レベルの高いコメディ映画は単なる笑いだけではなく、あらゆる要素を詰め込んでいるものです。
青春、ミステリ、社会問題、そしてラブロマンスなど、映画『きっと、うまくいく』は、こうした要素を重箱に詰め込みながらも、その味がきれいにまとまっており、多くの人を引きつける傑作コメディとなっています。もちろん、その味にはインド映画特有の歌と踊りがトッピングされているのですが。
今回はそんな映画『きっと、うまくいく』の感想や解説、考察を紹介します。ネタバレを多く含んでいるため、鑑賞前に読まれる場合はご注意ください。
目次
映画『きっと、うまくいく』を観て学んだこと・感じたこと
・工学好きの大学生が才能と情熱で頭の固い学長に立ち向かう
・コメディでありながら、インドの社会問題も理解できる作品
・とにかくレベルの高いコメディが見たい人に絶対オススメ
映画『きっと、うまくいく』の作品情報
公開日 | 2013年5月18日 |
監督 | ラージクマール・ヒラーニ |
脚本 | ラージクマール・ヒラーニ ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー |
出演者 | ランチョー(アーミル・カーン) ファルハーン・クレイシー(R・マドハヴァン) ラージュー・ラストーギー(シャルマン・ジョシ) ピア・サハスラブッデー(カリーナ・カプール) ヴィールー・サハスラブッデー(ボーマン・イラニ) チャトル・ラーマリンガム(オミ・ヴァイディア) |
映画『きっと、うまくいく』のあらすじ・内容
写真家のファルハーンは離陸する直前の飛行機のなかで、一本の電話をとります。相手はかつての大学の同窓生・チャトルからでした。その内容は、卒業してから10年も行方不明だったランチョーに関するもの。彼は仮病をつかって離陸直前の飛行機を止めると、同窓生のラージューと合流し、母校であるICEの門をくぐります。
ファルハーンとラージューを待っていたチャトルは、10年前にランチョーと交わしたある約束のことを話します。それは、学問に対してまったく正反対のスタンスをとるランチョーとチャトルのどちらが将来成功しているかというものでした。ちょうど彼らが再会した9月5日は、その約束を果たす日だったのです。
ランチョーがインド北部のシムラーにいるらしいと語るチャトル。シムラーへ向けて車を走らせるファルハーンは、10年前にランチョーたちと過ごした日々のことを思い出していました。
映画『きっと、うまくいく』のネタバレ感想
【解説】スピルバーグも絶賛、インド映画のレベルの高さを知らしめた傑作
映画『きっと、うまくいく』は、2009年にインドで公開され、当時のインド国内における歴代映画興行収入で1位を獲得した映画です。インドの男子大学生3人組が、難関工科大学ICEの成績至上主義に染まった学長や教員、学生を出し抜く過程がとにかく笑える青春コメディとなっています。
その出来はあのスティーブン・スピルバーグが3回もくり返して鑑賞するほど。『きっと、うまくいく』は世界中で大ヒットをとばし、すでに各国でもリメイクが決定しているといいます。日本でも2013年に公開され、同作は第37回日本アカデミー賞において優秀外国作品賞を受賞しました。
インド映画といえば、突然に踊り、歌いだすというミュージカルのような印象を持っている人も多いのではないでしょうか。確かに、『きっと、うまくいく』でもそのようなシーンがありますが、それは本作の面白さのひとつに過ぎません。
主人公ランチョーが放つ、とんちの利いたセリフ回しと行動で嫌なキャラクターをやりこめていくのが本作の最大の特徴です。一方、コメディタッチな展開を下地として、同学年のファルハーンやラージューとの友情を紡ぐ過程や、将来の夢を追いかける姿も見逃せないポイント。青春ムービーとしても見応えのあるものとなっています。
物語の展開や演出に目を奪われがちですが、伏線の張り方もなかなか上手く仕上がっています。特に、最初から観客へ提示される主人公最大の謎は、ミステリー映画を見ているかのように観客を引きつけます。
しかも、現代インドにおける社会問題にもきちんと触れながら、それに対する回答を主人公たちの行動に盛り込むなど、そこまで詰め込んで大丈夫なのかと心配になるくらいに、見どころは一杯。単純なコメディやミステリとして、あるいはインド社会を知る作品として、さまざまな角度から楽しめるようになっています。
