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映画『シザーハンズ』のネタバレ感想!手がハサミの男の切ないファンタジー

映画「シザーハンズ」のあらすじ・内容

ティムバートンの世界観が花開いた「シザーハンズ」は、公開から約30年経つ今も人の心をつかんで離さないファンタジーの名作です。

今や名物コンビとなった「ティム・バートン×ジョニー・デップ」の原点となったこの映画のストーリーは多くの人がご存知かと思いますが、今日は改めてネタバレを含んだ考察、感想を書いていきたいと思います。

目次

映画「シザーハンズ」を観て学んだこと・感じたこと

・クリスマスの時期にぴったりの「おとぎ話」
・人間のイヤな部分をこれでもかと見せつけられる
・ジョニーデップの演技力に改めて脱帽!

映画「シザーハンズ」の作品情報

公開日1990年
監督ティム・バートン
脚本キャロライン・トンプソン
出演者エドワード/ジョニー・デップ
キム/若いころ、おばあちゃん共にウィノナ・ライダー
ペグ/ダイアン・ウィースト
ジム/アンソニー・マイケルホール
ビル/アラン・アーキン
ジョイス/キャシーベイカー

映画「シザーハンズ」のあらすじ・内容

映画「シザーハンズ」のあらすじ・内容

とある小さな町で幼い女の子がおばあちゃんに「雪はどうして降るの?」と尋ねます。祖母は孫にある物語を語るところからお話が始まります。

住宅街のはずれの山の上にひっそりと住んでいる謎の男は、ひょんなことからふもとの住宅街に住むある一家と暮らすことになり、その家の娘に恋をします。

男はなんと人造人間なのですが、心優しく物静かな人物で普通の人間と何ら違うところはありません。たった一つ、手がハサミでできていることをのぞけば。シザーハンズと名付けられた男の恋の行方は…?

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映画「シザーハンズ」のネタバレ感想

映画「シザーハンズ」の感想

シザーハンズは1990年に初めてティム・バートンとジョニーデップがタッグを組んだ作品です。30年近く経た今も色あせない悲しく心温まるストーリーが、多くの人に愛されている名作ですよね。

ティムバートンの原点ともいえるこの作品を再度鑑賞し、新たに感じたことを書いていきます。ネタバレの内容を含みますので、まだご覧になったことがない方は是非、映画鑑賞後にお読みになってみてください。

当時も大人になった今も切なさを感じるファンタジー

私がこの作品を初めて観たのは10代の頃だったと記憶しています。当時は若かったこともあり、ただただエドワード(シザーハンズ)とキムの悲恋に涙したものでした。あれから約30年。綾小路きみまろじゃないですけど、かなり感性もふてぶてしくなって、今さらおとぎ話の類でどうこうなるわけでもないと思っていましたが・・・。

いや、泣きましたね。エドワードかわいそうすぎです。

しかし、今はこの切なさを分析する余裕もあるのが年の功です。いったいこの切なさのもとはどこにあるのでしょう。エドワードは一緒に暮らしている一家の長女キムに恋心を抱き、キムも最初は彼を気味悪がっていたものの、次第に彼の優しさに惹かれていきます。そしてさまざまな事件があり、一躍時の人となったエドワードはついに、それまで暮らしてきた山の上の城に追い立てられてしまいます。

 

再度鑑賞して思ったのは、最初からかわいそうな境遇が続くことより、一度幸せに身を置いていたのに、不意にそれがなくなった時の方がよほど辛いということです。エドワードは長い間孤独の中に暮らしてきて、そこに何の疑問も持っていません。

しかし、ペグがやってきてエドワードを城から連れ出し、自分の家に住まわせたことで、彼は人の温かみや必要とされることの自己肯定感、さらにキムへの愛情などさまざまなプラスの感情を知ってしまいます。

世間の人は最初こそ物珍しく彼をちやほやします。世慣れていないエドワードが新鮮でもあったのでしょう。それでも人間とは勝手なもので、ひとたび事件が起きるとエドワードを色眼鏡で見るようになり、それまでみんなから慕われていたエドワードはついに街を追われ、長年住んでいた寂しい城に逃げ帰っていきます。

