映画「トイ・ストーリー4」はディズニーのピクサーが手がける人気アニメの4作目です。
今作では「トイ・ストーリー」の1,2作目に登場した陶器製の人形「ポー・ピープ」が再登場します。最後に登場したのが1999年に公開された「トイ・ストーリー2」なので、20年ぶりの再登場となります。
映画ではポーがいなくなった理由もしっかりと明かされ、結末は同シリーズを全て見てきた人にとっては感動すること間違いなしの衝撃的なものでした。今回は映画「トイ・ストーリー4」のネタバレ感想や解説、考察を書いていきます。
目次
映画「トイ・ストーリー4」を観て学んだこと・感じたこと
・おもちゃにもそれぞれ思い出や人生がある
・自分がどうしたいか?何をしたいのか?「内なる声」を聞くことの大切さ
・シリーズを観ている人はきっと涙する
映画「トイ・ストーリー4」の作品情報
公開日 | 2019年7月12日(日本) |
監督 | ジョシュ・クーリー |
脚本 | ステファニー・フォルサム アンドリュー・スタントン |
出演者 | ウッディ(唐沢寿明) バズ・ライトイヤー(所ジョージ) ボー・ピープ(戸田恵子) フォーキー(竜星涼) ギャビー・ギャビー (新木優子) デューク・カブーン (森川智之) |
映画「トイ・ストーリー4」のあらすじ・内容

アンディからボニーの元へと渡ったウッディたちでしたが、ウッディは遊ばれる頻度が少なくなってしまい、悲しさを覚えていました。
その頃、ボニーは幼稚園に通うこととなり、内気な彼女は幼稚園に行きたくないと泣き出します。ボニーのことが心配になったウッディは見届けるため、ボニーのリュックに入り込みます。
そして、幼稚園での工作の時間にボニーはプラスチックのスプーンにアイスの棒、モールを使っておもちゃ「フォーキー」を作ります。ボニーは自分で作ったフォーキーを気に入っていましたが、フォーキーは自分はおもちゃではなく「ゴミ」であると思い込み、ボニーの元から離れようとします。
ウッディはフォーキーを助ける中で、過去に共に暮らしていたボーや他のおもちゃと会うことになります…。
映画「トイ・ストーリー4」のネタバレ感想
トイ・ストーリー4のヒロインはボー・ピープ!いなくなった理由も判明

1,2作目に登場していたボー・ピープは電気スタンドに付属する陶器製のおもちゃで、ドレス姿に杖を持つおもちゃでした。いつもそばにはビリー・ゴート・グラフという羊と共に一緒にいましたね。
今作ではそんなボーがたくましい姿に雰囲気を変えて再登場します。筆者は「トイ・ストーリー3」を観た時に、「そういえばドレスを来たおもちゃ出てないんだな…。」なんて思っていましたが、今作で登場するとは驚きです!4作目に登場させるために3作目には出さなかったのかは分かりませんが、ボーがいなくなってしまった理由についても映画の冒頭で明かされています。
簡単に説明すると、9年前にアンディが手放す荷物の中にボーも一緒に入れられてしまい、ウッディたちと突然の別れとなってしまいます。ボーと恋仲にあったウッディは自分もその荷物にまぎれこもうとしますが、ウッディを探すアンディの声を聞き、ウッディはアンディの元に残ることを決意します。そして、ボーと離れ離れになってしまいます。
映画の冒頭から泣けてくる展開ですが、お気に入りのおもちゃとそうでないおもちゃの別れというのは当たり前の様にあることですし、お気に入りのおもちゃもいつかは手放されてしまいます。おもちゃの悲しい現実が描かれたシーンでもありました。
そして、フォーキーを探すウッディは偶然ボーと再会します。ボーは当時のドレスは脱ぎ捨てていて、現在は持ち主がいない状態でした。しかし、持ち主がいなくても「自分の目で世界を見ることができる」と楽しそうにたくましく生活していて、持ち主のいないおもちゃたちと自由に生きていました。
今作は「ウッディとボーの物語」と言っても過言ではない描かれ方をしているので、今作を観てボーの人形が欲しくなる人が増えそうですね。
フォーキーのキャラ、ゴミの精神が良い!そして声優のレベルが高い

