映画『クレイマー、クレイマー』は、突然妻に離婚を突きつけられた夫が、息子との絆を少しずつ勝ち取っていく物語です。
もちろん、それだけならよくある親子の感動的なヒューマンドラマといえますが、物語の後半では息子の養育権をめぐる裁判が繰り広げられることに。そこには女性の社会進出という裏のテーマが顔をのぞかせています。
今回はそんな『クレイマー、クレイマー』の感想や解説、考察を紹介していきます。公開からすでに四半世紀以上が経過している作品ですが、一部ネタバレを含んでいるのでご注意ください。
目次
映画『クレイマー、クレイマー』を観て学んだこと・感じたこと
・不器用な父親と息子の絆が胸を打つ
・女性の自立というテーマにいち早くスポットを当てた映画
・離婚や訴訟がありふれている今こそ、パートナーや子どもと一緒に見てほしい作品
映画『クレイマー、クレイマー』の作品情報
公開日 | 1980年4月5日 |
監督 | ロバート・ベントン |
脚本 | ロバート・ベントン |
出演者 | テッド・クレイマー(ダスティン・ホフマン) ジョアンナ・クレイマー(メリル・ストリープ) ビリー・クレイマー(ジャスティン・ヘンリー) マーガレット・フェルプス(ジェーン・アレクサンダー) ジョン・ショーネシー(ハワード・ダフ) ジム・オコナー(ジョージ・コー) |
映画『クレイマー、クレイマー』のあらすじ・内容
テッド・クレイマーは将来を渇望された優秀なデザイナー。出世話を持って彼が家に帰ると、妻のジョアンナから離婚を切り出されます。夫と同じように仕事をしたいと切に願うジョアンナは、これ以上専業主婦の地位でいることに耐えられなかったのです。
事態が呑み込めないまま、ひとりで息子のテッドの面倒をみるテッド。仕事との両立は簡単ではありませんが、テッドは不器用ながら家事をこなし、少しずつビリーとの信頼を築き上げていきます。テッドは初めて、よき父親としてビリーに接していくことができたのです。
しかし、離婚から1年以上が経過したある日、再びジョアンナがテッドとビリーの前に姿を現しました。その目的は――。
映画『クレイマー、クレイマー』のネタバレ感想
【解説】ダスティン・ホフマンの代表作!『クレイマー、クレイマー』を作り上げた人たち
映画『クレイマー、クレイマー』は1979年にアメリカで公開、翌年には日本でも上映されました。原題は『Kramer vs. Kramer』であり、同じ姓の人が原告と被告に分かれて争う様子、つまり離婚裁判を示しています。
シングルファーザーとなった父親と息子の絆を描いた単純な物語かと思いきや、当時のアメリカで社会問題になっていた離婚及び親権・養育権がテーマとなっています。どの家庭にも起こりうるかもしれない問題をいち早く取り上げ、父子の絆と絡めて描き出したストーリーは、映画評論家だけではなく子どもを持つ親にも強く響いたのでしょう。各方面から大きな反響を呼んだ本作は、第52回アカデミー賞作品賞、及び第37回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞をそれぞれ受賞しています。
原作はエイヴリー・コーマンによる同名の小説です。原作をもとにロバート・ベントンが監督と脚本を担当し、映画化されました。ロバート・ベントンの作品といえば、ロイ・シャイダー主演のクライムサスペンス『殺意の香り』、夫を殺された専業主婦が周囲の協力を得て自立していく様子を描いた『プレイス・イン・ザ・ハート』などがあります。
本作の主人公テッド・クレイマーを演じるのは、大御所のひとりダスティン・ホフマン。彫りの深い顔立ちと長い鼻が特徴的な、ダンディズムあふれる俳優です。『クレイマー、クレイマー』、及び1988年に公開された『レインマン』で、彼は計2回アカデミー主演男優賞を受賞しています。本作の公開当時の年齢は42歳と、俳優として最も脂の乗っている時期であり、エリート会社員と育児初心者、両方の顔を併せ持つテッドの様子を見事に演じ切っています。
