ハリウッドの大規模な娯楽作品とは、全く異なる毛色を持つ映画「ともしび」。一人の女性に起きた悲劇とそれによって引き起こる不安と葛藤、そして、向き合う姿が印象的でした。
全体的に丁寧な説明が全くと行っていいほどない映画であるため、漠然と見ていると退屈な映画に見えてしまうかもしれません。しかし、この映画には、その他の映画にはない魅力があります。
今回は少し難解な映画「ともしび」のネタバレ解説や考察、個人的な感想を書いていきます。
目次
映画「ともしび」を観て学んだ事・感じた事
・アンナが抱える不安と孤独
・日常が崩れ落ちていく中で自分自身と向き合うこと
・物語ではなく人物の内面を眺める映画
映画「ともしび」の作品情報
公開日 | 2019年2月2日 |
監督 | アンドレア・パラオロ |
脚本 | アンドレア・パラオロ |
出演者 | アンナ(シャーロット・ランプリング) アンナの夫(アンドレ・ウィルム) エレーヌ(ステファニー・ヴァン・ヴィーヴ) ニコラ(シモン・ビショップ) |
映画「ともしび」のあらすじ・内容
ベルギーの小さな地方都市に暮らす1組の老夫婦。慎ましく静かな生活を続けていたのですが、ある日夫が警察に出頭し、収監されてしまいます。家に一人となってしまったアンナでしたが、いつもの生活を続けていきます。
趣味の演劇サークルや家政婦の仕事、会員制のプールに足を運ぶなど、いつもと変わらぬ時間をすごしていたのですが、徐々に狂いが生じていきます。
彼女の生活に起きる1つ1つの歪みが、彼女の日常を蝕んでいき、不安と孤独に苛まれる中で、それは取り返しのつかないほどに大きな狂いを生じさせていきます。
映画「ともしび」のネタバレ感想
映画「ともしび」を観た直後の感想としては、「これは一体何の映画なのか?」と疑問に思ってしまうほどでした。あらすじなどで色々書いてはいますが、物語の中でこのような出来事が丁寧に説明されているわけではなく、いつの間にか出来事が生じていきます。
気軽な気持ちで娯楽映画を観に行くような感覚でこの映画を観てしまうと、気づかないうちに時間が経ち、よくわからないまま映画が終わってしまうでしょう。
当然、映画の中で全てが明瞭に説明されていく中で、物語が展開していくというのは、良い悪いの基準ではなく手法の1つに過ぎません。そのため、いつもの感じでこの映画を見ると、どうしても消化不良気味になってしまうのも無理はありません。それぐらい一筋縄ではいかない映画だと思いました。
言い方を変えれば、かなり人を選ぶ映画かもしれません。この映画を観たときに「浮き沈みがなく退屈な映画」だと思う人も少なからずいるでしょう。
ただ、逆にこの映画には、一般的な娯楽作品にはない魅力があるともいえます。そういった部分を意識しながら、この映画を見れば、深みのある魅力にたどり着けるかもしれません。
ここでは、映画「ともしび」の感想を1つ1つの項目に分けて解説していきます。
【解説】具体的な説明もなく進んでいくストーリー
一度予告編の動画を観てみるといいかもしれません。
予告編から伝わる情報としては、「夫が罪を犯して収監されていること」や「主人公の女性が何らかの罪を抱えていること」などが示されています。そして、こういった出来事がきっかけで日常が崩れていくなどの情報が観て取れます。
何となく、人生の終盤を迎えた女性に当然の悲劇が舞い込んで、それをきっかけに自分を見つめ直すかのような展開が想像できます。
しかし、正直言って、予告編で想像できるような内容の作品ではありません。物語の筋自体は予告通りなのですが、期待するような内容の作品とはいえません。
まず、夫が何らかの罪を犯して収監されるという情報があります。予告編では、それだけの情報が示されるので、本編で理由などが明らかにされるのかと思い込んでしまいますが、本編でも夫が捕まった理由は全く説明されません。
むしろ普通に日常生活を送っているシーンから何の前触れもなく、いきなり夫が警察に出頭し、収監されてしまいます。全体的に起伏の少ない映画なので、気を抜いていると見過ごしてしまうぐらい、突然かつさりげなく夫が捕まります。
観てる側としては、やはり「夫はなんで捕まったの?」というのが頭にチラついてしまうのですが、そんなことはお構いなしに映画は進んでいきます。
観てる途中で「あぁ、もう説明はしてくれないのかな」と諦めもしましたが、その通りで、最後まで夫が犯した罪についての説明はありません。
