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映画「Girl/ガール」ネタバレ感想・解説・考察!トランスジェンダーと差別、難しい問題を繊細に描いた作品!

映画「Girl/ガール」のあらすじ・内容

映画「Girl/ガール」はトランスジェンダーで15歳のララが名門バレエ学校に入学し、バレリーナを目指すために努力するものの、自分の肉体と精神の不一致、そして周囲の人との人間関係に苦悩する模様を描いた映画です。

第71回カンヌ国際映画祭では「ある視点賞」を含む3冠を獲得し、トランスジェンダーを題材にしたこともあり賛否両論ある映画となりました。

今回は映画「Girl」のネタバレ感想や解説、考察を書いていきます。

目次

映画「Girl/ガール」を見て学んだ事・感じた事

・トランスジェンダーを取り巻く問題の解決の難しさ
・思春期の中で肉体と精神の性別の不一致に苦しむ主人公
・私たちが思っている以上に理解し、支えることが難しい

映画「Girl/ガール」の作品情報

公開日2019年7月5日
監督ルーカス・ドン
脚本ルーカス・ドン
出演者ララ(ヴィクトール・ポルスター)
マティアス(アリエ・ワルトアルテ)
ナールト(カテライネ・ダメン)
パスカル(ヴァレンテイン・ダーネンス)

映画「Girl/ガール」のあらすじ・内容

映画「Girl/ガール」のあらすじ・内容(C)Menuet 2018

プロのバレリーナを目指すトランスジェンダーのララは、バレエの名門学校に入学します。思春期を迎える中で、男性としての身体発達に苦しむララはホルモン療法などを受けるのですが、目立った効果は生まれず、バレエの猛練習によって足は血だらけになってしまいます。

クラスメイトからの差別的な言動や治療の効果が出ないフラストレーション、自分の体とアイデンティティの乖離に耐え切れなくなったララは自らの手で性器を切り落としてしまいます。

一命を取り止めたララは父親に見守られながら回復を遂げ、数年後陽のあたる道を颯爽と歩くララを写して映画は幕を閉じます。

映画「Girl/ガール」のネタバレ感想

映画「Girl/ガール」のネタバレ感想(C)Menuet 2018

映画「Girl」は、トランスジェンダーという活発な議論が展開されている問題を題材に描いた映画です。

ララは男性の肉体で生まれ、心は女性という状態の中でバレリーナを目指し、さまざまな葛藤や苦悩の結果、自傷行為に走ってしまうというショッキングな内容になっていますが、そこにはトランスジェンダーという境遇の中で生まれる現実的な苦悩が映し出されています。

表面的で過剰な差別を描くのではなく、日々の生活の中で積もり積もっていく悩み、そして、些細なことの積み重ねがあるときスイッチとなって異常な行動を起こしてしまう。

そこには、現代のトランスジェンダーというマイノリティの苦しみ、そして私たちの理解の浅さが現れているでしょう。

 

第71回カンヌ国際映画祭では「ある視点賞」「カメラ・ドール(新人監督賞)」「クィア・パルム」の3冠を達成します。主演を務めたヴィクトール・ポルスターは難しい役を見事に演じ切りました。

ここでは、映画「Girl」の感想を1つ1つの項目に分けて書いていきます。

【解説】トランスジェンダーという性の難しさ

【解説】トランスジェンダーという性の難しさ(C)Menuet 2018

ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダーを「LGBT」と称し、性的マイノリティとして差別を解消しようとする動きが活発に見られますが、LGBTと一括りにされながらも、「ゲイ、レズビアン、バイセクシャル」と「トランスジェンダー」は性質が異なる性的マイノリティでもあります。

同性愛者や両性愛者は、自分の性的志向の問題であり相手を見るけることによって自らの問題を解消することができます。そして、見た目などはそこまで問題ではなく、自分を自分として受け入れることもできるでしょう。

しかし、トランスジェンダーは肉体と精神の性別が一致しない状態であり、自分自身を容易に受け入れることが難しいでしょう。

 

劇中ではララという男性の肉体を持ち、女性の精神を持つトランスジェンダーが登場しました。体は男性として発達していく中で、自分は女性らしくなりたいと思っています。

ホルモン投薬などの治療法はありますが、確実に効果が現れるというわけではなく、男性の肉体を持つ自分を受け入れることも難しいでしょう。

このように肉体と精神の性別が一致しないという状態は、ありのままの自己を受け入れることが非常に難しいことがわかります。

映画の中でララの骨格や筋肉がフォーカスされるようなシーンが目立ちました。いくら女性らしくありたいと思っても、体の発達がそれを許してはくれません。骨格や筋肉は男性らしく発達していく中で、自分のことを受け入れることができない。

さらに、女性ホルモンの投薬といった治療も目立った効果を出してくれない。そのような状態の中で葛藤を続けるトランスジェンダーという性の難しさが描かれています。

 