テッドの妻ジョアンナを演じているのはメリル・ストリープです。もはや説明不要ともいえる女優のひとりといえるでしょう。彼女は本作でアカデミー賞助演女優賞を受賞後、1982年の『ソフィーの選択』、2011年の『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で、それぞれアカデミー賞主演女優賞を受賞しています。そんな彼女が演じるジョアンナは、物語の構成上、テッドよりも登場シーンは少なめです。しかし、その数少ないシーンから、専業主婦へ押し込められることに反発する女性の姿を強く印象付けます。
そして、本作のキーパーソン、テッドとジョアンナの息子であるビリーを演じたのが、当時8歳だったジャスティン・ヘンリー。無邪気な子どもの様子を自然に演じながらも、母親のいない様子に苛立つ様子や、父親との交流を経て深く涙する様子は非常に胸を打つものがあります。
その演技力は当時、史上最年少でゴールデングローブ賞とアカデミー助演男優賞にノミネートされたほど。一度は学業を優先していたものの、2000年前後からは再びテレビドラマや映画にも出演しています。
【解説】フレンチトーストが食べたくなる、父親が子どもの王道ストーリー
映画『クレイマー、クレイマー』の主人公テッドは、いわゆる仕事人間です。デザイナーであるテッドは社内でも出世頭のひとりであり、彼自身もこれからさらに活躍していこうと意気込んでいます。その一方、育児や家事は妻のジョアンナに任せきりです。
ジョアンナもかつてはテッドと同じ業界で働いており、自分も仕事をしたいと望んでいます。しかし、生活に不自由もないのになぜそんなことをする必要があるのかと、テッドはまともに取り合ってはくれません。ストレスが頂点に達したジョアンナは、物語の冒頭でテッドと離婚し、ビリーを残して消えてしまいます。
残されたテッドはビリーの育児に大忙し。ビリーの好物であるフレンチトーストを作ろうにも、まともな調理すらできません。普段食べているシリアルや使用している洗剤の種類もよくわからず、逆にビリーから説明を受ける始末です。次第に彼の生活は、仕事よりも家事や育児が占めるようになります。
大事なプロジェクトを抱えているテッドは、会社からビリーを誰かに預けるようにといわれました。しかし、時にベビーシッターを活用しながらも、あくまでテッドはビリーとの生活にこだわります。このテッドのこだわりは、特に台詞やナレーションが入るわけではありません。彼の一挙手一投足だけで、息子のことを大切に思っているということが強く伝わってきます。
確かにテッドは会社での出世や仕事そのものを楽しんでいる様子がありました。けれども、一方で彼は、いま忙しいのはすべて家族のためだという台詞を作中で呟いています。ジョアンナとの離婚がきっかけになったとはいえ、もともとテッドはビリーのことを第一に考えている男性です。
そんなテッドの子育ても、順風満帆とはいきません。お母さんっ子だったビリーは、ジョアンナからの手紙に動揺すると、いつまでも帰ってこない母親に対するイライラをテッドにぶつけてしまいます。
しかし、ジョアンナがもう二度と帰ってこないことをどこかで理解しているのか、ビリーはお父さんであるテッドに懐き、少しずつ絆を深めあっていきます。不器用なテッドがビリーの信頼を得ていく様子は、過剰な演出が排されているにもかかわらず、引き付けられることでしょう。
そんなテッドとビリーによる生活も1年以上が経過したある日、ジョアンナが再び姿を現したことで、物語は思わぬ方向へ進むこととなります。
【解説】離婚問題に親権、現代に通ずるジェンダー問題をいち早く描いた作品
物語の冒頭で姿を消したジョアンナが再びテッドの前に現れた理由。それは、生活が落ち着いたのでビリーの養育権を譲ってほしいというものです。ここで、冒頭からテッドとジョアンナの間に横たわっていた離婚問題が再び浮上し、養育権をめぐる争いというファクターが物語へ結合します。