そして、「老女が犯した罪」についても同様です。予告編を観たときには、サスペンス映画なのかと思いましたが、全然そんなことはありませんでした。
この映画は、出来事やストーリーに対する丁寧な説明は一切行いません。ただただ、主人公の女性の内面に焦点を当てて描いています。映画には説明責任はありませんからね。
公式サイトの監督コメントでは、こういった出来事に対する説明を意図的に行わなかった理由としては、「説明することによって映画の核心から注意をそらしたくなかった」と述べています。
つまり、夫が捕まったという出来事をきっかけに、次々と日常を揺れ動かす出来事が起きていくのですが、その中で、主人公の女性がどのような感情を抱えているのかというのが、この映画の焦点であるということです。
そのため、夫の罪自体は曖昧にしておいて、女性の内面を中心に見せているという手法を用いているのです。
予告編をみるだけでは、思い違いをしてしまって、この映画の本質的な部分にたどり着くことが難しくなってしまうかもしれません。映画「ともしび」をみる際には、公式サイトから監督などのコメントを一読しておくことをおすすめします。
【解説】日常が徐々に崩れ去る中、アンナが抱える不安
映画「ともしび」の中心にあるのが、主人公アンナの内面です。映画の演出としても、セリフや音楽が極端に少なく、彼女の表情や佇まいを淡々と見せていくシーンが多く、そこに集中して観ていかないと難しい映画になってしまいます。
そんなアンナという女性の内面については、どのような描かれ方がされているのでしょうか。
キーポイントになっていくのは、劇中で何の前触れもなく起きていく出来事の数々です。夫が捕まってしまったことをきっかけに、家に一人残されてしまったアンナでしたが、最初は静かな日常生活を維持していこうと努めていきます。
趣味の演劇サークルにも顔を出していましたし、家政婦の仕事も難なくこなしていきます。収監された夫に対しても定期的に会いに行って話し相手になっていました。
生活がガラッと変わってしまったアンナは、それでも日常を守ろうと努めていたことが伺えます。普通であれば夫が捕まって取り乱したり、泣いたり、助けを求めたりといった行動が映画だと想定できますが、そういった行動はいっさい取らず、日々のルーティーンを淡々とこなしてくばかりです。
見方を変えれば、どことなく現実から目を背けているかのようにも見えてしまいます。
そして、日常を守ろうとするアンナの心情とは裏腹に、それを崩していく出来事がおきていきます。
いくつか上げていきますが、例えば、アンナの住んでいた部屋の天井から汚水が漏れ出し、上の階の住人に苦情を言いにいくと、子供がいたずらをしていました。
汚水が漏れた天井にはシミが残ってしまいます。そして、部屋のドアを強く叩く音が響き渡ります。外から声が聞こえて、内容からは夫の犯した行動に対するものでしたが、アンナはそれを無視していきます。
また、アンナが孫の誕生日を祝いにケーキを焼いて息子夫婦のもとを訪れるのですが、息子からは拒絶されてしまい、家の中に入れてもらうことはできません。
他にも犬に拒絶されたり、通っていたプールの会員証が無効になっているなどもありました。
以上のような出来事によって、アンナの穏やかな日常生活は突如として崩れ落ちていきます。その中でアンナが何を思い、どのような感情の揺れ動きを表しているのかというのがこの映画の本質的な内容だと思います。
1つ1つの出来事について具体的な説明があるわけではありません。ただ、そういった出来事が起きたということ、そして、それらを彼女がどう受け止めているのか、というのが焦点にあります。
アンナ自身はごく普通の女性として存在しています。人生の終盤を迎える中で、普通の人が当たり前に持っているような人間関係や生活をもっていました。
しかし、夫が捕まったという出来事に端を発して、それらを全て失ってしまいます。その中で、維持したかった日常生活が失われていき、何とも言えない不安や孤独に苛まれていきます。
そういった一人の女性の姿を内面を中心に描いているのが映画「ともしび」だと思います。なので、起きた出来事ばかりに集中して観てしまうと、何とも味気ない映画になってしまいます。あくまで一人の女性を中心にこの映画を観てみてください。
【解説】アンナが抱える罪とは?
