映画『空母いぶき』は「ジパング」「沈黙の艦隊」などで知られる、かわぐちかいじ原作のベストセラーコミック「空母いぶき」を西島秀俊と佐々木蔵之介のW主演で実写映画化したミリタリーアクション映画です。
20XX年の日本を舞台に、架空の国からの領土占領や戦闘攻撃を受けるという未曽有の事態を航空機搭載型護衛艦「いぶき」をはじめとした艦隊が立ち向かい、アクションあり、ヒューマンありの海上自衛隊の戦いを作品として描いています。
監督は過去に「救命病棟24時」「やまとなでしこ」などのテレビドラマの監督を経て、現在は映画監督として「夜明けの街で」や「沈まぬ太陽」などの映画を手掛けてた若松節朗。
脚本には「機動警察パトレイバー」の伊藤和典、企画には「ローレライ」「亡国のイージス」などで知られる作家の福井晴敏が加わり、人気俳優からベテラン俳優まで豪華キャストが出演している話題作です。
また、ネットでも映画を観た人たちによる口コミやTwitterでの賛否両論の反応が上がっているため、『空母いぶき』が気になっている人も多いのではないでしょうか?
そこで今回は、映画『空母いぶき』を観た感想やネタバレ、物語の解説や考察をまとめてみました!
目次
映画『空母いぶき』を観て学んだ事・感じた事
・有事に行われる自衛隊の様子が観れるアクション映画だった
・戦争のない世界への選択や過程には様々な思いがある
・いかに今の日本が平和ボケをしているのか痛感した
映画『空母いぶき』の作品情報
公開日 | 2019年5月24日 |
監督 | 若松節朗 |
脚本 | 伊藤和典 長谷川康夫 |
原作 | かわぐちかいじ「空母いぶき」 |
出演者 | 秋津竜太(西島秀俊) 新波歳也(佐々木蔵之介) 本多裕子(本田翼) 垂水慶一郎(佐藤浩市) 湧井継治(藤 竜也) 迫水洋平 (市原隼人) |
映画『空母いぶき』のあらすじ・内容
20XX年の12月23日未明。日本列島の沖ノ鳥島の西方450キロにある波留間群島の”初島”に、国籍不明の武装集団が上陸し1本の”旗”を立てたことからこの物語は始まります。
事実上の日本領土の占領に、海上自衛隊は直ちに小笠原諸島沖で訓練航海中だった第5護衛隊群に出動命令が下されますが、その第5護衛隊の旗艦こそ、戦後以来の自衛隊初の航空機搭載型護衛艦「いぶき」だったのです。
航空母艦の保持は計画段階から「専守防衛」論議の的となり、政府・世論の意見をも二分にしてきた「いぶき」。艦長は、航空自衛隊出身の秋津竜太一佐、補佐するのは海上自衛隊出身の副長・新波歳也二佐で、共に防衛大学同期生でトップ争いを行ってきたエリート自衛官でした。
現場海域へと向かう第5護衛隊群を待ち受けていたのは、敵の潜水艦からの突然のミサイル攻撃、さらに針路上には敵の空母艦隊が姿を現し、想定外の戦闘状態に第5護衛隊群は突入していきます。
政府は恐れていた事態である防衛権の行使の選択を迫られ、ついに総理大臣は国際法上の正当防衛にあたる「専守防衛出動」を発令します。
一方で、取材でたまたま「いぶき」に居合わせていた2人の記者は、独自の判断で海上で行われる戦闘を国民に向け発信し、その戦いの目撃者となるのでした。
戦後初の日本の航空機搭載型護衛艦「いぶき」とその乗員自衛官たちを中心に、政府、メディア、そして国民たちがそれぞれの思いを抱き、戦後長らく日本が保ち続けた”平和”を守ろうとする自衛隊の葛藤が繰り広げられる熱い戦いが始まります。
それぞれの立場から何を考え、どのようななる選択をするのか、そして保持している”力”はどのような形で使うべきなのか、彼ら一人一人の決断がぶつかり合い答えを模索する”運命の24時間”を描いた作品です。
映画『空母いぶき』のネタバレ感想
「平和のための選択肢」が問われる作品
映画の中での敵こそ架空の武装勢力という設定となっていますが、『空母いぶき』のテーマは現代の日本にも通じるものがある”平和のための選択肢”です。
