「ザ・セル」は2000年に公開されたアメリカ映画です。
精神世界をのぞいたり旅したりする作品で、現代では目新しいテーマではないものの、犯罪者の混沌とした内面をよく描き、またどこかアートを感じさせる作品でもあります。
今回は「ザ・セル」の感想を解説・考察を交えながら最後のネタバレまで含み書いていきたいと思います。
目次
映画「ザ・セル」を観て学んだこと・感じたこと
・人の精神世界は覚悟してのぞくべし
・ざらついた恐怖と不安感漂う世界の表現はまるでアート作品
・ジェニファーの美しい七変化にも注目!
映画「ザ・セル」の作品情報
公開日 | 2000年 |
監督 | ターセム・シン |
脚本 | マーク・プロトセビッチ |
出演者 | キャサリン・ディーン(ジェニファー・ロペス) ピーター・ノヴァク(ヴィンス・ボーン) カール・スターガー(ヴィンセント・トノフリオ) |
映画「ザ・セル」のあらすじ・内容
小児精神科医のキャサリンは、昏睡状態にある少年の意識の世界に入り込み対話を試みる治療に携わっていました。
ある日、連続猟奇殺人犯が意識不明で運び込まれ、キャサリンは犯人の内なる世界に入って監禁状態にある被害者の居所を探ることになります。
犯人の内面はまさに狂気の世界。キャサリンを意識の世界の中に捕らえようとする犯人から被害者の居所を聞き出し、無事被害者の居所を聞き出し現実世界へと戻ってこれるのか。
唯一の希望は、まだ素直な子供時代の犯人と心を通わせることなのですが・・・。
映画「ザ・セル」のネタバレ感想
精神世界の奥深くに入っていく映画といえば「インセプション」が有名ですが、この映画はそれよりも10年も前に公開された映画です。
公開当時こういうテーマの映画が他にもあったのかはわかりませんが、細部までこだわった狂気の世界の表現は、恐ろしくもあり美しくもあり、既視感のあるストーリーを補ってあまりあるものでした。
観る人によって感じ方の大きく違う作品ですので、今回は私が感じた「ザ・セル」の感想を解説・考察を交えて描いていきたいと思います。最後の落ちまでしっかり分かるネタバレ記事ですので注意してご覧ください。
【解説】グロさは意外とマイルド!でもじっとりと恐ろしい犯人の精神世界は一見の価値あり
この映画では対象人物の「精神世界」の描写に非常に力を入れています。例えば、映画の冒頭、小児精神科医のキャサリンが担当している少年エドワードの精神世界の風景から始まります。
空の青と美しいコントラストを描いた果てしない砂漠を、黒馬に乗ったキャサリンが走ってきます。砂丘のふもとで馬を降り砂丘を登り始めるキャサリンの後ろで、馬はメリーゴーランドの黒馬となり静止しているので、観ている側に初めて「異世界」であるとわかります。
真っ白な衣装を着たキャサリンの付けた足跡が砂丘に描かれた美しい模様となり、乾いた風が吹く空虚な世界に少しの動きをもたらします。これは、固く閉ざされた少年の深層心理にキャサリンが起こしたわずかな変化を表しているのでしょう。この一連の映像が非常に美しく、神秘的な世界に引き込む力を持っています。
一方で、この映画の主軸となる連続殺人犯カールの意識の中の描写は、暗く恐ろしく倒錯的です。このダークな世界の中でキャサリンは、まだ素直だった子供時代のカールに会いますが、生きている馬が瞬時に切断されて標本になるあたりで、犯人が抱える心の闇が相当深いことがうかがえます。
少年カールを追いかけ、さらに意識の奥深くに入っていくキャサリンを待ち受けるのは、異常者であるカールが殺した犠牲者たちの陳列室。カールは犠牲者を漂白剤につけて色素を抜くことに執着していますが、そのように「加工」され人形のようになった犠牲者たちが陳列されています。
ここはまるで「殺人」と「狂気」のテーマパークのようで、映画を観ているだけでも心の中が何とも言えないざわつきでいっぱいになってしまうところです。テーマパークを訪れた時には「わくわくした感じ」が心を満たして楽しい気持ちにさせますが、ここは「ざわざわした不安感」が漂い恐怖が心を満たす最凶のテーマパークといったところでしょうか。内臓がドバーッみたいなグロさはありませんが、ざらついて心の奥にこびりつくような恐怖が支配しています。
そして、白塗り人形のような犠牲者の「作品」を見るキャサリンの背後から足音もなく近寄る、マッチョすぎる女性。迫りくる恐怖に気づかず犠牲者に手を差し伸べるキャサリン。映画史上いろいろな作品で何度となく繰り返されたこんなシーンが、異常な世界観と相まって本当に怖いのです。
マッチョ女に抱えられてキャサリンは大きな広間へと運ばれますが、そこにはこの世界の支配者である「狂気のカール」が出現します。子供の頃の純粋なカールはもうどこにも見当たらず、広間中に広がるマントを付けた支配者がキャサリンに近づいてきます。この奇想天外なシーンを監督のターセム・シンは「非常にワーグナー的な」と表現しているそうですよ。
観ているだけで人を不安にする精神世界。人の心の奥なんてむやみにのぞくものじゃないという気分にさせられるのも事実ですが、作り込まれた狂気の世界は一見の価値ありです。
【考察】犯人カールが遺体を漂白することにこだわるのはなぜ?