エドワードの純粋な心ややさしさに惹かれていたキムが彼を追いかけますが、手がハサミであるエドワードは彼女を抱きしめることもできません。

あれほど優しくしてくれた町の人たちにさげすまれ、追い立てられ、にぎやかな街とは打って変わって寂しく暗い城に一人たたずむエドワード。彼自身は何一つ変わっていないのに、人の心ひとつで寂しい境遇に逆戻りしてしまうのです。

彼を取り巻く環境が最初から最後まで城の中であったなら、それはそれで悲しい人生かもしれませんが、ここまで切なくなることはないですよね。この映画がこんなにも人を切なくさせるのは、明るい場所を知ってしまった後に元の暗い場所に引き戻される喪失感なのではないでしょうか。

 

もっとも、そこまでエドワードが喪失感を持っていたかどうかは、彼にしかわからないことです。

私たち観る側が喪失感を感じても、彼の感情はまた違う方向に動くのかもしれないのですから。キムの思い出だけを胸に生きていくことは、私たちの想像を超えた幸せがあるのかもしれないですよね。

ペグやジョイス、ジムなど、キャストのオーバーな演技がプラスになっている

シザーハンズはキャストのオーバーな演技がプラスになっている

演技には「うまい」「ヘタ」があります。うまい演技とは自然で、何気ない表情の中に隠された悲しみだとか、画面からそこはかとなく漂ってくる切なさだとか、そういったものに帰結するのでしょう。そういう視点でいえば、この映画に出てくるキャストの演技はかなりオーバーで、あえてうまい演技をしていないことにも注目してみてください。

例えば、ダイアン・ウィーストはエドワードを城から連れ出す化粧品セールスのペグ役で出演しています。ペグは本当にいい人でおせっかいで、愛情たっぷりの人物ですが、どこか現実感の薄い人物です。要するに、いい人過ぎて警戒心がなさすぎだし、プラス思考っぷりといえばほとんど病気の域です。「人のいい主婦」を象徴する存在なのでしょう。

 

また、近所の主婦ジョイス役のキャシー・ベイカーは、色気と好奇心の固まりで本当にこんな主婦がいたら近所でもかなりキワモノとして有名になりそうな人物を演じています。

ちなみに化粧も凄くて、思わず「さすがティム・バートン映画の特殊メイク!」と思うような厚化粧で思わず見入ってしまいます。それがこの映画では「ゴシップ好きで暇な主婦(やや色物)」を象徴する存在になっています。

 

キムのボーイフレンドのジムも性格が悪すぎて、普通はこんな奴に友達いないだろ~と思ってしまうほど嫌な奴ですし、キムのパパ役ビルは一家の主として危機感も威厳もなさすぎなうえ、登場人物ならどんな人でも設定されている個性のようなものが感じられません(名前一つにしてもまるで無個性な印象です)。

これは、そのほかの近所の住民も同じで、キャストが演じているのは「一般的なパパ」や「一般的な近所の人」、または「一般的ないやな奴」を象徴する存在なので現実感が薄いのです。

この映画では、それぞれが特定の人物を演じる普通の映画と違い、一般的な人々の特徴をデフォルメし象徴する存在としての演技の在り方があります。群像を一人の人物が演じているのがとても面白いと感じました。ぜひ、そんなところにも注目してみてください。

結果的には大正解だったジョニー・デップの起用

結果的には大正解だったジョニー・デップの起用

シザーハンズの製作にあたり、当初エドワード役にはトム・クルーズに白羽の矢が立ったのだそうです。当時のトムは1988年公開の映画「レインマン」で大成功を収めた直後であり、演技よし、ルックスよしの大注目の若手俳優でした。

ティムはトムに好印象を持ったようですが起用には至らず、事務所などの圧力やさまざまな事情から、当時若手俳優の中でもアイドル的な立ち位置だったジョニーデップにしぶしぶ決定した経緯があるんだとか。

 