本作の監督を務めたのは、インド映画界でもっとも成功を収めたといわれているラージクマール・ヒラーニです。若いころは俳優志望であり、紆余曲折あって広告会社で活躍したのちに、映画業界へ転身。予告やプロモーションの作成を経て、『医学生ムンナ・バーイー』で監督デビューしました。
ヒラーニの代表作は『きっと、うまくいく』のほかに、2014年の『PK』や2018年に公開された『SANJU サンジュ』など。いずれもインド国内で高い評価を獲得しています。
【解説】ランチョーの無双が凄い!愛すべき3バカトリオの活躍に目が離せない
本作『きっと、うまくいく』の原題は『3 Idiots』であり、邦訳すると3バカという意味です。原題の意味するとおり、ファルハーン、ラージューを含めた3バカの行動が本作全体の肝となっています。
主人公のひとりであるランチョーは、工学に情熱を燃やす学生です。非常に優秀で頭が切れる一方、曲がったことが嫌いな性格の持ち主。入学早々、上級生の理不尽な要求に対して即席の発明品で対抗するなど、彼の才能と心情が最初から強く印象づけられます。
ランチョーは知識詰め込み型で成績を偏重する大学の教育方針に異を唱え、学問とはいかに好きなことを突き詰めていくか、そしてわかりやすく教えるかということが大切だと主張します。当然、彼の主張は学長であるヴィールーや、大学の教育方針に迎合する学生チャトルの反感を買うことに。
ランチョーの才能はヴィールーやチャトルへ幾度となく煮え湯を飲ませます。しかも、大学に迎合しないスタンスを貫きながらも、ランチョーは首席となり、多くの学生の支持を集めるのです。
決して嫌みのある人物ではなく、どこか子どもっぽい笑顔で友人と接するのが印象的な若者といえるでしょう。特に、ファルハーンやラージューとの友情を大切にしており、涙することも多いなど、人情味あふれたキャラクターとなっています。
もうひとりの主人公であるファルハーンは、工学よりも写真が好きな丸顔の青年です。経済的には中流の家庭の出身であり、生まれた時から父親にエンジニアになることを義務づけられています。そのため、父親には頭があがりません。親の意向に従って、ファルハーンは自分の本当にしたいことを隠したまま大学へやってくることとなります。
平凡そうな雰囲気を出しながらも、物語の冒頭では仮病を使って飛行機を止めてしまうなど、妙なところで行動力を発揮するタイプです。本作はファルハーンの視点や解説で物語が進行します。
そして、もうひとりの主人公ラージューはランチョーと同じく、工学そのものが好きな青年。家庭の経済状況はあまり良くなく、一家の期待を背負って大学へ進学しています。
自分の能力に自信が持てず、テスト前には部屋一杯にお香を焚いて神頼みを欠かさないなど、少し気弱な性格の持ち主です。彼の手には指の本数を超える数のお守りの指輪がはめられていて、家庭の経済状況という弱みから、時に自分よりも裕福で余裕のあるランチョーたちと反駁することも。その弱みは、少なからず学長にも利用されることとなります。
【解説】学長をはじめ嫌なキャラクターの描き方が上手い
すぐれた悪役は物語に花を添えるといいます。本作もまた、魅力的なのは主人公たちだけではありません。ランチョーたちに立ち塞がるのは、一癖も二癖もある嫌なキャラクターばかり。ただし、極悪非道というよりも、「憎めない悪役」といった雰囲気が強いといえるでしょう。
物語の舞台である大学ICEの学長を務めるヴィールーは、詰め込み型の教育で画一的に優秀な学生を育てようとする人物です。自分の教育方針にそぐわない学生に対しては非常に冷たく、保護者に対して直接退学を伝えるなど、辛辣な行動が多くみられます。学問の楽しさを追求しようとするランチョーとは早くから対立しており、彼の行動を憎々しく思っています。
ヴィールーは学歴社会・成績主義の権化といったような様子のキャラクターです。追い詰めた学生を情緒不安定にしてしまうなど、お世辞にも褒められるような人物とは言えません。そんなキャラクターであるからこそ、とんちの効いたランチョーの行動に鼻を明かされる度に、観客は胸のすく思いをすることでしょう。
作中ではひたすら嫌なキャラクターとして描かれる一方、自分の行動を反省していく面も持ち合わせています。しかも、終盤にはランチョーに対して、学問は相手を言い負かして優劣を付けるのではないことを逆に問うといった様子もあり、最終的にヴィールー自身が大学のあり方を問うかのような存在になっているのが印象的です。視聴後はどうにも憎めないキャラクターという印象を持ってしまうことでしょう。