フォーキーはプラスチックの先割れスプーンやモールで簡単に作られていて、フォーキーは「自分はおもちゃではなくゴミ」だと言い張ります。そして、目を離すとすぐにゴミ箱に入ろうとするので、ウッディはそれを阻止しなければなりません。
実際問題、子供の工作でフォーキーのようなおもちゃが作られることはよくあることだと思いますが、工作で作られたおもちゃがいつまでも家に置かれることはあまり無いですよね。おもちゃであれば遊ばなくなれば誰かに譲られたり、家のどこかにしまわれると思うのですが、フォーキーのようなおもちゃを誰かに譲ることはあまりないので、フォーキーの言う「僕はゴミだ」という言葉はあながち間違っていないんですよね。
何が何でもゴミ箱に入ろうとするフォーキーと、絶対に阻止するウッディのやりとりはコミカルで面白いシーンでした。そして、ウッディとフォーキーは次第に仲良くなり、ボニーがどれだけフォーキーを愛しているか、フォーキーがいなくなるとどれだけボニーが悲しむかを説き、フォーキーはゴミからおもちゃになることを決意します。
ちなみに、フォーキーの声を担当したのはドラマ「アンナチュラル」「ひよっこ2」などに出演した竜星涼です。これが吹き替え初挑戦となるそうですが、個人的にはめちゃくちゃ上手だなと感じました。
映画の吹き替えに声優ではなく芸能人を起用することはよくあり、中には聞き取りづらくて下手な方もよくいますが、フォーキーのキャラと声がかなり合っていて、初めは声優の人がやっているんだろうなと思うほどです。
言ってしまえばウッディの声も唐沢寿明、バズの声も所ジョージであり、「吹き替えの芸能人起用」を一まとまりにして批判してしまうのも良くないなと感じました。ウッディとバズの声も2人でないとダメですもんね。
さらに言ってしまうと、今作に登場するぬいぐるみのダッキーとバニーもお笑い芸人のチョコレートプラネットの2人が声を演じています。ダッキーとバニーはちょい役などではなく、そこそこセリフの量もありましたが違和感を感じることはありませんでした。
ディズニー映画はわりと声優に芸能人の方を起用することが多く、実写版「アラジン」でも中村倫也が起用されて話題になりましたし、「アナと雪の女王」ではオラフ役にピエール瀧も起用しています。なので、ディズニーのオーディションの仕方だったり、キャラと声のマッチする人を選ぶ人達が優秀なんでしょうね。
【解説】今作で描かれるのはおもちゃの人生(生き方)

「トイ・ストーリー4」ではおもちゃたちの「人生」を描いているように感じられました。おもちゃなので「人生」という言葉ではなく「生き方」という言葉の方が適切かもしれません。
今作のキャッチコピーは「あなたはまだ─本当の「トイ・ストーリー」を知らない。」というものです。これはてっきりウッディやバズ、ジェシーなど主人公とその仲間たちのことを指しているのかとも思いましたが、これは「おもちゃ全体」のことを指しているのだと筆者は受け取りました。
ウッディにはアンディという最高の家族がいましたが、アンディが成長するにつれて遊ぶ頻度も減り、前作ではボニーの元へと渡ります。そして、ボニーの元でウッディは「お気に入りのおもちゃ」として遊ばれることはなくなります。
この辛い状況に陥ってしまうのは何もウッディだけでなく、ほとんどのおもちゃがいずれ訪れてしまう未来でもあります。今作はウッディやバズ、その仲間たちをメインに描くというよりは、「おもちゃ」という全体のストーリーを描いたのかなと理解しました。
今までのトイ・ストーリーでは、仲間の危機に一丸となって立ち向かうドタバタ展開が多かったのですが、今作では過去のシリーズにも登場していたジェシーやブルズアイ、レックス、スリンキー、ハム、ミスター・ポテヘッドなどの出番がとても少なかったので、4作目では仲間内で助け合うドタバタ劇を超えたものを描きたかったのかもしれません。
そして、おもちゃ達の抱えているものはそれぞれ違い、それぞれに思い出やドラマがあります。
アンティークショップで暮らすギャビー・ギャビーを初めに観たときは、今作の敵キャラなのだろうと思いましたが、ギャビー・ギャビーは今まで子供に愛されたことがありませんでした。ウッディと同じように背中の紐を引っ張ることで言葉を発するおもちゃですが、故障しているため言葉を発することができません。
そんなギャビー・ギャビーは故障さえなくなれば子供に愛してもらえると思い、ウッディのボイスボックスを奪い取ろうとします。最終的にはギャビー・ギャビーの愛されたいという想いを知り、ウッディは自らボイスボックスを手渡します。
声を発することができるようになったギャビー・ギャビーは、アンティークショップオーナーの孫娘・ハーモニーに持って帰ってもらおうとアクションを起こしますが、結局「いらない」と言われ、置いていかれてしまいます。子供によって可愛い・カッコいいと思われるおもちゃはそれぞれ違うのは当然ですが、なんとも悲しくて酷なシーンでしたね。
しかし、ギャビー・ギャビーはウッディたちと共に逃げる途中で迷子の子供を見かけ、再びアクションを起こします。そして、連れ帰ってもらうことに成功します。一度「いらないと」言われてしまった彼女を思うと、もう一度アクションを起こすことは不安なことでしたが、自分が本当にしたいことは「子供に愛されること」でした。彼女は「内なる声」を聞き、勇気を振り絞って行動したのです。
他にも、カナダのスタントマン人形であるデューク・カブーンも、持ち主の子供に飽きられてしまった過去を持ちます。飽きられてしまったことがトラウマとなり、自分に自信を持てないでいました。
そんな彼も最終的には過去のトラウマを打ち破り、自分はできるんだという自信を取り戻していきます。ウッディやバスといった主要キャラをメインに描くだけでなく、今作では他のおもちゃ達の心の内は濃く描かれていて、過去の作品とはまた違った展開でした。
ちなみに、デューク・カブーンの原語版の声を演じているのは「マトリックス」「ジョン・ウィック」などで知られるキアヌ・リーブスです。
【結末】「内なる声」を聞いてバズたちとの別れを選択したウッディ