この作品のテーマを具体的かつひと言で言い表すと、「もしも日本が有事に陥った時、自衛隊はどのような防衛をするべきだと思うか?」ということが鑑賞者への投げかけとなっています。
しかし、それは「決して誰も正解は分からない」という答えにたどり着いてしまうと同時に、どの選択肢をとっても「平和への思いがある」のには変わりないということが、作品からも表現されていたのではないでしょうか。
劇中で、「創設以来、1人も戦闘での死者を出したことないのが我々自衛隊の誇りだったはずだ」と言う新波歳也二佐。それに対し、「我々が誇るべきは自衛隊に戦死者がいないことではない。戦後何十年もの間、国民に誰一人として戦争犠牲者を出していないことだ」と秋津竜太一佐は反論します。
どちらの意見にも確かに一理あり、その選択ひとつで日本国民の平和が左右される立場にあるという心境に、私たち第三者の立場である”守られる側の日本国民”としては、どちらの意見が正しいのかという答えを出すのはなかなか難しいものがあります。
ですが、1番の岐路に立たされているのは戦場にいる自衛官たちです。彼らのなかでも正当防衛の範囲内で「戦うか」「護るのか」で意見が分かれ、政府・現場の自衛官・国民感情・国際的に納得がいく攻防をどのようにするのか?というサスペンス要素に、観ているこちらもヒヤヒヤとさせられました。
この映画は決して自衛隊を賛美するような映画や、単に「戦争はダメ」というようなチープなテーマ性ではなく、いかにして自分たちに与えられた自衛の権利を駆使して国の平和を守るのかという深いテーマの作品となっていました。
新波歳也二佐と津竜太一佐が平和が願う気持ちは、お互いに変わらないということもまた事実。ほとんどの鑑賞者は自衛隊関係者でもない限り、第三者である”守られる”立場からの鑑賞となると思いますが、彼ら2人のどちらの意見を持った人が見ても楽しむことができる映画なのではないでしょうか。
有事の時こそ役立つ”外交”を目の当たりにする!
『空母いぶき』では自衛隊が海上で戦闘を繰り広げているなか、外交で国を守ろうとする政府の動きにも注目したい作品です。
戦争映画のジャンルと言えば大体の作品が戦場のみが舞台となっていたり、渦中の個人の物語を切り取ったワンサイドからの映画がほとんどですが、『空母いぶき』では自衛隊の視点だけでなく、政府が戦争を回避するために外交で手回しをする様子も描かれています。
「平和のために戦っているのは戦闘をしている人たちだけではない」ということも思い知らされましたし、実際に有事の時こそ国の外交力が問われると言っても過言ではありません。
『空母いぶき佐藤浩市演じる垂水総理大臣は、炎上してYahoo!ニュースにもなった例の”下痢発言”でも話題に上がっていましたが、心配していた「頻繁にトイレへ行くシーン」が出てくるということもなく、個人的にはそこまで気にならずに観ることができたので安心しました!
コミカル要素もあって重くなり過ぎない
この作品では自衛隊の空母をはじめとした艦隊が舞台となるため、どうしても専門的な用語や政治的な堅苦しい会話が出てくるのですが、そのなかにコミカルな役どころのキャラをしのばせることで重くなりすぎず、ときどき劇場からクスクスと笑い声が聞こえる作品となっていました。
中井貴一が演じるコンビニ店長や、新聞記者役の小倉久寛、護衛艦「いそかぜ」の艦長役の山内圭哉のようなキャラの濃い演技はかなり場を和ませ、戦争映画やミリタリーものが苦手な人でも比較的鑑賞しやすい内容にまとまっていた気がします。
その反面、いわゆる説明セリフが多くなっている印象なので、初心者には見やすいですが投げっぱなしの映画が好きな人にとっては、少し余計な演出に思えるかもしれません。
原作が人気コミックということもあり、原作を知っている人であれば少し丁寧に解説されている様子に違和感を覚えるかもしれませんが、原作を読んでなくても楽しめるのは映画ならではの良さでもありますよね!