実際、『クレイマー、クレイマー』が公開された1970年代は、アメリカで離婚問題が大きな社会問題となっていた時代でした。当時に離婚が増加した理由はさまざまです。しかし、その一端として女性の社会進出があったことは想像に難くありません。
夫が稼ぎ、妻が家を守るという旧来の家族構造が崩れ、女性が男性と同様に、いやそれ以上に活躍する社会へとシフトしていく時代。その過渡期において、本作のテッドにみられるように、「働く母親」に理解を示さない夫もまた多かったといえるでしょう。そうした軋轢が離婚を招いたのは、無理からぬことなのかもしれません。
離婚は基本的にお金がかかります。それがよくわかるのが、ビリーの養育権をめぐってテッドが弁護士を雇うシーンです。テッドと弁護士とのやりとりでは、はした金とはとてもいえないような金額のやりとりが行われています。一方、ジョアンナも同様に弁護士を雇って裁判に臨みます。彼女もまた、訴訟にあたり高額の費用を負担しているのです。
仕事をこなし、訴訟できるだけの経済力を女性が単独で持てるようになったため、不満を我慢する必要がなくなったのだといえるでしょう。働く母親の増加は、実際に「誰でも離婚できるようになった」状態を生み出しているのかもしれません。
今や家庭においては共働きが当然とされるような時代です。アルバイトやパートすらしていない専業主婦を見つけることのほうが難しいといえるでしょう。その意味では母親も気兼ねなく働ける時代ですが、「クレイマー、クレイマー」にみられるような、女性の自発的な活躍という姿とは異なっているようにみえます。
【解説・考察】テッドの目線で描かれる物語は賛否両論?
本作『クレイマー、クレイマー』を見た人は、テッドとビリーを捨てて自分のしたいことを優先しようとするジョアンナに対して、ひどい母親だという感想を抱くかもしれません。
それもそのはず、ジョアンナはテッドとビリーが本当の家族になれたといえるようなタイミングでひょっこりと顔を出し、突然ビリーの養育権を譲れと言っているようにしかみえないからです。そのようにしかみえない背景には、本作が基本的にテッドの目線でしか描かれていないという点にあります。
本作のシーンは、ほぼすべてテッドの様子を中心に構成されています。テッド以外の人物が中心となっている場面は、冒頭、ジョアンナがビリーに別れを告げるシーンくらいでしょう。
再びビリーを迎えにいこうとするジョアンナの心境は、ビリーの養育権をめぐる裁判において、初めて明らかに。涙交じりで養育権を主張するジョアンナの姿は、メリル・ストリープの演技も相まって胸に響きます。
しかし、観客からすると、突然再び姿を現して何をいっているんだという感想を抱くかもしれません。冒頭のシーンから裁判に至るまで、ジョアンナの詳しい心情描写は一切ないのですから、仕方のないことです。
同じことはビリーにもいえるでしょう。ビリーもまた、自分の世話をしてくれるテッドの様子をはじめは不思議がります。そして、ジョアンナがいなくなったことに苛立ちながらも、テッドをこれまで以上に父親として認めていく様子をみせます。
けれども、そのビリーの姿もまた、テッドとセットで描かれているものです。たとえば、ベビーシッターに預けられながらビリーがひとり何を考えていたのか、ジョアンナからの別れの手紙を読んで、ひとりの時に何を思っていたのかは、作中ではそれとなく推し量ることしかできません。
もちろん、本作がただ父親としてのテッドの成長を描いた作品であれば、それもひとつの表現方法だといえるでしょう。しかし、本作が高い評価を得ているのは、不器用な父親と息子の交流を主軸としながらも、離婚問題と養育権の問題が絡み合っているからです。
少なからず社会問題をテーマとしたのであれば、やはりジョアンナやビリーにもスポットを当てなければ、作品としてはひどく中途半端にみえます。結果としてジョアンナに対する批判を集めてしまったのであればなおさらです。