ボーとの再会によって広い世界があることを知ったウッディ。今までは「子供を幸せにする」だけのために生きてきました。もちろん、それはおもちゃとして素晴らしいことであり、おもちゃの役目でもありますが、ウッディはその役目を今まで十分に全うしてきました。アンディの成長を見届け、アンディを幸せにしてきましたからね。
そして、物語のラストでウッディは「本当は何がしたいのか?どうしたいのか?」という内なる声を聞いてバズたちの元を離れ、ボーたちと一緒に外の世界で暮らすことを選択します。このシーンがめちゃくちゃ感動するんです…。ウッディとバズは1作目から行動を共にしてきた相棒であり、仲間のピンチの時も力を合わせて助け合ってきました。そんな二人が離れ離れになってしまうことは、今まで考えたこともありませんでした。
外の世界で暮らすことを決めたウッディに対し、バズは引き止めず、その選択を非難することもせず、ただただ受け入れます。もちろん、バズもウッディとの別れに寂しさも感じていると思いますが、ウッディが決めた生き方に対して何も言うことはしません。ただ一つ「ボニーは大丈夫だ」という優しい言葉をかけます。これが真の相棒ってやつなのですね。
そして、ウッディは長年共に暮らしてきたおもちゃ達と最後の別れをし、そこでジェシーに保安官のバッジを渡します。まるで人々の安全を守る保安官という仕事の終わりを迎えたような、役目を終えて引退したかのような感慨深いものがありました。
「仲間達の別れ」というのは悲しいものではありますが、ウッディが自ら考えて見つけた生き方であり、自分で選んだものなので間違いでは無いのでしょう。心の底から感動できるラストでした。
【考察】過去最高に感動。伝えたかった事は何なのかを考える

トイ・ストーリーを4作観てきて、今作は個人的に一番心に響いた作品でした。
しかし、結局一番伝えたかったことは何なのかを考えると、中々一つに絞れないというか難しいんですよね。「おもちゃそれぞれの人生について」「ウッディの生き方・選択」「恋人か友達か」など色々なことが描かれていましたが、筆者が思うのは「心に思うものを追い求めること」だと解釈しました。
度々「内なる声」というセリフが登場しますが、「自分が本当にどうしたいのか」という心の声に従い、全てを投げ打ってでもそれを追い求めることが大切だと思うのです。
ウッディにとって新しい世界に飛び込む事は楽しみであり、期待できることではあるのですが、新しい世界に飛び込むことは同時に仲間達と離れてしまうことでもあり、悲しいことでもあります。しかし、ウッディの幸せや本当にしたい事は外の世界にあったのです。
内なる声に従うことで不安で怖いこともあるが、一歩踏み出すことの大切さや勇気を伝えたかったのだと感じました。これは「シュガーラッシュ:オンライン」と似た展開でしたね。「友達か自分のしたいことか」という展開は切ないものがあります…。
賛否両論あるのも理解できるが、否定派は過去の思い出にすがっている印象

