また、ナタリーに「誰かと生きる将来をなぜ考えずにいられるの?」とまっすぐ直球な質問をぶつけられたことも、ライアンの価値観を徐々に変えた原因なのかもしれません。
ラストシーンはセリフなし。たたずまいと表情だけで観客を納得させる演技
私自身、最近は難しいテーマだったり、予想を裏切る意外なストーリーだったりという映画ばかり見てきたので「人生において大切なものは?」と直球を投げかけるこの「マイレージ、マイライフ」を新鮮な気持ちで楽しめました。
「マイレージ、マイライフ」の主なエピソードはライアンの仕事であるリストラ業務に関するものと、ライアンの恋愛や妹の結婚式にまつわるエピソードなど私生活に関するものとの2本柱になっていますが、ラストで2つのエピソードが交錯するようにリストラされた人たちのインタビューが流れます。
リストラされた人たちは口々に言います。「家族や友人の支えなしでは乗り越えられなかった」「朝起きて妻の顔を見ると意欲がわく」「私を本当に温めてくれたのは、暖房や毛布ではなく主人の腕よ」と。
このシーンの後、ナタリーが辞職したことでふたたび出張生活に戻ったライアンが、空港の案内板の前でキャリーケースを持ってたたずんでいるシーンになり、このシーンには一言のセリフもありません。
ですが、ライアンの表情はとても不安げで心細く見えます。大きな案内板の前にたたずむライアンは、まるで大海を漂う木の葉のように頼りな気です。そして、握っていたキャリーバッグを不意に手放すライアン。その動作だけで観ているものにはライアンの心の動きが手にとるようにわかるのです。
「マイレージ、マイライフ」は、人生において大切なものは?という普遍的ともいえる問いを、改めて私たちに投げかけてくれる良作でした。