映画『劇場版夏目友人帳〜うつせみに結ぶ〜』は、少女漫画雑誌『花とゆめ』に掲載されている漫画『夏目友人帳』を劇場版として映画化したものです。漫画も長期連載の人気シリーズとなっているだけでなく、TVアニメもなんと6期にわたって放送されており、昨今のアニメではかなりの長寿番組となっています。
また、少女漫画でありながら、少女漫画にありがちな「ベタな恋愛」の要素がほぼ存在しないという特徴があります。それに加えて、少女漫画らしい繊細なタッチと可愛らしいキャラクターが魅力的な作品で、女性だけでなく男性にも人気があります。
今回はそんな『劇場版夏目友人帳〜うつせみに結ぶ〜』の個人的な感想や解説、考察を書いていきます!なお、ネタバレには注意してください。
目次
映画『劇場版夏目友人帳〜うつせみに結ぶ〜』を観て学んだこと・感じたこと
・妖怪は異なる存在だが決して敵ではない!
・非常に人気の高いニャンコ先生というキャラクターの魅力を再確認
・優しい世界の中にキチンと現実を描いている
映画『劇場版夏目友人帳〜うつせみに結ぶ〜』の基本情報
公開日 | 2018年9月29日 |
監督 | 伊藤秀樹 |
脚本 | 村井さだゆき |
出演者 | 夏目貴志(神谷浩史) ニャンコ先生(井上和彦) 夏目レイコ(小林沙苗) 津村容莉枝(島本須美) 津村椋雄(高良健吾) |
映画『劇場版夏目友人帳〜うつせみに結ぶ〜』のあらすじ・内容
妖が見えることで、いつも気味の悪い存在として煙たがられてきた主人公の貴志。しかし、そんな彼は心優しい妖や理解のある友人と出会い、祖母のレイコが友人帳に記載した妖の名前を返していました。
こうして名を返していたある日。貴志は偶然にも昔の同級生であった結城に再会し、妖が見えることで背負ってしまった古い記憶を思い出します。
そんな折、名を返した妖の記憶に登場した女性の容莉枝という人物と知り合うことに。彼女は息子の椋雄と二人で暮らしており、貴志に対してもレイコを知る人物として好意的に接していました。
だが、彼女たちの住む街には正体不明の妖が生息していました。貴志がそれを調査した帰り、相棒のニャンコ先生の身体についていた種が庭先で一夜にして樹となり実をつけていました。
どこかニャンコ先生に似ているその実を彼自身が口にすると、なんと身体が三つに分裂してしまい…。
映画『劇場版夏目友人帳〜うつせみに結ぶ〜』のネタバレ感想
長寿アニメだけあって変わらぬ魅力が健在!
『夏目友人帳』シリーズの作品が劇場版として公開されるのは今作が初めてですが、TVアニメを6期という異例の長期にわたって放送しているだけあって、出来はそれらに全く劣ることがありませんでした。
その理由として、今作は完全新作のオリジナルエピソードを描いていますが、それを漫画原作者である緑川ゆきが監修していることが挙げられます。アニメの劇場版では「総集編もの」のように、TVアニメの映像を再編集したものを劇場版として公開するという手法は一般的に用いられます。しかしながら、そういった映画は既存のファンからすれば既知の内容を再放送されている気分になり、満足に楽しめないという側面もあります。それを防ぐために原作者を引き入れてオリジナルエピソードを描いているというのは、原作ファンとして大いに評価したい点です。
また、製作スタッフやキャストもTVアニメ版の世界観を引き継ぎつつ、新たな魅力を提示できるような配置がなされています。監督の伊藤秀樹はアニメーターとして実績があり、脚本の村井さだゆきも数多くの作品で脚本を担当している実績があります。
ただ、彼らは「夏目のスタッフ」というよりは、今作で新たに起用されたタッグと言えます。それをフォローするために、総監督には1期〜4期で監督・5期と6期では総監督を務めた大森貴弘が就任して路線のブレを防いでいます。劇場版という初めての試みながらTVアニメ版の良さをほぼそのまま生かし切っており、今までのファンなら全く違和感なく楽しめる出来に仕上がっています。
キャストに関しても従来から変更はなく、既に6期にわたって声の出演を担当してきた実力派の声優陣がお馴染みの声を聞かせてくれます。また、劇場版では新キャラクターとして津村親子が追加されており、そのうち息子の椋雄は俳優の高良健吾が声優を担当しています。芸能人の声優起用は作品から声が浮いてしまうことも少なくないのですが、彼に関しては特に大きな違和感を覚えずに鑑賞できたので、作品に溶け込めていたと思います。
個性豊かな妖たちが物語を彩る
本シリーズの魅力の一つに、繊細なタッチで描かれる個性豊かな妖たちの存在があります。これまでの作品では妖怪という存在はおどろおどろしいものであり、まるで人類の敵であるかのように描かれてきました。もちろん、本シリーズにもそういった人に害をなす妖がいないことはないのですが、大半の妖は彼らなりに善良な心を持っていることが多いです。