実際、テッドとジョアンナの間における確執は、どちらが悪いという性質のものではありません。社会通念の変化についていけず、テッドがジョアンナに仕事をさせたくないと思ってしまうのも仕方のないことです。一方、女性の社会進出という舞台が整った時代において、ジョアンナが働きたいと思う気持ちもまた自然といえます。
あるいは、冒頭のジョアンナの様子は、恵まれた家庭にいながらも、仕事による自己実現という一点、しかし彼女にとって何物にも代えがたい一点が叶えられないがために、ノイローゼあるいはうつ状態に陥っているようにもみえます。
家族を置いてまで自己実現を叶えることが大事なのかという批判は当然あるでしょうが、何が最も優先されるべきかというのは、それこそ人次第。少なくともジョアンナにとって、現状のままテッドの前でよい妻を演じることも、ビリーの前でよい母を演じることも、すでに限界だったのです。
けれども、ジョアンナは決して、ビリーへの愛情を捨てたわけではありません。仕事によって精神的な充足を得られた彼女が、母親である自分と向き合えるようになり、愛するビリーを迎えにいこうとするのは、当然の行動だといえるのではないでしょうか。
【考察】ジョアンナ、テッド、ビリーの関係。ラストが納得できないという意見も
物語のラスト、ジョアンナはそれまでの主張を翻し、ビリーはテッドのもとにいるべきだと語ります。なぜジョアンナは養育権を放棄したのでしょうか。一般的には、テッドとビリーの絆が本物であり、ビリーの幸せを考えると連れて行くことはできないとして身を引いたのだと考えるのが自然でしょう。
ただ、ジョアンナがそのように考えをあらためるきっかけとなった描写といえば、不利な状況を突きつけられ失意のまま法廷を去るテッドの様子くらいしかありません。ジョアンナもまたビリーを心から愛しているだけに、彼女が考えをあらためた理由はもう少し掘り下げてほしかったように感じます。
一方、テッドとジョアンナが和解しながらも、ジョアンナがビリーを連れて行かないことを伝えようとして幕を閉じるラストに、どこかもやもやしたものを感じる人も多いようです。なかには、ビリーのことを考えるなら、テッドとジョアンナはもういちど家族になるべきだというのだという意見もあります。確かに、そういう終わり方もハッピーエンドとしては悪くないのかもしれません。
しかし、すでにジョアンナには恋人がおり、別の人生を歩み始めています。そしてテッドとビリーもまた、父親と子どものふたりでひとつの家族を築きなおしています。
ジョアンナがテッドとよりを戻すということは、お互いにそれぞれ再び築き上げた関係を、もういちど壊すことと同じです。それは、ビリーを愛しているということとは別の話ではないでしょうか。ジョアンナがビリーを愛することは、彼女の新しい人生とは矛盾しません。
作中ではテッドとジョアンナの親友であり、シングルマザーとしてひとりの娘を育てているマーガレットの台詞が印象に残ります。別れた夫のことに対してさまざまな感情を抱くマーガレットは、夫は間違いなく娘の父親であり、その意味において自分と夫の関係は「死がふたりを分かつまで」なのだと言います。
テッドとジョアンナの間にも、ビリーという存在を媒介として、切っても切れない関係があります。たとえふたりが別の人生を歩もうとも、ビリーに対する愛情は共通しているのです。片親との生活になり、ビリーが不幸になったかどうかというのは、彼らの外側にいる我々からは推し量ることができません。いえ、少なくともテッドのそばで生活するビリーの様子から、彼が不幸だと感じる人はいないのではないでしょうか。
シーンの構成に不満を覚える部分はあるものの、社会的地位をなげうってまで育児に奔走するテッドの様子やビリーとの親子関係、養育権をめぐる胸を締め付けられるような展開は、公開から40年経った今でも何かしらのインパクトを与えてくれるでしょう。視聴後はきっとフレンチトーストが食べたくなっているはずです。
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