シザーハンズ公開当時のジョニーデップは、まだ25~26歳という若さです。出演作品の多くはティーン向けの青春ものだったり、浮ついたプレイボーイ的な役だったり、とにかくルックス重視の役が中心でした。

実は私も知らなかったのですが、戦争の悲惨さを描いたあの骨太映画「プラトーン」にも出演していたそうです。完全に端役で演じた人物にも背景がなかったそうですので、出演したとはいえ数のうちに入らなかったんでしょう。

そんな経緯があってジョニーを起用するのは監督にとっては賭けでしたが、実際は超ド真ん中の当たり役で、「チャーリーとチョコレート工場」「アリス・イン・ワンダーランド」など、その後長く続く「ティム・バートン×ジョニー・デップ」最強コンビの誕生になったわけです。本当に何が幸いするかわからないものですね。

20世紀FOXが心配した奇抜なメイクと風貌が切なさを加速させた!

20世紀FOXが心配した奇抜なメイクと風貌が切なさを加速させた!

映画配給会社の20世紀FOXは、ジョニー扮するエドワードの奇抜な見た目が集客に悪影響を及ぼすと考えていたそうです。早い話が「お客さんがあの奇怪な見た目にドン引きするのでは…。」というところでしょうか。

「チャーリーとチョコレート工場」や「アリスインワンダーランド」などと比べると、今ではずいぶんマシな方だと思いますが。

 

実際映画を観て分かる通り、エドワードの見た目は完全にプラスに働いています。これはジョニー・デップの演技力のたまものだとしか思えません。コミカルな動きで笑いを誘っているのにもかかわらず、表情を見るとても切なく物悲しい表情をしていて胸が締め付けられます。観客はくすっと笑う1秒後にエドワードの表情に切なくさせられるのです。

化粧品のセールスであるペグに顔をいじられるシーンやハサミの手を使ってグリンピースを食べようと奮闘するところなど、かなりコメディタッチなシーンであるものの、映画全般にわたって存在する「切なさ」が視聴者に「笑い×涙」という複雑な心境を抱かせます。

若きジョニーの起用を渋っていたティムですが、この映画でジョニーに心をわしづかみにされてしまったんでしょう。シザーハンズ未体験の人はぜひ、若いころからその片鱗を感じさせるジョニーの演技者としての才能にも注目してくださいね!

【解説】シザーハンズのトリビア!エドワードにはモデルがいた?

嘘のようなホントの話!?シザーハンズのエドワードにはモデルがいた!

奇怪な見た目のエドワードですが、実はこのキャラクターには実在のモデルがいたようです。

とは言っても、もちろん手がハサミのシザーハンズじゃありません。実際にモデルになった人物は、セレブが足しげく通う美容院のオーナー「WARREN TRICOMI NEWYORK(ウォーレン・トリコミ ニューヨーク)」のオーナー「エドワード・トリコミ」。

ティム・バートンもこの美容院に通っており、当時自身の髪をカットしていたエドワードのハサミさばきを見てインスパイアされたそうです。

この美容院、全米では7店舗も展開しており、なんと日本でも2015年3月に原宿表参道にオープンしています。セレブレティやファッションリーダーなどに大人気の美容室だそうですよ。

【考察】人間の嫌な部分をみせつけられる

人間のいやな部分をみせつけられる

今まで群像の中の象徴的な役柄であると言いましたが、この映画の登場人物たちは人間としての嫌な部分もオーバーな芝居で存分に見せてくれます。

不遇なものに対して初めは同情し、親切の押し売りを始めて自己満足に浸り、勝手に時の人として祭り上げ、少しでも意に沿わない行いがあると糾弾しはじめる…。似たようなことはよく見聞きしますよね。

 

個人的な話でも恵まれない環境や辛い境遇にある人に、必ずすり寄っていく人がいます。親切ごかしにあれこれ世話を焼いたり助言したりしますが、親切に飽きてくるか、これ以上得るものがないと判断したとたんにその人を悪く言う・・・。見ていて気分が悪いものです。

このような行いをする人たちは、不思議と自分より強い立場の人や恵まれている人には近寄らないんですね。不遇の人を手助けして(いる気分に浸って)、自分の幸せを確認するのでしょう。