また、原作では出てこないヒロインやコンビニ店員、ネットメディアのキャラたちにも賛否両論あるようですが、本田翼や深川麻衣などの若手女優がいるだけで、『男たちの大和/YAMATO』のような良くも悪くも”男くさい映画”になることもなく、新しいイメージのミリタリー映画になったのではないでしょうか。
【解説】ちょっと辛口な評価をするとしたら…
アクションものの邦画でよく気になることと言えば、やはり何と言ってもCGのクオリティですよね!この映画の辛いところは、本物の自衛隊の撮影協力がもらえなかったという点にありそうです。
というのも、劇中でもセリフで言っていましたが、「自衛隊は政治的関与はしてはならない」ということもあり、海上自衛隊からの許可が得られなかったのは作品にとってかなり痛手だったのではないでしょうか。
このため、戦闘のアクションシーンのみならず「空母いぶき」の全貌ですらCGで作られていたこともあり、CGの腕が問われる映画になってしまっていたことが評価を下げてしまうの要因ともなりました。
ただ、有事の際の自衛官たちの必死の攻防はイメージとしてでも見れることは滅多にないので、魚雷の対処や対空ミサイルなどは現代版の議事戦争を目の当たりにしている感覚が新鮮かつ新しい発見でもあるので、これだけでも見る価値はありました。
個人的には出現頻度の少ない役どころに豪華なキャストを使わずに、CGにもう少し予算を回して欲しかったと言うのが正直な感想でした。
鑑賞者の中にはリアルな映像を求めている人や、ミリタリー好きであれば本物の航空母艦モデルの現役護衛艦の映像が観たかったという人もいるのでは?と思うと、しょうがなかったとは言え「期待を裏切られた」と感じる人もいるかもしれませんね。
CGのクオリティーに関しては、ハリウッドのような規模のマーケティングではないため、制作費に限界があることは仕方がない部分ではあるので、邦画CG作品としては合格ラインなのではないでしょうか。
ただし、百歩譲ってCGにはケチをつけなかったにしても、海自の象徴ともいえる”日章旗”はおろか、船の国籍を示すはずの”日の丸”すらも見当たらなかった点は、「少し詰めが甘いかな?」という印象を受けました。
せめて日の丸を掲げていなければ『空母いぶき』自身も”国籍不明船”になってしまいます…そこは決定的なミスだったので残念でしたね。
俳優陣が主演からちょい役まで豪華すぎる
この映画に出演している俳優陣は本田翼などの若手俳優から始まり、久々にお目にかかるメンツから映画ではよく見る顔ぶれ、安心して観れいられるベテラン組まで勢ぞろいしていたのが高ポイントでした。
個人的に気になったのは潜水艦「はやしお」の船務長役だったケミストリーの堂珍嘉邦。役者としての物差しで見れば映画や舞台での出演こそ少ないものの、過去には「醒めながら見る夢」で主演をしたこともある器用な方なんですよね。
また、護衛艦「はつゆき」の艦長である瀬戸斉昭を演じたのは、女性に人気のイケメン俳優の玉木宏。実はこの2人、戦闘序盤で離脱する護衛艦と潜水艦の乗組員ということで、出演時間はほとんどなかったのが驚きです。
役どころが自衛官ということで、帽子を被っていてパッと見では気付かなかった人もいたのではないでしょうか…これから鑑賞する人は「はやしお」と「はつゆき」の乗組員が出るシーンではよく目を凝らしてチェックしてみてください。
他にも、片桐仁や戸次重幸、髙嶋政宏や斉藤由貴などの豪華な俳優陣を、なんとも贅沢な使い方をする映画だなと思わされる作品でした。
【考察】なぜ秋津竜太と新波歳の意見は真っ2つに分かれたのか?