そして、トランスジェンダーの場合、周囲の人がどのようにして受け入れるかという点でも難しい問題が残されています。

劇中でも描かれていましたが、ララが学校の女子更衣室を使うことについて、クラスメートに不快感がないか先生が聞いていたシーンがありました。ララの心は女性ですが、肉体は男性です。女性の中にもこういったトランスジェンダーの方が更衣室やトイレに入ってくることに、違和感や不安を感じる人も多いでしょう。

しかし、そのような行為自体はトランスジェンダーの方を苦しめてしまう結果に繋がってしまうわけです。

ララは事情を察したような顔をして、その場をやり過ごしますが、それでも内心傷ついていたような表情を浮かべています。同性愛者であればトイレや更衣室などでもそのまま利用して差し支えないわけですが、トランスジェンダーの方はこのような特殊な問題が生じていきます。

その中で、こういった人たちをどのようにして受け入れていくのか、阻害せずに共生をしていくのか、という論点が劇中で触れられていました。

 

このようなトランスジェンダーを取り巻く論点は今もなお残され続けており、さまざまな意見が存在します。

中には、トランスジェンダーの人が更衣室にいても気にしないという人もいれば、男性の肉体を持った人が入ってくるのは怖いと感じてしまう人もいます。そう感じてしまうこと自体は自然な反応として批判すべきものではないのですが、そういった難しい状態の中で、どのように受け入れていくのかという課題は残されます。

性的マイノリティに対する表面的な差別的言動は、徐々に解消されつつあるといえますが、具体的な社会のシステムの中でどのような形をとっていくのかについては、まだまだ完全な解決とはいかないようです。

映画「Girl」は、トランスジェンダーに対する差別的な言動をセンセーショナルに描いた映画ではありません。そこではなく、トランスジェンダーを理解し、向き合う姿勢を見せながらも、問題を解決することが難しいという現実的な視点を私たちに提供しているのだと思います。

【解説】理解してあげたい気持ちとそれでも離れていく気持ち

【解説】理解してあげたい気持ちとそれでも離れていく気持ち(C)Menuet 2018

映画「Girl」では、トランスジェンダーのララを理解し、支えになってくれる人たちがたくさん登場します。

まず、一番の理解者はララの父親です。自分の子供がトランスジェンダーであることを認めて理解し、問題があれば解決するためにアドバイスを与える良き父親でもあります。さらに、ララの主治医やバレエの先生など、ララを支え前向きにさせてくれる人たちがたくさんいます。

しかし、そういった人たちがいるにも関わらず、ララは苦しみから逃れることができません。気持ちを理解しようとしてくれるのはわかるのですが、それでも理解したところで自分の苦悩を解消してくれるわけではないという諦めの気持ちも感じられます。

ましてやララは15歳の思春期です。父親や主治医はトランスジェンダーであるララの状態を把握するために性的な話にもオープンになることを求めますが、よく考えてみれば15歳の子供が自分の性的な部分を大っぴらに話したいとは思いません。医療上必要なことであるのは間違いありません、父親としても最大限のサポートをしてあげたいと思うものです。

ただ、ララにとっては自らの気持ちを何でもかんでもオープンにすること自体はいかなる理由があっても好ましいことではありません。

自らの特殊性がゆえに、自分を理解しようとしてくれる人、サポートをしてくれる人は数多くいるものの、それによって気持ちが離れていくという難しさもこの映画のポイントに
なっていると思いました。

【解説】小さなことが積み重なる苦しみ

【解説】小さなことが積み重なる苦しみ(C)Menuet 2018

性的マイノリティを題材にした映画ということで、見る前にイメージしていたのは、性的マイノリティの主人公がひどい差別的言動を受けたり、阻害を受けるなどに苦しむ模様が描かれるのではと思っていました。

しかし、この映画では、そこまでひどい差別的言動があったわけではありません。挙げるとすれば、女子更衣室の中でララにシャワーを浴びることを女子生徒が強要したり、女子生徒の前で性器を露わにさせようとしたシーンぐらいでした。

それでも充分ひどいのですが、もっとひどい扱いを受けて、性的マイノリティの悲劇的な境遇を描くのかと思っていたら、そういう訳でもありませんでした。

ララは日常的に些細なことから苦悩を重ねていきます。思春期の中で肉体が男性らしく発達していくことや、バレエ中は股間にテープを貼って目立たないようにしていたこと、女性ホルモンの投薬がうまくいかないこと、自分の気持ちを父親が理解してくれないことなどなど。

それは他者との関わりの中で生じる傷ではなく、あくまで自身の内面的な苦しみの方が強く、そういったことが積み重なっていくという方が印象的に描かれていました。

もちろん女性生徒にひどい扱いを受けたというシーンもありましたが、それは1つのきっかけにすぎず、積もり積もった苦悩があり、それによって自らの性器を切り落とすという行動に走ってしまったという流れだと思いました。