でもこれは本当に他人事でしょうか?こんなにあからさまではなくても、わたしたち誰の心にも潜む穴のようなものかもしれません。近親憎悪という言葉があります。人は似通ったものを憎む性質があるのだとか。この登場人物に嫌悪感を抱く私たちは、知らずに自分の深い場所に巣くっているイヤな部分を憎悪しているのかもしれません。

漫画のような演出でティムバートンの世界観を満喫

漫画のような演出でティムバートンの世界観を満喫

個人的にはティム・バートンで頭に浮かぶ作品となると「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」や「コープスブライド」などのアニメーション作品です。実写の作品がたくさんありますが、おそらくティムの頭の中の世界観を忠実に再現できるのはアニメなんじゃないかと思っているんです。

ところがこの映画は、アニメの世界観を忠実に実写で表しているのが凄いところなんですね。CGを使えばそれなりに簡単なんですが、実写で実際の仕掛けをうまく使いアニメのような映像に仕上げているんです。

 

例えば、エドワードが長年暮らしていた城と、ふもとの住宅街の対比では、暗く陰鬱でモノクロの世界観を醸す城に対して住宅街はバカバカしいほどカラフルです(これも、1990年代のアメリカの住宅街をデフォルメしているのでしょう)。

エドワードが暮らしているビル一家や近所の住民たちが着ている服が滑稽なほどカラフルですし、同じ時間に同じようなパステルカラーの車が出勤して、夕刻になると同時刻にそれぞれの家に帰ってきたり、休日になると一斉に接待ゴルフに出かけたりする様子が俯瞰で描かれていて、まるでアニメを見ているようです。

それに引き換え、エドワードを製作した老人(発明家?)が住んでいた城の中は、ほとんどが色のないインダストリアルな雰囲気です。ブリキのような質感の人型の機械たちがオートメーションでクッキーをつくる様子など、安っぽくて嘘っぽい子供だまし同然です。そして、だからこそ、ティムバートンの世界観を十分に表せたと思うのです。

ちなみにパステルカラーの住宅街は、フロリダのタンパにある本当の住宅をカラフルに塗り替えて作られたそうです。現在では普通の色に塗り替えられて、奇抜な家はほとんどなくなっているそうですが、中には当時のカラフルな色のまま住んでいる人もいるそうです。

昔も今も共感できないキムの役

1990年当時も、私の周囲で娘役のキムに共感できる人は少なかったものです。今、見返してみてもやっぱり共感できる人は少ないでしょう。

キムの彼氏が事件を起こしエドワードに罪を擦り付けた時も、真実を知っているにもかかわらずキムはただオロオロするだけですし、エドワードのために釈明も弁明もしないままです。エドワードが人々に追われて城に逃げ帰ったのを追いかけはしますが、結局そこでもエドワードにはに何もしてあげられず帰ってくるだけ。彼氏のジムに「大嫌い!」と毒づくのが精一杯です。

当時も今も、キムはエドワードの気持ちを利用しただけの小生意気な娘以上でも以下でもありません。まぁ一応はラブストーリーですからヒロイン役なんですが、これほど共感できないヒロインも今となっては珍しいのでは?と思います。もともと演技力というより、女子高生に代表されるような象徴としてのキム役を描きたかったのかもしれませんね。それにしてもウィノナ・ライダーはこの映画に出演しましたが、自身のキャリアにおいて得るものがあったのでしょうか。

ティム・バートンの作品を観ていると、特に女心を描くのがちょっと苦手なのかもしれないと思うことがあります。

とにかく化粧と髪型が凄い!当時はヘアケアの発想がない?

とにかく化粧と髪型が凄い!当時はヘアケアの発想がない?