戦闘開始直後から、秋津竜太と新波歳也はお互いの意見がぶつかり合うシーンが多々存在します。
この『空母いぶき』の艦長と副館長は、なぜこんなにも意見や自衛に対する意識が違うのかと言う点には、それぞれの自衛官としてのバックグラウンドが関係しています。
艦長である秋津竜太は航空自衛隊の戦闘機の乗組員で、まさに攻撃に長けた特徴の出身だったこともあり、「やらなければやられる」という戦闘機乗り特有の状況から「攻撃は最大の防御」という考えのもと航空自衛隊員を全うしてきた人間です。
一方の副艦長である新波歳也は、自衛官になってから今までチームワークを必要とする海上自衛隊員としての人生を歩んできていた人間で、「仲間の命」について人一倍の想いをもって生きてきた人間だったということ。
2人の最終的なゴールは「戦争のない平和な国」ということには変わりませんが、自分たちの訓練してきた環境の違いから「攻めの防御」と「護りの防御」で意見が分かれてしまったとも言えそうですね。
ただ、どちらもあくまで「正当防衛」の条件下の話で、いかに国を守るために戦うのかという話をしているので、艦長が「交戦派」で副館長は「事なかれ主義」という意味ではありません。
どちらも国を守るための考え方であり、『空母いぶき』ではそのどちらの戦法も活かされ結果的には戦闘を終えることができたのです。
戦闘と言うのは相手(敵)ありきのことなので、教科書通りにやってももちろん上手くはいかず、反対にマニュアルよりも現場の状況を判断しすぎても国として大きな失態に繋がるかもしれないため、ひと言で「どちらが正解だったか」という謎は解けないまま終わっています。
また、記者のインタビューである「日本には空母が必要なのですか?」という質問にも、答えが出てこないのもポイントです。
彼らはあくまで自衛官としての職務を全うしているだけで、「いかに国を守るか」に対してそれぞれの想いがあるのはごく自然の事ですし、航空母艦があろうがなかろうが国を守る姿勢は変わらず、「いぶき」をどうこうできる立場でもないのです。
いい意味でアクセルとブレーキになってお互いのコントロールができた2人のコンビは、今回の戦闘だけで見ると正当防衛のもと上手く攻防戦を繰り広げていたのではないでしょうか。
どちらの意見が欠けても成立することのなかった見事な戦いは、フィクションではとどまらずに現代の日本が置かれている状況の打開策につながるような気もします。
【考察】戦闘と戦争の違いとは
最終的には「世界はひとつ みんな友だちだよ」という、あの手書きのメッセージに書かれていたのが理想的な平和ですが、現実問題ではうまくいかないのも人間の愚かさです。
戦闘と戦争の定義は難しいものですが、それも答えは「各々で変わるもの」というのも、『空母いぶき』に込められたメッセージのひとつではないでしょうか。
平和を願ったどちらの判断をしていても、戦争の定義は鑑賞者である我々の判断にゆだねられているというのを再認識させられます。
作品では、最終的には戦闘・外交・世論の多方面から戦闘は終わりを迎えましたが、実際に同じようなことが今の日本で起こった場合にどうなるかというのは誰にも分かりません。
そんな危機感を持つ機会のない現代の日本人へ、監督や原作者のメッセージが伝わってくるような気がして、映画を観終わると何とも言えない感慨深い気持ちになります。
よく日本は「平和ボケをしている」と言われますが、自衛隊員たちが普段からどんな状況に備え、有事の際はどんな状況に置かれるのかをこの映画は投げかけ、「どうすれば国を守り、平和への道が開けるのか」ということを考えさせてくれる深い映画でした。