映画「クリード/炎の宿敵」は「ロッキー」シリーズの次世代作品として登場した「クリード/チャンプを継ぐ男」の続編である、ボクシングを題材にした映画です。
前作では強敵コンランと名勝負を繰り広げた主人公「アドニス・ジョンソン」。次なる敵は、かつて父を死に追いやった男「イワン・ドラゴ」の息子です。それぞれの思いを抱えた男たちの死闘の結末とは…。
今回は映画「クリード/炎の宿敵」の個人的な感想やネタバレ解説を書いていきます!
目次
映画「クリード/炎の宿敵」を観て学んだ事・感じた事
・愛の力でも憎悪の力でも、人はここまで強くなれる。
・ボクシング好きだけでなく、ファミリー映画として誰もが楽しめる!
・自分の人生は、自分のためにある
映画「クリード/炎の宿敵」の作品情報
公開日 | 2019年1月11日 |
監督 | スティーヴン・ケープル・Jr |
脚本 | シルヴェスター・スタローン |
出演者 | アドニス・ジョンソン(マイケル・B・ジョーダン) ロッキー・バルボア(シルヴェスター・スタローン) ビアンカ(テッサ・トンプソン) イワン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン) ヴィクター・ドラゴ(フローリアン・ムンテアヌ) |
映画「クリード/炎の宿敵」のあらすじ・内容
悲劇的な最期を迎えたボクサー「アポロ・クリード」の息子として注目を浴びながらボクシング界で快進撃を続けるアドニス。ついに彼はチャンピオンの座にまで上り詰めます。
ビアンカと結婚し、幸せの真っ只中にあった彼の前に、ボクサー「ヴィクター・ドラゴ」が立ちふさがります。
そヴィクターの父親は、アポロを死に追いやった張本人「イワン・ドラゴ」だったのです。
映画「クリード/炎の宿敵」のネタバレ感想
「チャンピオンの防衛戦」を描いた今作
これまでは上へ上へと挑戦していく立場であったアドニスですが、今作では冒頭ですぐにチャンピオンになってしまいます。前作では最終的に負けて終わっているので、ここまでどのような紆余曲折があったのかは計りかねますが、それは省略されています。
ボクシングに限らず何かしらの「戦い」が絡む映画の続編となれば、たいていは新たな脅威が現れ、その存在に打ち勝ち、新たなステージへ進む過程が描かれますよね。それが今回はチャンピオンという座を守る立場。そして、この「守る」という要素が今作のテーマとなっているのです。
一心不乱に戦っていればよかった前作とは違い、ボクサーとしてのアドニスだけではなく、チャンピオンという座を守りながらも妻のビアンカと子供を一家の大黒柱として守らなければならないという、1人の人間として成長するアドニスを観ることのできる作品です。
「ロッキー&イワン」と「アドニス&ヴィクター」という二重の対比構造
今作の見所の一つとして、「ロッキー&イワン」と「アドニス&ヴィクター」という二重の対立構造を観ることができます。それも、4人全員が引き立つようにです。
ロッキーとイワンは、もちろん戦いません。しかし彼らが直接顔を合わせ言葉を交わすシーンは劇中にしっかりと用意されています。
基本的にロッキーは「我々の確執をアドニスたちの世代に押し付ける必要はない」というスタンス、イワンは「自分が鍛錬した息子で、ロッキーの鍛錬したアポロの息子を必ず倒してやる」というスタンスです。私はこの2人の姿勢には双方とも共感させられました。
ロッキーは、「イワンがアポロを倒す→ロッキーがイワンを倒す→イワンの息子がロッキーの弟子を倒す」という、確執がさらなる確執を発生させる負の連鎖が継続していくことに危機感を覚えたのでしょう。
このまま続けていてもアドニスたちのためにならない、そして我々の過去を修正することもできない、だからここで打ち止めにしようというのがロッキーの感情だと思います。
それに対してイワンは、ロッキーに対して並々ならない憎しみを抱えています。ロッキーに負けたことで国からも妻からも見放され、散々な人生を送ってきた彼にとって、公衆の面前で思い切りロッキーに恥をかかせることの出来るチャンスが訪れたのです。イワンから見れば、アドニスはロッキーへの復讐という到達点へ向けた単なる間接的要素でしかありません。
アドニスとヴィクターは2つの点で比較することができます。
まずは生活面。アドニスはビアンカと婚約をし、「引っ越しはどうしよう」などといったボクシングとはまったく関係ないことにも気を向けられるような余裕がみられます。
それに対してヴィクターはトレーニングをするか、肉体労働をするかの単調な生活です。朝はイワンに殴打で起こされ、トレーニングでも試合中でも父親と笑顔で目を合わせるような描写は全くありません。
続いてプレースタイル面。アドニスはどちらかといえば、機敏な動きと技術で相手を翻弄するタイプです。そしてここでもヴィクターは対極の存在となっています。彼はパワーを筆頭とした身体能力で相手を圧倒するタイプです。