少し映画の内容からはそれますが、作品中に出てくる女性のメイクアップは、今の常識からいうと凄いです。

それはもうほとんど特殊メイクの域で、すごく時代を感じますね。ファッションはまだそれほど違和感がないものの、1990年から数回流行がリバイバルしたアイテムもあり、そのあたりは女性視点ですとさらに楽しめるのではないでしょうか。

 

それからもっと凄いのは髪型です。登場する女性は程例外なくボンバーヘアか前髪立ち上げのゴージャスヘア!高校生のキムはストレートロングですが、手入れを怠っているようで、ストレートなのに痛みも激しくバサバサに膨張しています。

と思ったら、ウィノナはこの時、どうやらかつらをつけて臨んだようですね。かつらの質が悪かったということなんでしょうか。そういえばウィノナ・ライダーの髪は濃いブラウンなので、チアリーダー設定の女子高生役を表現するために、いかにもな髪形をチョイスしたということでしょうか。

それにしても、他の女優さんもかつらをつけていたのがどうかは結局わかりませんでした。女優さんといえば皆ヘアエステなどにも通いそうなものですが、髪型はおしゃれなのにどの女優さんも髪質はひどい状態です。つい、こんなどうでもいいことが気になってしまう性分なんですよね。

1980年代から1990年ごろの女性はヘアケアの概念がなかったのか?と思って調べてみましたが(しつこい)、明確な答えが見つかりませんでした。まあ、当時はカーリーへアやパーマヘア全盛期ですから、髪形を変えるうちにみんな傷んでしまうのかもしれないですね。

 

ちなみに、ウィノナ・ライダーは1991年に髪をバッサリ切って、コケティッシュな魅力満載のベリーショートに変えています。彼女の端正な顔立ちとよく合ってとっても素敵です。

シザーハンズの次の作品「恋する人魚たち」では、ボブヘアになった彼女がゴールデングローブの助演女優賞にノミネートされましたね。髪型と関係あるのかないのかはわかりませんが、髪型を変えて運気が変わるのは女性なら多くの人が経験していることです。

エドワードの愛は冬の時期にやっぱり観たくなるファンタジー

シザーハンズは評論では語れない、冬の時期にはやっぱり観たくなるファンタジー

ここまでいろいろお話してきて、やっぱりこの映画の魅力は、すべてがデフォルメされた世界観の中で、たった一つだけ本物があるとすればエドワードの愛ということにつきます。すべてがおもちゃのように極端で滑稽な世界観です。

出演する人々もみんな一様にどこか現実味が薄く、おとぎ話の名もなき登場人物のよう。おとぎ話でいえば「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。」のおじいさんやおばあさんなのです。

その中で強烈な個性を放つのがエドワードです。不気味な見た目も他の人とは一線を画していますし、キャラクターとしても臆病だけど優しくユーモアもある、心の温かい人物(?)というように、はっきりした形を伴った個人としてクローズアップされるのはエドワードただ一人です。

 

そして、初めて人を愛しいと思う彼が、ぎこちないながらも精いっぱいキムを守ってみせ、時には世間に怒りを抱え、時には人の笑顔に喜びを感じるなど人間らしい豊かな感情が読み取れます。

これは映画の背景とは全く逆で、カラフルな背景に浮いてしまうほどダークな色合いのエドワードというのが視覚的な印象ですが、実際にはおとぎ話の住人のような匿名性のある影のようなキャスト達の中で、鮮やかな感情を持ったエドワードという存在を対比させているかのように感じました。

 

作中に、エドワードが氷像を削ってクリスマスに雪を降らすシーンがあります。雪が舞う中でキムが踊り、それが美しいキムを象徴するシーンなのですが、わたしはこのシーンでキムの美しさや可憐さよりも、エドワードの胸中に感情移入してしまうのです。

きっと結ばれないことが分かっているエドワード。キムに似た天使の氷像を削りながらどんなことを思っていたのでしょう。氷像は雪の降らない地域に住むキムへの美しいクリスマスプレゼントだったに違いありません。

細かく繊細な演出を分析すれば、あんなこともこんなことも効果的な演出なんじゃないかと思いながら観ることもできます。でもやっぱりこの映画は心が温まる切ないラブストーリーとして、エドワードの心の動きに焦点を当てながら観るのが正しい楽しみ方なのだと思います。

クリスマスにもぴったりなこの映画、いま改めてご覧になってみてはいかがでしょうか。

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