予告編では夫の罪と同時に、妻であるアンナ自身の罪に対する言及がなされています。本編では、何が罪なのかという部分に関しては全く説明されていないので、この点に気を取られて具体的な展開を待っていると、大事な部分を楽しめなくなってしまいます。
監督のアンドレア・パラオロのコメントを読んでいくと、何となく彼女が抱えている罪についての解釈ができると思います。
おそらくアンナが抱えている罪とは「現実から目をそらしていたこと」だと思います。夫が捕まった中でも、そこから目を背けるかのように、淡々と日常生活を繰り返していきます。
また、おそらく被害にあった人の関係者が部屋のドアをノックしたときも、それに応じませんでした。その時は日常が崩れ落ちていきそうな不安と、それでも取り戻そうとする葛藤から生まれた行動だといえます。
しかし、アンナの思いとは裏腹に、日常は脆くも崩れていきます。そんな彼女に降りかかる悲劇に対して悲痛な内面を描きながら、不安や孤独がアンナ自身を覆っていきます。
もちろん、アンナ自身がどうすべきだったのかは明確ではありません。さまざまな感情を内包しながら、現実をみないようにしていたにも関わらず、みるみると悲痛な現実に日常が侵食されていきます。
そして、ラストシーンに登場する浜辺に打ち上げられた鯨の死体は、そんな彼女のメタファーでもあります。
不安や孤独に覆われていく中で、精神的に衰弱していくアンナ。終始彼女は悲しげな顔はしているのですが、感情を爆発させることはありませんでした。しかし、映画の終盤、積もり積もった感情があふれ出したのか、トイレで一人大泣きし悲痛な叫びを上げます。
正直なところ、予告編で触れられているような「アンナの罪」というキーワード自体はそこまで重要ではありません。重要なのはアンナという人物の感情の揺れ動きにあります。
物語のラストでは飼っていた犬を売り、休職もしました。そして、荷物をまとめて浜辺に出かけます。そのシーンが示唆するのは、これまで彼女が目をそらし続けていた現実に対して向き合う決意をし、また1から歩み出すことを図ろうとしていたのだといえます。
人生の終盤を迎える中で、さまざまな出来事から自分を見つめ直し、新たな人生観を得たという結末に僅かな希望を残して映画は終わっていきます。
【解説】名女優シャーロット・ランプリングの魅力
映画「ともしび」で主演を務めたシャーロット・ランプリング。この映画では、ヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞しています。
また、同監督の過去作「さざなみ」では、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされるなど、実力と実績を兼ね備えた女優です。
シャーロット・ランプリングは、もともとモデルとしてのキャリアから映画の道に進みます。当時は美人女優としてブレイクし、「地獄に堕ちた勇者ども」や「愛の嵐」などで高い評価を得ていました。
老年期にさしかかっても精力的に活動を続けており、最近では優しさの中に物憂げな表情が唯一無二の存在感を放っており、この映画の役にもぴったりとはまっています。
この映画では、シャーロット・ランプリングの表情1つ1つがアンナという人物の内面を描き出しています。その辺も注目してみるといいでしょう。
【考察】不思議な映画体験でもある映画「ともしび」
何の情報も入れずに見に行ったり、予告編で何かしらの想定をしてから見ると、途中で眠たくなってくるかもしれません。それぐらい「ともしび」は、一般的な映画を見ている人が期待するようなことをやってくれません。
出来事に対する説明のなく、細かい理由なども不明、ただただ主人公が悲しげに佇み、閉塞感だけが漂い続ける。セリフも音楽も最小限で、不思議な感覚にさせられる映画でもあります。
それが魅力的に思えるかどうかは、かなり人を選ぶと思います。思い違いをして見に行ってしまうと、まず楽しめないです。
ストーリーや展開に期待して見てしまうと、肝心な部分を置き去りにしてしまいます。この映画は想像力を働かせながら、主人公の内面のみと向き合うことで理解できる映画かもしれません。
観客に委ねているとも取れますし、余白を作り出すことによって、そういった想像を引き出しているのかもしれません。
そうすることによって、観客自身がアンナの目線で物語と向き合うことができるといえます。この映画の中で、描かれている不安や孤独、閉塞感は珍しいものではありません。
私たちでも当たり前のように抱えることのある感情だと思います。そういった感情に出会った時、どのように対処していくのか、自分ならどんな行動をとるのか、主人公に降りかかる悲劇を通じて、自分自身を見つめる映画かもしれません。
映画「ともしび」は起伏がないので細かく見よう!
映画「ともしび」は、ただ漠然と見ていると、気づかないうちに映画が終わってしまっているかもしれません。全体的に起伏が少なく、キーになるような劇的な展開もないので、細かく集中して、人物の内面を見ていく必要があります。
情報を入れすぎた状態で映画を見るのは、あまりいいことではないのかもしれませんが、少し難解な映画でもあるので、ある程度解説などを見た上で楽しんだ方が、より映画の世界観を理解できるかもしれません。
トレンドに乗るような娯楽作品とは一線を画す芸術映画というジャンルに属している作品です。