実際に本シリーズの人気投票企画では、主人公の貴志を抑えて人気第1位の座を獲得したのはニャンコ先生でした。ニャンコ先生はその可愛らしい外見からまるでマスコットキャラのようにも見えますが、これは長年招き猫の中に封印されていたためにそれに慣れてしまったことで、招き猫に擬態しているためです。実際の正体は強い妖力をもつ上級の妖「斑」で、貴志がピンチの際には元の姿に戻って妖と戦闘に突入することもしばしばです。
そして、今作に登場した新しい妖は友人帳を狙う六本脚の妖、もんもんぼう、ホノカゲ、ハバキと四体です。このうち、明確な悪意を持って人間と接していたのは六本脚の妖のみでした。もんもんぼうは名を返してもらいたかっただけであり、実際に貴志を危機から救っています。
また、ホノカゲは椋雄に擬態していた妖ですが、それは母を苦しみから救おうとしたための行動でした。さらに、ハバキも主人公らと戦闘にはなりますが、この妖に下されていた命令はホノカゲを狩ることであり、純粋な悪意から主人公たちと敵対したとはいえません。
このように、本シリーズの魅力である「完全な悪」として存在する妖が少ないという特徴を、今作も引き続き備えていることが分かります。妖が登場する作品はどうしても人間が正義の側で「勧善懲悪」という方針で描かれてしまいがちですが、本シリーズはむしろ人間の非や冷たさに言及されることも少なくなく、そうした単純な展開はほぼ皆無といえます。そのため、後述するように優しい世界が描かれている一方でそれだけにとどまらず、「人間」と「妖」という二つの種族が共存することの難しさなどもキチンと描かれています。
心温まる優しい部分とシリアスの配分が絶妙
先ほども言及したように本シリーズは繊細なタッチで心温まる物語を綴る一方で、異なる種族が暮らすことの難しさや、妖が見えることによる苦しみなどもしっかりと描かれています。
そのため、TVアニメ版から基本的には一話完結型の構成を採用していますが、単純なハッピーエンドで物語が幕を閉じることは決して多くありません。ただし、後味の悪いバッドエンドはほぼなく、大半は事件や騒動が解決するものの何かを失うというような「ビター寄りのハッピーエンド」が多い印象です。具体的に例えると、悪に手を染めていた妖にはそうしなければならない事情があり、その事情を貴志たちが解決することで妖が満足して消える、というような感じでしょうか。
こうした側面は、もちろん今作でも確認することができます。まず、今作で貴志はかつての同級生の結城と再会しますが、彼は貴志にとって消したい過去ともいうべき存在でした。そのため、二人は喧嘩別れ同然の状態で別れて以来の再会となったのです。
この理由は、結城が妖を見る力があるというウソを貴志についてしまったことが原因でした。貴志は本当に妖が見えるので、それがキッカケで気まずい関係になってしまいました。これは子どもの頃の話であり、「人と違うものが見える」と言いたくなってしまった結城の気持ちもよく分かります。しかしながら、貴志にしてみれば妖が見えることで虐げられてきた自分にようやく出来た同じ境遇の人間であり、それを裏切られた時の失望も痛いほどわかります。
また、椋雄に化けていたのは記憶を奪う妖のホノカゲであったという話には既に触れました。このホノカゲという妖は定めを守らなかったために妖の世界を追われ、人の世をさまよっていましたが、その危険な能力に目を付けられ、払い人に追われることになります。
そんな彼の目の前に現れたのが、容莉枝という女性でした。彼女は成長して子をなしますが、ある日様子がおかしいことに気づきます。そこで、ホノカゲは彼女の息子椋雄が亡くなっていたことを知るのです。そして、悲しみに暮れる彼女を救おうと息子に擬態したのでした。しかし、最終的にホノカゲは彼女と過ごした記憶とともに消えてしまい、ホノカゲという妖がかりそめの母親と過ごした日々はどこにも残りませんでした。
今作もバッドエンドとまではいかないものの、かなり切ない結末を迎えています。ただ、こうして何事もうまくいくわけではないという事自体が、人間と妖の共存していくうえでの難しさを象徴しているようにも感じます。確かに幸せいっぱいの結末とはいかなかったですが、見終わった後にはなんとも言葉では形容しにくい不思議な気持ちにつつまれる作品です。
【解説】「許し」の物語である夏目友人帳