カールの手口はいつも同じ経過をたどっています。
女性をさらい→ガラス張りの部屋に閉じ込め撮影開始→40時間水や食料を与え飼育し→シャワーで水を徐々にためて溺死→遺体を漂白→天井から自分の体を吊って遺体を見ながら自慰行為
いや、完全にイッちゃってますよね。こんな男の精神世界になんて入ったら最後どんな目に合うかわかりません。絶対に嫌ですね。
カールは幼いころ父親から激しい身体的虐待・性的虐待を受け、そのトラウマが精神疾患を引き起こす引き金になっています。子供時代のカールは辛く孤独な現実世界から逃れるためによく人形遊びをしていたようですが、それが父親に見つかるたびに激しいせっかんを受けました。
大人になって父親の支配を受けなくなったカールが唯一心を開く存在が「人形」なのでしょう。実際にカールはいつも小さな人形を持ち歩いています。抵抗もしないおとなしい被害者(遺体)は、性欲を受け止め、黙ってカールの話を聞いてくれる唯一の存在。被害者の遺体ではなく等身大の人形でなければならず、したがって見た目も人形じゃないと興奮できないのですね。漂白剤につけて色を抜くという犯行には、カールの深い深い心の闇が反映されています。
ジェニファー・ロペスの美しい七変化にも注目!衣装デザインは日本人の石岡瑛子さん
「ザ・セル」は美しいジェニファー・ロペスにもしばしば注目が集まります。特に作中の精神世界でキャサリンことジェニファーがまとう衣装は奇抜だったりエレガントだったり、世界観の表現に合わせた七変化が楽しめます。
一度目のトリップで、あまりの怖さに被害者の監禁場所について何もわからないまま現実世界に戻ったキャサリンですが、少年時代の素直なカールに望みを託して、再度カールの精神世界に潜入します。
最初に気が付くと、真っ赤なドレスでガラスのケースの閉じ込められているキャサリン。突然ケースから飛び出し宙づりになりますが、暗い世界の中で深紅の薄物ドレスがそよぐさまが本当に幻想的で美しいシーンです。
さらに場面は変わり、ラフなタンクトップ姿で幼いころカールが受け続けた虐待シーンが繰り返される場所に居合わせます。そして、気づくとカールが初めて殺人を犯したシーンに変わっていて、大人のカールと対話を試みますが、そこで狂気のカールにつかまり、首輪をはめられて精神世界と現実世界の区別がつかなくなり異常な世界にとらわれてしまいます。
そんなキャサリンを助け、被害者の居場所を聞き出すべくFBI捜査官のピーター・ノヴァク(ヴィンス・ボーン)がカールの精神世界に潜入します。そこで出会ったキャサリンは妖しい雰囲気に印象的なメイク、シースルーの妖艶なドレスにゴールドの顔面飾りで、「囚われの身でありながら状況に順応しているキャサリン」をよく表しているように思います。
また、キャサリンのせ精神世界で邪悪なカールを叩きのめすシーンではメイクも勇ましく、クロスボウを持ったエレガントな女戦士の衣装でした。
衣裳を担当した石岡瑛子さんは、紫綬褒章も受賞したアートディレクター兼デザイナーでジョージ・ルーカスやフランシス・フォード・コッポラとも親交の深い方です。2012年に亡くなっていますが、ターセム・シン監督とは「落下の王国」「白雪姫と鏡の女王」などで仕事をしており、石岡さんが亡くなったことでターセム監督は「選ぶ題材が変わった」というほど彼の世界観を表すには不可欠な人だったのだそうです。
深い闇を抱えた犯人の異常な精神世界ですが、現代アートに通じるような美意識が感じられるのは石岡さんの卓越したセンスと、監督の描く世界感がビシっと合致しているからなのではないでしょうか。
コメディ俳優ヴィンス・ボーンのイケメンぶりに驚き!