総じて、親世代と子世代の明確な対立関係がどちらかを潰すことなく、分かりやすく見て取ることができるところが今作に魅せられてしまう要因なのです。
1人の若者としてのアドニス
「ボクシング好きだけでなく、ファミリー映画として誰もが楽しめる!」と前述したとおり、今作では「アドニスが家族を持つ」というイベントを主体に彼の人間的な成長を楽しむことができます。
チャンピオンとなったアドニスは、言ってしまえばボクシング人生に一区切りついたわけです。冒頭にそういった着地点に落ち着いたことで、アドニスとビアンカのやり取りをより膨らませるようになっている映画の構成にも関心させられました。
一若者として、アドニスの人生に大きな影響が与えられる場面が2つあります。
1つ目は、ビアンカへのプロポーズです。アドニスはプロポーズ前にロッキーにプロポーズのやり方などについて聞き、1人になった後も真面目にシミュレーションを繰り返します。
その必死さといったら…鑑賞していた方々は誰もが心の中に「アドニス、かっこいい」に加えて「アドニス、かわいい」という感情が芽生えたのではないでしょうか。私もその1人です。
その後、難聴に悩まされながらも自分のことを常に支え続けてくれたビアンカに、アドニスはぎこちなさを残しながらしっかりとプロポーズします。そして、ビアンカは驚きながらも感激して受け入れるのです。
アドニスはチャンピオンになって余裕ができたからこそ、ビアンカにプロポーズしたのではないと思います。耳が聞こえなくなる危険性があるという歌手としては致命的な障害を持ちながらも夢に向かって努力し続ける彼女に共感し、そんな彼女を自分も支えたいという強い願望が彼をプロポーズへと導いたのではないでしょうか。
2つ目は、ビアンカの出産です。ビアンカは子供が生まれる前から、自分自身の障害が遺伝してしまうことを恐れていました。アドニスはそんな彼女を励ましますが、その不安は現実となってしまいました。医学的な検査によって息子の聴覚的な反応がないことが告げられると、アドニスは黙って涙を流します。
アドニスがこれまで向き合ってきたことは、自分の力で解決することができる可能性があったものでした。ボクシングの試合に勝つことも、ビアンカと結婚することも、彼の姿勢に依るものです。
ですが、息子の聴覚障害は自力ではどうすることもできません。ビアンカへの励ましが無に帰し、これから自分は何をすればいいのかという絶望感から、無意識に流れ落ちた涙だったのだと思います。
ボクシングで練習を積んで勝ち上がると同時に大きな人生経験を積んだことで、アドニスは人として、1人の若者として成長したと言えます。
アドニスはなぜ試合に勝てたのか?
アドニスはヴィクターとの一戦目、何もできずに終始圧倒されました。試合には勝ちましたが、それもヴィクターがダウンしたアドニスを追撃したという反則負けによるもの。試合後もアドニスは満身創痍の状態で病院のベッドに横たわっていました。まさに「試合に勝って勝負に負けた」わけです。
そして二戦目、アドニスは無事勝利を収めます。彼の勝因とは何だったのでしょうか?当然ですがここで、「アドニスは主人公だから…」とメタ的な思考に陥るのは違います。
まず、一戦目のケガから復帰したアドニスが始めたトレーニングです。
ヴィクターの驚異的な攻撃力に対してアドニスの耐久力が釣り合っていないことは、誰の目に見ても明らかでした。おそらくロッキーはそこに目を付け、新しい場所での新しいトレーニングをアドニスに課したのだと思います。
中でも印象に残ったのは、大きなタイヤに2人が足を入れ、そこから足を抜かずにパンチを受けるトレーニングです。こうすることで、フットワークを利用してパンチから逃れることはできません。ヴィクターのパンチを受けることを前提にアドニスの耐久力を底上げするのです。
このトレーニングの成果は二戦目に露骨に現れました。試合の実況者が「クリードはヴィクターのパンチを受けても倒れない!前の試合とは違う!」と言及するほど、アドニスは鍛え上げられていたのです。
そして私が考える彼の最たる勝因は、アドニスとヴィクターがそれぞれ何のために戦ったのか、ということに大きく関わってくると思います。
ヴィクターは父親のために戦っていました。その理由が顕著に示されているシーンがはっきりとあります。
イワンとヴィクターが二戦目の前に招待された祝勝会での出来事。褒められても終始無表情だったヴィクターは、突如として登場した母親を見て戸惑い、その場を立ち去ります。イワンは追いかけその行動を責めますが、ヴィクターは祝勝会に出席していた権力者たちや母を指して「あいつらが父さんを追いやったんだ!」と激高します。
ヴィクターは、自分がイワンの復讐のための道具にされていることに嫌悪感を覚えていたのでしょうか。私はそうは思いません。彼は父親の思いを汲み取り、自分が勝つことでその思いを成し遂げることを目的に試合に臨んでいたのでしょう。