ここまで今作や本シリーズの内容を整理してきましたが、その根本的なテーマに関する解説を加えてみたいと思います。あくまで個人的な印象ではありますが、本シリーズは「許し」の物語なのではないかと感じています。ただ、この「許し」というのは、なにも妖にひどい仕打ちをしてきた人間が許しを受けるというものだけではありません。本シリーズには、人間が人間を許すというテーマもたびたび登場します。
まず、第一の「許し」は、レイコが勝負を仕掛けて友人帳に記した名前を妖に返すことで、貴志という人間が妖に許しを受けることです。そもそも、友人帳に名前を書かれるという事は、友人帳の持ち主に絶対服従となってしまうことを意味するので、名前を書かれた妖が名前を取り返しに来たり、あるいは友人帳をわがものにせんと悪意を持った妖が接近したりするのです。
もっとも、レイコも絶対服従権を得るために名前を得たわけではないと貴志は考えています。彼女も貴志同様人間の友人がいなかったために、名前を取り返しに妖が自分の元を再び訪ねてくることを期待していた寂しさからくるものだと推測されていました。とはいえ、結果的には絶対服従権を勝負の結果奪い取っているのは事実なのです。そこで、貴志は妖に名を返すことで、彼らにしてしまったことの「許し」を得ようと行動します。
次に、第二の「許し」は、これまで妖が見えるという理由で気味悪がられてきた貴志が、人間との交流を通じて彼らを許すことです。これは今作にも結城を許すシーンがあるので分かりやすいかと思いますが、貴志は物語を通じてしだいに人間に対して心を開いていくようになります。
物語の開始時点では家族を除いて人間の友人は皆無に等しかったですが、妖の存在を認知できる友人からしだいに付き合いを始めていきます。クラスメイトの田沼や、多軌などの妖が見えることを理解できる友人たちとの交流を深めるうちに、しだいに妖の見えない人々にも心を開くようになりました。そのため、原作最新刊の時点では人付き合いが得意とまではいかないものの、多数の友人に囲まれて日々を送っています。
本シリーズの物語はこの二つの「許し」によって根本が構成されていると考えられます。また、こうした根本がガッチリと固められており、先の展開が容易であり、かつブレにくいことが人気の長寿シリーズになった秘訣なのかもしれません。
【解説】良くも悪くも「劇場版らしさ」は感じられないかも
ここまでの内容から、今作が優れた作品であることをご理解いただけたのではないでしょうか。実際、今作は興行成績も堅調にヒットし、商業的な成功を収めたことは報道で報じられている通りです。
あくまで筆者の個人的な立場ですが、もともとかねてからの夏目ファンなのでやや中立とは言えない立場で映画を鑑賞することになりました。そのため、少し色眼鏡をかけて今作を観ていたことは否めません。そこで、ファンではない方が視聴したという目線からあえて今作に苦言を呈するのであれば「劇場版である意味」のようなものは、あまり感じられないという点が挙げられます。
本シリーズがTVアニメ版で繰り広げてきた世界観をそのまま輸出してきたというのはすでに触れたとおりですが、個人的には「あまりにもそのまますぎるのではないか」という気がします。そのため、30分アニメで放送されている内容をただ2時間弱そのまま公開したような印象は否めません。
もともと今作はミステリーやサスペンスのように観客をアッと言わせるような演出や仕掛けが満載の作品ではないだけに、人によっては退屈なシーンが多く感じられたのではないでしょうか。個人的にはゆったりした作品が非常に好みなので気にはなりませんでしたが、本シリーズ初見の方は少し戸惑ったかもしれません。
また、基本的に作画や演出に関しても「良くも悪くもそのまま」というのが実情です。アニメによっては劇場版に大規模な予算をつぎ込み、TVアニメ版とはまるで別物のように迫力ある映像を仕上げてくることもしばしばですが、今作のクオリティはあくまでTVアニメ版とそう大差あるものではなく、超大作のアニメ映画に慣れている方には物足りなく映るかもしれません。もっとも、TVアニメとしてはかなり作画・演出共に安定したアニメであり、普通に見ていればそれほど不満を感じることはないと思います。あくまで、超大作と比較した場合の話です。
さらに、続き物なのでどうしても仕方のないところではありますが、本シリーズの作品が初見の方には少しわかりにくい点も多いように感じました。もともと一話完結系なので全く話についていけないという事はありませんが、さすがにTVアニメ6期の後に作られた作品だけあって、世界観や設定の説明はかなり省略されています。そのため、今作に興味があるという方はTVアニメを最低でも1期までは見ていただくか、原作コミックスを読んでいただくことを強くお勧めします。
アニメや漫画としても非常に面白い作品に仕上がっているので、今作とは独立して楽しむことも十分に可能です。