正義感の強いFBI捜査官ピーター役はコメディアン出身のヴィンス・ボーンが演じています。私にとって彼はコメディ映画の印象が強く、イケメンでもなければ、あまりはっちゃけすぎた役どころもなく、(失礼ですが)3枚目として使い勝手の良い俳優さんのイメージがありました。
実際に2008年にはフォーブス紙による「コストパフォーマンスの良い俳優」の第1位に選ばれています。
そんなヴィンス・ボーンですが、この映画ではひたむきな正義感が何とも言えずキュートな捜査官役です。突っ走るとやや周りが見えなくなるような、独りよがりを感じさせる部分もありますが、それも若手FBIの純粋な正義感だとすれば納得です。
また、カールの精神世界に潜入した時には、現実との区別がつかなくなって、カールの世界の住人になってしまったキャサリンに色気でからめとられる場面がありますが、抵抗できずにうっかり身をゆだねてしまうダメダメさもなかなかリアルで人間的です。この時、ピーターはキャサリンに濃厚なキスをされるのですが、その時のことも意識しているのか、ラストシーンもよかったですね。
すべてが終わった後、カールの家を捜査しているFBIのもとにキャサリンがやってきてピーターと話をするんですが、その時のかれ彼のシャイな表情や、ぎこちないしぐさなど、まるで10代の初々しいカップルみたいなんですよね。ヴィンス・ボーンのことを角度によってはジョニー・デップに似てるんじゃない?と思ってしまうくらいいい顔を見せてくれます。
思えばこの映画公開は2000年。今から19年も前ですからこの時は30歳くらいの若手俳優なんですよね。彼のキュートな魅力は今の私にとって新鮮な驚きでした。
【考察】最後に安らぎを得たカール。終わり方としてはまずまず!(ネタバレ注意)
キャサリンが2度目の意識潜入の時に現実に戻れなくなり、ピーターが意識に潜入してキャサリンを助け出し、被害者の監禁場所のヒントを得ます。被害者の生死のタイムリミットが近づいていたため急いで現実世界に帰らなければならない2人でしたが、キャサリンは狂気の世界の支配者(異常者のカール)にとらわれている子ども時代のカールを置いて現実世界に戻ることに心を痛めます。
そして、いったん現実世界に戻ったキャサリンは独断で装置を操作し、今度は自分の意潜在意識の中にカールを招き入れてしまいます。
自分の潜在意識で幼いカールと対話するキャサリン。カールは、小さいころ怪我をした鳥を見つけて父親に見つかる前にシンクの水に漬けて殺したこと。父親にひどいことをされる前に楽に死なせてやるしかなかったということをキャサリンに語ります。助けたんだよ、と。カールは暗に、純粋な自分を殺してほしいと頼んでいるのです。そうすればもう純粋なカールと表裏一体の邪悪なカールは出てこないから。
そんなことはできないと断るキャサリンですが、次第に周囲は暗くなり不穏な空気が立ち込めます。邪悪なカールに見つかってしまったのです。しかしここはキャサリンの世界。キャサリンが支配者であり、完全にキャサリンのターンです。邪悪なカールを打ちのめし、とどめを刺そうとするキャサリンですが、ふと目をやると子どものカールが血を流して倒れています。邪悪なカールが負った傷は全て子どものカールにも反映されてしまうのです。
キャサリンはそこで邪悪なカールにとどめを刺すことをやめます。そして子どものカールを抱き上げて水につけるのです。なぜキャサリンは、邪悪なカールにとどめを刺さずに、あえて子どものカールを水に沈める方法で殺したのでしょうか。
それはきっと、カールを純粋な子どもの頃のまま、慈愛の手によって葬ってあげたかったからではないでしょうか。カールがあの時の小鳥に示した慈愛を感じながら逝かせてあげたかったのですね。