「トイ・ストーリー3」では綺麗な終わりを迎えたということもあり、今作の感想を見てみると賛否両論あります。
映画を見て「面白い」「つまらない」と人によって真逆の評価がなされるのは映画の良さであり、これは当たり前のことではあるのですが、否定派の中には「コアなファンは今作を認めない。今作を賞賛しているのはライトユーザー」的な感想もありました。
『映画の賛否』自体はあって当然ですが、「賞賛しているのはライトユーザー」というのは映画の賛否ではなく、今作を好きだと言っている「人」への批判になるので、同じ様に「コアなファンは今作を認めない。今作を賞賛しているのはライトユーザー」と言ってしまう「人」に向けて、感じた事をあえて書いていこうと思います。
こういった「賞賛をしている人は大したファンではない」という上から目線の批評をしている人こそ、大したファンではないのだろうなと思うのと同時に、こういった批評をしている方の多くは「過去の思い出にすがっているだけ」にも感じました。
過去作では子供(人間)の見えないところでおもちゃの危機やドタバタ劇を描いていて、おもちゃには持ち主がいるという設定でした。しかし、現実を見ても分かる通り子供が成長するにつれ、おもちゃで遊ばれる頻度は少なくなっていきます。
今作ではそういった「おもちゃの現実」がリアルに描かれています。ウッディも子供を幸せにすることがおもちゃの使命だと思ってはいますが、逆に人間は大人になってもおもちゃを愛することはしません。そんな時に「おもちゃの幸せはどこにあるの?」ということが今作で描かれ、自分のしたいように生きる決断をウッディはしたわけです。
しかし、先ほど紹介したような否定派の方はウッディのこの決断を認める事はしません。「おもちゃは子供をいつまでも幸せにするべき」という固定観念のもと、「おもちゃはこうあるべき」という枠にはめてしまっています。
そして、大人になるとおもちゃで遊ぶ事はしなくなり、捨ててしまうのです。「おもちゃはこうあるべき」というのであれば、逆に人間も責任を持って最後までおもちゃと共にあるべきなのですが、結局は手放してしまうのです。完全に人間のエゴですよね。おもちゃに多くを求めすぎです。
ここからは完全に憶測の塊のような文章になってしまうのですが、今作のストーリーを完全否定している方は「未来」よりも「過去」にとらわれてしまい、「○○はこうあるべき」という想いが強い人なんだろうなと推測してしまいました。
「秒速5センチメートル」の主人公の様に、過去に好きだった人を一生忘れることができない性格の持ち主であり、過去を思い出しては「はぁ…」とため息を漏らし、幸せとは結婚をして子供を持ち、マイホームを買って定年まで勤めあげ、あとは老後を楽しむという、昭和の頃の幸せの価値観を疑わずに持っている人なんだろうなと。
もちろん、上記のことが幸せではないというわけではなく、幸せの一つであることは理解していますが、この「一般的な生き方」から道を外した途端、「普通じゃない」「そんな生き方はおかしい」と頭ごなしに全てを否定してしまう人なんだろうな推察しました。
確かに過去作の「おもちゃ同士のわちゃわちゃ感」というストーリーは面白いのですが、人間にもおもちゃにも色々な生き方があり、それぞれ幸せの感じ方や価値観も違うのですから、ウッディの決断があっても良いじゃないですかね。
さらに「トイ・ストーリー愛が強い人の感想が正しい」と考えている否定派の方に言うとすれば、バズの声を演じてきた所ジョージは「今作が一番よかった」とも言っています。今作を宣伝するために発言した可能性もあると思いますが、もし心の中に今作は面白くなかったという感情があるのであれば、作品を褒める事はしても「今作が一番よかった」という言葉はでないのではないでしょうか。
1作目からバズの声を演じている彼は一人のファンでもあり、トイ・ストーリー愛はかなり強いと思います。そんな彼が「今作が一番よかった」と言っているのですから、「トイ・ストーリー愛が強い人の感想が正しい」のであれば、それが答えなのではないでしょうか。
ちなみに、今作が一番よかったと感じた筆者ですが、ディズニー作品の中では「トイ・ストーリー」が一番好きであり、1,2作目はVHSも持っていて小さい時から30回以上は見てきたと思います。
シリーズものは難しいと思うが良作

シリーズが続けば続くほどマンネリしがちになり、結局1,2作目が一番面白いという映画はよくあります。しかし、トイ・ストーリーはそれぞれ違った展開を見せてくれ、前作ではアンディ(人間)との別れを描き、今作ではおもちゃ同士の別れも描かれています。
4作も続く名作となれば、描き方もかなり難しかったと思いますが、今作は期待に答えてくれる素晴らしい映画でした。ぜひ視聴してみてください。