性的マイノリティは他者から受ける差別的な言動に苦しむこともあれば、自分自身の内面的な苦悩もあり、それらは日常的で些細なことによって積み重なっていきます。

【解説】バレリーナというメタファー

【解説】バレリーナというメタファー(C)Menuet 2018

映画「Girl」は、ララがバレエの名門学校に入学するというところから話が始まります。この映画の主題は「トランスジェンダー」ではありますが、そこに「バレエ」という要素を加えたことが象徴的でもありました。

バレリーナといえば女性のイメージが強くあります。もちろん男性のバレリーナもいますが、その中でララは苦悩を抱えていきます。

もともと基本的な技術が未熟だったララは人よりも多くの練習をしなければなりません。男性らしい体の発達を遂げていく中で、トゥーシューズを履いての練習はかなりの負荷が伴います。

足は血だらけになり立っているのも難しくなるような状態です。それでもララは他の女の子たちに追いつくために人よりも多くの練習が必要とされていました。

 

そして、ララは「女性のバレリーナ」に憧れて努力を重ねるわけですが、それでも肉体は男性として成長していきます。

エレガンスで古典的な女性の美しさを表現するようなバレリーナ、そして、男性の肉体を持ちながら女性に憧れるララ。そこにこの映画のメッセージが表現されていると思いました。

ララは女性になりたいと強く願っていました。しかし、ララが思い描くのは古典的な女性像です。女性ホルモンの投薬によって胸が膨らまないことに悩み、トゥーシューズを履いて血の滲むような努力を重ねていきます。

 

こうやってみると、ララ自身も旧来的な女性観に縛られていたと解釈することもできます。トランスジェンダーの人が自分を自分らしく受け入れるためには何が必要なのか。

映画「Girl」のバレエというメタファーには、そういった「伝統的なジェンダー観」とどのように向き合っていくのかという点においても示唆に富んでいます。

そして、ラストシーンではララが颯爽と歩くシーンで映画が幕を閉じます。このシーンに対する解釈はさまざまだと思いますが、ララ自身がありのままの自分を受け入れ、前向きに生きていくことに成功したという解釈もできます。

【考察】トランスジェンダーの役はトランスジェンダーが演じるべきなのか

【考察】トランスジェンダーの役はトランスジェンダーが演じるべきなのか(C)Menuet 2018

映画「Girl」では、トランスジェンダーの主人公をヴィクトル・ポルスターという男性の俳優が演じました。演技は見事なもので、小さい表情の変化によってララの内面を雄弁に表す様に心動かされます。

しかし、この映画の反応として「トランスジェンダーの役をトランスジェンダーではない俳優が演じるのは不適切」という批判もありました。

それについては色々な意見があるとは思いますが、あまりいい意見とは思えません。その理屈でいうなら、トランスジェンダーの人は、トランスジェンダー以外の役を演じることができなくなってしまいます。

俳優は自己のアイデンティティの内側でしか役を演じることができないわけではないと思います。むしろその外側にあるものを捉え、理解し、表現することができる技術こそ、俳優の能力だといえます。

 

監督のルーカス・ドンも『役者などのアーティストは自身のアイデンティティについてだけしか語ってはいけない』とインタビューで答えていました。

もちろん、トランスジェンダーの人がトランスジェンダーの役を演じることによって表現できることもあるでしょう。しかし、重要なのはトランスジェンダーの俳優がより広く、映画に関わることです。

自分以外の何者かになるということが演技の本質的な部分であり、また、トランスジェンダーという性はその人を表す要素の1つにしかすぎません。

「トランスジェンダーの役はトランスジェンダーが演じるべき」という意見には、トランスジェンダーを私たちとは区別した何者かに置くような視点です。それ以外にも同じ人間として共通する部分は非常に多くあり、そういったことがヴィクトル・ポルスターの見事な演技に繋がっています。

 

また、この映画のモデルとなったトランスジェンダーでダンサーでもあるノラ・モンセクールは以下のように語っています。

「このような批判は、トランスジェンダーの物語を世の中に共有することへの妨げになるでしょう。さらに言えば私を黙らせようとしているかのようです。監督や主演俳優がシスジェンダーだからララの描写が不適切だ、という批判こそが私を傷つけています」

映画「Girl」はトランスジェンダーを取り巻く見えない刃、そして葛藤を真摯に描く

映画「Girl」はトランスジェンダーを取り巻く見えない刃、そして葛藤を真摯に描く(C)Menuet 2018

映画「Girl」は、トランスジェンダーという現代社会の中でも課題が数多く残されている性的マイノリティを題材に一人の人物が苦悩し、葛藤する中で「自分らしく生きることとは何か」ということを伝えてくれます。

肉体と精神の性別が一致しないが故の苦悩、理解してサポートを尽くしても解消することができない難しさ、そして、善意によって生まれる傷。

トランスジェンダーという性を持って生まれた人が全てそうであるとはいえませんが、この映画で描かれているように、私たちが普通に生きている以上に見えない刃があちこちにあり、問題の難しさを露わにします。

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