また、ヴィールーの教育方針に迎合する学生、チャトルの存在も見逃せません。彼はあらゆる学問を暗記で乗り切ろうとする詰め込み型のガリ勉タイプで、他人を蹴落とすことにも余念が無く、テスト前には寮生の部屋へポルノ雑誌をばらまいて集中力を削ごうとするなど、小者めいた行動の多いキャラクターです。
インド国内でも最高峰の大学という設定のICEで上位に居続けるなど、確かに優秀ではあるのですが、どれだけ頑張ってもランチョーを追い抜くことができません。まさに学長の先兵のような立ち位置にいるチャトルが、最初から最後までランチョーにしてやられる点が、コメディとしての面白さを押し上げているといえます。
【解説】ひとつの謎が最後まで観客をぐいぐい引きつける
本作はICEを卒業してから10年後の9月5日、行方不明になったランチョーを探すファルハーンとラージューのもとへ、チャトルが電話をかけてくるシーンから始まります。かつてチャトルはランチョーに対して、10年後にどちらが成功を収めているかという勝負を挑んでいました、9月5日は彼らが約束した日だったのです。
しかし、ランチョーは卒業式の日を最後に行方不明となっており、ファルハーンもラージューも一度も連絡を取れずにいました。ランチョーは今どこで何をしているのか。彼の行方が物語最大の謎として、映画の冒頭で提示されます。
物語は2部構成となっており、ICEでのランチョーたちの様子と、ランチョーの行方を追う10年後の様子がそれぞれ描かれていきます。
ランチョーたちの活躍が際立つほど、彼がいったいどうなってしまったのか、結末に期待が高まっていきます。多少ネタバレにはなりますが、悲しい結末を迎える映画では決してないので、そうした作品が苦手な人も安心して見られるでしょう。
【解説・考察】映画に見るインドの教育問題
コメディの部分だけを抜き出しても十分に楽しめる映画『きっと、うまくいく』。ランチョーをはじめとする登場人物の行動原理はわかりやすく、感情移入しやすいといえます。
しかし、登場人物が抱える問題に共感したとするならば、それはインドの教育に関する問題を真正面から取り扱っているからでしょう。教育における競争社会は、日本でも馴染み深いものです。
作中では良い大学に行き、優秀な成績で卒業した学生が将来を約束されているという常識が幅をきかせています。確かに、日本や韓国のように、学歴社会を内包する国では、そうした傾向は少なからずあるものです。
しかし、本作での教育にかかる描写は少し異常ともいえます。生まれた時からエンジニアや医者になることを親に強制されたり、学歴を得るために替え玉を送り込んだりすることが、あたかも当然であるかのような描写が多く出てくるのです。本作に登場する一部の親や学生を見ていると、まるで世襲のカースト制度にも似た、強制的な生き方を感じることでしょう。
良い仕事に就けば、将来が安泰されるという思想。もちろん、これはインドの社会構造と関係しています。
経済成長著しいインドですが、いわゆる先進国よりもずっと激しい貧富の差を抱えていることがわかります。ラージューの家庭における1カ月あたりの収入は約2500ルピー、日本円にして約3800円です。これに対して、ランチョーの父親の月収は約2500万ルピー、ファルハーンの家の月収は2万5000ルピーです。
IT大国であるインドでは、ソフトウェア開発者の年収は約350万ルピー、エンジニアであれば約600万ルピーにものぼるといわれています。仮にラージューやファルハーンが理系学生として「華々しく」就職したならば、一家の経済状況を一気に好転させることができるでしょう。
つまり、ラージューやファルハーンのような家庭では、子どもは一家の将来を左右する存在なのです。こうした社会構造において、生まれた時から生き方を決めようとする親が多いのも仕方がないといえるのかもしれません。
安定した職に就けることを第一の目的として頭でっかちな学生を作り上げることに苦心し、就職率の高さを求めようとする、ICEのような大学のあり方。それもまた、インドの社会構造のなかで親や学生のニーズが生み出した結果なのでしょう。
ファルハーン、ラージュー、そしてランチョー。彼らはインドの経済格差や教育問題を体現する存在としても描かれています。映画のラストでは自分の行きたい道へ進み、大きな成功を収めるファルハーンたち。彼らの姿を通じて、本作は現在のインド社会への疑問を投げかけているのかもしれません。
その一方で、ランチョーと対立するチャトルも詰め込み主義の学習を重ねた結果、企業の副社長に登り詰めており、300万ドルもの豪邸を建てるに至っています。単純な善し悪しではなく、双方の立場を描くことによって、インドの教育問題とも真正面からぶつかることに成功しています。