ちなみにですが、キャサリンの精神世界の様子については、カールの邪悪な世界との対比として作られているのだと思います。しかしそうはいっても、あまりにも邪悪な世界とのギャップが大きいのが難点です。
完全にセット感丸出しで「あれ?力尽きちゃった?」というチープな出来栄え。ドリフのセットで古いアイドルが歌謡曲でも歌いそうな雰囲気?で、拍子抜けするのが正直な感想です。まあ、ここは潜在意識の世界に潜る寸前にキャサリンが、タロットカードか何かの一枚の絵からイメージを拾った世界だったみたいですから、チープさは仕方がないのかもしれませんね。
【考察】あの時のあのシーンの意味は?何を象徴している?勝手に解釈してみた
「ザ・セル」はアート作品といっても過言ではない映画なので、一見訳の分からないシーンにも込められたメッセージがあるのでは!?と勘ぐりたくなります。そこで私の勝手な解釈により、シーンの意味を考察してみたいと思います。
まず、訳の分からないシーンその1、筋肉もりもりマッチョな女性のシーン。先述しましたが、邪悪なカールが支配する精神世界でキャサリンがマッチョな女性に突然連行されます。この時のマッチョ女は人形のように真っ白な被害者女性達とは全く異質で、健康な小麦色の肌に不自然なくらいの筋肉もりもりな体。強そうではありますが、なぜここだけ筋肉女なのか。ちなみに細かいですが、他の被害者女性のように乳首はつるんとして見当たらないので人形加工を施したマッチョのようです。
これは、囚われ人形のように加工された無力な女性に対比させていて、強大な力を持つマッチョ女は、子どもの頃のカールにとっての「父親」であり、現在のカールにとっての「邪悪なカール」なのかもしれません。とても抵抗できない、抗えない力を象徴しているのではないでしょうか。
そして訳の分からないシーンその2は、畑の畝に座っている3人の女性のシーン。ピーターがカールの精神世界に潜入して最初に会った人物です。虚空を見つめあんぐりと口を開けて座る3人の女性。これだけでも不気味なんですが、口々に「息子を見なかった?夫が盗んだの」「私があの子を産んだのよ」「あの子には感情がないわ」と言います。
ということは、これはカールの実の母親なんでしょうね。キャサリンがのぞいたカールの子ども時代で父親が継母の股間を見せつけるというエグいシーンがありますし、母親は俺たちを捨てたと父親が激高しているシーンもあるので、恐らくカールが幼い時に家を出ていったのでしょう。3人の女性が口々にしゃべるということは母親もまた精神に異常をきたして別人格を作り出していたのかもしれません。
また、どこかで優しい母親が自分を心配してくれている、というカールのわずかな願望を象徴しているとも取れます。
そして、これは私の考察ではないですが、キャサリンが最初の潜入で遭遇した「バラバラに切り離された馬」は、一つの精神が分断される、昔の名称でいう分裂病を表しているというのが多くの人の見方だそうです。あのシーンもショッキングで話題になったシーンですから、きっと見ている人に込めた特別なメッセージがあったのでしょう。
この映画の口コミや感想を見ていると、CGの出来栄えにがっかりという意見も見られますが、何せ20年近く前の映画なので致し方ないとも思えます。私も最初は設定として時代背景が古い映画で、わざわざレトロな車や服装などで撮影しているのかと思ったほどですが、20年前はこれが最新?だったということですよね。
ストーリーは今となってはありきたりですし、CGも現代の精密なものとは比べるべくもないですが、怖いもの見たさで異常者の精神世界をのぞき、そのざらついた恐怖を感じてみたいのであれば、ぜひおすすめできる作品でした。
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