しかし、ここには「ヴィクター自身がどうなりたいか」という要素がありません。仮にアドニスを倒したとして、その後は?ボクシングを続けることと父親の復讐を肩代わりすることはどちらが大切なのか?…ヴィクターは、そういった自分自身を顧みる行動をしていませんでした。
アドニスも、初めはヴィクターと似たような状況にありました。アポロという大きすぎる父親を持ち、ロッキーという大きすぎる存在にトレーニングをしてもらっているという状況。恵まれていると捉えることもできますが、同時に彼は相当な重圧の下で戦っていたのです。
チャンピオンになった彼はボクシング界の頂点に立ち、勝ち続けなければいけない状態へ追い込まれたとも言えます。もし負ければ、「あの」アポロの息子なのに?「あの」ロッキーがセコンドにいるのに?チャンピオンなのに?という世間の声を回避することは不可能です。
ヴィクターとの一戦目の前、試合を受けないよう説得するロッキーにアドニスは「俺はやる。親父の仇を取る。」と宣言します。「父親のために行動する」という点で考えれば、アドニスもヴィクターと同じ理念のもと日々を送っていたのです。
しかしアドニスは、「家庭を育む」という新しい人生設計をし始めたことで変わりましたこれによって彼の人生にはたくさんの目標ができたのです。
・自分の愛に応えてくれたビアンカを愛し続ける。
・難聴に悩まされるビアンカの夢を応援する。
・聴覚障害を持った息子の成長を支える。
・自分を含めた家族を守っていく。
アドニスには自分のこれからの人生、そして自分がやらなければならないことを少しずつ理解していったのです。
偉大な先人たちのためではなく「自分」のために戦うのだ、そして「守るべきもの」のために戦うのだ、という、ヴィクターと比べてより明確でより強い意志が彼を完全勝利へと導いたのだと思います。
ボクシングの魅せる演出
今作のストーリーから外れた点では、ボクシングの試合における演出が非常に印象に残りました。
まず、アドニスの入場シーン。一戦目の入場はチャンピオンという立場を際立たせるような派手な音響、照明が活用されていました。アドニスのホームであったことやチャンピオンのための特別仕様の演出で会ったことは確かですが、同時にアドニスの「ヴィクターには簡単に勝てる」という危うい自信を覆い隠すため、無駄に激しい主張をしているようにも感じ取れました。
加えて、グローブが肉を打つ音。前作同様、試合中はこの音が最も強調されていました。激しい試合を盛り上げるためには、それに見合うような音楽があってもよいと思います。ですが、殴る音を最も際立たせることで、試合の緊迫感を鑑賞する側に色濃く伝えることができるのだと思います。
極めつけは、アドニスが痛みに耐えながらもヴィクターをしっかりと見据えるシーンで流された「ロッキーのテーマ」。「クリード」シリーズは「ロッキー」シリーズあっての存在であり、ロッキー達の存在がいかに重要であるかということを再認識させられました。
良く練り上げられたストーリーに加え、こういった凝った演出が今作を最高の続編に昇華させているのです。
役者と脚本家であるシルヴェスター・スタローン
体力の衰えを感じかつての力強さはないものの、父親のようにアドニスを見守るロッキーを演じたシルヴェスター・スタローン。
忘れてはならないのは、彼は脚本家と役者を見事に両立しているということです。
今作に限らず、「ロッキー」シリーズ、そして無骨な男たちが無茶苦茶な戦いを繰り広げる爽快アクション映画「エクスペンダブルズ」シリーズも全て彼が脚本を書き、出演しています。
そして、その脚本の方向性はアクション映画だけに留まりません。
彼は今、かの有名な推理作家「エドガー・アラン・ポー」の伝記映画の脚本を執筆中なのです。
もしかするとシルヴェスター・スタローンがこの世を去った後に、「ロッキーという伝説的な役を演じ、なおかつ素晴らしい脚本を書き続けたある男」の伝記映画が作られたならば、私はわき目もふらずに見に行くと思います。
イワン・ドラゴが登場しても他の人物が弱くならない
今作を鑑賞する前は、正直一抹の不安がありました。「イワン・ドラゴ」という大きすぎる人物を登場させることで、初登場のヴィクターや前作で付き合い始めたビアンカの掘り下げ等が薄くなってしまうのではないかと思っていたのです。
しかし、復讐の鬼と化したイワンに応えようと、何も言わずに自分を鍛え続けるヴィクターは、共に最高の敵として存在していました。
「ガールフレンド」から「妻」になったビアンカは、自分の夢を見据えながらアドニスや子供のために必死に努力している様子がひしひしと伝わってきました。
そして何より、アドニスがボクシングの選手として、そして人間としてたくましく成長していく過程が、長すぎず短すぎない約2時間の中に分かりやすく、それでいて濃密に表現されていました。
ドラゴ親子やロッキー、アドニスの家族のこれからの人生がより良いものになるよう、願うばかりです。