【解説・考察】競争社会の先にある自殺
インドにおける年間の自殺率は世界でも上位であり、特に若者を中心として多く見られます。その事実を反映してか、作中では人生に失敗したら即自殺とでもいうかのような描写がいくつも出てきます。
若者の自殺率の高さは、先に紹介した教育問題とも無関係ではないでしょう。物語の序盤に登場する学生、ジョイ・ロボが自殺するシーンは、そのことを如実に物語っています。
ジョイはランチョーと似たような性格であり、工学そのものを愛する学生です。ドローンの作成に夢中なあまり、他の科目での成績が振るわず、学長から退学処分を告げられます。一家の稼ぎ頭として期待されていたジョイは学長に懇願しますが、聞き入れてはもらえませんでした。
ランチョーがジョイの捨てたドローンを改良し、これは凄い発明だということがわかると、インド映画の華である歌と踊りのシーンが明るく繰り広げられていきます。けれども、その歌は絶望したジョイの首つり自殺でもって締めくくられることに……。卒業できないという事実は、先に紹介したインドの経済格差も相まって強烈な圧迫感を引き起こしていることがわかります。
また、物語の後半では、同じく退学を促されたラージューが飛び降り自殺を図ってしまします。ある日、酒を飲んだ勢いで学長の家へ忍び込んだランチョーたち。彼らが脱出する直前、不運にもラージューだけが姿を目撃されてしまい、学長はラージューを退学処分にすると告げます。
どうか許して欲しいと言うラージューに対して、学長は自分の代わりにランチョーの退学処分の文書を作成したら許してやると持ちかけます。ラージューもまたジョイと同様、家族の期待を裏切るわけにはいきません。
しかし、既にラージューにとって、ランチョーはかけがえのない友人となっていました。友情と将来の間で板挟みになった結果、ラージューもまた自殺を図ってしまうのです。
自分の将来が家族の将来と結びついているという圧迫感は、想像以上にストレスフルな状況を作り出しているのでしょう。
ジョイにしてもラージューにしても、自業自得と切り捨てるのは容易です。しかし、仮に退学処分となっていなくても、良い仕事へ付けなかったとしたら、彼らが辿る道は同じだったのではないでしょうか。そこには、失敗が絶対に許されないという脅迫が、観念ではなく実体を伴ったものとして漂っています。
将来を勝ち取るために競争を強いられ、外れてしまった先の道はない。明るい雰囲気のなかで、こうした暗い状況が本作のあちこちからにじみ出しているのが感じられます。
もちろん、そうした状況すら内包し、青春コメディとして昇華させているのが、本作の評価が高い理由のひとつでしょう。自殺未遂を図ったラージューは、ランチョーやファルハーン、そして家族の理解が後押しとなって奇跡的に回復します。そして、たとえ落第したとしても、自分らしい生き方で工学の道を進むのだと、それまでの神頼みをやめるようになるのです。
ラージューだけではなく、ファルハーンもまた、道から外れることを恐れながらも、将来を自分でつかみ取ろうとします。
ランチョーや回復したラージューに鼓舞され、エンジニアではなく写真家としての道を進もうとするファルハーン。ずっと父親の言うことを聞いてきたファルハーンにとって、父親を説得するのは容易ではありません。ましてや、生まれた時から職業を強制するような家庭においてはなおさらです。
彼が両親を説得するシーンでは、自殺が若者だけではなく親の世代にとっても深刻なものとして受け止められていることがわかります。平行線をたどるような会話の末、ファルハーンを突き放そうとする父親に対して、母親は息子が自殺しかねないのでやめてほしいと懇願する。それは誇張でもなんでもなく、インドでは行き先を失った若者にとって、自殺という道が広く開かれてしまっていることを表しているのでしょう。
けれども、ファルハーンは両親に対して、たとえ自分の夢を認めてくれなくても、自殺しないと約束します。彼は自分の夢と同じくらいに両親のことが大切であり、自分が自殺したときに親がどんな顔をするかを想像すると耐えられなかったからです。
自分の夢と、両親の大切さを心から伝えたファルハーン。彼に父親が理解を示すシーンは、インドでの競争社会に取り憑かれた親子に対する、監督ヒラーニのメッセージでもあるのかもしれません。
あらゆるネタや設定を詰め込みながらも、調和のとれた脚本のおかげで非常に深いコメディに仕上がっている、『きっと、うまくいく』。インド映画が世界的なレベルにあることを実感できるものとして、多くの人にオススメできる一本です。